もうすぐ2020年冬のワンフェスですね。

私はワンフェスになる度に、転売屋問題に関するブログを一つずつ追加しています。私のブログは世間のメインスタンダードから外れ、アクセス数も無視して書き散らされている有害図書なんですが、転売屋対策のブログだけは、他人のツイッターでも「腑に落ちました~」なんてツイートされてたりして、ちっとは役に立っているのかな?なんて感じてるので、細々ながらシリーズもので書いてます。

これまで書いたブログです。

ワンフェス転売屋問題に関する一考察 その1
ワンフェス転売屋問題に関する一考察 その2
ワンフェス転売屋問題に関する一考察 その3

今回は、日頃転売屋にいいように転がされている販売側が打ち出した対抗手段、いわゆる転売屋対策についての一考察ということになってます。

最近、販売の現場で転売屋対策として話題になったといえば、昨年京都ヨドバシカメラで「商品名が日本語で言える人だけ購入できます」ってのがありましたよね。これは大量に商品を予約購入する中国人転売屋を排除するためだったようで、一般の愛好家からは「名案だ!転売屋に対して無策なよりよっぽどいい!ガンバレ!!」と賞賛される意見が沢山寄せられたようです。

ワンフェスの小規模ディーラーなんかも、コレを真似て「購入にはソシャゲのキャラをスマホで取得してなきゃいけない」とか、こまめな対策をやってるようです。でも、私自身は「転売屋対策なんてするだけ無駄で、弊害の方が多い」と思ってます。確かに転売屋を排除して我々一般人に沢山商品が回ってくるのはありがたいんですが、こういう小手先の転売屋対策って売り側が背負うリスクに対して、それほどの効果が見込めない場合が多いからです。

「じゃあ、お前は商品を大量にガメていく転売屋を肯定するのか!!このクソ野郎!!!」って怒る人もおられると思うけど、顧客である消費者の正義と、事業者の正義はいささか違うんです。

長年事業者として生きている私からすれば、転売屋を意識するあまり、客とトラブルになったり、社会的な非難を受けるようようなリスクは一文の得にもならない。これは情緒的な問題じゃなくって、商売人としてのリスク管理の問題です。

私が責任者だったら京都ヨドバシのような提案が販売側から上がってきたって、絶対に許可出さないですね。よーく考えてみてください。転売屋に大量に商品ガメられたって、売り手側が責められることはまずありません。

だって悪いのは転売屋で、売り手は並んでくれた人々に順番に商品を売って、なくなったら「売り切れ~」って宣言してるだけ。積極的に転売屋を排除する義務なんてないし、転売屋を排除したってしなくたって店の売り上げが変わるわけでもない。

チケット2
(2020年冬のワンフェスの入場チケット。2月9日開催。最近はガレージキットの製作ペースは年2個くらいで、積みキットの数を考えると、もう購入する必要はないんですが、それでもなお買っちゃうのは、私という人間の欲の問題ですね。)

私だって、そりゃ転売屋にガレージキット取られたくはない。原型師が心を込めて作ったものは、「精魂込め、苦労して製作してくれるガレキモデラーが手に入れるべき」だと思ってます。

今回の京都ヨドバシの販売員も中国人転売ヤーが大量に商品をガメていくのを見て、購入機会を失った人々の嘆きの声に胸を痛めたんでしょう。だからこそ「商品名が(日本語で)言える人だけ購入可能」という方針を打ち出したわけでしょうし、「中国人転売屋などに売ってたまるか!」という思いは痛いほどわかる。転売屋に酷い目に遭ってきたマニアの中には「よくやった!英断であった!!」という人が大勢いることも理解してます。

でも商品販売のプロとして見るならば、この京都ヨドバシのやり方は明らかに素人的でした。なんでかっていうと、この転売屋対策にはメチャクチャ大きな欠陥があるからです。それは、「商品名を言えない外国人が全員転売屋だとは限らない」ってことです。あまりに基本的なことだけどここ大事です。要は顧客を選別するやり方と方法が乱暴すぎるんです。

このやり方だと、排除された顧客の中に転売屋でない個人客が含まれてしまう可能性が否定できないので、一部の有識者連中から「その人の権利はどうする?」って議論が確実に出てきてしまうんですよ。あと日本人の転売屋はこのやり方じゃ排除できませんので、「これじゃ全体的に見て転売屋対策になってないだろ!外国人の顧客を不当に狙い撃ちしたにすぎないじゃないか!!」って非難されたりしてつるし上げられちゃうと思う。これがなぜヤバいかというと、商売は基本顧客を平等に扱うからこそ成り立ってるからなんです。

この条件により日本人じゃないからって理由で排除された外国人達は、ヨドバシに向かって怒りをぶつけるでしょうし、転売屋も愛好家のフリをしてこう叫ぶでしょう。

「商品名を言えない顧客に商品を売らなかった根拠は何だ?商品名を言えない顧客が転売屋であると認定した根拠は何だ??これはタダの販売規制だ!外国人差別だ!!さぁ言え!理由を言え!さぁさぁ言えよ!言ってみろぉおおおおおお!!!(ジャギ様風に)」と。

それに対して京都ヨドバシはどう答えるのか?合理的な理由を出せるのか?「いやぁぁん!!まいっちんぐ♡」ですまないから困っちゃう。転売屋を排除することも大事なんですが、選別方法が雑すぎると、その穴をグリグリと責められてあっけなく防御陣が決壊しちゃうんですよ。

だから、商売人としては争いを避けるために「人に機会を与えるよりも、人から機会を奪わない」ってことを大事にした方が絶対にいい。機会は平等に与え、個数制限などで大量購入を防ぐ方がやり方としては賢いと思います。

「同じ条件であったならば、同じ機会と結果が与えられなければならない」ってのが公平性の基本。

下手にそれを踏み越えて、「権利を不当に奪われた!」って叫ぶ人に訴訟なんかを起こされると、コテンパンにのされちゃうおそれがある。で、このケースでもし訴えられたとしたら、ヨドバシ側が「その人が排除されるべき転売屋だった」ってことを主張していくわけですが、「商品の名前言えないから転売屋と認定して排除しちゃいましたぁ。てへっ♪」ではどう考えても主張の妥当性に疑問符がついちゃうんです。

「へへーーんだ!裁判負けたって損害賠償額なんて微々たるもんでしょ?」という意見もありますが、企業ってカネよりイメージの方が大事ですから、裁判で負けなんかがついちゃうと、「やっぱあの売り方はダメだったよね」ってことが確定しちゃって、イメージダウンの方が痛い。

どっかのセミナーで販売における公平性のレクチャーするときに「京都ヨドバシ転売屋排除事件」みたいな名前つけられて、「稚拙な排除方法によって顧客と訴訟になりトラブルが拡大したケース」なんて紹介され、ずーっと語り継がれちゃったりするんです。

また、別のヨドバシ店舗でも「京都ヨドバシは転売屋対策してくれたのに、こっちはしてくれないのかよ!」と逆にマニア達から突き上げを受けちゃう可能性もあったりする。世の中って良い噂や美談ってのはあっという間に賞味期限がきて忘れ去られちゃうのに対し、悪い噂や悪い評価って良い噂の何倍もの速さで広がるし、インパクトも大きくってずっと記憶に残っちゃう。

数億円かけてメディアに広告宣伝打っても、悪いイメージ一発で広報効果が全て飛んじゃう。だから、転売屋対策打つんなら本来はもっともっと丁寧に慎重にやるべきだったというのが私の意見だし、ヨドバシの上層部も多分そう思ってるんじゃないかな。

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(ワンフェスに巣くう転売屋は一般客に化けてるんで、退治する前に、まず正体のあぶり出しからはじめなくてはならない。でも、それができないから困ってるんです。)

結局おおごとになっちゃって京都ヨドバシは後に下がれなくなったのか「これからもこういう対策を続けるので理解して欲しいの!」ってアピールしているようですが、今回排除され、煮え湯を飲まされた中国人転売ヤーは今後キッチリ対策し、商品知識仕入れてから購入しにくるでしょうから、同様のやり方を繰り返すだけでは、次回以降の実効性などほとんど期待できないんです。この転売屋規制で一時的に騒いだメディアの評価はどうであれ、長い目で見れば完全な下策だったと断言したい。

こういうことを教訓に「ワンフェスのガレキディーラーは一体どういう転売屋対策ができるの?」って考えてみると、そんなのまず無理。ヨドバシレベルだってこんな荒っぽい転売屋対策しかできないのですから、売り子数人でやってる個人ディーラーが販売条件に対するクレームにいちいち対処しなきゃならないような売り方ができるわけがない。

そもそもワンフェスのディーラーの目指すところは、転売の排除を考えることではなく、ガレキの歴史に輝くような素晴らしい造形物を作り、それを市場にできるだけたくさん提供することです。長年ガレキ作ってると、買えなくたって画像で見るだけでも感動できます。商業主義から離れ、個人の情念が込められたガレキは今も昔もワンフェスの花なんです。

最終的に販売側が転売屋を排除しようとすれば、目の前にいる顧客を選別しなくちゃならないことになります。でも販売側は顧客を選別するような神になってはいけないし、それは販売側のオゴりだっていうのが私の考え。一度でも選別を許し、それを肯定してしまうと、販売の公平性は揺らぎ、公平性の揺らぎを許容すれば、それに乗じて特別扱いを望む人が必ず出てくる。だから販売側は一定のルールの下で、粛々と商品を供給することに徹するのが一番。一度でも例外を作っちまうと原則が機能しなくなるんです。

これって転売排除を熱く主張する人から見れば、極めて弱腰で、転売について無策の事なかれ主義に見えるでしょう。でも、そんな人も「他人の排除を認めるときは、自分が排除されることもあり得る」ことを覚悟する必要がある。だからこそ、排除のためには「明確で確実な根拠に基づく厳正な取り扱い」が必要なんです。「汝は転売屋!罪ありき!」って主観的な決めつけで排除を許し、それを疑問もなく皆が支持しちゃうと、最終的には売り手が自己都合の条件を設定して、主観的に好き嫌いを判断し「好きな人にしか売らない」ってこともできちゃうわけですね。

異論はあると思いますが、私は自分が納得できない理由で排除されることを望まないし、神様になるつもりもないので、それがたとえどんな悪党だったとしても、誰もが納得できる基準と理由による排除しか認めたくない。そういうスタンスなんです。