前回のブログはあまりに下品でライブドアに完全にブロックされてしまいました(^▽^)ので、今回は真面目にいきます。

テレビニュースなどの報道によると、近年、高齢バイク乗りの死傷事故が増えてるということらしいです。  

記事によっては、「身体能力の衰えた高齢者がバイクに乗るリスクについて真剣に考えなければならない」なんて提言されていたりする。

バイク事故正面
(群馬のこの事故は、バイク同士の正面衝突。乗り手は若くないですが、バイクの惨状を見ると超高速で激突したことは明らか。最近はコケずにうまくなるっていうことが推奨されてますが、一度もコケたことがない人が、素肌感覚でリスクを感じながら運転することができるんだろうか?死んでみて初めてリスクに気がつくんじゃどうしようもない。

別に記事の中身は真実なんだろうから、それを受け入れることに何ら異議はないんです。ただ、アラフィフになったソロライダーとして、ちょっとばかし報道の中身に対してに対していいたいこともある。

そもそもですね。高齢者の事故が増えてるっていっても、私の周りに存在するバイク乗りは既に高齢者が支配的多数に及んでる。道の駅なんて「シャア以外は全部オッサン」というジオン軍の野営地みたいな状態ですよ。道の駅に颯爽と入ってくるバイク乗りは、メットを取ったら「髪に白いものがあるか、ハゲ散らかしつつあるか、ハゲ隠しの丸刈り」のどれかです。そんな状態なんだから、少なくとも私の周りでバイク事故がおきれば、高齢者が乗ってる確率は非常に高い。現状は「バイク事故=高齢者事故」ってことに必然的になりますよ。シニアカーが事故れば、被害者は間違いなく高齢者っていうのと同じ構図です。

だから「高齢のバイク乗りばっかり事故ってる」っていうのは高齢者特有のものであるのか、「母数に高齢者が多いだけ」なのかをちゃんと統計的に調査して頂いてから提示してもらう必要があると思うんです。バイク1台当たりの事故率が昔に比べてどーんと上がってるんなら、そりゃ高齢化のせいでしょう。でもそうじゃないんなら、高齢者が若い人に比べて事故りやすいってことにはなりませんよね。

確かに、歳を食えば若いときみたいな身体能力や持久力はありませんし、「目・肩・腰」、とアリナミンVの効能部分すべてに衰えが来てますから、若い頃と比べたらライディングにハンデはあるのは認めましょう。

でもそんなことは、マスコミの方々に言われなくたって自分が一番わかってますよ。おバカな私だって、衰えたら衰えたでそれにあわせた乗り方をするわけです。歳くって物事がわかるようになったぶん、昔より安全に、ムリせず乗ってると思うんですよ。

困るのはロクな根拠もないのに、「高齢者は危ないからバイク乗るな!」って方向に印象操作で世論が誘導されること。バイクって乗り物は、なにかと理由をつけて「乗るな乗るな」の議論になりがち。

あのね、免許制度を緩和して、高齢者のリターンライダーを大幅に増やしておいて「高齢者が事故ってるからどうしよう」って一体何なの?わざわざ高い金出して大型取ろうっていう層なんて、金と時間に余裕のあるリターンライダーばかりになるのはわかりきってたわけですよ。

あと、高齢者ってひとくくりにするけど、バイク乗れてる時点で相当イキのいい高齢者ですから。事故って動き止まってるから弱者に見えるけど、動いてるとうっとうしくて近づきたくないくらい弱者離れしてる。大型乗ってる時点で、ジジイであっても常人以上の身体能力駆使してるわけですから、もう「CYBORGじいちゃんG」とか「老人Z」とか「亀仙人」の類いですよ。

バイクのパワーは人が制御できる領域を軽く超えているわけで、こんなヤバい乗り物に乗ってるだけで十分常人離れしてるんです。車みたいにボケても乗ってられるなんて甘い乗り物じゃないんです。

だからバイク乗りがマスコミごときに体力や反射神経でとやかくいわれる筋合いはない。車で欠伸こいてる小僧共より、バイク乗ってる高齢者の方がよっぽどしゃんとしていますって。事故ってるのは、様々な要因が重なってて、高齢っていうのはその要因のうちの一つにすぎない。その一要素を大きく膨らませて騒ぎ立てられても、こっちは迷惑なだけなんです。

そもそもバイクってのは「基本コケる乗り物」でしょ?ヘタなら当然コケる。上手くても場合によってはコケる。どんなベテランだって運が悪けりゃコケる。バイクが整備不良だったらそれでもコケる。なんせ、輪っか2つしかないんで、バランス崩したり、グリップ限界超えたりすればあっさりと横倒しです。

F_

私は今でこそコケてませんが、遙か昔は「オマエそんなに路面が好きなの(笑)」っていわれるほどコケまくりですよ。原付でコケ、中免取ってVT250でコケ、その後NSRでコケまくり、大型免許専用スクールのシゴキに耐えて限定解除し、三京でやりたい放題。そんな中でスピードレンジやバイクの車重も少しずつ上がっていき、巨大なパワーと重量に慣れながら乗れるバイクの範囲を少しずつ広げていったんです。

250ccならバンバンコケても修理費安いし、ボロボロになっても誰も気にもとめないから平気。当時のNSRなんて鬼ゴケで純正カウルが崩壊し、「社外の白ゲルになって一人前」みたいに言われてましたし、こっちも若くてそれなりに頑丈だったんで、なんとか持ちこたえて、大型バイクに乗る頃にはそれなりに走れるようになっていた。

コケ慣れてるおかげで、激ヤバなシュチュエーションでも「体が固まらなく」なり、瞬時に回避できる「安全地帯を探す」ことも覚えるから、事故りそうで、ギリで受け流してる。

最近の大型バイクの事故の多さは、普通免許から大型免許まで一気に取れる関係で、そういうステップアップや経験値稼ぎを省略し、いきなりハイパワーバイクに乗っちゃうってのがあるんじゃないかと思う。ゲームだとイージーモードを省略して、ハードモードをいきなりプレイしてるみたいなもんですね。大型バイクでコケちゃうと軽いバイクより大事になる確率は高いでしょうし、経済的なダメージもでかい。でも、これって若い人でも高齢者でも何ら変わらない問題ですよね。

こんなこと書いてると、嫁さんあたりから「ねぇそもそも、なんで不便で危ない乗り物なんで乗ってるワケ??バカなの?バカでしょ??バカだよね?」っていわれます。でもねぇ、降りられるもんならとっくに降りてますよ。降りない人間は事故って骨折ろうが、皮ずるむけになろうが、絶対バイクを降りないんですよ。だって、バイクに乗ってるときに体感できる世界って「もの凄く素晴らしい」から。

「これ並行世界なんじゃないの?」って感じるほど、まわりの全ての景色が変貌する。30年たった今でも、その世界に魅了され続けてるんです。

だから、バイクに乗り続ける人間って、「バイクは危ない」って人にいうことはあっても、「バイクが悪い」とは絶対言わない。登山家が山で遭難してヒドイ目に遭っても「山が悪い」って言わないのと同じ。

事故るたびに家族は「バイクなんてダメっ!」「なんて危険な乗り物なの!」ってヒステリックになってるけれど、当の本人は「・・大事なバイクがキズキズになっちゃった・・俺ってドヘタ、最低だ・・・」って心から凹んでる。事故った本人は散々な目に遭っても「バイクのせいだ」とは全然考えてないんですよ。逆にバイクに「ごめんね、ごめんね」って土下座謝罪してるんです。

バイクに乗らない人達って、こういうバイク乗りの心理がわかってないんですよね。バイクが与えてくれる素晴らしい世界を体験することが絶対できない不幸な人達からすると、バイクはデメリットだらけの欠陥モビリティにしかみえてない。でも、バイク乗りから見れば、デメリットよりリターンの方が圧倒的に大きい素敵な乗り物なんです。そんな素敵な乗り物に対し、極めて危険という社会的評価を定着させてしまったのは「自制できずコケ倒してるバイク乗り自身の悪行の数々」なんですよ。法定速度で走ってればいいものを、自分の守備範囲を超える走りをしちゃうから路肩に刺さっちゃうんです。

だから、私みたいな転倒虫は、バイクを否定される時、我が子が自分の不始末で糾弾されているようで、身を切られるような責任を感じる。「この子は悪くないのよ!全部自分が悪いの!!悪さしてるのは私なの!ムチ打つなら私を打って!!」ってガバッとバイクに覆い被さりたい。でも乗り手がどんなにアホでも、現代は乗り手に安全性を提供できないモビリティはそれだけで非難の対象になる。

いろんなこといわれてるけど、バイクは被害者をほとんど出さない乗り物です。ブレーキとアクセル踏み間違えて園児の群れに突っ込んで多数の命を奪うなんてことはまずありえない。

事故っても大概単独だし、相手のいる接触事故でもブッ飛ぶのはこっち側。たとえ車の方が悪かろうとも、車の乗り手を傷つけることはほとんどない。不運や不可抗力を受け入れながら、自らがただひたすら傷ついていくだけの完全なる貧乏クジ。

でもね、体験する世界が素晴らしければ素晴らしいほど、反動は大きいのは当たり前ですよ。そのリスクを自己責任でコントロールしながら生きていくのが我々の義務でもあるし、自由な選択の中で、自分らしく生きることが我々に与えられた権利であると私は考えてます。

必要以上にリスクを取り去った後に残るのは、しょせん色褪せた世界でしかない。アルコール依存症になるからっていってこの世の酒を全てアルコール度1%にしちゃったら、安全になるかわりに酒の喜びや楽しさなんて消えちゃいますよ。だからリスクだけをことさらに強調し、素晴らしい世界への道を閉ざすのは絶対に間違ってると私は思う。

バイク事故3
(今年は北海道での事故が多かったですね。これは改造CB1100Rの事故。リアまわりゴッソリ変わってます。

健康のためなら死んでもいいという健康マニアがいるように、この世のバイク乗りの多くは「死んでもバイクを奪われたくない」んです。たしかに人は老いていく。でも老いたからといって、ちっぽけなカス人生の中で、最後まで残った生きがいを取り上げられるいわれはどこにもない

だから、いちバイク乗りの事故にことさらに一喜一憂し、いかにも社会的な問題のように騒ぎ立てないでいただきたいわけですよ。私がもし死んでも「ああ、馬鹿がまた一人死んだ」って感じで静かに受け流して欲しいんです。

この歳になって私が社会に望むことはただ一つ「放置プレイでよろしく」ってことです。一般人目線でアレコレお節介をやかれたときに、自分もバイクも良いところなんて一つもない。だから社会的に放置してもらうのが一番いいと思ってる。そのためには「社会にご迷惑をかけないこと」がとても重要だと私は感じてます。

闇に紛れてコウモリみたいに爆走するのはバイク乗りの習性だと思ってるし、身に余る大剣振り回したって、怪我をするのは自分だけなんで勝手にすればいいんです。例え事故がおきたって、車だって刺さるんだから、「バイクだけじゃなく車も事故ってるだろ!」って反論することもできるでしょう。

でも、道の駅なんかでの爆音やガラの悪い集団行動、迷惑行為は一般人を巻き込む社会問題になっちゃう。私が「ハーレー乗りはなぜ嫌われるのか」系のブログで散々書いているような悪目立ちは、社会的放置を心から望んでる私のようなバイク乗りからすると「実に迷惑極まりない」んです。

結局、人に迷惑をかけない一番簡単な方法として私が出した結論は、社会の片隅で目立たぬように「ボッチになること」なんですよね。

まぁ、これからもバイクによる高齢者の不幸はあると思うし、いろいろともの申す人だって出てくるだろうと思う。でも、それは個人の意志決定を実現するために社会として受け入れるべきリスクだと思う。

高齢者が事故る?いいじゃないですか?老人が生き生きとバイクに乗ってるから、今日もどこかで高齢者事故がおきるわけです。それって、極めて正常な社会じゃないですか?高齢者が元気で自由に生きていて、その権利が保障されてるってことだから。

個人の自由と権利ってのは統治機関にとっては面倒くさいものなんです。それを制限すれば統治はとても楽になる。ただ公共のために不要なものを切り捨てていく社会を発展させ、突き詰めていくと、それはやがてディストピアになる。

ユートピア5.5
(ダイナ嬢の言うように、私のような変人は排除の理論を適用すると間違いなくその対象となり淘汰される。だからこそ、そんな世界を受け入れるわけにはいかない。なお妄想エロトピアではなく、できるならリアル・エロトピアに行きたいです。)

「この世に不要なものなど存在しない」って全ての権利を認めつつ、より良い落とし所を模索していくのと、「不要なものは捨ててしまえ」って切り捨てつつ進んでいくのは、理想社会を作ろうという意志は同じだけど、到達点は大きく違うんです。

だから私は「こんなのいらないだろ?」っていう不要論や「そんなこと、やっちゃダメ」っていう規制論、「お前には売ってやらない」っていう排除論はどれも好きじゃない。これは力と選択権を持つ統治者側の論理です。マイノリティって異端な少数派だから、それを許容すると、やがて間違いなく自分がその対象になっちゃう。

これからの世の中は安全を重視し、交通環境もどんどん改善されていくんでしょうし、乗り手を守る為の施策も徹底されていくんでしょう。でも、

大切なものを奪われてまで私は守られたくない。

しがないバイク乗りとして、それだけは伝えておきたいわけですよ。