今回も何やらお堅いお題ですが、なぜこのお題なのか?ってのはおいおい述べるとして、少なくとも私のカビの生えたバイク知識をぶちまける」っていう汚物だまりのようなブログではないのでご安心を。どっちかっていうと、バイクを楽しむにあたって、知識って必要?」ってお話ですね。

私の超個人的な結論を先に述べちゃうと、バイクを「ユーザーとして楽しむ」ということだけなら、「バイクの知識なんて全然いらないんじゃね?」ってことになる。バイクの取扱説明書の基礎的知識だけを頭にたたき込んでおけば、それでまったく問題ないと思います。

バイクに関する余計な知識詰め込む余裕があるのなら、その分いろんな所に出かけるとか、ライディングを研究してみるとか、ヘルメットとかウェアとか、観光地なんかの知識を入れて、バイクライフを目一杯楽しんだ方が良いと思う。絶対。

だってことバイクにおいて経験に勝る知識なんてないんだから。「バイクはとにかく経験したもん勝ち」なんです。私みたいなポンコツでも30年もバイク乗ってりゃ、経験だけでバイクのブログ書けるようになるんだから。

普段の仕事でも感じてることですが、知識をいくら入れたってその知識を実戦投入しないと何の意味もないんです。「いやいや、知識があればもしもの時に安心でしょ?」って言う人もいるかもしれないけど、現実は知識だけではどうにもならないんですよ。バイクの重整備なんて、サービスマニュアル通りにやってもうまくいかないことなんてしょっちゅう。ステムベアリングの交換で良くある「ベアリングのレースが固着して抜けませーん」みたいなパターンが典型例ですね。

バイク屋時代は「あー、レース抜けないの?これはね、こうやって抜くの」って社長がコツを教えてくれたり、「あ、この修理は個人店じゃ無理だから、ここに持ち込もうね」って判断してくれてたりしたわけですよ。

ノウハウもないのにあんまり無理すると、お客さんのバイクをイジり壊して「バイクは整備士が壊す」っていう格言どおりになっちゃうんで、私が働いていた店は、ハーレーやカワサキの重整備は、顔の利く専門工場に丸投げでしたね。

DIYの流行で「バイク乗りたるもの、自分で整備がデフォルトなのよぉぉぉ!!」って盛り上がるのは良いけど、整備の泥沼にハマっちゃうと、白目になってヨダレ垂らしながら「・・ノッポさん・・タスケテ・・」ってつぶやくことになりますよ。

バイク整備ってやればやるほど、現実の厳しさと面倒くささがわかってくるから、私みたいに「面倒ごとは全て他人に押しつける卑劣漢」は、自分でバイクの重整備なんてやらない。だって、あれもう趣味とはいえないもん。

この世には趣味と称して苦行の沼に誘う事例が結構あります。7年ほど前、ホビーの世界で「これぞモデラーの最終到達地点である!」っていわれてる木製帆船模型の一級戦列艦にチャレンジしたんですが、その実態は模型という名の船大工でした。製作行程は明らかに娯楽レベルを超えており、完全な作業。模型作っててあまりの過酷さにマジで泣きましたからね。

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(私を模型版遠洋漁業の旅へと導いた一級戦列艦HMSビクトリー。総製作時間1700時間、完成まで約3年です。)

どの趣味でも極めるレベルまでいくと、専門的スキルを駆使する作業になるんで、完全に仕事になっちゃうんです。こんなの「沖釣りを楽しもうよ!」って誘い出されて、遠洋マグロ漁船に乗せられた」くらいの認識詐欺ですが、バイクの重整備もこれと同じヤバさがあります。なんでも自分でやろうという根性は素晴らしいけど、どこまで深入りするのかの見極めを間違うと地獄が待ってる。

でも沼に首突っ込んで溺れる人はまだマシなんです。一度でも溺れた人ってやってる人の苦労をわかるから。ビジネスで一番やっかいなのって、何もやらないくせに知識だけあって、やる側の苦労を1ミリもわかってない人達。そんな人達はこっちのやることにいちいち口出してきますから。

これってアニメでいうと、クソみたいな王様に、凄い能力のある騎士が忠誠心だけで仕えてるっていう典型的な敗北パターンですよ。百戦錬磨の優秀な騎士の忠言に全てダメ出しして見事に国が滅びるというね。大将は部下を信じて大局的な命令だけ出した方が、絶対戦局は良くなるんですが、それを全然わかってない。

プロってのは日々の業務をこなしながら、効率を追い求め、無駄を削っていってるんです。無駄なことしなければ、仕上がりも良くなるし、仕事の納期も早くなってより沢山の業務がこなせる。売上げはサービスに還元されていくから、顧客のためにもなる。要は餅は餅屋なんですよ。

でも、一部のたいそう素晴らしい知識もってる人達って、せっかく入れた知識をどこかで使いたいから、ここぞとばかりいろんな注文をつけてくる。でも彼らは現場で汗かかないから、字面では得られない膨大な実戦知識が欠けているんですね。

「俺はいろんなことを知ってるよ!!」と知識のオールレンジ攻撃展開されても正直困る。お客さんだから、「へーーー、そうですかぁ♡」って相づち打って聞いてますけど、魔神ブゥから見ればイキリ散らしてるヤムチャも格闘技経験なしの小学生も大して違いはない。それなら、カワイイだけ小学生の方がいいんです。

だから、バイクを楽しむために、深い知識なんかいらない。自分で整備するのなら、その部分の知識は必要だけど、それ以外は黙ってショップに丸投げが一番楽で無難ですよ。私が自分で整備してるのは、僻地に住んでるんでショップ持ち込むのが面倒で、自分がやった方が楽だからってだけ。

より良いバイクライフを送る上で大事なのは、メカ知識なんかより人としての常識。約束を守り、金を値切ることなく払い、コミュニケーションをしっかりする。そういう当たり前のことをキッチリやってくれる顧客には、商売人は皆好意的ですからね。

あと、あまり実のない知識を入れすぎると、自由選択の邪魔になっちゃうことがある。私が「バイクなんて好きなものを選べばいいんですよぉ」っていつも言ってるのも、「自分が欲しいものを買う」ってのが消費の鉄則だし、人の意見ほどあてにならないものはないからです。私みたいに、浪費しすぎて大やけどしたあげく、「もう好きなもんでいいんじゃね?」って気づくのは頭が悪すぎるんで、皆さんもう最初からビビッときたものを買っちゃうのがいいと思う。でも、ネットや雑誌で他人の知識を入れすぎると、それに影響されて、自分の好きを見極めるアンテナがうまく働かなくなっちゃうことがあるんですよ。

一昔前までは、知識の取得にはそれなりのコストと手間が必要でした。でも、今はネットの普及により、知識にアクセスするハードルは極めて低い。その一方で浅くて薄い情報が大量に溢れかえり、もはや情報というより「単なるノイズ」のように感じることすらあるんです。

情報発信者の質の保証がなくなり、情報の中身が玉石混淆になってくると、情報の良し悪しの見分けがつきにくくなる。その結果、「素人の主観により形成された世論のようなもの」がプロが発信する情報より影響力を持つようになり、特にマーケティングの世界で、個人の選択に干渉しソフトに洗脳してくるようになるんです。

バイク乗りが語る「バイクは自由だ」っていうのは、人に迷惑をかけない範囲で、「誰からも邪魔されず」、「指示されず」、「縛られることなく」、「自分の思い通りに生きる」ってことだと思うんですよ。

ネット上に溢れる多種多様なノイズが、我々の選択を陰に日向に誘導しているのならば、それは自由な生き方の邪魔でしかない。つまりは不要。ここに至って「もはや私のブログの存在価値が、私自身により完全否定された」というアホなパラドックスに陥ってるわけですが、それが厳然たる事実なんだからしょうがない。

高笑い3
(浅い知識がノイズだとすれば、私のブログはもはや騒音。品のなさと中身の下らなさには鉄壁の自信がある。)

古来より人類は膨大な知識をむさぼるように求めてきました。ネットの普及で知識の海はどんどん広がり、今や我々は検索エンジンの機能をフル活用して、その大海を自由に泳ぎ回ることができます。しかし、残念ながら求めた海の水質はどんどん悪化し、透明度もなくなって汚染物質まで浮遊してる。

暇つぶしレベルの娯楽ネタを見つけようとすれば、ネットは圧倒的に素早いし便利です。でも情報で大事なのは量じゃなくて質なんで、質が低くて役に立たない、多くのノイズ情報があふれかえる知識の海は便利なようで、便利じゃない。

今の時代は、ネットの情報なんて信用せずに、自分の欲望のまま心のままに生きた方がきっと幸せになれますし、結果的にそれが社会に良い影響を与えると思う。知識という情報操作で自由な選択が制限された社会は、圧政国家とそう変わりません。

でも残念ながら、世の中はどんどんそういう方向に進んでて、自由っぽさは増してるけど、自由な選択はメディアを通じて確実に操作されてると思う。「マイノリティじゃ生きづらい」って意見ももっともなわけですが、ハナからマイノリティなバイク乗りくらいはパーソナルな欲望に忠実に、自由に生きていってもいいんじゃないの?としみじみ思ったりするわけです。