前々回のブログで、私はゴールドウィングに「高い製造品質を求めてて、それが機械の質感につなるのだ」なんて書きましたが、じゃあ「バイクは製造品質が全てなのか」っていうと、そんなこと全然無いんです。

機械的質感なんてバイクの満足度の一ベクトルでしかない。だって乗り手の体感で楽しけりゃいいんだから。私は組み上げ精度や品質をゴールドウィングというバイクの大事な要素の一つとしてとらえてますが、全てのバイクにそんなもの求めてるわけじゃなかったりする。この世には星の数ほどバイクがあって、バイクによって求めるモノって当たり前のように違うし、バイクごとの個性や味出しもまったく異なります。

ゴールドウィングが下ごしらえをしっかりして、繊細な味付けをほどこした日本料理だとすれば、ダイナは豪快にあぶった肉の塊に塩とスパイスをぶっかけてビールと一緒にむさぼり食うアメリカン・ステーキみたいなもん。

料理としてどっちが上で、どっちが下ってわけじゃない。ただ、私の雑な性格上、頭カラッポにしてマナーを気にせず食べれるアメリカン・ステーキがメインになってるってだけなんです。このどうにも享楽的なところがアホな私にはいいんですよねぇ。

結局のところ、ゴールドウィングとダイナは両極なんですよ。一方は6気筒エンジンの美点である精緻さと滑らかなフィーリングを追求して作られたホンダらしい高速クルーザーだし、もう一方は大排気量2気筒エンジンから生まれる天衣無縫のフィーリングを重視した大陸横断クルーザー。どっちがバイクとして正しいとか、間違っているかという問題じゃありません。良いところを伸ばしたか、悪いところを潰したかって違いなんです。その方向性って、メーカーの持ち味でもあり、どっちもちゃんと気持ちいいんですよね。

クルーザーで大事なのは乗り手に「満足感と感動」を与えることで、その手法に何ら制約はないんです。クルーザー市場は簡単にいうとルール無用のデスマッチ。華麗な技で魅了するのもよし、凶器で流血させてもよし、電流爆破デスマッチにしてもよし、要は客が手を叩いて喜び、満足すれば何でもアリなのがこのジャンル。勝ち方がいろいろありすぎて、混沌としてるんですね。ハーレーみたいにキャンプツーリングを企画してバイク以外で勝ちに行っちゃうという「場外から鉄砲で撃つ」みたいなことも全然OKなんです。

こういう何でもアリの戦いって勝算が立たない割にはコストがかかるんで、商品開発が難しい。これまで多くの日本車がハーレーの牙城に挑んできましたが、ほとんどが返り討ちでした。だって、技術的なことだったら、追いつけ追い越せで手が届くけど、「天然の味」って狙って作り込むことができませんから。

天然ボケがキレまくってて客の煽り方知り尽くしてる天才肌のベテラン芸人に、若手が緻密な戦略立てて笑いの勝負挑んだってどう考えても分が悪い。一度こういう構図になっちゃうと日本車が真面目に作れば作るほど、ハーレーの得体の知れない論理で作られたVツインのキレ味が増すばかりなんですよ。

実際、殿様乗りのアメリカン・クルーザーで、ハーレーにある程度対抗することができてるバイクってゴールドウィングくらいしかない。ゴールドウィングは「どんな手を使ってでもアメリカン・クルーザー界でハーレーの覇権を崩すのじゃあ!!」っていうホンダの意地みたいなもんですよね。味の理屈が良くわかんないハーレーに対して、6気筒という「盛りすぎともいえる付加価値」で挑んだんです。こんなのがハーレーと互角にやれたってどうしようもない。「ええっ??あんだけ金かけないと、ハーレーと互角にやれないの?」って他のメーカーはビビっちゃうと思うんですよ。

ゴールドウィングが高い素材を使い、アレコレ凄い手間かけて下味つけた料理で原価泣きしてるのに、ハーレーはスジ肉に秘伝のタレかけて大もうけしてる感じです。長年にわたって足しげく通ってくる客の声を聞きながら作った秘伝のタレって、もう凄まじい威力があって、真面目に作り込んだ技術じゃどうしようもないところがある。

スパイス2
(ハーレーのVツインエンジンの秘伝の旨みって、国産メーカーがどんなに嫉妬してもマネできないと思うんです。あれはハーレーのワガママのカタマリですから、ワガママが許されない規模のメーカーは決して出せない味なんですよね。)

速度や運動性を要求されないクルーザーの世界は邪神が巣くう異世界空間みたいに混沌としてますよ。そこでは唯一無二の個性がないと到底勝負ができないんです。それがハーレー伝統の空冷Vツインであり、ゴールドウィングの水平対向6気筒なんですね。

トラのロケット3とかBMWのR18が、「これはギャグなのか??」っていいたくなるようなおバカ係数の高いエンジン積んできてるのも、ちょっとやそっとのキャラ付けじゃ、あっという間に土俵下だからですよ。クソ真面目なバイクでどんなに挑んでも、ハーレーには全然対抗できてなかったんで、もう全メーカーが頭のネジ飛ばして一発芸に走ってきてるわけです。

クルーザーの評価は最後は「味わいとは何か?」「旅とは何か?」みたいな哲学問答に行き着くんですが、ハーレーの摩訶不思議な魅力と互角に戦えるような濃いエンジンを新規で作るのは非常に難しい。性能や生産技術だけじゃ勝ちきれないんで、チャレンジャーはかなり大変な市場なんですよね。

私のメインバイクのダイナ嬢は設計古いし、製造品質だってお世辞にも良くありません。昔のハーレーに比べたら随分しっかりしてるのかもしれませんが、日本車に比べればお察しですよ。現代のガチャガチャバイクの筆頭みたいなもんです。でもねぇ、ドカにしろハーレーにしろ、ガチャガチャいってるバイクって大体面白いんですね。

昨今、なんでこういうバイクがなくなっているかというと、やっぱ世界的な販売競争によるバイクのグローバル化と環境対応ですよね。多くのブランドはグローバル展開に伴いプロダクトを進化させてるわけですが、技術者は進化の過程で「技術的に不要な雑味」を取り去ろうとするんです。インジェクションも電制スロットルも雑味を取り去って最適解を目指すという方向性は同じです。

「進化なんかしなくていい!!」なんて言っても会社デカくなるとそれは無理。だって雇われた技術者は、技術開発して給料もらってるんだから、「進化させないって選択肢はない」んですよ。進化を提案しない技術部門なんて給料泥棒ですから、組織力がしっかりしてるメーカーであればあるほど、バイクはどんどん進化し雑味がなくなり、清く美しい動作をするエンジンになっていくんです。

でも人間の感性は「技術的な雑味」をバイクの味だと感じてることが多いんですね。だから進化をサボってるメーカーのバイクや、進化が止まってる旧車の方に惹かれちゃったりする。今のバイクって、工業製品としての完成度が上がって、みんな機械としては非常に良くなってる一方で、同じエンジン形式ならどれも似たような乗り味になりつつあるんです。雑味取り去って理想に近づけばどれも似てくるのはもうしょうがない。

トライアンフやヤマハが現代にあえて3気筒を選んだのも、エンジンの型式自体を変えないと、なかなか個性を出しづらい時代になったからじゃないかと私は考えてます。

でも、こんな時代だからこそ、私は盛大にガチャガチャいってるダイナのダメ味を大事にしたいと思うわけです。バイクってガチャガチャでも楽しいし、しっかり組み上げられててもやっぱ楽しいんですが、ガチャガチャな高年式バイクって今の時代探してもなかなかない。

キッチリ組み上がってるバイクは質感高くて気持ちいいんだけど、乗ってて底抜けに楽しいのは、機械的な優秀さより、秘伝のタレ系の味付けを持ってるバイクのような気がしてる。そういう味って、各メーカーがモノ作りをしているうちに偶然「天から降ってきた贈り物」みたいなもので、化学式から生まれるものではないと思うんですよね。

でも、ここ最近、その味の中に「環境問題という化学式」が入ってきて、だんだんと秘伝の味を維持するのが難しくなってきてます。そんな中、「理論的な整合性はとれなくても、なお秘伝のタレの再現にこだわる」のか、現代の条件で提供できる範囲で「より旨く、新しいタレを開発するのか」が問題なんですが、ハーレーは未だ古き良き秘伝のタレにこだわってて、そういう姿勢は尊敬に値すると思う。だってハーレーの「機械的な整合性よりもタレの味を重視する」ってやり方は、乗り手の感性が重視される公道バイクの一つの正解であることは間違いないし、それなりにリスキーでしんどい選択だと思うからです。

私は予言者でもオプチミストでもペシミストでもないんで、10年後のことを想像して一喜一憂するなんてめんどくさいことはいたしません。先日SC79で走ってたら、青い服を着たオジさん達に絡まれて、サイン会場に連れ込まれ、「33㎞オーバーで一発免停」になってしまったので、そのうち免許の強制返納になってしまうかもしれない。いやー15年ぶりくらいで赤い三角旗もって突撃してくる警察官見ましたよ。これで立派な前科者。罰金で確実に5万円は消えますね~。

「いつまでバイクに乗れるかな?」なんて考えたとき、時間の無いおっさんは今を思いっきり楽しむしかない。未来を気に病む暇も、過去を懐かしむ暇もないんです。最近は整備もオイル交換や日常メンテくらいで、時間があれば「とにかく乗る」ことを最優先にしてます。

新たに購入したゴールドウィングは現行でまだまだカタログ落ちすることはないし「最後の内燃機関6気筒エンジン」だと思ってるんで、こっち方面はこれで満足。これと並行してハーレーの底抜けに楽しいダメ味と、秘伝のタレの旨味を「できるだけ長く味わっていけたらなぁ」なんて考えている今日この頃です。