今回は私のわがままで、バイクから脱線したブログになります。申し訳ありません。バイクのことばっかり書いてると私自身も詰まってくるんで、息抜きに、私の好きな機械式時計の世界について書きたいと思ってます。なんと7000字というクソ長いブログですがご容赦を。

私は機械式時計が好きですが、メカ好き男は大体機械式時計にハマります。それはなぜか?

それは時計が計測器として500年も前から現代まで連綿と続いてる消費者製品だからだと思うんですよ。価格もピンキリで、安いモノは100円から、高いモノは億を超える。古来より所有者の生活と密接に結びつき、バイクと違ってライディング技術なんて面倒くさいものは不要で、顧客を選ばない。顧客層は一般市民からオイルダラーまで。高額な時計をたくさん売るためにはどんな仕掛けが必要か?とういう手法についても研究し尽くされ、消費の裏舞台を見ようとすれば、非常に勉強になる世界です。あらゆる点で商材としてメチャメチャ奥が深いんですね。

バイクや車っていうのは、人を遠くに運ぶ実用的な道具ですから、耐久消費財としてのサイクルが短く、一定期間で必ず朽ちていく。だから、その寿命が尽きるまでにどれだけ乗り手を楽しませられるのか?という割と短期の価値を追求している消費財なのに対し、機械式時計は「どれだけ長く愛されるか?」という擬似的永遠を追求している消費財で、最高峰のブランドと称されるパテックフィリップなんかは「子や孫に受け継ぐ」という価値を前面に出してビジネスをしています。

この業界のミソは、性能を競っているわけではないこと。機械式時計は精度では100円時計に搭載されてるクォーツムーブメントにすら勝てません。時をはかる計測器としては圧倒的に負けてるんですね。「じゃあ、どんな価値を競っているの?」っていうと「時計に込められたナニか」を競ってるんですね。性能とは違う別の価値観を提示しているところは、バイクのクルーザーカテゴリと少し似てるかもしれない。

ここで機械式時計に込められた価値のうち、代表的なものを3つ上げていくと、

価値その1 デザイン性や機械の美しさの価値

機械式時計はクォーツに比べて、ゼンマイトルクで美しい針を稼働できるし、ムーブメントもいろんな機構が重なりあい、見所があって美しく、まさにミクロな芸術ともいえます。これがメカ好きにはたまらない。また、機械式時計にはいろいろな複雑機構があり、それによって価値をどんどん上乗せすることが可能です。

複雑機構にはよく知られてるクロノグラフ以外に、永久カレンダーや、ミニッツリピーター、トゥールビヨンなど様々なものがあり、文字盤のデザインをより華やかで豊かなものにしようとすると、必然的に複雑機構と組み合わせていくことになるんで、価格が天井知らずに上がっていきます。また、1990年頃からサファイアクリスタルで裏蓋を透明にすることににより、ため息が出るほど美しい機械が見られるようになり、機械式時計の人気が爆発していきます。これは時計の外観の価値ですね。

ダトグラフ
(最も美しい機械のひとつ、ランゲ&ゾーネのキャリバーL951.1、裏スケルトンで鑑賞されることを意識した意匠。それが鼻につくという人もいるけど、美しいモノはやはり美しい。)

価値その2 職人による手作業から生まれる価値

機械式時計のムーブメントを長持ちさせるために施された仕上げには非常に美しい装飾性があり、昔の時計はそれが全て職人の手作業で行われていました。その仕上げにもコートドジュネーブとか、ペルラージュとか、面取り、鏡面仕上げ、ホゾの磨き、ネジ頭の面取りなど、いろいろある。シースルーバックから、これらの仕上げを子細に見るのがマニアにはたまらないごちそうなんですが、細かすぎて伝わらないので、あまり一般ウケはしない。しかし手作業によるパーツの仕上げが丁寧であればあるほど、手間のかかったハイエンドな時計ということになります。

価値その3 資産としての価値

投機的価値と言い換えてもいいかも。自分の所有している時計が、アフターマーケットでどの程度の資産価値があるのか?希少性があって威張れるか?という面を価値とするものです。一部のブランドはこれを常にコントロールし、資産としての価値を築き上げています。

ちまたでいうところの機械式時計の価値基準って、大まかに分けてこの3つだと私は思ってます。でもね。これらの価値って、意図的に操作することができるんですよ。

2000年までの機械式時計ってマニアのための閉じた世界でしたから、投機的価値なんかなくてほぼ定価以下で買えました。信じられないかもしれませんが、ロレックスのエクスプローラーⅠが中古屋で20万以下でしたし、スピマスだって新品平行16万とか。

でも2000年を過ぎるとバブルがやってきた。機械式時計はどんどん高騰し、それに伴って業界が非常にややこしくなっていったんです。ブームで高額機械式時計が飛ぶように売れるようになると、多くのブランドは、「仕上げレベルで手抜きする」ようになっていきます。ぶっちゃけ機械式時計は手作業のカタマリだから価値があったんですが、この手作業を徐々に省くようになっていった。

工作技術の進歩で、手作業でなくても十分満足できる外観が実現できるようになったからです。これガレージキットと市販フィギュアの構図と同じなんですよね。

市販フィギュアの加工、塗装技術が向上してくると、原型師がキャストから作り、フィニッシャーが塗装した一品モノと市販フィギュアに昔ほど大きな違いはなくなってきて、素敵なフィギュアが低価格で普及していく。

通常は良いものの作りつつ単価を下げたり、同じ単価でより良い加工をして商品力を増すために技術が使われるわけですが、時計業界は少し様相が違った。機械で省力化しても、ステータスを維持するために価格は据え置かれたため、似たように見えるけど、まったく価値の違うものにすり替わっていったんです。ほとんどが機械で仕上げているのに手作りの価値を喧伝する。これじゃダメでしょ?

ムーブメントの仕上げは見る人が見れば質の善し悪しがすぐわかるんですが、時計ブランドも、そこんところを巧妙にごまかそうとしてくるから、いくら知識を入れても「モノをたくさん見てない初心者さんにはほぼわからない」。メディアだって良いものは良いっていうけど、ダメなものをハッキリダメっていわないから、行間を読まないと良いものかどうかわかんないんですよ。

時計業界は2000年代半ば頃から、「これって仕上げ手抜いてるよね?」「この価格でこんな芸のないプレス針?ナイナイ」っていう時計がハイエンドな時計達の中にもどんどん混ざるようになり、業界が闇鍋みたいになってきたんですよね。

こだわりすぎて稼ぎ時を逃してちゃどうしようもないんで、この時期多くのブランドが、「ある程度質を落として数を作り、価格は据え置いて利益の最大化を狙う」選択をしたわけです。雑誌に掲載されるような年産数本の時計だけを徹底的に仕上げ、自分達は最高であると唄いつつ、普及価格帯の時計は仕上げを省くという姑息な手法が用いられた。

ブームという圧力に押し流され、一部の機械式時計は「時計職人の永遠への思いが込められた価値あるもの」から「それを模した何か」に変貌していったわけです。

もうね。振り返ると、その頃は常軌を逸した複雑機構が次から次へと生み出されていきましたね。時計が左手の上で成長する人面疽みたいにどんどんデカくなってったんです。その結果「ジオン公国のサイコミュ実験機」みたいな時計が各ブランドから次々と戦線投入されていった。

あのね。実用性もない超複雑時計なんて子から孫へ受け継げないですよ。壊れやすいし、オーバーホールにバイク買えるくらいの費用がかかりますから。「子の世代に爆弾送ってどうすんだ」って感じですよ。この頃「複雑機構がインフレしてガジェット化している」なんて識者が嘆いていましたが、肥大した複雑機構なんて、時計としての用途を無視した大人のオモチャみたいなもんなんですよ。

ただ複雑機構はまだマシ。だってオモチャっていっても設計と組み立てに手間がかかってるわけだから。でも、この世には中身と関係なくもっと簡単に高額商品を売る手法がある。

それは資産価値の側面を追求することです。

人間って現金なもので、「買ったときと同じ値段かそれより高く売れる」ってことになると、どんな高い商品でも割とあっさり買えるんです。だから中古相場を上げると、定価がバカ高くても非常に売りやすくなるわけですよ。不動産でも動産でも転がして利益の出るものには人が群がる。いわゆるプレミア商売ってやつですよね。

一例を挙げますと、下の写真の「オーデマ・ピゲのロイヤルオーク」、薄型のジャンボと呼ばれる名機です。キャリバーはジャガー・ルクルト製920をベースとしたキャリバー2121。2012年に復刻されたときは定価250万円くらいで、中古は200万円切るくらいの相場だったと思いますが、現在は新品が350万円越えで、中古は1000万円越え(笑)。なんでこうなっちゃったの?

1-AUDEMARS-PIGUET-1
(ロイヤルオーク・ジャンボ。素晴らしい時計なのはわかる。でも今の価格は純粋な時計の価値ではないですね。そういう対象になってしまったものには、私は全く興味を持てないんです。)

それは簡単。世界的にステンレスブレスの高級スポーツウォッチのブームが来たからですね。高級ブランドになるほど、利幅のでかい金無垢、プラチナを売ろうとするから、その方向性と一致しないステンレスは作りたくないんですね。だからステン時計の数を抑えてる。彼らはメゾンの主力がステンの時計じゃ困るわけですよ。そこに需要と供給のミスマッチが生まれ、プレミアが成立した。こうなるとマネロンがらみの怪しいお金も入ってきたりしてて、もう天井知らずに爆騰ですよ。

中古相場が定価を上回ると、顧客は中古市場を見て、「定価で買っても売れば元取れるじゃん?損しないじゃん?」って思うから、300万円オーバーの価格の時計が、大根みたいにどんどん売れてくわけなんです。金があっても使い道がない資産家は、希少性があればあるほど優越感に浸れるから、価格高騰を推奨したりもする。でも、そうやってできた相場って、機械式時計の本質的な価値と完全に乖離してるんですよね。

ここ20年で、この業界はいろんな思惑が渦巻いて、「自分なりの価値基準をしっかり持たなくては正しい消費ができない。」という難しい世界になっちゃった。

私が思うに機械式時計の本質って「日々自分の手の上で時を刻む実用性」「時計から滲み出るオーラ」そして最後に一番大事な「自分の好み」、つまるところ、それだけなんですよ。

それ以外のブランド価値や転売価値は、自分の正しい選択を妨害するだけのノイズにすぎないんです。長年この業界とつきあってると、ノイズばかりで頭が痛くなってきて、「自分だけの静かな世界に籠もりたいな・・」と思うようになってくる。

最終的に時計愛好家の行き着く先は昔NHKでも特集された「フィリップデュフォーのシンプリシティ」みたいな時計を一人静かに愛でることなんじゃないかな?と思う。それも定価350万円で細々と売られていた頃のものを。

シンプリシティは、時計師として複雑時計を作り続けてきた豪腕時計師が、時計としての真の価値を追究して作り上げた究極のマニア時計。この時計の初期ロットを買った人を私は心から尊敬してます。昨年シンプリシティの100番ロットがオークションで7000万円の値を付けたそうですが、価値が定まってから手に入れようとするからそうなっちゃう。

シンプリシティ

仕上げ
(フィリップ・デュフォー伝説のハイエンド・マニア時計、シンプリシティ。一見すると普通の時計ですが、中身はハガネで作った宝石。ブリッジ側面の丸みを帯びたとろけるような磨き、特にレントラン(入り角)とソルタン(出角)の仕上げレベルは数千万円の超高級時計の仕上げをも軽く凌駕する。ことムーブメントの仕上げに関しては、2000年以降、これを超える時計は出てきていない。)

私もこの時計の凄さを頭では理解はしていたんですが、知識として理解していただけで、当時は到底買える時計ではなかった。だって見た目、凄い地味子ちゃんなのに、価格はクソ高かったんだもの。裏スケ時代のムーブメント仕上げは「マーケティング的なもの」ってところもあるけど、
あの時計の仕上げって売るためじゃなく、職人としてのプライドと自己満足だった。だからこそこの時計は外連味がないし、過度に主張はしないんです。

私は当時初期ロットのシンプリシティを買った人がホントうらやましかったですよ。シンプリは発売時点で時計マニアとして「一定の地平」に立ってないと買えない時計だったから。価格が高いだけのありふれた時計にしか見えないかもしれないけど、時計の内に込められた目立たぬ誠実さは、現代の超高級メゾンの時計達からはとうに失われてしまったものでした。

しかし、それを理解できたとしても、それだけではダメなんですね。評価人として一流であることと、消費者として一流であることは違う。無名なものの価値を自ら認定して大枚をはたくというのは、しっかりとした審美眼と、清水の舞台から身を投げ出す消費者としてのクソ度胸の両方が必要で、それはものすごく高いハードルなんです。モノが高額になればなるほど、プレッシャーが強くなるから皆ブランドやステータスや時計雑誌の知識やWEBの評価、セカンドマーケットの価格という「価値保証」に依存してる。

私は、野に咲くたくさんの花の中から、手掛かりに頼ることなく、真なる本物を見つけて購入した人たちの眼力と胆力がうらやましい。私にとってシンプリシティは「あのとき、あの時間軸の中で購入しないと意味のない時計」でした。TV放映され、多くの人の目に触れて誰にでも価値がわかるようになり、それが確定した後の選択ではアマノジャクな私はどうにも満足できないようなんです。

私にとっては消費とはモノ自体の価値ではなく、それを選んだ人たちの「選択の価値」なんです。

選択が価値あるものといえるためには、それにオリジナリティがなくてはならない。選択者の人柄や考え方や好みが反映されなくてはならない。そして純粋なものでなくてはならない。多くのものに触れるうち、いつしか私は
「人の意見に左右されず、自分自身の感性で正しく価値を定めたい。と願うようになっていた。それは、時計だけじゃなく、その後の私の全ての消費選択に大きな影響を与えていきます。

とどのつまり、消費者として一人前になろうとしたら人の価値観に左右されちゃダメなんです。自分の中のオリジナルな価値基準をがっちり立てて、選択に自信を持たなきゃならない。自分の選択に誇りを持ち、誰に何を言われようとも決して振り返らず、後悔しない。これが消費の達人だと私は考えてます。だから、私は変態と呼ばれつつも、胸を張ってるスズキ乗りを「ホント素敵だな」と思ってる。まぁ彼らは変態なんですけどね。

腕時計2+1
(今回のテーマは機械式時計なので、イラストはスーツ姿のお姉さん。ムーブメントはシンプリシティ。ちなみに私は美しいムーブメントの仕上げは大好物ですが、仕上げ至上主義者ではありません。仕上げは時計師の価値観であり、消費者の価値観はまた違う。時計師に大事なのはこだわりであり、消費者に大事なのはバランス。昔の私がそうでしたが、特定の価値観をこじらせちゃうと、他の価値が見えなくなる。結果として自分の信じる価値観以外を否定するようになり、視野が狭くなっちゃうんです。

結局、バイクも時計も、好きなものをためらいなく選べるのが達人。そのためにはブルースリーの名言「考えるな!感じろ!!」で買うってのが一番いい。

多くの人は失敗を拒み、人の意見を聞いて無難な選択をしようとしますが、選択を他人に投げていては自分が望む最高にはたどり着けない。

無難に逃げるより、自分の好きなものを買って盛大に爆死した方が人は成長する。そして成長の先に真の選択があるんです。傷を負い、血まみれになりながら、諦めずなお消費の旅路を行くうちに、やがて感性が自分にあった真に価値あるものを自然に選ぶようになる。そうやって選んだものは、他人に否定されても全然気にならない。笑いながら「だって、これ好きなんだもん」の一言で封殺できますからね。

まぁ一番の問題は、そういう独自の基準を立てるまでには、たくさんの失敗経験が必要になるってことです。強者を目指すのであれば多くの敗北を経験しなくてはならないってのは、どの世界でもお約束。「達人への道は一日にしてならず」というのは武道の世界も消費の世界も同じだと思うんですよね。

あ、偉そうにいろいろ書きましたが、私はこの世界が好きなだけですんで、資産価値になるような時計は何一つ持ってない「口だけ番長」であることを最後に申し添えておきます。