順番的にダイナについて語る回なんですが、正直、書くことが思い浮かびません。ダイナって私の中で、もうほぼ「空気みたいな存在」になってるんですよね。

「空気になったってことは、第一線を退いたってこと?」

って思う人もいるかもしれないけど、そういうわけではなく、今でも冬場を除けば一番距離を乗っているかも・・ってバイクです。

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(千里浜なぎさドライブウェイ。昨年に比べて砂浜部分の走行幅が半分くらいになってる気がする。)

高性能バイクに乗ってる方々からは、「えええええええ!沢山バイクがあるのに、こんな残念なカスクソがっかり機械に?!」って思うかもしれない。確かにハーレーは「とある面ではカスクソである」ことは認める。でも他のバイクにはない優れた面もあるのです。そしてそれが私の中で空気になってる理由でもある。

ダイナの他のバイクにない特徴っていうと、やはり

「クソ重い」

「クソ長い」

「クソ馬力ない」

「クソバンク角がない」

という移動体としての「クソ四重殺」が挙げられるでしょう。優れた点といいつつ性能的にはクソな部分しか上がってこないってどうなのか?

ダイナってビッグツインスポーツを名乗りながら、1584ccで60馬力ぐらいしかないから、リッターあたり38馬力~40馬力程度なんですよ。私の所有バイクの中で2番目に排気量デカいくせに、ダントツの低馬力。足回りについては前後ともオーリンズで固めてはあるのですけど、この四点だけはどうしようもない。

でも、そんなバイクだからこそ、キャラが立ってるともいえる。ダイナと私の関係性って「悪役令嬢と結婚してみたら幸せになれました」的なパターンではないか?って気がする。

悪役令嬢って、地位を利用して主人公をいびり倒し、「断罪されたり、処されたり」っていう噛ませ犬みたいなポジションです。でもとある時期から、ラノベ世界で大人気になり、押しも押されぬ一大カテゴリーになったんですよね。

あれは一体なぜだったのか?って考えると、やはり正統派ヒロインのカウンターとしての悪役令嬢の価値が見直されたからだと思うんです。ハイスペックで性格も良いヒロインのバリエーションが出尽くしたことで、偉そうで性格も悪いドン底キャラに転生して一発逆転、幸せ掴むぞ!という路線が出てきた。悪役令嬢属性って、いわゆるダメスキルなんですよね。でもダメスキルからの下剋上こそカタルシスだし、何にも期待されてないからこそ、そこに自由があるわけです。

今の社会って、責任が増えるほど、品行方正を求められ、社会的ポジションを固定されて、みんな口からゲロ吐きそうになっている。

そんな息苦しさをあざ笑い、王道ルートを蹴散らしつつ、なんも背負わず生きていくという欲求の具現化が悪役令嬢だと思うんですよ。加えて「罵倒するほどキャラが立つ」なんて夢のようじゃないですか。イジメやパワハラが本分のキャラなんて、現代では悪役令嬢以外あり得ないですよね。

ハーレーもそんな悪役令嬢みたいなイメージがあるバイクだと私は思ってます。だって、ハーレーだけのコミュニティ作って、国産と明確に差別化し、性能を棚に上げて「ホーホホホホホホ」と高笑いしながら国産を下に見るみたいなところがあるじゃないですか。

昔国産に乗ってたときは、「こんな低スペックでイキるだけのバイクなんて絶対乗らねぇ!!止まらねぇし!」って思ってたし、イメージも正直良くなかった。でも、バイクを降りることを考え始めて「最後の記念に乗っとくか?」って、お店に勧められるままにダイナを購入したのが38歳の時。そこから今まで長い付き合いになっているんですから、人生ってマジでわからない。

高笑い2.2
(ダイナの「悪役令嬢」ムーブ。偏差値が低いヤンキーなので、上流階級的なスタンスはかなり無理があるって描いててわかりました。)

ハーレーって買うとわかるんですけど、外に向かっては偉そうに高笑いしてるけど、乗り手に対しては、裏表のない日常的で朴訥なバイクなんですよね。

歳をとると、「刺激」から「楽」に流れていきますけど、ダイナって楽に流れれば流れるほど、本領を発揮する「悪の権化」ならぬ「楽の権化」みたいな存在です。

ポジションを完璧なる殿様乗りにあわせてあるので、乗ってて体が楽なのもあるけど、メンタルがとにかく楽なんです。

高笑いp2.2
(他バイクからのハーレー評。悪役令嬢表現は、ヤンキー気質やバイオレンス気質がネックとなるようです。)

常々思うんですけどバイクって、性能が高ければ「楽」できるってわけじゃないんですよ。確かにある程度のところまでは性能が高い方が楽だし、他人との強烈な競争意識があるときは、バイクの性能に依存しつつ蹂躙するのは、あきらかに楽な解決策ではあります。

遙か昔、私がCBR900RRを購入したのも

「蹂躙、遊びの感覚で」

を求めた結果でした。まだ大型免許が国家的迫害を受けていた時代、街中のバイクはほとんどが中型で、その上限は59馬力。そんなときに加速に全振りしたフルパワー124馬力はシグナルグランプリの蹂躙性能としては群を抜いていた。しかも、初期型のトリコロールカラーは「CBR400RR迷彩」で、「ユニコーン・ガンダムがジムに擬態している」状態だったのです。


cbr900rr
(こちら自称「新目白通りの白い悪魔」、初期型CBR900RR。東京を離れるまで同じバイクを1台たりとも見なかったですね。)

信号待ちで「おっ。ドノーマルのCBR400RRじゃ~ん♡」とナメ腐って隣で空ぶかししてくる小僧共を、鬼のような加速力でクソカス扱いにする(直線限定)のが、当時の私の快感ハッピーセット。もうね。シグナルダッシュでアクセル開ける度に、仄暗いヨロコビに支配されて脳汁が出たものですよ。(今ならわかる。真の「クソカス」は間違いなく当時の私。)

「機体性能で勝つ」ってのは、確かに楽なんです。しかし、それは諸刃の剣。ガンダムを与えられた時点で「モブ民間人も最前線」ってのは、逃れられない世界の宿命。しかも、こっちはアムロやバナージじゃなくって、ジーンやスレンダー並みのザコですので、「主人公機体ストレス」ってもの凄くあったんですよね。

もし900RRで中免小僧に負けちゃったりしたら、

「ハッハハハハ!!最高のチューニングは貴様を交換することだ!」

って罵られそうだし、勝っても

「そのバイクの性能のおかげだということを忘れるな!!」

って毒づかれる。こんな悲しいことあります?勝負に勝つのは機体任せで何とかなる反面、最強機体であるが故に「勝負の舞台から下りられない」という無間地獄がそこにはあった。

そんな常在戦場状態に耐えかね、私は逃げるようにZ1300に乗り換えて、バイク版「マツコ・デラックスな世界」に旅立っていくわけなんですよ。


z1300
(CBRのストレスに耐えかね、逃げ込んだ先は基本設計1979年で300㎏オーバーの6気筒というのがなんとも皮肉な倒れ込み。でもこのとき味わった6気筒の快感が忘れられず、それ以降ずっと車かバイクのどちらかで6気筒を所有し続けるという病気になりました。)

「いやいやいやいや俺はスピードは出さないし、SSも選ばないし、そんな例え話は極端でしょ?」っていう人もいると思う。そんな性能にこだわらないという人にとっても、バイクは軽い方が「楽」なことは間違いありませんよね。バイクという不安定な機械においては「物理的な楽さ」が「精神的な楽さ」に直結しますから。でも、軽い車重とコンパクトな車体を維持したまま、大排気量にステップアップしていくと、結局、性能の天井にいきついてしまう。価格対効果の問題もあり、排気量に比例してスピードがインフレしていくのは、もうどうしようもない。このため、ステップアップしていくと多かれ少なかれ「高機動ストレス」を背負うことになるんです。

そういう点では大排気量車(特にリッタークラス)って、乗り手に「エンジンパワー&ハイスピードという圧」を常にかけてくるカテゴリーともいえる。しかし、この王道路線に逆らっているのが「悪役令嬢」たるハーレーの真骨頂。

だってビッグツインスポーツのダイナですら300㎏以上あるんですよ。スポーツしようにもあまりにも大きなハンデを背負ってる。しかし、この大車重は主人公になりたくないバイク乗りにとって、他者との戦いから離脱して、マイペースで走るための言い訳になってくれる。

なんせ国産スポーツと100㎏も差があるとなれば、自分の技量不足を棚に上げ、責任を「全部車重に押しつける」ことができてしまう。そう、悪役令嬢は敗北エンドが既定路線。敗北がデフォルトだから、なんら精神的な負担がないんですよね。

とにかくコレまでの国産に求めてきた価値観や積み上げてきた価値観を、一旦全部肩から下ろせちゃうってのがハーレーの素晴らしいところ。ハーレーって価値が「自己実現」と「旅」に特化していて、その形って時代が進んでも変わらないから、性能アップしても速さの面でインフレを求める心がほとんどおきないんです。

今のミルウォーキーエイトって速くて乗りやすいけど、私の中で性能の向上が必ずしも魅力に繋がらず、「ずーっとダイナのままで別に困らないんだが?」ってことになっている。「やっぱハーレーはショベルだよね!」っていう意見も耳タコだけど、AMF時代に作られ、もはや旧車となったショベルに、丈夫すぎるダイナの代わりができるとはどうしても思えない。なんだかんだと付き合いが古くなって、馴染んできた旅の道具って、こっちも使い勝手を熟知してるから、使い古した革のキャリーケースを買い換えられないのと同じ理屈でずーっと手放せない。

そんな私はダイナを抱えたまま、悪役令嬢ものでは完全なる都落ちルート入っているといえるでしょう。悪役令嬢って、断罪ルートフラグをへし折りまくりつつ、表舞台で華々しく成り上がるパターンと、予定通り断罪されて都落ちし、辺境に引っ込んで楽しく没落人生を送るパターンがあるんですけど、私は成り上がりルートから都落ちルートに流れていった典型ですね。

最初3年くらいは一応華やかな表舞台を楽しんだりはしたんですよ。でも、早々に社交界から脱落。一人寂しく辺境のバイク小屋にこもって14年ほど経ちます。陰キャのソロライダーってみんなでワイワイやる「楽しさ」を求めてるんじゃなくて、一人だからこそ得られる「自由や、楽さ」を求めてるから、必然的にそうなるんですよね。

ハーレーは、乗り手が外部に向けてアピールすることに疲れて、内に閉じこもっていく「都落ちルート」を選んでも、そこでドスコイと受け止めてくれる懐の深さがある。その点も転生悪役令嬢っぽい。その手の令嬢はガワは派手だけど、中身は働き過ぎて命を落としワーカーホリック庶民ですからね。辺境に引っ込んでも「バカみたいな筋肉と肺活量でタフに生きる庶民派」になれるんですよ。そんな相反するキャラクターが、一つのバイクに両方存在してるから、陰キャも陽キャも幸せになれる。

広報やYouTubeではそのほとんどが成り上がりルートですけど、そっちは社交界での自己演出がメイン。華やかに着飾りたくなるし、そのために大量の着せ替え資金が必要になる。

私も最初はハーレー・コミュニティに属していて、それに触発され、ドレスアップやカスタムペイントなどをしたのですけど、やっぱ何十年もボッチやってた人間って根が暗い。だから華やかな社交界にいるとだんだん窒息するんですよ。

で、バイク小屋に引きこもってみると、バイクと私の関係だけが世界の全て。これが精神的にメッチャ「楽」なんですよ。ポジションも「楽」だし、性能も「楽」、総じて付き合いが「楽」。かつて忌み嫌っていた「クソ四重殺」が「楽の四重奏」を生んだといえる。なんせ重い以外、リッターの苦行がほとんどないんですから。そうなると、こっちもどんどん楽に流れ、ダイナに求めるものが、これまでのステージ衣装から、「ジャージ的なもの」に変化していきます。ドレスアップは一切しなくなり、インジェクションチューンで低回転の底力を地味に増やし「バブ味の向上」をやってみたり、サス交換で「尻の喜び」を追求したり、カスタムの内容も内向きになってしまった。そして、この「ガワ手つかずで中身は快楽仕様」というカスタム路線は今も多くのバイクで継続中です。

私の「目立つことなくひたすら楽をしたい」という欲望をモロに受けたダイナは、途中から辺境で珈琲だけ背負ってダラダラ過ごすスローライフ要員となり、長年かけて「ジャージのようなバイク」になってしまった。社交界の地位も名誉も全てを手放し、ジャージを着込みにいったキャラって、最初からジャージのキャラとはちょっと仕上がりが違うんですよ。

一部の人にとって、ジャージはもはや単なる部屋着ではありません。それは、寝巻き、作業着、ゴミ出し、コンビニ往復などの日常作業を全てまかなえる戦闘服であり、「着替える」という人として最低限の基本動作すらかなぐり捨てて、楽へと逃げた者だけがたどり着く最終装備なのです。

今更、ジャージ着て、隣であくびしてるニートな悪女について、何か珍しいこと語れっていってもそりゃあ、難しいってことなんです。




話すことがない3.3
(腰上までならどのキャラでもソラで描けるんですけど、全身絵を描いてこなかった弊害で、各キャラの膝下はまったく記憶してない。ヴィーセなんてスカートになったりズボンになったりしているし・・なお、描いてて一番楽なのが、やっぱダイナです。)