ハーレーと長く付き合ってると、ハーレー愛って言葉をたまに耳にしたりします。ハーレーに対して熱い思いを持つ方々の発言に触れると、「私はバイクに対する愛が薄いなぁ・・」とシミジミ思ったりする。一度バイク関連の仕事しちゃうと、バイクをどうしても即物的に見ちゃうし、30年も乗ってると、いろんな周辺知識がついてくるので、どんなバイクでもそこまで入れ込むことがなくなって、一定の距離を保つようになってくるんです。

私は自分のブログで擬人化したバイクのイラストなんか描いてますし、ブログは所有してるバイクのこと以外ほとんど書かないんで、バイク愛が深いように見えるかもしれませんが、基本バイクをネタにして遊んでるだけなんですよね。自分のバイクしかブログネタにしないのは「好き勝手イジって遊べるのは自分のバイクだけ」だからです。

私はダイナとは11年越しの腐れ縁になってますが、それが「ハーレー愛によるものなのか?」っていうと、そうじゃない気がする。ダイナというバイク単体には愛着はあるけど、私はハーレーにさしてコダワリがないからです。ホンダだってそうです。今回ゴールドウィング乗り継ぐことになりましたが、ホンダ贔屓でも何でもないですから。

私は常々言ってるように「消費者はどんな選択をしようが全て正義」だと思っています。バイク愛を熱く語り、一台と添い遂げても、次々とバイクを乗り換えて、浮名を欲しいままにしても、バイクの楽しみ方なんてひとそれぞれ。消費ってその人の人格そのものですから、そこに自由を認めないのは、バイク乗りの多様性を否定するようなものなんです。

で、常々思うんですけど、多くの人が持っている「バイクに対する愛」って結局のところ自分への愛なんじゃないでしょうか?だって、物言わぬ機械がこっちを愛してくれるってことは絶対にないんですから、注いだ愛が自分に返ってきてるって考えないと、バイク愛は一方通行になっちゃうんですよね。

でもそれは決して悪いことじゃない。高額商品の購入にあたって「愛を持てる」ってのは消費の潤いに必要不可欠なんです。自分に見切りをつけて、ミスタースポック化した私からみると、いろんなものを購入することによって、自己愛をもてるって素敵なことだと思うんですよ。

一方で、バイクはメーカーが作った耐久消費財であり、どんなに愛を語ろうとも経済的合理性と切っても切り離せない。いくら「このバイクが好きだ!」っていっても、メーカー側で製品寿命をちゃんと計算して設計している以上、それを大幅に超えてくると、維持費がかさみ出すし、ヘタリによる交換部品も多くなる。いろんな不都合が出て入退院を繰り返すようになると、さすがに維持していくのも難しい。手間と経費に見合うリターンがなくなるからです。

それ故、実用性を重視する堅実なライダーが、より製品寿命の長い新型バイクに乗り換えていくのは、耐久消費財として逃れ得ぬ運命だともいえるんです。私が「バイクに永遠はない」っていってる理由の一つはこれなんですね。

永遠がなく、出会いと別れを繰り返すのなら「一台のバイクと添い遂げるなんてのはもったいない。そんなのは欲が枯れてからでいい」んじゃないでしょうか?それがバイク業界のためにもなるし、いろんなバイクを経験することでバイク乗りとしての幅も広がる。

ちまたに溢れるラノベを見て下さい。そこには一途な愛なんてありませんよ。ほとんどが周りの女の子とキャッキャウフフのハーレム展開じゃないですか?しかもクッソ軽いノリ。いつまでたっても本命を決めないナチュラル鈍感主人公が周りの女子達をジャイアントスイングみたいに振り回すわけですが、それが不謹慎だと責められることなんてまったくない。

「来る者拒まず、去る者は追う。」

そんなメチャクチャなご都合主義が現代のスタンダードなんです。もう「愛と誠」みたいなクソ重い愛じゃラノベは売れないんです。

昔一世を風靡した唄に「絶え間なく注ぐ愛の名を、永遠と呼ぶことができたなら・・」なんて凄まじくも重い歌詞がありましたが、メッチャ非現実的ですよ。中年になり、キャバ嬢に金を吸い上げられ「ケツの毛までむしられた」今だからこそ言える。「ふざけんな!んなもんねーよ!!」と。

「絶え間なく愛を注ぐ状態」をリアルで考えてみてくださいよ。もう性欲凄すぎでしょ?どんだけ絶倫なのかと。

あのね。添え木でもしないと形状を維持できない50前の中年の愛なんて、ぶっちゃけ金ですよ。オッサンが「絶え間なく愛を注ぐ」状態ってのは言い換えれば「絶え間なく送金する」ってことですよ。そんなの永遠と呼ぶことができますか?できるわけない。オイルダラーじゃないんだから

私にとってそれほど、愛って辛く厳しいものなんですよ。でもハーレー乗りって、バイク愛を語り出すと止まらないですよね。もうね、とんでもなく熱い人が多いですよ。マジで絶え間なく愛を注いでますよ。主張の薄い私なんかの出る幕なんか毛ほどもない。

でも、そんなものを前面に出して語っちゃったら、もう評価もクソもありません

愛は盲目って言いますけど、良いところを賛美し、悪いとこ全てを許しちゃうのが愛の本質なんですから。そして、この手のバイクへの愛が極限まで深まっていくと、それはやがて「フェチズム」という面倒くさいものに変化していく。

鼓動感とか三拍子が、その典型だと私は思う

バイクっていろんなものをトータルで語るべきなのに、多くのハーレー乗りが鼓動感と三拍子という二つの価値に執着してる。でも過度な執着は視野狭窄になるだけなんです。

脇フェチ2
(ダイナ嬢の革ジャン脱いでのフェチポイントアピールもバイクフィギュアフェチの私の前では無力。お疲れ様でした。)

確かに旧車のドコドコ感は気持ちいいですよ。でも、そのキモはクソ重いフライホイールなんです。ショベルのフライホイールは鋳造製でTCの倍くらい重いから体感振動は素晴らしいし、アイドリングを相当下げても止まらない。でも、その反面、構造的には問題だらけ。そもそもの素材加工からして脆いんですよ。

TCエンジンではフライホイールを鍛造にして強度を上げ、シャフト一体型にし、クランクピンをナット締めから圧入式に変更して、フライホイール自体に相当な製造コストをかけてるんです。そこまでしたのは、生産性と販売後のメンテフリーを実現するためで、それが販売面での顧客利益に直結するからです。

だから世界中で販売台数を伸ばせたし、なかなか壊れない。一方のショベルは骨密度が落ちたおじいちゃんを介護するように優しく乗らなきゃならない。まかり間違って高速道路なんかで激しくシゴいちゃったら、フライホイールにクラックが入るんじゃないか?と心配になりますよ。

つまり、ショベルの魅力的な鼓動感と三拍子は、機械的な脆弱性及び定期的なメンテナンスとバーターなんです。バイクは決してバイク単体で走るわけじゃなくって、きちんとした整備とメンテ体制があってこそ走れる。メンテフリーのバイクなら、たまに整備するだけで良いけど、介護度が高くなれば、レベルの高い医療施設が近場にないと苦労するのは高齢者と同じです。私は、「求める用途を満たし、壊れずにしっかり走る」ことをバイク診断価値の上位に置いていますから、

「ショベルに比べると、TCは味がなくってゴミだね!!」

って言われても、

「ああ、そういう見方もありますね~。私の基準は180度違いますけどぉ~」

としかいえない。私が重視する汎用性と耐久性で比較すると、優劣は完全に逆転しますし、私には「バイクとはこうあるべし!」という自己基準はあるけど、「ハーレーはこうあるべし!」という定見はない。

ハーレーらしさにこだわり、それを熱く追求するのなら、実用性と味の落とし所としてエボがオススメ。エボは中の部品の作りや品質がショベルと大分違うんで、メンテフリーとは言えないまでも、耐久性が相当上がってます。フライホイールも鍛造だし、TCみたいに軽くないから味も残ってる。

旧車のフィーリングには素晴らしいものがあると思うけど、新しいモノに比べると問題点は山積み。それを一つ一つ丁寧に潰して進化していくのがバイクのモデルチェンジなんですから、新しいものほど基本穴がなくって壊れないのは当たり前ですよ。

でも、愛やコダワリって、こういう冷徹な検証から一番遠いところにあるんです。ハーレーの「ショベルサイコー!それ以降はゴミ!!」に代表される偏向意見は、「バイク愛が深すぎるゆえに不都合を全部許しちゃってる」だけですよ。でも私は不都合を許せるほどの愛がないし、その部分ではバイクを非常に厳しくみてるんで、ハーレーの旧車とは相性が悪いんですよね。

越中フンドシ履いてる人が私のブリーフを指さして、「君の下着は軟弱だな!男は越中!!これが男の魂だよ君!!竿がフリーダムなんだよ!!」って絡んでこられても、こっちは対処しようがないですよ。越中フンドシの文化的価値は認めますし、そのノリは決して嫌いではないけど、機能性を追求した現代の下着と比較されても困ります。「さ・・さすが・・お・・男の鑑ですね・・」「こっちこないで・・」としかいえない。

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(私のバイクフィギュア・フェチズムの数々。Vispo片桐氏原型製作のガレージキット、「アスカR」「マリR」「綾波RQ」のエヴァ3部作です。製作代行業者ならともかく、この極悪モデルを3つ作った個人モデラーは日本でもそうはいないでしょう。)

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(まだ本ブログでは製作記未紹介の綾波RQ。エヴァの映画が公開されるタイミングで製作記でもと思ってたんですが、なんせ映画が公開されないですからねぇ・・。)

「愛やコダワリゆえに視点が斜め上になっちゃう」のは、個人の勝手なんですが、他のバイクを否定することによって自分の主張を正当化しようとするようになると始末におえない。「特定のカタにはまってないとダメ!それ以外はハーレーじゃない!」って考え方は、教義に無批判に固執するドグマティズムと何が違うのか?

特定物に対する愛はそれ以外の否定であることは間違いないんですが、そんなのは個人的嗜好なんですから、各人の心の中にしまっておけば良いだけ。それを声高に他人にぶつけちゃうから「ハーレーはややこしい」とか「宗教だ」とか言われちゃう。でもそれは全然自由じゃない。本当の自由って、自分が自由に生きる一方で、他人の自由も認めることですよ。

私みたいに「足の皮より面の皮の方が厚い」奴は、過激意見も右から左に受け流しちゃうからいいんですが、それによって多少なりとも傷つく人もいて、人を傷つければ当たり前のように嫌われる。こだわりやバイク愛も良い方向に作用してるうちはいいんですが、それがこじれて周囲に愛じゃなくて毒を撒くようになると弊害の方が大きくなる。

私から見ると、ハーレー乗りはハーレーとの距離感が少しばかり近すぎるんです。バイクに対するコダワリが強すぎて、愛憎のコジれが大きい傾向にあるんですね。

ハーレー以外のバイク乗りからみればハーレーは憧れのバイクでも何でもないし、凄いバイクとも思われてないんです。実際、数値性能的にはみるべき所のないバイクなんだから。じゃあ結局何が凄いの?って問われると、上手く説明できなくて、鼓動感とか三拍子とか、凄く限定したフェチの極みのようなところにいっちゃうんです。

だからもうこの際「ハーレーは最高じゃない、全然凄くない」と開き直ちゃえばもっともっと楽になれると思うんです。ダメなところを認めちゃえば他を否定することで価値観を守る必要もない。最高のものが最良じゃないってことは、ダイナ嬢に延々11年も乗り続けてる私自身が証明してますよ。

でも人はそう簡単に駄目なところを認められないんで、どんな世界でも優劣の論争は後を絶たない。自分が購入したものは、他に比べて特別なものじゃなければならないんです。

でもその戦いって終わりがないから、極めて不毛です。だって、蓋を開けてみればこの世の商品に特別なものなんて何もないんだから。何を特別に感じるかなんて、人によっても違うし、自分の環境や年齢、考え方によっても全然違う。トンデモない浪費や勘違いを延々繰り返した後に、そんな当たり前のことにどこかで気づいて、細かいことどうでもよくなるんですね。

バイクに対するフェチズムってのは、誰もが一度は通る「恋の病」のようなものです。私も過去に通った道で、ある意味黒歴史みたいなもんだけど、フェチが爆発してる頃が一番充実してて楽しいのかもしれない。でもそういうドグマに染まってる時って、自己愛爆発で異教徒に対して攻撃的なんです。

この手の争いってバイクだけじゃなくて、マニアがいる世界ならどこにでもありますね。時計でもオーディオでも車でも同じ。理論武装して「お前はわかってない」って言っとけば、初心者に対して自分上位のマウントをとることができますから。で、日本って割とこういう人達が賞賛され、支持されてカリスマになっちゃう傾向にある。

でも「好きなら何でも良いんじゃね?面倒くさいこと大嫌い」な私からみれば、正直こんなの相手しててもどうしようもない。話してみて「自分の価値観だけを押しつけてくる」と思ったら、戦線離脱しちゃうことも立派な処世術ですよ。そういう人達は遠くから生暖かく見守るのも世界平和のためには大事だと思います。

といいつつ、実はこんなことを長々とブログにしてる私が一番面倒くさいんですよ。束縛を拒絶し、選択の自由を叫んだところで、それもまた自由という名のドグマなんです。今後もたまにこういうややこしいこと書くかもしれませんが、「こいつもうダメだ、脳が腐ってる」と感じたら、容赦なく右上のバツマークを押して画面を閉じてくださいね。