バイクっていえば「カスタム」っていうくらいバイクは改造しまくる方が多いですね。元来バイク乗りは快楽主義というか、自己主張が激しいですから、経済力の多寡はありますが、とにかく自分のマシンを「暇があればいじってる」という人が多いように思います。

しかし、不思議なことに改造が極まって「これ以上イジれないでしょ。これ完成でしょう、いくらなんでも。」というくらいの極限状態に達すると、案外あっさり売却してしまう人も多かったりする。正直自分も昔はそういうところがありました。今回のブログでは超くだらない漫画と共に私の「カスタムに対する思い出」についてつらつらと述べていきたいと思います。

(文字だけでは画面がもたないので、擬人化ローライダーと擬人化F6Bのゆ~るい漫画をのせておきます。)

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カスタムってのは本来は自分が「乗りやすいよう、自分が満足するようにバイクに手を加えていく」というのが一つの方向性なのだと思うのですが、若い頃は、「自分が乗りやすく」というより「とにかく性能をかさ上げする」という「尖った方向」に邁進していたように思います。
 
当時は低速トルクを補うチューニングとレッドゾーン付近の2000回転でモアパワーを絞り出すチューニングを選択肢として与えられ「さぁどっち??」と問われたら、迷うことなく高回転高出力を選択していました。
 
低速があってもパワーがないのはイヤ。このような思想でカスタムを重ねた結果、バイクはどんどん尖った「カリカリのあぶりイカ」のような柔軟性のないシロモノになっていき、ハンドルもステアリングダンパーで固めてネロネロとした動きになり、チャンバーは2ストオイルを盛大に吹きながら「ユンカース88の急降下爆撃音」のような耳に痛いモスキート音を奏でておりました。今思うとポジションも過激なバックステップで、外国人に「オー!ザッツ、オリエンタルパワー!ドゲザァ!!」と指差しされかねないような窮屈なものになっていたように思います。
 
ガチでサーキットを走るのであればそれもまた良かったのでしょうが、実際はほとんどが公道走行です。にもかかわらず、公道に適したようにメーカーが仕立てたノーマル状態をどんどんガチ方向にカスタムしていくわけですから、日常域でどんどんピーキーで乗りにくくなっていきます。強制閉開のFCRキャブなんか入れた日には、エンジン様のご機嫌を取りながら走っているような状態で・・でも、それでも良かった。
 
そんな頃は「これこそがストイック!!引かぬ!媚びぬ!顧みぬ!!オレは尖っていくのである!!!地の果てまでぇええぇえ~!!!」的な熱いドグマが自分の心の中に渦巻いていたのです。もう毎月バイクにみつぎ倒すようにパーツを次々と取り付ける。それはもはや「自分のバイクに対する思い入れを部品に還元してバイクに押しつけている」ようなものだったのでしょう。
 
誤解しないでいただきたいのは、そういうことは悪いことでも何でもなく、当時はそれで満足していたし、そういう時期は誰にも訪れるのだと思います。バイクに対して非常にピュアな心、バイクに対する深い愛情がそうさせるわけです。自分を乗せて一緒に走るバイクに可能な限りの愛情を注ぐ。それは当然の思い入れであり、働いて得た金を全てバイクに注いでいた頃の熱に浮かされたような感覚は自分の中では多分もう二度と戻らない(遠い目)。つらいこともあったけど、トータルで見れば本当に幸せな一時期でした。
 
しかし、その一方でその強い情念が視野狭窄にもつながっていたことは間違いない。「速さこそ正義」という片面的な価値観が当時の自分のバイク選びを非常に狭く融通の利かないものにしていました。しかも、いくらチューニングを重ねてパワーを絞り出すといっても当然そのバイクなりの限界がある。

ボアアップでもしない限り排気量による足かせは当然あるわけですし、あらゆる部品を変えて手塩にかけたバイクも基礎体力が違うバイクにはやはり勝てません。当時の自分はムキになっていじるだけいじってそのバイクの限界を把握すると、急激に心が離れ、「より基礎体力のあるバイクに浮気し、買い換える。」という悪循環を繰り返していたのです。
 
当時は「速さのみ」を見ていたが故に、より速いバイクがあれば、それが所有しているバイクの価値を上回ってしまっていたわけですね。
 
でも現在はカスタムの方向が180度変わりました。ある時期「速さを切り捨てる」と決意したときから私がやってることは「いかに楽なポジションにするか?」「自分がよく走る公道シュチュエーションで乗りやすく気持ちいいエンジン特性はどんなものか?」「欲望を満たしつつ、どんだけダルダルに乗れるのか?」という「養老チューン」です。
 
「プッ・・ジジィ・・」と吹き出したアナタ・・。養老チューンを侮ってはなりません。これはこれで非常に奥が深い。高性能パーツに変えたからといって良くなるというものでないところが養老チューンの沼加減。例えば今のダイナはハンドルバーをプルバック3㎝刻みで3回も交換したのですが、それでもしっくりいかず、ハンドルの両脇を1㎝カットしてもらい、それで落ち着いています。ただのハンドルバーに4万円は吹き飛んでいるんですが、取り付けて走ってみないとわかんないのでしょうがない。
 
インジェクションもはじめはサブコンからはじまり、最終的にはフルコン入れて、3周くらいグルグルといじり回したあげく、下のトルクを太らせた以外は「極めてノーマルに近い出力特性」で落ち着いているという状況です。特に2千から3千回転くらいの常用域は、自分でもなかなかうまい味出しができず、「あーーー、もうノーマル(アメリカ仕様)でええですやん。ノーマルサイコー!ノーマルいい味。」とその偉大さにひれ伏してブンブンと白旗を振っています。

さすがハーレー、セッティングにも奥深い歴史がある。「100年の歴史に私なぞが及ぶものではなかった」と心から懺悔しています。端から見ると「何十万円の金額と長い時間をかけて結局はノーマル風味かよ!!バカジャナイノ??」と思われるかもしれませんが、自分の満足度を追求した結果おちつきどころはこうだったというだけで「金をかけたから、こうならなきゃいけない」というのはチューニングを誤った方向に導く「心の贅肉」です。

このように、なんだかんだと納得いくまでに約6年くらいコツコツとお触りを続けていたわけなんですが、速さを求めていた頃は2年くらいのスパンで「バイクをいじり倒しては売却」を繰り返してましたから、自分も随分変わったもんだなと。
 
そして、こういう方向性に目覚めてくると、次のバイクを購入するのがシンドくなってくる。次のバイクを買っても「自分の好みに合わせるまでにどんだけかかるのヨ・・。」と思うとその果てしなさにゲンナリしてしまうわけです。「ローライダーSなんてへっちまんさんにピッタリです!」(何を根拠にピッタリと言われているか不明ですが・・)なんて言われても「いや・・速さは圧倒的に上でしょうけど、ハーレーに速さ求めてないし、自分風に最適化したポジションやインジェクション設定をいちからやり直すのは面倒臭すぎるし・・。」となんとなく盛り上がらない。
 
このような心境の変化が良いのか悪いのかは皆様の評価にお任せしますが、以前より安全で且つ財布に優しい(?)状況になっていることは間違いないようです。