いや~、日本全国のCB警察の皆さんに逮捕されるようなトンデモないお題ではじまってしまいました。おそらくこのブログが終わる頃には、「異端書執筆罪」で火刑に処せられているおそれがあります。となると、これが私の最後のブログになるかも・・。

まぁ冗談はさておいて、現在、私はCB1100EXとCB1300SFというCB姉妹を所有しており、コイツらをネタにしてブログを書いておるのですが、いつも感じていることは「CBとはなにか?」っていう体系的整理が「自分の中で、まったくなされていない」ってことなんですよ。

自分にとってのCB1100EXとCB1300SFが何であるのか?ってことについては語れる。しかし、CBについては、全然わかっていない。CB1100だけのときは、「そんなもん知らんがな(笑)」って思っていたけど、CB1300が追加されて、「CBオーナーとして、俺はそんなことでいいのだろうか?」っていう疑問がフツフツと湧いてきてしまったんですね。

実際、「GLとはなにか?」って聞かれれば、一応初代GL1000から現在までの流れを、ある程度ご説明する自信はある。テキスト叩くにしても、多くの人の頭の中で「GL?ああ・・ホンダの巨大ツアラーね。」みたいなイメージ固まってるし、エンジンだってずーっと水平対向だし。その点で語りやすいんですよ。

でも「CBって何?」って聞かれるともはや訳がわからん状態になってきます。ホンダの公式には、「C」は「MOTOR CYCLE」から、「B」は「for CLUB MAN RACER」の意味として伝えられている~~なんて書かれていますし、他には「Creative Benchmarkの略である」との説もある。これについては「基準器」というより「常に新しく、かつ普遍的な基準を作る存在たれ」って解釈した方が現代のCBのバイク作りに近い気がしますね。

しかし、そのような言葉の定義でCBの全体像がつかめるのか?っていうと、CBレベルになるとそんなんじゃダメな気がする。だってCBの意味ってそれを背負ってきたバイクと、それを駆った乗り手達が作ってきた歴史的に依存するところが極めて大きいと思うからです。しかも、長い歴史の中で、それらは各バイク乗りの中でバラバラになっちまってる。

例えば私は1990年代色が強いバイク乗りだから「CB=直四」のイメージがガッチガチで、「直四でないCBなんて・・」って思ってました。でも、今のCBはそんなことないし、歴代CBを掘ってみてもエンジンなんてもうバラバラ。気筒配置は全て直列ですが、単気筒から6気筒まで3気筒以外はほぼ全部ある。

「はぁ?6気筒って?CBXはCBじゃないんだが?」

はい、今何人かがツッコミを入れましたよね。

そう、こういう面倒くさい人達が出るのがCB。でもね。CBXはホンダがCBシリーズの国内累計生産台数をカウントするときに「CBXを含むけどCBRは含まないっ(2010年CB1100プレスインフォメーションの記載)」ってしてるし、1992年のBIG-1の開発資料の中ではCB750FOUR、CB900F、CBX1000、CB1100Rの4台を

「フラッグシップCBの系譜」

として並べてるんですよ。こんな誤解を生むのは私のせいじゃないんですよ!!ホンダの名付けがややこしいのが全部悪いのっ!!(ブチキレ)

ファンにしろアンチにしろ、CBというネーミングには多くの人が何らかの思い入れを持っているから、根拠がない適当な意見には大概ツッコミが入る。何を書こうが「生温かで優しい目線しかない」HAWK11とは全然違うんです。

ではどうするか?

「よろしい、ならばネタ化する!!」

ということで、今回は歴代CBを斜め上から、ネタに全振りでお送りする。名付けて「大乗仏教CB論」であります。

「なぜ大乗仏教?」

そりゃあ、アナタ。CBはモトグッチみたいな「一部の変態修行僧向けのカルト教団」ではないですから。大乗仏教とは、悟りを一部の修行者だけのものとせず、あまねく衆生の救済を目指す仏教思想。走り屋やマニアだけの限定的救済を目的としていないCBと相性がすこぶる良いんです。あと、大乗仏教は体系や分派が限りなくデカくて、長~い歴史があるから、CBに当てはめやすいんですね。ただ、全部のCBをご紹介はできませんから、ここでは、1950年代から1990年代の初期まで、私が重要と思うモデルをピックアップしてお送りします。

それでは、まずは教義爆誕から行きましょうか!!はいこちら!

第一展示 1959年「教義爆誕」

ベンリイCB92(こちらホンダのコレクションホールに対抗し、とんでもねぇ企画展示ではじまりましたぁ!)

通称「ベンスパ」です~。ホンダといえば本田宗一郎がその教祖であることは誰しも認めるところですが、その宗一郎が作った最初のCB。つまり釈迦が唱えたCB教の「第一教義」です。当然ですが、デザインにも機構にも宗一郎イズムが満載。 最初のモデルにして、ホンダが執念を燃やしたお家芸「4ストローク・高回転・高出力」の教義が確立されており、この後に続くモデルはその教義の発展形といえます。後に出てきたCB750FOURが、あまりにも有名なため、あちらが開祖と思われがちですが、開祖は並列2気筒125ccのこっちで間違いない。


第二展示 1965年「アショカ王。世界布教のはじまり」
cb450

続いてはCB界のアショカ王、ドリームCB450です。アショカ王は熱心に諸外国に仏教を広めた王様ですが、CB450は小排気量帯で実績を積み上げたホンダがいよいよ大排気量で、世界のパワーウォーズに挑んだモデル。トーションバルブスプリングというド変態かつクレイジーなDOHCヘッドを採用し、他社の650ccクラスと同様の性能を発揮させるという力の入ったモデルでしたが、欧米勢の牙城を崩すところには至らなかった模様。デザイン的にもタンクが「ラクダの背中」と揶揄されるなど、アメリカ民の心をとらえたとはいえなかった。しかし、このモデルの苦戦がホンダを本気にさせてしまいます。

第三展示 1969年「弥勒菩薩降臨」

3.CB750four

CB乗りが誰しも崇める真打ちがここで登場。CB450の苦戦で開き直ったホンダが禁断のレーシングスペックを市場に投入。CB教を世界に爆発的に普及させた弥勒菩薩。それが「ホンダドリーム CB750FOUR」でした。

量産車初の並列四気筒や量産二輪車初の油圧式フロントディスクブレーキという先進的装備もさることながら、それを特別な層のものとせず、市販量産車として大衆のために世に出したことに歴史的な意義がある。それは高度な修行を経た人々だけでなく、全ての衆生に施しと救いを与えんとする大乗仏教思想そのもの。もうね。「こんな大きいバイク、誰が乗るんだ?」という本田宗一郎の大乗コメントがハマりすぎです。

その後、カワサキ、ヤマハ、スズキも同じ道を歩み、「国産四気筒系」という一大宗教派閥を形成し、欧州一強だった世界の高性能バイク勢力図を一気に書き換えていくことになります。


第四展示 1970年「融通念仏宗・単気筒CBの誕生」
4.CB90

CBは2気筒、4気筒だけにあらず。世界戦略車CB750FOURの翌年に生まれた単気筒CBの開祖がこちら。ベンリイCB90であります。世界を震撼させた大排気量四気筒CBの翌年に小排気量単気筒CBを出すという両面作戦。当時のホンダCBの教義「4ストローク、高回転、高出力」は単気筒でも健在。90ccながら、CB750FOURを想起させる堂々たるスタイリングと、2ストロークのライバルに対抗すべく10,500回転で10.5馬力を叩き出す高回転型縦型エンジンを搭載。エイプのエンジンのご先祖ですが、Ape100が6.3馬力であることを考えるととんでもないハイチューン。融通念仏宗には、ひとりの念仏がすべての人につながり、すべての人の念仏がひとりにつながるという「一人一切人、一切人一人」の発想がありますが、このCB90をあえて言うなら「一つの単気筒が、すべてのCBにつながり、すべてのCBが一つの単気筒につながる」という「単気筒一切CB、CB一切単気筒」の思想がみてとれるといえるでしょう。

第五展示 1974年「四気筒密教」
5.cb400four


CB750FOURで実現した市販四気筒の功徳。それを小型化したのがCB400FOUR、通称ヨンフォアです。まさに

中排気量四気筒の先駆け

しかし、登場当時はまだ中型免許区分がなかったため、コンパクトで乗りやすいけど、総排気量408ccという中途半端さは、「オィィィイイ!!なんでこの排気量で4発を出しちゃったの?」という感覚で受け止められた。加えて、他社の主力2スト勢に対して、高額かつ性能も突出したものではなく、イケイケの時代には、いかにも苦しかったのです。販売の翌年には大型バイクの免許規制も導入され、400ccがその線引きとなったため、408ccのヨンフォアは急遽398ccへ・・という目も当てられないこととなり、僅か3年で生産終了。

しかし、まだ2スト全盛だった中型クラスに、4スト四気筒で単身乗り込んだところに、4ストを普及させんとするピュアな教義がみてとれる。

なお、ヨンフォアを翻弄した免許制度の改正によって、大型クラスはこれ以後暗黒時代に突入し、日本では「400ccという天井を填められた競争」が勃発。数年後には中型クラスでマルチ信仰が大輪の花を咲かせるわけですが、ヨンフォアが布教をはじめた時には、まだ信仰の母体が存在しなかったんですね。

時代に恵まれなかったヨンフォアですが、その精神性や、精緻さ、佇まいの美しさは当時のバイクとして頭一つ抜けており、後年にその価値が高く評価されていきます。生前は不遇でしたが、その理念の高さと、強いこだわりにより、後世にその文化的価値が大きく見直された、密教芸術と呼ぶにふさわしい存在です。

第六展示 1977年「日蓮宗・一乗信仰」
6.hawkⅡ

ヨンフォアがディスコンになった年、これに代わり新たなCBが登場します。ショートストローク3バルブの並列二気筒という法華経を唱えた「CB400T(HAWKⅡ)」です。ツインでありながら前述のヨンフォアよりも馬力が出ているという生粋のスポーツユニット。

「究極の教えはCBの原点である並列二気筒であり、やがては全てがその道に至る」というエンジン一仏乗を説きました。もうね。コイツがいないと80年代~90年代の中排気量以上のCBは「四気筒名車列伝」みたいになっちゃいかねない。HAWKⅡは「CBのエンジンの多様性」を定義する上でも、CBの歴史上欠かせない存在なのですよ。

わかりやすく力強い出力特性で、庶民や都市部の若者に浸透、声(音)がデカく、後世に二気筒CBの分派を数多く生んでいくという点、「バブ」、「ヤカンタンク」、「吸い込み音」など、独自の信仰様式を生み出した点で、日蓮宗がふさわしいと思います。

第七展示 1979年「禅宗誕生」
7.CB750F

通称「エフ」。多くの峠修行僧を生み出した禅宗の開祖。日本では1978年から鈴鹿8耐が開始され、ロードレースブームが盛り上がりつつありましたが、その黎明期に登場して熱狂的な人気を集め、80年代前半の大型バイクシーンを代表するCBとなりました。

流れるような優美なボディラインは禅寺の枯山水を思わせる一方、武闘派耐久レーサーRCB1000のレプリカとして、速さに没入する禁欲性をみせるなど、禅宗との共通点が見て取れます。

この頃からバイク界にも「峠で厳しい修行をし、悟りに至るべきである」という、武家的な思想体系が生まれ、若者の経典と呼ばれた「バリバリ伝説」では「CB界の上杉謙信」とも称される「巨摩郡」の愛車となり、後世まで語り継がれていきます。

なお、私が限定解除する際に通っていたライディングスクールの教習車が、メッチャ使い込まれた「エフ」でした。当時私の愛車だったNSR250に比べると100㎏近く重いはずなのに、操作に対する応答性は、その重量差を感じさせないほど清々しかった記憶があります。この機体と共に、ストイックに限定解除試験に挑んだことが、私の中での禅のイメージに繋がっているのかも。

第八展示 1981年「盧舎那仏」
8.cb1100r

CB1100Rはそれまでのホンダの空冷四発の技術体系を全て1台に詰め込んだ偉大なる存在で、まさに東大寺の「盧舎那仏」に例えることができるでしょう。

ホモロゲーションモデルとして、ワークスマシンの技術を惜しみなく投入し、レースで勝利するために造られた特別なCBであり、専用エンジン、セミ鍛造ピストン、アルミ製燃料タンク、単座シート、そして巨大なFRP製カウルを装備し、快適性や大量普及よりも、ホンダの技術と威信を目に見える姿にすることが優先された結果、「究極の空冷CB」にふさわしい存在となりました。

しかし、価格的にもデザイン的にも、これまでのCBに比べてあまりにも「スーパーカー的」であり、私のようなモブにとっては、乗った瞬間に「バイクの威厳が下がりかねない」と思わせるものとなっており、大仏のように遠くから拝むCBという印象ですね。


なお、80年代半ば頃から、ホンダのレーシングエンジンはV4に移行。スポーツグレードとして新たにCBRが誕生し、CBはレーシングスペックとは離れ、別の布教の道を模索していきますから、ホンダのスーパースポーツ系最後のCBとしても展示したかった1台です。


第九展示 1992年「浄土真宗」
9.cb400SF

はい、こちら中型クラスでホンダを長年支え続けた名車中の名車。CB400SFです!!

➀普通二輪免許で乗れるとっつきやすさ
②中型教習車として大量の門徒を育成
③初心者から熟練者までを満遍なく救済
④長期間にわたってCBの教義を維持
⑤日本中どこにでも車体(寺院)がある
⑥ジャパニーズネイキッドの様式美と民草に与えた信頼感

これはもう、日本最大級の檀家数を抱える浄土真宗以外にありえません。

難しいライディング技術も、特殊なスキルも必要とせず、ただ念仏を唱えるようにアクセルを開ければ、揺りかごから墓場まで誰にでも救いと悟りが訪れる。16年連続中型クラス販売台数1位の圧倒的布教力で、近代CB大乗仏教思想の象徴ともいえるモデル。穏やかに走れば日常の足。開ければ一向一揆よろしく、ハイパー・VTECが下手なナナハン大名すら討伐する。

決して派手ではありませんが、熟成とブラッシュアップをひたすら続ける求道的姿勢により、どんな民草にも寄り添う汎用性と、バイクとしての懐の深さ、機械的完成度と信頼性の最良のバランス点を目指したところに慧眼がある。

クラス最速や、最強ではないですが、「普通の人が乗って一番幸せになれるCB」という答えのない命題に挑み、そんな地味すぎる価値観を実現するために、多大な労力と物量がつぎ込まれています。この世の数多あるバイクの中で、スーパーカブと並んで、私が「文句のつけようがない」とひれ伏したくなるバイクの一台で、CBが掲げてきた衆生救済の大乗仏教思想のたどり着いた普遍的境地の一つと私は評価しています。


第十展示 1992年「平成大仏」
10.CB1000SF

最終第10展示はCB1000SFです。オィィィイイ!なんでBIG-1プロジェクトの派生モデルのCB400SFの方の紹介が先なんだ!っていう人もいるかもしれませんけど、実際の販売はCB400SFの方が半年ほど早かったし、展示ですから、まとめも必要だろうということで、最後に「BIG-1」を持ってきました。

「BIGー1」っていうと、「ああ、でかくて凄いバイクを作ったんでしょ?」って印象がありますけど、でかくて凄かったのは、1969年のCB750FOURも同じなんですよね。しかし、伝説を作ったCB750FOURは黎明期のレーシングスペックの市販化でした。

また、それ以降のCBの歩みも常にホンダのメンツをかけて4ストローク最強を掲げて戦い抜いたハイスペックな戦闘機でした。日本も高度成長期の競争社会の価値観の中で、そんなイケイケの性能インフレを求めた時代でもあったと思います。しかし、CB1000SF以降のCBは、明らかに別の価値観で歩みをはじめてると思うんですよね。

私はBIGー1は、「近代CBの価値観を再構築して生まれた巨大な思想的母山」だったと思う。1980年代のレーサーレプリカ時代に、最前線でホンダの尖兵となっていたのは、NSRやCBR、VFRという速さに振り切ったモデル達でした。それはまさにクラブマン・レーサー的なハイスペックモデルであり、厳しく激しい修行と、ハードなハンドリングで、速さに憧れる多くの若者を公道レースに駆り立て、少なからぬ悲劇を招いてしまった。特に88年式NSR250Rで「レーシングスペックを一般人に」という大乗思想はもはや行くところまで行った感があり、スピードは明らかに公道での天井を叩いていました。

そんな中、ゼファー400が速さという価値観に疑問を投げかけていましたが、ホンダの中でも「絶対的な速さ」からの揺り戻しが起きていたんじゃないか?って気がするんですよね。

そんな背景の中で登場したのが「PROJECT BIG-1」でした。それは現代のロードスポーツに求められるべき教義を今一度再構築する試みであり、それが形を表したのが1992年に産声を上げた「CB400SF」、「CB750」、「CB1000SF」の3台のCBではなかったかと思うのです。

8.cb750
(こちらは特別展示。1992年に産まれた3つのCBのうちの一台。ホンダ伝統の空冷四気筒ナナハンクラスのフィナーレを飾ったモデルとなりました。)

1992年にこの3台が枕を並べてデリバリーされたことを偶然と片付けるにはタイミングが揃いすぎているし、その全てがロングセラーになったのも印象深いんです。空冷のCB750は約16年。CB400SFとCB1000SFは、時代にあわせてモデルチェンジを繰り返しながら、30年を超えるロングセラー。それは1992年に提示された価値観が、後世まで連綿と受け継がれていったということに他ならない。

当時、レプリカブームで性能がインフレする中、ゼファーの「造形美を楽しみ、ゆっくり走る価値観を見直そう」という提案が市場に広く受け入れられ、このブームに追従した多くのバイク達は、造形美に優れる空冷エンジンを採用していました。しかし、BIG-1の提案はそれとはちょっと異なっていて、「良いバイクの基準を速さから別方面に変えよう」としたものだった気がする。

その結果、支柱となったCB1000SFには、フラッグシップとしての圧倒的巨大さと現代的なデザイン、巨体を自在に振り回せるハイバランスな操縦性が与えられた。それは決して速さを諦めたものではなく、「乗り手が楽しめる速さとは一体何なのか?」の再定義だったように思います。

それまで主流とされていた「エンジンパワーやシャーシ性能に依存した速さ」はバイクが主役で常に過激な方向に振れる。しかし、「操りやすいから速い」は人が主役であり、同じ速さでも気持ちよくなれる方向に自然に振れていく。

そんなスペックシートに出ない操安性能と高い車体バランス、汎用性が現代CBの価値観であり、それが多くの顧客に支持され、長いモデルライフに繋がっていったのではないかと分析しておる次第です。まぁそれを「ホンダはツマラン」の一言で切って捨てるのも簡単ですけど、性能インフレの袋小路を見た後に、たどり着いた普通にはちゃんとした意味があると私は思ってます。



ということで、今回はCBの歴史を大乗仏教になぞらえて、ネタにしてみました。

展示の解説で述べたように、私の中では「1992年より前か後か」で、CBのイメージが大きく違うんですよね。まぁ私は1990年代以降のバイク乗りですので、それ以前のCBは、噂に聞くしかないんですけど、とかく武勇伝が多いんですよ。コレクションホールで見てても、80年代までのCBは常に何かを背負っていて、機械的な緊張感を漂わせてる。でも、1992年以降のCBはどこか優しくって、丸いんですよね。

それは「バイクシーンで1番高性能なバイク」から、「10年後にも良いと言われるものを目指し、普遍的な本質を備えたバイク」という方向にスタンスを変えたからだと思うんですよ。CBのネーミングのもつ意味が、「クラブマン・レーサー」から、「クリエイティブ・ベンチマーク」に変わったのだとしたら、その転換点は1992年ではなかったのかなと。

そんな私が考えるCBの変革って、なんとな~く、スピード狂だったバイク乗りが行くところまで行って、バイクに対するスタンスを変えていく過程に似ている気がするんですよね。私にとっての転換点は「ダイナという異邦人」で、それ以前と以後で、速さに対する考え方がまるで違うし。


そう思うと、年を取って丸くなっていくのは、企業も人間も同じなのかもしれませんねぇ(笑)




(オマケ漫画「ファイナル☆ウォーズ」)
阿弥陀5.2
阿弥陀P2.2
(ファイナル商法で浄財をかき集めまくったCB姉妹、エグい。特にCB1100は予定していた浄財を2週間で集めきり、その後はひたすらプレミア化。これまでホンダがファイナル・エディションを設定したのは僅か3台。「CB1100」、「カブ50」、「CB1300」です。こやつらを私は「終活ビジネス三姉妹」と呼称したい。)