みなさん、こんにちは。へっちまんです。

突然ですが、この世には名車と呼ばれるバイクが多々ありますが、これらのバイクが「なんで名車って呼ばれているの?」って問われると明確に答えられる人ってあんまりいないんじゃないでしょうか?今回はこの名車というよくわからない概念について私なりにダラダラとブログを書いてみたいと思います。

私自身、ちまたのバイクが一体どのような過程を経て名車と呼ばれるに至るのか良くわかっておりません。「人気車」ってのはどの時代にもあるんですが、それが名車に脱皮するために何が必要なのか?ってのがまったくわからないんです。

名車を考察するっていっても、そもそも名車の定義がないんで、語るべき前提がない。定義がない以上、誰かがある日勝手に「このバイクは名車なんだ!」って認定したら、特段否定する根拠もないわけですよ。

メジャーリーグの殿堂入りのように、条件がある程度定義づけされてて、それを満たしたものが名車入りできるっていうんなら私も納得できるんです。しかし、これまで「名車であることの基準や条件」が提示されたことは一度もない。

今更GPZ900Rが名車だなんていわれても、私はどうにもピンと来ないんですよ。

「なぁなぁ!俺って名車になったんだぜ!すげぇだろ!」

ってイキられても

「ハハハ、お前が名車だって??まったくフカシよる(笑)」

って笑って終わり。だって乗ってた頃は名車なんて微塵も思ってないですから。ある日突然GPZ900Rって名車なんだよって言われても、「あれが・・・名車だったのか・・?」って首をかしげちゃう。
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(あえてGPZ900Rを出した理由は、忍者装束の女子のパンチラが描きたかっただけなんです。コイツの中古も今ホント高いですよね。タマが良いのは150万円くらいしてますね。)

コイツ、私が大型免許取ってバイク店で勤務してた頃、足がわりに使って散々悪さしたバイクですよ。身近すぎて名車って言われても全然ピンとこない。

「酔うとお下品ネタをひたすら放り込んでくる飲み友達が突然国民栄誉賞受賞した」

くらいの違和感がある。私が過去勤めてたバイク屋の店長なんて店先に駐めてた私の赤黒のGPZ900Rを「どうしても売って欲しい!」っていう客に大根売るように売っちまったんですよ。私のいない間にですよ!私がバイク買い取りから帰ってきたら、もう人のものだったというですね。完全なパワハラでしょ?

「その代わり店にあるバイクの好きな奴を安く売ってやる」っていわれて、極上ものだったZG1300に乗り換えたわけですね。(こいつも今中古250万円くらいしてて、ホント頭おかしくなりそう。)

でも当事GPZ900Rが名車である!なんて認識があったら、そんな乱暴なことにはならなかったですよ。あの頃は「それなりにタマも出てくるし、今回はまぁ売っちゃうか?」程度の感覚だったから、そうなったんです。

GPZ900Rが「カッコいいし、右から左に売れていく人気車である」ことは疑う余地がないんですが、それだけでほんとに名車って言っていいの?っていう違和感を私はどこかに感じてる。トップガンとキリンがなかったらGPZ900Rって名車になってたんだろうか?って思うんですよ。

人間には天才っていますけど、市販バイクには天才ってない。その当時の技術レベルや、生産技術に応じて各社の販売するバイクの性能は拮抗してるんです。名車と呼ばれてるバイクに比べ、当時のライバル達が大幅に劣っていたかというと、そんなことは決してない。

不人気なバイクでも「えっ??乗ると全然悪くないじゃん?このバイクが不人気なの?・・うーん、謎・・」って首をかしげたくなるようなことは一杯あります。だから特定のバイクを人気車だ!というのはいいんだけど、それを名車にまで格上げするのは、それ以外のバイクが優れていなかったようで私には違和感がある。

たとえば私はヤマハのFJ1200の乗り味が大好きなんですが、当時空冷四発最強を誇ってたにもかかわらず、今や同時期に活躍したCB1100Rやカタナの影に隠れてまったく目立っておりません。中古の平均価格はなんと40万円(笑)。ちなみに今CB1100Rは500万。カタナは200万円です(はへーーー)。でも街中や高速を当時の空冷四発のフィーリングを堪能しながら走るんだったら、CB1100Rやカタナより絶対良いバイクですよ。

結局、私がいいなぁと感じてるバイクと、ちまたで言われてる名車と全然一致しないんです。

「生産中止から30年経つと名車になれる」って業界で皮肉めいて語られることがありますが、そういわれるのは「名車が意図的に作れるもの」だからだと思うんです。本来バイクは30年経つと「旧車になるだけ」で、名車なんかになるわけがないんですが、ナゼかある日突然に名車になっちゃてたりする。不思議ですねぇ。そのカラクリってどこにあるのか??

そもそも名車になる条件が性能面や販売台数、人気度などをベースにした数値基準であれば、30年待つ必要なんてまったくない。現行車の時点で「名車と認定できる」はずです。

ではナゼそれができないのか?

そんなの「異論反論があるから」に決まってます。現行車を指差して「このバイクは名車なんだ!」っていったって、「んな訳ないだろ!!」ってあらゆる方面から総ツッコミされるから到底無理なんですね。現行バイクでそう言い切ってほぼ文句出ないバイクってカブとSRとCB400SF、ハヤブサくらいじゃないでしょうか?

多くのバイクが30年経つと名車になれるってのは、「乗ったことがない人が多くなり」「タマ数もなくなり」「真実を知る人もいなくなり」、という、3ない状態の中で「強引な名車認定にも特段の異論が出てこなくなる」からだと思うんですよ。

ためしに今名車に認定されてる旧車を30年前に持っていって、「これが将来の名車ですよ!」って提示したら、同意がとれるバイクが何台あるのか?ほとんどのバイクが「いやいや名車って盛りすぎだろ(笑)」って答えが返ってくると思う。それくらい名車というのは重い称号であり、真の名車なら時代をさかのぼろうが下ろうが、誰しも黙って認めるものなんじゃないだろうか?

「それじゃあ、お前は名車といわれてるバイク達のほとんどがウソっぱちだというのか?」

っていうとそんなことない。あくまで「自称名車」ってことなんですから、それはそれでいいんです。「俺天才!!」って馬鹿ちんな私がアピっても、誰も不幸になりませんよね。もともと基準がないんだからウソもマコトもないんです。バカボンだって元祖天才なんですし。

だから「このバイクは名車なのだ!バカボンのパパなのだ!」って愛車アピールするのは自由なんですよ。ただし、検証のない評価は単なる誇大表現で「女優の顔を修正しまくったアダルトビデオのパッケージ」と何が違うのか?っていうだけなんです。

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(GPZ900Rは私にとっては憧れなんかじゃなくて、一緒に悪さしてた友人みたいなバイクです。トンデモないプライスタグで、お行儀良く床の間に飾られるのは似合わない。乗り手と一緒にあっけからんとバカやってるのがらしいですよ。)

私はちまたに溢れる名車幻想って、当時そのバイクに触れられなかった人達のあこがれやノスタルジーが注入されてできあがったものじゃないかなって考えてる。バイクには必ずプラス面とマイナス面があるんですが、時の流れがマイナス面を洗い流して、プラス面しか残さないから、どんなバイクも名車に見える。過去の景色は大概セピアで美しいんですよね。

私はユーザーが旧いバイクを懐かしみつつ研究し、愛着を持ち、ストーリーを作って楽しんでいくのは、とても素敵なことだと考えてます。だから、それだけなら数多ある名車に文句言う筋合いもないんですが、名車という肩書きに便乗して、うまい商売をしようという人達が出てくると私の話は終わらなくなる。私は事業者が作る虚構や幻想には、一消費者として厳しい対応をさせて頂いてますから。

皆さんもおわかりになると思いますが、名車という称号は、中古車販売に非常に都合が良いんですよ。中古車販売業からすると、この世の名車は多ければ多いほどいい名車認定がなされれば当然中古価格はハネ上がる。ド中古には大枚は払えないけど、名車ならどうよ?ってことになるわけなんですね。実際、名車と呼ばれてるバイクについては、軒並み高額なプライスタグになってます。だから私は名車というものに対してどんどん懐疑的になっていっちゃうんです。

ちまたに溢れてる名車逹は、いろんな大人の事情により「名車に担ぎ上げられた」バイクもあれば、真の名車もあるでしょう。でもなにより私は「そもそも名車という称号自体必要あるの?」って考えてます。

名車とはすなわち業界によるバイクの選別ですよ。名車は価値あるものとしてボロボロになっても再生され、高値で旧車販売店の店先に並ぶ一方、名車ではない多くのバイクはまだ走れるのに廃車にされて鉄クズになっていく。その時代に名車が一度降臨すると多くの人々の目は名車にしか向かなくなる。

でも、あるバイクをその時代の名車と認定するには、少なくともそれ以上のバイクを「名車にあらず」と切り捨てなければならないんです。

だからこそ、名車っていうのは誰もが納得する一握りのバイクだけを慎重に選び認定するべきではないのか?って私は思う。

バイクってのは乗り手にとっては我が子と同じ。名車とされることなく、鉄くずになっていくバイクの中には誰かにとって大切なバイクもきっと存在してるはずですし、名車を凌駕するような良さを持ってるバイクも多数ある。

名車からこぼれ落ち、切り捨てられていくバイク達の姿は、免許制度によりバイクの選択すらままならず、駐車場も与えられず、常に最大公約数の車社会から邪魔者扱いされ、無視され続けてきたバイク乗りそのものではないでしょうか?

私はこれまで選別されて、こぼれ落ちる側にいたんで、その悲惨さは良くわかる。何の基準もない名車認定は、一部のバイクを価値あるものにする一方で、それから漏れたバイク達にとっては「不要の烙印」のように働いてしまうんです。

結局、名車っていうのはなんなんでしょう?なんのためにあるのでしょう?

見渡すと旧車は自称名車ばかりとなり、とても手を出せない価格にまで跳ね上がってる。それは、とても買い手を幸せにする価格じゃない。

その一方、地味だけど私が好んだライバル達は二束三文で雨ざらしとなり、どんどん姿を消していく。それが誰のためになっているのか?一部の名車の常軌を逸したプライスタグをみるにつけ、名車に対する苦々しい思いだけが募っていく。

そんな思いをするくらいなら、名車なんてなくていい。私は常々そう感じてます。