これから少しの間、前回のブログで紹介した「ヨーコ21」の製作過程を書いていく予定ですが、その前に「ガレキフィギュアの出来不出来」ということについて少し考察したいと思います。

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塗装完成見本のヨーコ21
ちなみにヨーコ21の塗装見本はキットについてきた写真、これを目指して作るのかといえばそうではなく、あくまで参考色見本ということになります。これはフィニッシャーさんの中のヨーコであり、自分の中のヨーコさんではないからです。

へっちまん製作のヨーコ21。塗装見本と同じアングルから。結構顔違います。もっと可愛い方が良いだろう?とか目がでかすぎんだろ!というご意見もあるかと思いますが、これが「私の中の」ヨーコさんというわけです。

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ほとんどのモデラーの方は多かれ少なかれフィギュアを作った経験はあるんじゃないかと思います。1/35の装甲車や対戦車砲には付属フィギュアがお約束ですので、ミリタリーモデラーなどでは「俺はフィギュア製作にはこだわりがある」という方や、もはやセミプロというような技術をお持ち方も相当数いらっしゃるでしょう。

「1/35のフィギュアを完璧に塗れる俺にとっては1/8とか1/6のフィギュアの顔描きなんて超余裕。」

そうおっしゃる方もいらっしゃると思います。小スケールのフィギュアは小さいというだけで難易度が跳ね上がりますので、これはある意味正しい。しかし別の意味で少し違うところもある。

1/35のフィギュアの顔を描ける技術があれば、1/8のガレキフィギュアの顔を詳細に描いていくだけの筆先の技術は十分です。しかし、ガレキ系美少女フィギュアで要求されているのは筆先の技術だけではない。この特殊なカテゴリーには「綺麗に塗る」「丁寧に描く」ということとは次元の違う全く違う別の要素が入ってきます。

例をあげると、モデラーが1/6のGIジョーサイズのミリタリーフュギュアを製作するとして、こんな注文が出たらどうでしょう。

「東部戦線で極限の戦況下、命をかけた助け合いの中で若い二人の兵士の間に芽生える愛。こんな設定のボーイズLOVE風な表情でお願いね!!」

この「腐」の一言でほとんどのモデラーの筆先は完全に停止する。技術云々言う前に、「どう描いていいか全くわからない」という事態に陥ってしまうことでしょう。そして、どこかにヒントがないか作例を必死に探すことになる。

ところが、ここで「わかったわかった。しゃーないボーイズLOVE風の表情でね~」と描きはじめるのがフィギュアモデラーなのではないかと。作例があっても「あーこの作例はちょっと俺のイメージとあわねぇなぁ」と平気でなおしてしまう。つまり自分の中に製作対象に対する美意識というか評価軸があるわけで、そういう部分がフィギュア製作で最も重要なとこじゃないかと思うのです。

完成写真を見てそれどおりに作っていくのと、自分の中から自分の描きたい表情が沸き上がってくるのではやっぱりかなりの違いがある。

通常の模型の評価軸は、精度の高い組立て技術、緻密なディティールアップや、リアルでハミ出しのない正確な塗装技術、美しい発色などです。だから、初心者であれ、プロであれ4号戦車を作れば細部の違いはあれど、まごう事なき4号戦車ができあがる。しかし、ガレキフィギュアは対象自体が似るかどうかの分水嶺的な主要要素を制作側に丸投げされているため、同じアスカを作っても「別人のように違う」ということが当たり前のようにあるわけです。

しかも、フィギュアで大事な「萌え度」は技術とは別の「とらえどころのないもの」なので極めてややこしい。「萌え基準が自分」だというのも蟻地獄にはハマる原因。完成見本が気にくわなければ自分の納得のいくように描いてしまえば良いのですが、どういう風にでも描けるということは、航海図のない海に漕ぎ出したようなもの。自分の中に確固たる航路がないとどうしようもなくとっちらかる。航路があったとしても、自分が萌える表情を作るというのは10体作って偶然1体できるかどうかでしょう。

どんなに製作を重ねても完全に納得のいくような表情にはなかなかなりません。フィギュアを突き詰めていくことは、自分の好みを突き詰めるということであって自分の内面を掘る行為に等しく、底なし沼のように際限がなくなるため、フィギュア製作というのは奥が深く且つ業が深いものなのです。

私自身完成したフィギュアの顔に1週間後に筆を入れるとか、1ヶ月後、半年後、2年後にフト気になって筆を入れるとかはしょっちゅう。だから自分が作ったフィギュアはいつまでたっても未完成。こんなことは他のジャンルではほとんどありません。

こんなわけですから、ガレキフィギュアは万人にとって最高なものはまずないんだろうと思います。作る人間によって表情も雰囲気も随分変わる。作り手の中にあるキャラクターは人によって千差万別。塗りがボロボロでもパーティングライン全残しでも「最高に萌える」フィギュアができればそれは至高のものとなるでしょう。全て完璧に丁寧に仕上げても「萌える」ものになるとは限らないわけですから。

誰かが作ったフィギュアは「その誰かにとっての完成形」なのであって、別の人には刺さらないかもしれない。でもそれは制作者の個性や美意識が出た故のことであって、決して駄作なんかではないのです。だからこそフィギュア製作は面白い。出来不出来の評価軸は制作者の中にしかない。制作者が「これでいいのだ。だって俺はこれが萌えるから。」と感じたのなら誰がなんと言おうとそれが完成形です。

そんなパーソナルなところもガレキフィギュアの良いところだと思います。