今回は久方ぶりのガレージキットのブログです。

コロナウイルス感染拡大の緊急事態を受けて、あまりにおちゃらけて品のないガレージキット系のブログは封印しておりましたが、エヴァンゲリオン関連のガレージキットをぶち込むのは、映画シン・エヴァンゲリオンがロールアウトしたこの時期しかないと思い復活させました。

なんといっても、ブログのお題が「へっちまんの素人模型&モーターサイクル」ですから、少しぐらいは素人模型のブログも入れていかないと、タイトルとの不一致が著しくなっちゃいます。

それにしても、ついに、ついに、ついに、エヴァンゲリオンが完結するんですねぇ・・この25年の間、ずっと庵野の終わる終わる詐欺にあっていた気分でしたが、それもようやく一区切りつくと思うと感慨深いです。なお、エヴァネタがわからない人はこのブログはスルーを推奨します。

さらば_
(共に乗り越えましょう!というのが、何を差しているのかが問題。コロナか?映画の中身か?資金繰りか?過去が過去なので非常に恐ろしい。)

まずは、今回のガレージキットの紹介から。

こちらは私の敬愛するVispo片桐様原型製作の綾波RQです。私は一般モデラーとしては相当数のガレージキットを作ってきたと自負してるんですが、このVispoさんの一連のバイク系はガレージキットの中でも発狂レベルの高難易度キットといえます。でも、完成したときの達成感と満足感はピカイチ。

IMGP5165+1
(完成した綾波RQ、完成に至るまでの苦労を思い出すと、感慨もひとしおです。このレベルのキットは私のようなハンパモデラーには、帆船模型と同様に、クォリティ云々より、途中で投げ出すことなくなんとか完成させることに意義があるんです。)
IMGP5078+1
(なんせガレキですから、元はこんな感じ。キャストで作られたお人形さんですね。綾波はいいんですよ。このキットの真の地獄はNSR50の組み立てなんです。)

最初に作ったのはアスカRなんですが、やっぱりアスカを作っちゃうと、綾波も欲しくなるし、マリさんも欲しくなるんですよ。結局は全部揃えて作っちゃったってオチですが、これ1体3万5000円なんで、全部買うってなるとキットの定価だけで10万円越えです。しかもイベント会場までの交通費とか、買えなかったキットを「オクで勝負かけて競り落とします!」なんてことになると、30万円くらいになると思う。完全にバカの極み。浪費の最たるものです。

DSC_0756
(昨年のヤフオクの落札価格が12万1000円??麻薬並みの末端価格です。エヴァの映画が近いので価格が爆上がりしているのか・・)

このキットのモチーフは見てわかるとおり綾波レイ。RQはレーシングクィーンですね。あの清楚な綾波が完全にプレイメイトになって、ガッツリM字開脚という倒れ込み。しかも服がキャストオフして、ブラとパンツにすることができるという魔改造も容易な極めて闇が深いキットになってます。ちなみに私のブログ見て「欲しい!」と思っても、絶対オススメしませんよ。劇場版が公開された今となってはヤフオクで落とそうとすると、10万円以上するし、一般人じゃ絶対に最後まで作れないし、製作代行業者に頼むと20万円オーバーコースでしょう。ホント、いろんな意味で闇が深い。

闇が深いと言えば、TV版のエヴァンゲリオンも非常に難解で闇が深いイメージですよね。これ映画でなんとか完結しましたが、考察もいろいろと出ているようですし、細かいところを拾っていくと非常にマニアックです。ただ、今ざっくり振り返ると「神と人類が織りなしたとても単純な物語」にも見える。

今回は「理屈くさいバイクのブログのコーヒーブレイク」として、私が独自解釈したクッソいい加減なエヴァンゲリオン評を語っていきたいと思います。

まず新世紀エヴァンゲリオンという物語の背景を簡単にご説明していきますと、地球に第一使徒のアダムが宇宙からどーんと飛来して、その後に第二使徒のリリスがやってくる。この2体は全ての生命の源で、原初の存在ですね。まぁ神と言ってもいい。なんで原初の存在が2体もやってきちゃったか?っていうと、なにかの間違いだったみたいですね(笑)。こりゃなんともヒドイ設定だ・・。

名前の通り、アダムが男でリリスが女、方や生命の象徴、方や知恵の象徴ってことらしいです。で、生命の実を持つアダムからいろんな生命が地球上に誕生するんですが、そこにリリスを乗せた黒い月という隕石がズドーンと落ちてきて(ファーストインパクト)、その衝撃でアダム系の使徒はみんな眠りについちゃう。その後の地球で知恵の実をもつリリスから生まれた使徒達が芽吹いていく。その中で最も繁栄したのが現在の人類ってことですね。肉体的には脆弱ですが、知恵があるんで、ずる賢く小競り合いばかりしてる生命体ってことになってます。

このアニメは、もうひとつの神、生命の実を持つアダムから生まれた「馬力はあるけど頭が悪そうな使徒」が悠久の眠りから目覚め、人類の脅威としてぞろぞろ出てくるってのが基本形、体力バカのアダムの使徒達に対抗するため、脆弱な人類がアダムやリリスの肉体を模造して作った対使徒迎撃兵器が人造人間エヴァンゲリオンってわけです。なんと壮大で面倒くさい設定なのか?しかし、私の中では、攻撃してくるアダムの使徒は番組の都合上「ロボットアニメとして成立させなきゃならない。」ってことで、組織や物語の背景作りと戦闘アクションシーンの相手役としての役割を与えられてる生き物にすぎない。

この物語で真に面白いのは、原初の存在であるアダムとリリスとシンジ君の関係だと思うんですよ。映画版では神様2人(?)を味方につけちゃった碇シンジ君が最終的には人類の命運を担うことになる。テレビ版のラストと、映画のラストは人類補完計画と言いつつ、シンジ君補完計画であって、アダムとリリスにとってはシンジ君イコール人類なんです。

なんでそうなっちゃったの?

シンジ君を補完の対象とした結果どう結末が歪んじゃったの?

そこにどんなメッセージがあったの?

それを私がどう受け止めたの?


ってあたりがパーソナルな感想として大事なところなんでしょうね。

初めは裏ネタがまったくわからず、なにがなんだか?って感じだったんですが、その後に発売されたエヴァンゲリオンのゲームなどで、作品の裏ネタがどんどんあかされていくにつれて、ああこんな話だったのねって自分の中である程度、辻褄があってきた。

裏設定では、第一使徒のアダムの肉体からは弐号機以降のエヴァンゲリオンシリーズが作られ、アダムの魂からは渚カヲルが作られたみたい。で、第二使徒のリリスの肉体からはエヴァンゲリオン零号機と初号機が作られ、リリスの魂からは綾波レイが作られたってことになってる。

人類のスタンスは冷酷で、神様の魂をほっぽって肉体だけにご執心なんですよ。神の体を利用して対使徒用の決戦兵器を作ることばっかり考えてる。神であるアダムやリリスの魂は人間の器に入れられるんだけど、その生活状況はドイツのゲットーみたいなヒドイ扱いです。

ゼーレやネルフは原初の神に対してハナから罪を重ね続けてたわけですね。アダムとリリスを自分達が生き残るためのツールとしか考えてなかったわけです。まぁ異星人の魂なんて科学的に役に立たないし邪魔ですからね。でも、神であるアダムやリリスにしてみたら「いやなんなのこれ?体だけが目当てなの??」ってなりますよね。とはいっても不滅の肉体から切り離され、隔離され、脆弱な人の体に入れられた魂にたいした力もなく、ゲンナリしながら人類の子飼いになってるわけです。

でも、そこになんの事情も知らないシンジ君が現れるんですよ。で、シンジ君ははじめてリリスの器である綾波レイを人間らしく扱うわけなんです。綾波レイは当初自分を利用価値のある生物として養ってくれるご主人様、碇ゲンドウに懐いていましたが、ゲンドウにとっては綾波レイは「ゲンドウ君のためだけの補完計画」の手駒にしか過ぎなかった。しかし、シンジ君は違う。同じパイロットとして、綾波を気遣い、強制収容所みたいなところでド底辺生活をするリリスの心のケアをマメマメとするわけです。まぁこれでリリスの魂であるところの綾波レイは完落ちですね。

神様らしく冷静を装ってるけど、この女神様、途中からシンジ君しか見てないですからね。ひたすら虐げられてきた綾波ことリリスにとって、自分の価値を認め、ヒトとして扱ってくれるシンジ君はかけがえのない存在だったはずです。綾波は終盤ではシンジ君を守って自爆までするわけですから、もう大好きレベルも極まってる。なおTVシリーズではこの頃からアスカは存在意義を見失って精神崩壊し、ヒロインから脱落していきます。

20200901_003211+1
(原初の女神をイジり倒す人類のたくましさ。レースクィーンやローソンコラボとやりたい放題。第二使徒は人類により、金の卵に落とされたわけですね。)

一方、アダムである渚カヲルは、ネルフを殲滅するためにパイロットとして送り込まれてきますが、コイツは最初からシンジ君狙い。「文化の極み♡」「好きってことさ♡」「僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない♡」と、男子中学生のなりで結婚詐欺師みたいなクサイ台詞を登場直後から連発し、腐女子を発狂させて、あっという間に伝説化します。これが婦女子達の「ガフの扉」(ガフの部屋とは、魂が還り、新たに産み出される空間らしい)を開いてしまい、晴海界隈で「極めてパーソナルな腐女子補完計画」が次々と発動されていくわけです。

しかし、突然やってきたアダムにシンジ君が好き放題されるのを、リリスが黙ってるわけがありません。TV版の24話で、渚カヲルとシンジ君が対峙するセントラルドグマに綾波が入ってくるんですが、このときの綾波がヤバイ。正体を隠す気もなくなってリリスオーラ全開で「パターン青」認定。正体モロバレ。

「後から出てきくさって、私のシンちゃんに手ぇ出すんかい?ああん??こっちはシンちゃんのために一回死んどるんじゃ!シンちゃんは渡さへんでぇ!わかっとんのかワレ!」って、アダムこと渚カヲルをセントラルドグマの二階席から強烈に威嚇したわけですよ。

で、その威嚇に負けじとカヲルもシンジのためにクビチョンパで一回死ぬと(笑)。こんなの私から見りゃ神様同士の意地の張り合いですよ。愁嘆場ですよ。リリスもアダムも考えてることは人間より人間くさいですからね。要は「シンジのためなら二人ともあっさり死ねる」んですよ。さすが神様、愛が重い。

ゼーレやネルフが自分たちの計画のために、ネチネチと神の体をいじくり回してるうちに、一番大事な神の魂をシンジ君にガッツリ掴まれてしまったと、まぁそう考えるとゼーレもネルフもオマエらなにやっとんの?って感じです。

結局この時点でシンジ君がアダムとリリスの「推しの子」になっちゃってることが明らかだったわけですから、この後の流れはまさに予定調和ってことになりますよね。ゼーレがネルフを蹂躙しつくして発動した人類補完計画によって、ガフの扉が開き、人類の思惑通りシンジ君が魂に還元される土壇場で、原初の神である綾波と渚カヲルが事態に介入してくるってのは必然だったんですね。いわば彼らはこの物語においてシンジの願いどおり物語を終結させるデウスエクスマキナです。

リリスには人類を生み出した神様の立場を利用して「シンちゃんとラブラブになりたい。」って思いがあったはずです。魂のルフランの歌詞はそのまんまリリスの願いなのでしょう。ガフの扉っていう魂還元装置の中に入ると人類の魂がリリスに還って溶け合うことになってるらしいですから。

でもねぇ、女性に対して非常に冷たい庵野監督はシンジ君にアプローチするリリスを全然美しく描かないわけですよ。ありゃヒドイですよ。カヲルは最後まで形が崩れないのに、綾波は怪物のように描かれちゃいますからね。庵野くんの中では男の友情はいつまでも美しいのに、女性との恋はやがて醜悪に変わるさだめなのか??でもまぁそんな庵野フィルターにもめげずリリスはシンジ君にアタックするんです。もうガフの部屋のシーンでは完全に「入れてました」でしょ。映画じゃリリスはもう体使ってましたよ。別の意味で一つになっちゃってた。

問題シーン
(リリスの最後の大勝負。これもう押し倒した上に入ってるよね。カミとヒトが恋仲になるには、肉体という縛りを捨て去るしかない。このチャンスを逃したら後がないので、限界まで頑張ってます。ここまでアプローチしてフラれればどうしようもない。)

でも、シンジ君はそれを拒絶します。やっぱり人外はイヤだったのか?はたまたゼーレのスネ毛が濃そうなオヤジ共と溶け合うのがイヤだったのか?それともやはり本命はアスカだったのか?その全部か?いずれにせよリリスは失恋です。命をかけてシンジ君を守ってきたのに、「あんたバカ」を連呼してただけの脱落ヒロインのアスカに敗れた。神様のプライドもあるでしょうから、相当キツイですね。

ラストシーンで首がもげ、血を吹き出しながら崩壊していく綾波は、まさにリリスの心そのもの。告ってフラれると誰でも絶望に打ちのめされますが、押し倒して挿入した上でフラれたんですから、もう崩壊するしかありません。神様なんで精神世界が実体化しちゃってるんで、もう絵ヅラは超絶グロ描写。こりゃもう壮大な大失恋ですね。エヴァンゲリオンは私から見りゃ「ヒトが神に還ることを求める一方で、神が人の心を求めてしまうという、互いが互いの禁忌に触れたが故に起きてしまった世界規模の大喜劇」ですね。あんなのフツーに補完して原初に還ればまだ救いもあったんですよ。そうすれば登場人物全員がマッパで宇宙を走ってくイデオンの発動編になれたんです。

しかし、綾波と渚カヲルがシンジのアホなワガママ聞いちゃうもんだから、結局大山鳴動してネズミすら出ない壮大な空回りになっちゃった。互いに戦争ばかりしてる人類は争いあって滅びるよりも、神に還ることを望んだわけですが、あろうことかシンジ君はそれを拒否っちゃったんですね。結果、人類に救いはなくなって、禁忌に手を染めた罪で赤く染まる世界が残っただけになりました。

魂のルフランどころか、原罪がルフランしちゃったわけです。シンジ君は多くの人類にとって、神様をおとしめて転生を止めてしまった大悪魔。彼は無意識のうちに、非常に残酷な運命を人類に強いたわけですね。まさに原罪のケモノってわけです。

問題シーン2
もの凄いグロシーンですが、私には神の大失恋シーンにしか見えない。もう心折れまくってるでしょ。リリスは全人類が見守る前でシンジ君に「ごめんなさい」されたんです。これはぶっ壊れる。私が過去に見た中でも一番壮絶な失恋シーンかもしれない。)

で、原罪の世界に還ってきたシンジは、その結末に絶望しアスカの首を絞めますが、あれは生きることを選択したけれども、原罪の重さに耐えきれず、アスカを殺して自分も・・って無理心中状態だったんじゃないですかね。でも覚悟が足りなかったのか、それも果たせず、アスカにゴミ虫を見る目で「気持ち悪ぃなオマエ!」とあっさり拒絶されます。神の救済を拒絶して、世界を赤く染め上げたあげく、自分都合で「あの世へ行ってくれんか?」って迫られてもねぇ・・。まぁ最後に強烈な拒絶の言葉を持ってきたのは庵野監督らしいとは思います。

結局のところ、エヴァンゲリオンは最初から最後まで首尾一貫して「拒絶の物語」なんです。

父親に拒絶された碇シンジが、人類から拒絶された神を懸想させ、父親は神に拒絶され、その神はシンジに拒絶され、シンジはアスカに拒絶される。まさに拒絶のバトン渡し。でもねぇ・・例え拒絶されたとしても、自分の意志で選択することこそが生きるってことなわけで、そりゃもうしょうがない。自らの選択から生じた罪と責任は理不尽でも背負わなきゃならないんですね。バイク選びも人生も選択に責任を持つという点では、何ら変わることはないわけです。

とりあえず、これが私のエヴァについてのざっくりとした振り返り。筋立てとしてはメチャクチャなようで、割と一貫してるんですよね。ただ、私はこのオチを評価してないんですよ。

だって、生きるという原罪に無自覚な人は、これ見せてもピンとこないと思うし、罪を自覚してる人は今更そんなの映画館で見たくないわけですよ。だって見せられたってどうしようもないですし、見ようと思えば自分の中を覗けばいいだけですから。キルケゴールっておっさんが言ってるように「死に至る病」は自分の中覗けば山ほど出てくるんで、娯楽アニメに誰もそんなの求めてないんです。

だから、私はこのオチをハッキリと拒絶します。アニメの登場人物達の間で、拒絶に次ぐ拒絶で渡されたバトンを、受け手である私が最後に拒絶することにより、この物語は真に完結するような気がしてるんですよね。じゃないと私の中で、この物語はオチがなくなるんです。だからこの作品自体を私自身が拒絶してオチをつける。庵野監督もそれで本望なんじゃないかなぁなんて思うんです。多くの人達がいろいろ検証しておられますが、偽りの賞賛より、心からの拒絶を・・。それが「まごころを君へ」の正体のような気がするんですよね。

というわけで、なーんか数年ぶりに長々とアニメ論みたいなものを書いちゃった気がしますが、こういうのもテキストを叩いてる側は割と面白いわけですよ。でも、このブログこそ腐臭漂う排泄物。このゴミブログを皆さんにバッサリ拒絶して頂いて、このネタは綺麗に完結するってことになるわけなんです。