先月私のブログのアクセスが急増した時期がありました。

え?なんでこの時期に?って不思議に思っていろいろ確認したところ、どうやら「ハーレー 嫌われる」ってワードでの検索が多いみたい。なんでかなぁってネット見ると、同じ頃に尾道で「ハーレーの集団が商店街の歩行者天国を爆走した」という全国ニュースがあったようなんですね。

こちら、ニュースのリンクです→商店街に“ハーレー集団”人気店目当てか?|日テレNEWS24

これでハーレーのイメージはまた一つ悪化してしまったわけですが、バイク乗りから見れば、「ああ、いるよね。こういうの。特に珍しくもない」って感じじゃないでしょうか。この手のハーレー集団は、行くとこ行けばそれなりに遭遇するんで、私はこの動画見ても特段驚きはなかったですね。

ただ今回の場合、凄い目立つ色のトライクが激写されてますから「ああ、あれ、あの人のバイクだ!」ってすぐわかっちゃうと思う。そうなると集団も特定されちゃうんで、影響は甚大なのではないでしょうか?

「こんな全国ニュースで恥撒いちゃって、これどうするの?誰がケツ拭くの?」ってことになって、仲間割れもはじまるでしょう。そしてみんな離ればなれになり、心に深い傷を残したまま黒歴史になる。

なんで、こんなことになっちゃうのか?これまでもブログで何回か述べてきましたが、ハーレー乗りって、非常に大きな勘違いをしてるんですね。雑誌などが提供している情報に浸ってるから自分たちの罪になかなか気づけない。

絆という名目で集団で交流するのがハーレーの良さだって感じてる人もいるかもしれませんが、私はホドホドにしといた方が良いんじゃないかと思う。

だって、バイカースタイルのバイク乗りって数台が群れるだけで一般人にものっ凄いストレスを与えるから。

半ヘルグラサンでキメて、バイクに大股開いて殿様乗りして、そこら中でバリバリ吹かす。単なる悪党集団です、ありがとうございました。

そもそも「三拍子最高!エンジンの鼓動がたまらん!!」なんてのは、ハーレー脳の人達が極めて狭い世界で主張しているだけの特殊意見であって、それを間近で聞く一般人には最低最悪の騒音でしかない。一歩外に足を踏み出せば、全然通用しない理屈を掲げて、人が沢山いるスポットライトの下に出張っていくからこういうことになるんです。

ハーレー乗りなんて第三者からみたらこれと同じですよ。

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(プギャー!と雄叫びを上げるジャギ様。一般人から見たバイカーのイメージはこれ。)

そもそもバイク乗りなんていうマイノリティは一般人の憩いの場に乗り込んで場の中心でいろいろやっちゃダメなんです。バイク乗りの経験って「そういう自覚があるかないか」じゃないかと思う。

人は黒歴史を積み上げて少しずつ成長するんですが、ハーレー乗りってバイク歴浅いのにいきなり王様の地位についちゃうから、怖いもの知らずなんですよね。尾道の商店街爆走の人々も今回の件でツライ目に遭い、「バイク乗りとしての階段」を一つ登ったと思いますが、気の毒に、その代償が全国ニュースじゃいささかダメージがデカすぎたかもしれない。

そもそもバイク乗りの「格好いい」の定義って、一般人にとっては迷惑になるものばかり。それを客観視することなく、休日の皆が楽しむ商店街に集団で乗り込んじゃうからおかしくなる。彼らは、自分たちのかっこよさをアピールしたつもりだったのかもしれないけど、一般人にとっては場をわきまえない迷惑行為として受け止められたんですね。

ニュース見る限り「平和な休日の商店街に、巨大なバイクに乗った悪党達が現れ、憩いの場を恐怖に陥れて、子供が逃げ散らかした。」っていう世紀末的場面として放映されちゃってるんですよ。しかも良識を期待される年齢の人達がそれやってるわけですから、「何やってんだ感」が凄い。トライクも絵ヅラ的に圧が強いし、ニュースソースとしてもインパクトがあっておいしいんですよね。

クレープ屋に寄ってクレープ食べたっていうのもまずかった。スジモンじゃないから安心して報道できちゃうじゃないですか。これがヤクザのビルに横付けしました!というのであれば、まずニュースにはならなかったはずです。

今回のケースはいろんな諸条件が悪い方に重なってしまった結果だと思いますが、事実である以上、文句つけることもできない。事故によるケガと同じで、一度起きてしまったことは決して消し去ることなどできないんです。

私はハーレーのこんな問題に遭遇するたび、「ナチスのアイヒマン」を思い出すんです。

アイヒマン
(アドルフ・アイヒマン。ナチス親衛隊中佐。国家社会主義ドイツ労働者党・党員番号899.895。秘密情報機関所属。)

この人、実は軍オタには超有名な人なんですが、多くの人は誰?って感じかもしれないですね。アイヒマンは、ナチス親衛隊の中佐でユダヤ人600万人を効率的に虐殺するためのシステムを作り、絶滅収容所、ホロコーストへのユダヤ人強制連行を指揮した責任者です。

この男が加担したユダヤ人大虐殺は人類史上最悪のものですが、謎のベールに包まれていたアイヒマンが裁判で出廷したとき、多くの人が衝撃を受けた。なぜか?皆が想像していたのは、氷のような威厳を備えたショッカーの首領みたいな人物でしたが、実際のアイヒマンはそれとは真逆の単なる「普通の人」だったからです。

結局のところ、ホロコーストによる虐殺は、個人の胆力によってなされていたわけではなく、命令を実行するために巧妙に組み上げられたシステムによって流れ作業のように行われていたんです。だからこそアイヒマンは普通の人であらねばならなかった。計画の遂行には、ナチスを信奉し、その命令に何ら疑問を抱くことなく、淡々と効率的に任務を遂行する個を持たない普通の公務員が最も適任だったんです。

人は「特定の理念に対して服従したい」という欲求をどこかに持っていて、大きな思想や権威を前にすると無批判になってしまう傾向にある。結果、組織がデカくなればなるほど上部の権威は強化され、自制心が働きにくくなり、悪事はエスカレートし、その規模はデカくなる。

これは私の持論ではなく、社会学における数々の実験で立証済みの事実であり、過去の大規模な企業犯罪の多くは、「ある特定の思想に染まった普通の人々によって行われている」んです。

ナチスの大虐殺はヒトラーが原因か?それは違う。殺すという行為を実行することによってはじめて人は死ぬ。そして虐殺を「処理」と言い換え、命令系統の細分化という責任転嫁によって罪を限りなく薄めることで、人類史に残る大虐殺は実現可能となっていたわけです。

まぁ、極端な例を出してしまって申し訳ないですが、言いたかったことは、大規模集団では「さして悪いことしてる自覚がないまま非常識が行われちゃう」ケースが往々にしてあるってことなんです。

あの尾道の事件はその典型のような気がする。あれを「単なる道路交通法違反である」と考えた人は、感覚麻痺を起こしてるんで自分の素行を注意した方がいいかもしれない。あれは違反が問題になってるんじゃないですよ。「自分の享楽のために、人の平穏を奪う権利は誰にもない」っていう当たり前のルールを侵したところに罪があるんです。狭い電車の中で大声でジャイアンリサイタルやったのと同じですよ。歌うことは違法じゃないけど、そんなことをやれば四方八方から叩かれてもしょうがない。

ハーレーというブランドには一定の権威があると思われてて、ディーラーやメディアではチャプターや絆と称してハーレーのみの集団を作り、多くの顧客がそこに所属しています。加えて、カワサキやハーレーは、雑誌などが特定の思想方向を作り、それに心酔する人達が集まる傾向にある。だから「アイヒマン現象」が起こってしまう素地は十分にあるんです。集団を組むときは内部の多様性がないと危険なんですね。

例えば爆音バイクが群れると、爆音の音量は耐えがたいほどになる。だから周囲の迷惑を考えれば、常識的には「爆音バイクは群れる方向にはならない」という結論になるはずなんですよね。しかし、現実は動画のように爆音バイク同士が集まっちゃうんですよ。それは集団内の偏った思想による感覚麻痺と、集団による罪の意識の希釈によるものです。

旧車乗りがいう「旧車だから音量規制がなく法律違反じゃない」というのも全然関係ない。半ヘルなら自己責任だから!とツッパることもできるけど、音量に関しては爆音の正当性はどこにもない。音量問題は周りがうるさいと感じるかどうか?が問題で、他人に迷惑をかけないレベルで音量を自主的に抑えるのは人としての常識の問題です。

他人の鼻先で屁をしないってのは子供でもわかるルールで法律じゃない。爆音問題はそういうレベルの話ですよ。若い頃なら若気の至りってのもあるかもしれないけど、いい歳したオッサン達に社会は情状酌量を与えない。

私は、バイク乗りに「罪を犯すな」っていうのは無理だと思うんですよ。バイクって公道ではマイノリティで特殊な乗り物で、動力性能も法定速度守れるようにはできてない。自分も数々の悪行の果てに今があるので、倫理なんて高尚なもんを語るつもりはまったくありません。

爆音バイク乗る人の気持ちもわかるから、内心は勝手にすればいい。と思ってます。でも、少なくとも、「罪の意識なく罪を犯すのはまずい」し、「起きてしまったことの責任は自分一人で背負うべき」だと思ってます。モラルを無視することには責任がともなうけど、それを集団によって希釈するのは間違ってると感じる。

ちっぽけで、社会の役に立たなくて、やりたい放題のバイク乗りは責任を取ることくらいしかできないんです。だから自分の罪くらいは自覚しておくべきだと思う。私は自分の罪を背負うだけで精一杯で、人の罪まで背負えないし、人と罪をなすりつけあうみたいな不毛なこともやりたくない。私みたいな、背中がコゲててどうにもならんバイク乗りは、「ボッチやってるのが一番ヒトサマに迷惑をかけない」って結論になるんです。

今回の尾道事変は、軽率さによる点も大きいと思いますが、集団でチャプターツーリングを行うことを是とし、ハーレーのみの多様性のない集団を意図的に作っている業界自体が内包している暗部でもある。さらに言うと、現代の組織や企業全体が抱えている問題でもあるんです。最近企業のコンプライアンスが非常にうるさいですが、「個人の良心が働きにくくなる集団の中でどのように良心を保つのか?」というのは現代企業の一つの重要なテーゼなんですね。

だから、私はこれからもずっと一人でやっていきます。有名な言葉に「一本の矢はすぐ折れるけど、三本の矢をあわせれば簡単に折ることはできない」ってのがあります。多くの人は力を合わせより強固な三本の矢となることを選択するけど、簡単にポキッと折れる一本の矢にも利点はあるんです。

脆弱だからこそ、周囲にも気を配るし、注意深くもなる。オッサンが隅っこで目立たぬように多少変なことをしていても、世の中の人達は基本的に無関心ですからね。ちっぽけで影響力のないものはステルス性が高いんですよ(笑)。

当然不都合が起こっても傷つくのは自分だけ。でもね。長いことバイク乗ってて思いますけど、バイクって本来そういう乗り物ですよ。

動物が弱ってるときは静かに身を隠して動かないように、バイク乗りも自分の異端を自覚して隅で静かにしてる分には、攻撃はされないんですね。なんてったって法律的には交通弱者ですから(笑)

いろんな恥を撒いてきて、世の中にご迷惑をかけてきた今の私は、集団の中にいるよりも「隅っこでボッチ」でいる方が、なんとなく心が落ち着くんですよね。

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(偉そうにいろいろ書きましたが、私がボッチになった原因は私が事故魔だったから。いつ暴発するかわからない道路上のテロリストの周囲には誰も寄りつかない。まぁ自業自得というやつですね。)