この題、皆さん覚えておいででしょうか?昨年の2月に書いたブログの続編ですね。このブログ、実は今でもかなり閲覧していただいてて、私のブログのトータルアクセスに日々貢献してくれています。今回は2匹目のドジョウを狙った第2弾となります。続編って大概評判良くないんですが、ふふっ・・私のブログに評判なんて・・(遠い目)

こちら過去ブログ→旧車信仰という幻想郷の中で・・(独断と偏見によるハーレー分析 その3)

旧車信仰という幻想郷の中で・下絵
(今回は取り立てて載せる写真もないので、イラストの下絵を載せてみました。お尻の大きなダイナ嬢をお楽しみください。)

ハーレーの価値が語られるとき、「昔の部品がちゃんと出てくる」から、いつまでも修理できる一方、「日本製バイクは部品をすぐ生産中止にして、修理できなくなるからダメ。」などと評されることがあります。

これは間違いなく事実ですね。ハーレーは相当昔の部品でも欠品せずに出てくる。ハーレーがストックしていなくてもサプライヤーが作ってるから、昔のものでもあっさり直ったりする。ただハーレーに比べて、国産バイクがふがいないのか?っていうとそんなことないと思うんですよ。商売って特定の価値観で縦割りにできるほど単純なもんじゃないですから。

私が長年ビジネスしてきて思うのは、ビジネスって言うのはある意味「モノと幻想を売ってるんだなぁ」ってこと。幻想ってカッコいい言い方だけど、実態のない架空の価値です。厳しく言うと顧客のためのおとぎ話。さらに厳しく言うと少々の騙しと嘘。

だってほこり被って見るも無惨なボロボロのバイク引き上げてきて、ちょっとパーツ変えてプロのケミカルで磨くとピッカピカになるんですよ。で見栄え良くして売るわけですけど、元の姿は絶対見せないですからね。

商売っていうのは極論すれば「消費者の財布からいかに金を頂くか?」ってことです。「物理的に金抜き取るのがスリ」で、「ダマして払わせるのが詐欺」「根拠を提示して説得し、顧客が妥当な額と認定した対価をいただくのがビジネス」です。この三つは全然違うんですが、人の財布からお金を抜くということは変わらない。で、悪い業者になるほど、この境が曖昧になる。昔上野にあったバイク店には、私から見ると「詐欺レベルじゃね?」ってとこまで足突っ込んでいた店もありましたが、それはまた別の機会に。

一般のビジネスにおいては、価値の伝達ってとても大事で、商売の優劣はそのテクニックの優劣ってことになる。海外製品はそこがとても上手い。同じクォリティの商品を売っていても説得が上手いA社はバカ売れ、ドヘタなB社は鳴かず飛ばずってのが当たり前のようにある。

利益を上げている優良企業ってのは、「よりうまく消費者に価値を伝え、説得する能力がある会社」なんですよね。その能力ってのは千差万別で、いろんな手法があるんですが、高額消費財で非常に有効なのが「性能が高い」ってのと「耐久性が高く長年使える」っていう価値観なんです。

「同じ能力のある商品を2倍の価格で売るには、2倍長持ちさせれば良い」ってことですよ。これは全然間違ってない。価値と価格がちゃんと釣り合ってます。消費者は損しないし、2倍の価格のものはやっぱり丈夫で質感とか作り込みも良いから、トータルの価値が釣り合えば、消費者が後者の方に流れるのは当然なんです。

私はこのような価値観は素晴らしいと思うし、良いものを買いたい消費者としては諸手を挙げて歓迎します。でも、こういう価値観って得てして界王拳みたいにエスカレートしていくんですね。そもそも旧車市場になると2倍長持ちするって程度のアナウンスじゃいけないんですよ。だって、多くの商材がもう耐用年数の2倍以上の古さになっちゃってるんだから。ここを膨らませなきゃならないわけですよね。

例えばですよ、先ほど言った「2倍長持ちする」っていう価値観を膨らませて「どこまでも長持ちするし、ずっと修理するんで、いつまでも使えます。」って大幅に使用期間を延長しちゃえばどうでしょう。もうこの段階で10倍界王拳くらいになっております。

当然ですが、メーカーはそんなこと口が裂けても言わないんで、メディアや掲示板を使って、そういう価値作りをするわけです。そうすると、それが真実っぽくなり、より高額なプライスタグの根拠になる。でもこれ、私に言わせれば相当無茶ですね。

製造業の経営を圧迫する固定費のうち部品の保管コストってかなりデカいんですよ。保管コストを商品の価格に乗っけず、価格競争力を出したければ、古いモデルの補修部品の保管期限を一定年数で線引きして、コストを抑えていくのはメーカーの経営上当たり前の判断です。特にバイクのパーツみたいにかさばるものについては、保管コストはかなりデカい。

企業が部品を長期にわたって保管してるってのは、慈善事業じゃない。あくまでビジネスとしてやってるんです。だから、永久に修理できるなどという概念は、「昔のものでも良心的に直します」って意味じゃなくて「何年前のものでも、商材として扱いますよ。」って意味になる。部品の永久保管なんて、どだいムリですから、修理を100年後に現実にやろうとしたら、多くの欠品部品をワンオフで作ることになります。当然価格はトンデモないことになる。つまり、永久修理の価値観をリアルに言い換えるとこういうことになります。

「会社が潰れない限り部品も出しますし、修理も受付けまーす。(でも金額は青天井よ♡)

この青いホンネ部分を隠しちゃえば素敵な価値観が成立する。多少サバ読んだっていいんです。その実態が判明するのは遙か未来のことなんだから。実際、不動のバイクを格安で購入してレストア修理に出して1000万円以上の請求が来てもOKなら、ほぼ永遠に修理も維持も可能ですよ。

マネーという魔法力を湯水のように使えば不可能なことは何もない。それが資本主義社会です。でも、こういうコスト度外視の修理が許されてるのは、一部の特別な品で、我々が普段使いするバイクじゃ、やり過ぎになる。レーサーやスーパーカーならともかく、実用として販売されたバイクはコスト・フォー・バリューで作られたものであって、工芸品や美術品ではないのですから。

ちなみに国産バイクだって10年過ぎても部品はあります。でも、10年過ぎたら新しく部品作らないから、在庫なくなった時点で欠品。コスト・フォー・バリューを追求した実用品の本来の在り方として、大メーカーは保管の基準に明確に線を引いてる。耐用年数のある消費財が、いつまでも走ってるってのは、ある意味危険でもあるから、無理に直そうなんてハナから考えていないんです。でも、私は日本メーカーの考え方にこそ、実用品としての一定の合理性があると思ってるんですよね。

ではなぜハーレーは古い部品が普通に出てくるんでしょう?まぁ車体が極めて丈夫で長持ちするってもありますけど、一番の理由は旧車ビジネスを維持するには部品が必要だからです。アメリカからショベルを激安で引っ張ってきて、それを修理して150万円~200万円のプライスタグをつけることができるから、修理需要がなくならない。結果、補修部品も高値で売れるんで、古い部品をストックする部品屋が生きていける。ハーレーはモデルライフが長いから、管理しなきゃならない部品の種類も少ないですしね。

多くの方が「ハーレーはいつまでも部品が出るから価値がある。だからあの価格もしょうがないんだ」って考えてるかもしれませんが、逆ですね。あの価格の取引が成立してるからいつまでも部品を出せるんです。中古市場が崩壊したらすぐに部品は出なくなりますよ。旧車の部品販売にビジネスとしての収益性がなくなっちゃいますからね。商売ってやつはとっても簡単で、儲からないところに取引は成立しないんです。

旧車信仰という幻想郷の中で(ペン入れ終了。ちょっと変わったアングルですが、やっぱね。尻っていいですよね。胸と尻には永遠がありますね。)

バイクにこだわり続け、永遠を願う人には申し訳ないと思うけど、耐久消費財として作られた実用品である以上、どこかで諦めて線引きをするのもバランスだと思うんですよ。中古販売に関わっていたものとしては「今もなお残り続ける古き良きバイクに高い価値がある」と思いたくなる気持ちはわからなくもないけど、それも程度もんで、バランスを欠いた執着は人を不幸にするんです。

「何でお前はそんなドライなんだ?」

「バイクへの愛がないのか?」

って言う人もいると思う。でも、感情にまかせてたら中古取引なんてできません。工芸品や芸術品でもない
ただ古いだけの実用品に真の価値なんかない。古物を扱う人間は例外なく皆同じことを言うはずです。

結局のところ、それを「所有したい」「修理したい」「ずっと手元に置きたい」「愛していたい」という人たちが手綱を引き合ってるから旧車が高騰してるんであって、バイク自体は、どこまでいっても古い実用機械でしかない。多くの人の思い入れや願望によって生まれた実体のないナニかをプライスに変えたものが、プレミア旧車の中身の大部分なんです。でもね。それは「極めて儚く脆弱な幻」です。

「オレの中でこのバイクの価値は永遠なのさ・・」

ということなら、それはそれでいいんです。そういう松本零士的なクサい台詞は嫌いじゃない。アニメの世界なら私も涙を流したかもしれない。しかし、中古市場でその強いコダワリは「ヤマトに乗って白色彗星に突撃するレベルの死にフラグ」になりかねない。

なぜか?それは人の心がうつろいゆくものからです。人は常に歩み続けていて、同じところにはいられない。いろんなものに醒めて、飽きて、また別のモノを好きになる。それが人間らしさというものです。

だから、必要以上にモノに執着したところで、得られるものなんかない

騙しや手練手管によって実体のないものを意志に反して売りつけてしまえば詐欺ですが、同じようなことが行われていても、そこにご理解とご納得があれば、その取引は商売と呼ばれる。古物の世界はタマ数が限られているから、多数の人の執着によって価値が無限に上がっていく。しかも、その執着はインターネット上のマニアックな情報発信で肥大化していく傾向にあるんです。そんな市場では、どこまでが現実の価値で、どこまでが実体のないものなのかを冷静に判断しなければ、自らの煩悩に焼かれて火だるまになることになる。

今年施行される輸入に関する法改正で、海外からは素性の悪い旧車を引っ張ってくるのが面倒になる。これまでハーレーの旧車輸入の現場は何でもアリでしたが、これからはそうもいかなくなるでしょう。もし、思うように旧車が入ってこなくなり、素性の知れた高年式のタマで商売するしかなくなったら、これまでの価値観もあっさり変わりますよ。

EVOやTCを売らなきゃ食えなくなれば、EVOアゲ、TCアゲがはじまると思う。実際すでにEVOアゲがはじまってますよね。でもね。逆に言うとそれでEVOやTCが偉くなるわけでもなければ、ショベルの価値が落ちるわけでもない。純粋な機械の価値なんてそもそも上下なんてしないんですから。それを上下させてるのはその裏にある人の思惑であり、その煩悩を煽るのが商売の本質です。それ故ところどころ局地的に時空の歪みが発生してるんです。

旧車におけるプレミア市場は、熱しやすく、冷めやすく、うつろいやすく、つかみどころがない。それはまばゆい光に包まれてるようで、煩悩という濃い霧に覆われていて視界がきかない亜空間です。人を捕らえ、誘い、惑わせる、幻想郷のようなものなんですね。