ガレージキット冬馬かずさ製作記その4です。

現状私のブログはバイク記事2に対し、模型記事1の割合で、ほぼ週1アップで進行してます。模型ブログのアクセスなんてほとんどないので、「全部バイク記事にしちゃえば良いのに!!」ってバイク乗りの方は思うかもしれませんが、バイク記事は重すぎて、気晴らしというかインターバル取らないとちょっと厳しい。

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(冬馬かずさ嬢。「これってホント俺の製作記なのか?」って内心あきれかえってるはず。)

テキストってとても怖いもので、このブログが続く限り過去ログもずっと残っていくわけです。テキストで吐き出したものは口で伝えるのとは違い、それを誰が見て、どんな風に解釈するか、まったくわからない。口で伝えるのとテキストで伝えるのは大きな違いがあるのです。そういう点では、私なりに多少慎重に書いているつもり。

「ええ??オマエ!!アレで慎重に書いてたの??」

ってツッコミもあるかもしれないですが、私はオポッサムやアナゴのように離脱逃走型の人間ですので、いつでも瞬時に巣穴に引っ込み、死んだふりをする余地を残している。

これに対してフィギュア製作記事の楽なこと(笑)。この世にバイク乗りは一杯いるけど、ガレージキットの美少女フィギュア作っている変態モデラーなんて希少かつどうでも良い存在。

コミュニティに参加することなく、ひっそりと身を隠し、闇世界からブログをお届けするほかに、この世との接点はない。多少メチャクチャやったって、社会に悪影響を与えることはないし、四方八方からボコられることもまずありえない。

このブログも製作記と銘打ちつつ、ほとんど駄文を書いているだけになってますが、それがなんだというのか?ガレキ製作記など「客のいない定食屋の裏メニュー」のように、「需要はまったくない」んですから、旨かろうががまずかろうが誰も気にもとめない。よって天地無用、配慮も無用、気遣いも無用ってわけです。

「ククク・・このブログを世界に広め、多くの愚民を啓蒙してくれる!!さぁ、プロパガンダじゃ!!アジテーションじゃ!!!拡散ウィルスを仕込むのじゃアァァァアアアアア!!!」

という壮大なプランを立てるには「恐ろしいくらい中身がない」

自分で書いていてなんですが、まさに路肩にひり出された一本グソ。読むだけ無駄です。時間を持て余しているとか、駄文がお好きという奇特な方のみ、お楽しみください。それ以外の方は犬に噛まれたと思って忘れましょう。

前置きが長くなりましたが、今回のお題は「妄想DreamCreator」となっております。ちょっと変わったお題ですが。ボカロの曲に「Dream Creator」ってのがあるんです。


(GUMIさんのDream Creator。意味深な歌詞と雅楽のように鳴り響くサビのメロディーラインが創作の深淵を感じさせる。GUMIのモデリングとダンスもいかにもフィギュアっぽくて秀逸、まさに現代の操り三番叟。)

私この曲好きなんですよね~。初めは不思議な曲だな~と思ってたんですが、聴いているうちにハマってきた。リズム感もあるし、クリエイティング特有の「イケイケ感」が曲調全体から感じられるし、何より「ドリ~ムク~リエ~イタ~~」のサビ部分の独特な響きに「深夜に塗料用シンナーを大量吸引しちゃってナチュラルバカ状態になっちまった的雰囲気」がある。シンセなのに神社雅楽の響きのようで、なにかいけないゾーンに入ってしまったような感じが素敵なのです。

何で今回この曲を持ち出してきたかというと、単に冬馬かずさのフィギュアとちょっと服が似てるかなーと思ったのと、「ブログの後ろに曲が流れててもいいじゃない。だって文字ばかりだもの。」っていうただそれだけ(笑)。

こういう黒のドレスってあるようで、現実にはアニメでもリアルでもあんまり見ない気がする。アニメだと黒服が出てくれば、ほとんどスーツかメイドだし、リアルで黒といえば喪服くらいしか思い浮かばない。

何が言いたいかと申しますと、私はリアルな女性の服について無頓着で発想がメチャメチャ貧困だってことなんです。

顔は妄想で塗装見本から逸脱し、私好みに改変しまくるけど、服は妄想が全然働かない。私のイラストのF6B(メイド服)とダイナ(服はほぼレイザーラモンHGの女性版)を見れば「コイツ服のセンス死んでる」というのは一目で理解できると思います。

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(塗装途中の風景。夏暑く、冬底冷えのする物置で塗装してます。結局服の黒は下地グレーからの黒シャドー、全体クリアーブラックの3層構造で仕上げたような気がする。製作が古いんで覚えてないんですよね。)

「顔と体しか見ない男なんてサイテー!」

「ぼーっと生きてんじゃねーよ!!」

と女性の方の罵声が聞こえそうですが、長年付き合っている女性ならともかく、一瞬で女性を値踏みしろと言われたら、「顔」「尻・乳・太もも」以外何があるというのか?数百万円のドレスを着ていても、その価値がわかんないんですから、どうしようもない。

「ナニ言ってんの!女は姿形じゃないのよ!!心が綺麗なのが一番なのよっ!!」

とおっしゃられても、そんな主張は歴史上すでに否定されている。

例えば、下の絵を見て下さい。これは実際には同一人物。キャラの中身は同じなので、ビジュアルが関係ないなら、どちらも等しく愛せなくてはならない。

猫娘1
(昔と今の猫娘。別人が戸籍を乗っ取ったレベルの変貌ぶり。振り向かないニブチン男にツンデレしつつもアプローチを続ける苦労人。モンペを愛用するなど浮いたところもなく、家事も仕事(妖怪退治)も極めて有能。これはまさに地方在住の男性の理想像か?)

AとBの落差がとんでもなさすぎて、選択を確認するまでもない。Aを選ぶ人ははっきりいって異常性癖。ネットを見ると「18禁の抱き枕」まで発売されているようですが、猫娘Aで作っても不良在庫の山となるのは目に見えている。

水木師匠の原作で「フギャー」とねずみ男に襲いかかっていた頃の猫娘を知る私にとっては、この変化に感慨もひとしおです。しかし、何故このように猫娘が変化していったのか?その理由は身も蓋もないですが、「猫娘がかわいい方が視聴率がとれるし、グッズも売れる」からです。

遙か昔、宮崎駿が

アシタカが主人公でも、題名は「もののけ姫」でなくてはならない。なぜなら「アシタカ戦記」では観客動員は絶対に見込めないのだ・・

と悲しげに語っていましたが、アニメファンの男どもを作品に引き込み、グッズ販売売り上げを上げるのは、やはり「ヒロインがツボに入るかどうか?」なんです。

これはアニメファンだけの法則ではなくこの世の摂理です。ストイックな北斗の拳でも結果は同じ。北斗の拳は見方を変えれば「武芸を極めた男達が、奥義を駆使して女を取り合う物語。」

女性陣から見ると「こいつら揃いも揃って脳みそキングコングなのか?」とツッコみたくなるかもしれませんが、ユリアの乳の前では「奥義の承継者」としての責任はもはや二の次。DNAを残すための女をゲットするために死地に赴くという大矛盾。しかし、絶世の美女を取り合うというシュチュエーションはこの矛盾を軽く乗り越える力がある。男にとっては「女を取り合う」ことこそが手っ取り早く説得力のある戦いのカタチなんです。

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(お約束のサービスショット。この文章の流れなら当然この写真が出てくるわけですが、ガレージキットでスカート女子を造形する場合は、膝上ミニスカであるということが重要。これは見える見えないの話ではなく、核心部分に手を抜くか抜かないかの問題。ここをしっかりしないとモデラーのモチベーションは全くといってよいほど上がらない。)

ナニが言いたいかというと、男は所詮「股間>理性」ってことです。海のリハクをもってしても第三の脳には逆らえない。美人でスタイルが良ければ、着ている服がどうとか、アクセや小物などはどーでもいいのです。女子高生のニーソを初めて見たときも、「ブルーザー・ブロディ?」位の感想でしたし、女子に人気だった「たまごっち」には「え?なに?カール・ゴッチの卵?」と斜め上の反応を返し、当時のサークル女子にドン引きされていたくらい無関心。 私以上に精神が病んだアニメファンになりますと、「服は服ビリで裂けるためだけの布」と主張したりする。

こんな奴らが製作者なんですから、美少女フィギュアは突飛な服を着てるほど塗りやすく作りやすいんです。冬馬かずさのように普通の女性キャラが文化祭で選択した衣装なんて、逆に頭が混乱しちゃう。

現実が入っちゃうと、ミリタリーモデルを作ってるときのリアリズム重視主義が頭をもたげてきて、「えーっとグレーのストッキングってリアルではどんな色味になるんだろう?」って余計なことを考えはじめる。「リアルにしなきゃ・・」という評価軸が妄想を阻害してしまうんですね。

軍服とか、ツナギとか、メイド服などの特殊装束なら脳内でいくらでも補完計画が発動するのに、女子の着る普通の服になるとどうにも戸惑ってしまうのは、妄想世界のモデラーの限界であり、一つの業のようなものかもしれません。