ハーレーの世界って「昔の気骨のあるハーレー乗りの方々がいろいろと嘆く」っていう定番の構図がありますよね。雑誌でもネットでも、いろいろ見かける気がします。「最近のハーレー乗りはなっちゃいない」とか、「ミーハーで軟弱だ」とかが典型的なご発言ですね。

ええ、そりゃ全部私のことですね(笑)。私のブログは、男らしさのカケラもない軟派なオタブログですから・・加えて、下らないイラストまで挟まっちまってるので、バイブス読者のようなガチ硬派な方々から見ると、私は「もはやデューク東郷に暗殺を依頼したくなるくらい許されざる半端者」であって、「ハーレー乗りの恥さらし」なんて影で言われてるんだろうなぁと思うわけです。

まぁ実際はハーレーとは何ら関係なく、私という人間自体が「恥をさらしてる」わけなんで、それについては、「全面的に申し訳ありません。」としかいいようがない。潔く謝罪します(笑)。

まぁ、私のような救いようのない人間は別にして、「昔のハーレー乗りに比べて今のハーレー乗りは・・」とか、「ハーレー乗りの質も落ちたものだ。」っていう定番の議論についてはいろいろ思うところがあるんですよ。

たしかにバイクの爆音や迷惑駐車はマズいんで、そういう具体的な行為に対して非難はあってしかるべきでしょう。しかしそれがいきなり、「これだから最近のハーレー乗りはダメなんだよ・・」みたいな大きな話になるのは、いささか違和感があるんですよ。

休日にチャプターツーリングなんかでサービスエリア占拠してるハーレーの集団は、ハタ迷惑かもしれませんが、果たしてそこまで深刻なのかなぁって気もするんです。皆さんハーレーの集いで一時的に気が大きくなっただけだと思うし、私はハーレー乗り出してから、なんとなくハーレーの集団を気にするようになったけど、国産バイクに乗ってる時は、そういう集団がいてもそもそも目にすら入らなかったですからね。まぁ多少羽目を外しても、ツーリング終わって翌日になれば真面目な普通の人達だと思うんですよね。

コミケなんか行くとコスプレしてるレイヤーさんがいますけど、あの人達が日常的にあんな状態だって考える人は普通いないですよね。たまに、もの凄いエロい露出してる女子レイヤーもいますけど、「職業ですか?痴女です♡」なんて人はいない。ハメ外してサービスしてるのはコミケという空間だからです。

メジャーな格言に「罪を憎んで人を憎まず」ってのがありますが、某タイムボカンシリーズの大巨神ですら、悪役一味を一度は赦します。まぁその後にさんざ陰口を叩かれ、大激怒して誅していくのがお約束なんですが、ロボットですら、形だけとはいえ、一応反省の機会を与えていくわけですよ。

大巨神
(ヤットデタマンの大巨神。「罪を憎んで人を憎まず」と心の広さをみせつつ一旦立ち去るものの、その後、悪玉トリオの陰口を盗聴器まで仕掛けて拾いにいくなど、正義の主役ロボにあるまじきセコさに加え、「鉄くず」「扁平足」などのワードで簡単にブチ切れる器の小ささで、当時の子供達の心をガッツリ掴んでました。)

でもハーレー乗ってる方々って、身内でも他のバイク乗りでも、いきなり乗り手をサクッと切っちゃう人が多い気がするんです。ハーレーかそれ以外か?古参かニワカか?みたいなとこでスパッと縦割りにして「ハイ結論」みたいなとこがある。爆音なんかでも国産乗りだと「スーパートラップうるせーー!」ってマフラーの銘柄に向かったりするんですが、これがハーレー乗りだと「クソ野郎!地獄に堕ちろ!」と割と人に向かう気がするんです。

ホンダやヤマハ、スズキあたりに乗ってる人ならさらっと流していくようなところでも、「あーダメダメ!これだから最近のバイク乗りは・・」みたいなことになりがち。それは多分、バイクの性能より、バイク乗りのスタイルとか、人生について語る方が多いからなのかもしれない。

私は、人に対する評価って、バイクの評価とは真逆で「デリケートであるべき」だと思うんですよ。だって、人は納得いかない評価には従わないし、反発するでしょ。で、ハーレー乗りって、そういう反発に対して鉄壁な防御陣を張ってんのかっていうと、脇がガラ空きなんです。

基本快楽主義者だから、ツッコミどころ満載なんですよね。だからツッコミ返されて嫌われる。そもそも主観的評価や心証のみで人様を裁いても文句が出ないのは、それが可能な地位を与えられた人だけです。「裁判官」とか、「大僧正」とか、「石仮面の人」とかね。

つまるところ、この手の問題の本質は「人を選別し、一定の評価をするためには、しっかりとした地位と根拠と公正さが必要である」ってことなんだろうと思うわけです。

ジュリー・コケマツ3
(なぜかヤットデタマンネタが多い今回のブログ。大巨神にジュリー・コケマツと大盤振る舞いです。タイムボカンシリーズの悪玉トリオのネーミングって秀逸で、その中でもジュリー・コケマツとコスイネンが私の大のお気に入り。)

そういう視点で見ると、バイク界にはびこるマウントのほとんどが明確な根拠を見いだせないものばかり。「限定解除マウント」「古参マウント」「排気量マウント」「国産アメリカンマウント」も背後に人を振り分け、否定できるようなエビデンス(証拠)なんてないんですよ。

一般企業で、なんの根拠もなく「お前気に食わないからクビ」ってやったら、間違いなく訴訟沙汰ですし、理由もなく、いきなり人を否定したらそれは立派なパワハラ。人を批判するときは、その人の行いについて、具体的にこれが悪い、あれが不味かったと根拠をもって指摘をするべきで、いきなり頭ごなしに批判しても単なる侮辱にしかなりません。

人様のやること批判しようとすれば、批判する側の公正さに加え、人を納得させられるような根拠や事実がなきゃ駄目なんです。

でもねぇ。私を含め、ほとんどのハーレー乗りって、偉そうに人をどうのこうの言えるような公正さなんてないと思うんですよ。爆音、半ヘルでハカイダーみたいな格好して、「自分は公正だ」って主張しても説得力はゼロ。言われた側も「巨乳美人シスターに優しくダメ出しされるのならともかく、ひょうきん懺悔室のグレート義太夫が革ジャン着たみたいなオッサンにダメを出されたくねぇ!」って感じじゃないでしょうか。

私はそもそも「罪人側の立場」にいるんで、私より良識のある多くのライダーの方々に対して物申すなんてことはできない、アビス最下層です。人の評価をした瞬間、「じゃあお前はどうなの?お前はどんなに偉いの?ねぇ言ってみてよ。さぁ言え~、言って見ろぉ~」って突っ込まれると、悪行しか出てこないんで、マッハで逃げ出すハメになる。

気が緩んで偉そうなことのたまってしまったアマリングのブログ(←クリックで飛びます)のコメントで、切れ味鋭い正論で切り替えされ、「ぎゃふん」となっちゃったのは記憶に新しいところで、あれは今でも反省してます。

まぁ私のことはともかく、この手のマウント発言は、それを受けた人に取ってみれば、「よくわからん奴が、神の代行者にみたいに、ダメ宣告を与えてくる。」って感じでしょう。いくら考えても、その理由も根拠もわからないんで、単なる迷惑行為としか感じられない。ハーレー内部での古参、新規、旧車と現行車の対立なんか、まるでカトリックとプロテスタントの宗教対立を見てるようでもある。(こうなってしまうのは乗り手よりハーレーのマーケティングが原因であるわけですが、これはまた後日のブログで)

ハーレーってアウトローイメージが批判されたりするけど、そういう方向を追求するのは、一つのスタイルだし、誰に何を言われようとも、バイクなんて自由に乗ればいいと思うんですよ。でも、自分が好きで背負ってるものを基準に、人様を「こうであらねばならぬ」って評価しちゃうのは、ちょっと問題だと思う。

以前からずっと言ってますが、バイク乗りにもバイクにも基本、上下なんてありません。バイクメーカーやバイクのカテゴリーやエンジンの排気量で、乗り手に上下がつくこと自体が普通に考えておかしいですよ。私は大型3台持ってますが、それで誰かにマウントとれるか?っていうと絶対無理。だってバイクがどんなに素晴らしくても、乗ってる私自身が最低最悪のクソなんだから。逆に乗ってるバイクの品格が私のせいでダダ下がりになるんじゃないかとブログ書く度に不安にさいなまれてます。

所有するバイクが人の本質とまったくもって直結しないってことはちょっと考えれば誰でもわかる簡単なことです。でも、人は他人に対してマウントを取らずにはいられない。権威のあるものを所有すると、人は自然に権威主義者になっちゃうからです。高額な商品は人を高揚させ、気も大きく鼻息も荒くさせるんです。つーか、そういう要素がないと高額商品とは言えないんですが、それは、資本主義に仕込まれてる幻覚作用なんですね。

私なんてド底辺生活が長かったから、そんな幻覚世界にどっぷりはまり、目が覚めるまでにどんだけ金を抜かれたかわからない。しかも、そういうものにとらわれてる時の言動は、自分の人生にとっての黒歴史になるような、熱に浮かされた低レベル発言がほとんどです。

結局のところ、排気量がでかいバイクが偉い、高額バイクが偉い、ハーレーが偉い、古参バイク乗りが偉い、旧車に乗っているのが偉い、なんてのは、みーんなまるっと錯覚です。

一部のハーレー乗りから繰り出されるマウント発言の問題点は錯覚を錯覚であると認識しないまま、それを通して世の中を見てしまってるところです。同じ錯覚に陥ってるグループ同士ならまだしも、そんなものにまったくとらわれてない人から見れば、トンチンカンで理解不能で、失礼なだけの発言でしょう。

そんな風に一部のバイク乗りがたまに炸裂させてしまうイタい言動は、正直憑き物が落ちるまでどうしようもないんです。これの恐いところは、言い放ったときは気持ちいいけど、憑き物が落ちた後に自分自身が一番後悔するってとこ。しかもハーレーは集団錯覚に陥ってるから、発言が先鋭化しがちで、逆に気の毒でもある。過激で先鋭化した発言であればあるほど、正気にかえった後で思い返し、布団をかぶって身もだえすることになるんだから。私なんかそんな身もだえが日常茶飯事ですよ。

基本人間はみんなイタいんです。でもそれを口に出すと黒歴史になる。黒歴史は決して消えず、自分に常につきまとう。「その言葉を二度と言うな!それは私の黒歴史だ!!」というド定番のセリフを口にしたくなければ、いろんなものを胸の奥にしまっておく方が良いんです。

この一連のブログもやがて私の黒歴史になるのかもしれない。創作活動なんて黒歴史要素が満載ですからね。人を呪わば穴二つとか、因果は巡るなんていうのは、ホントよく言ったものだと思います。