先日、ブログのネタ出しを求めて、Yahoo!知恵袋などをアラアラと見ていたら、「CB1100EXは見ている分には最高だけど、乗るとつまらない」というカキコを見つけたんですよ。

昔の私なら、

「ハァァァァァ?」

「ナニィィィィイイ!」

「ケシカランゾォォォオ!!」


などと腕をロボコンパンチのように回転させ、突撃していったのかもしれません。しかし、今の私はパソコン画面の前で「ほほぉ・・」などと顎をさすりつつ、「見ても乗ってもつまらないと言われるよりマシではないか・・」などと、ひとり静かに頷いている。55歳にしてようやく大人になったことを実感できましたね。

まぁ、この手のカキコを冷静に受け止められるっていうのは、私自身が

「1㎜たりともそう感じていない」

からでもありますが・・。

このように、他人様と自分の間には分厚い価値観と感覚の壁があって、向こうの世界もこちらの世界も、「どちらも世界線として正しく存在している」のです。ただ、CB1100については、他人様が「つまらない」ってのたまう理由も、よーくわかるんですよね。その点については私なりに答えを出すことができそうだにゃ~・・ってことで、今テキストを叩いているわけです。

CB1100EXに対する「つまらない」って評価を、なぜ私が理解できるのか?それは、若き日の私だったら「間違いなく同じ結論になってただろうな・・」って思うからです。

実際、私は1992年当時、新発売されたゼファー1100を「スゲェつまんないバイク」とか「おっそ」って言い切り、まったく相手にしてませんでしたから。それがヤフー知恵袋で展開されてるCB1100への意見と完全にデジャブっちまってるんですよ。

同じバイク乗りでも年齢や経験によって意見が大きく変わっちまうわけだから、バイクや消費にそもそも「正解なんてない」ってことはもはや明白。

このお方の

ララァ「人は変わってゆくわ」

という名言を前にして、個人の時々のバイク評価など、ある特定の時間軸を切り取った戯れ言にすぎないのです。

話は変わりますが、わたくし数年前に京都でお高い湯豆腐を食べたのですよ。その豆腐専門店は、古い日本家屋で6000円くらいの湯豆腐コースを出しておりました。

昔ながらの湯豆腐って肉や魚のエキスに頼らず、豆腐そのものの味で勝負しているから、今の華やかな料理の味付けと比べると、いかにもパンチがないというか、刺激が薄いんですよね。

豆腐を現代風に美味しくしたいのなら、バターで焼くなりグラタン風にするなり、いくらでも方法はあると思う。でも、それをやってしまったら、もはや「京都で味わう昔ながらの湯豆腐」ではなくなってしまいます。6000円という価格は、豆腐そのものより、日本の食文化の原点に触れる体験に金を払っている部分も大きいんだと思うのですよ。

だから食べる側にも、それを積極的に味わおうとする姿勢がいる。人が汗水垂らして作った豆腐と3パック100円の豆腐との違いを自分から拾いにいかないと、6000円払って、

「うむ。豆腐である。」

「間違いなく豆腐」

「豆腐以外のなにものでもない。」

って感想で終わりかねないと思うんです。

そんな豆腐を食して理解できたことは、ジャンキーなマックフライポテトが大好きな私には、高級豆腐店の雰囲気は分かるけども、味の違いはさしてわからん、ということでした。今の豆腐と「ナニカチガウ・・」という漠たる感想を胸に抱きつつ、「ワサビ醤油で食う3パック100円の冷や奴の方がうまいんじゃがぁぁあ!!」(←バカ舌)という悲しいオチになっていったのです。

そんな世界をリッターバイクでやらかしてくれたのがCB1100EX。もうね。スペックだけ見れば何の特徴もないですからね。パワーは排気量半分くらいのCB650Rの方が出ちゃってるわけだし、車重もそっちの方が圧倒的に軽い。それに加えてホイールはスポーク、タイヤは前後ともチューブ。「なぜ今の時代にこんなのに140万円も払わにゃならんのだ!?」って疑問を抱く人がいても全然不思議じゃありません。この時点でもう「超高級☆湯豆腐感☆」が漂っております。

CB1100は当初、「空冷スタンダードネイキッドの系譜を受け継ぐモデル」として登場しました。そして、2014年に、より伝統的な佇まいを強調したEXが追加されたんですよね。このEX、ただでさえ重かったCB1100の車重をさらに13㎏かさ上げし、マフラーを2本出しにして、スポークホイールとチューブタイヤを採用と、わかりやすい性能については、スタンダードからさらに1レベル後退したのですよ(笑)

もうね。フォームチェンジで弱くなるって滅多にないですからね。つまり、CB1100EXは性能を脇に置いて、ホンダの源流や伝統を検証し、その佇まいや時間感覚を現代に再現しようとしたモデルであり、性能を向上させたのではなく、エモさの向上を狙っているわけです。

「なるほど、お前はEXに元祖CB750FOURの面影や、70年代を求めたのか・・」

って感じる人もいるでしょうけど、そこは同じようで微妙に違う。私の選択には「旧車特有の苦労を背負わず、その疑似体験を楽しみたい」という不届き千万さがあるんです。私がこれまで所有した中で、最も古いバイクはZ1300なのですけど、これは基本設計が1979年。超お気に入りだったんですけど、最終的にはエンジンがかからなくなり、カワサキのファクトリーに出した際、「半年以上待ちますが?」「修理費もいくらになるかわかりませんが?」って言われて、泣く泣く手放しているんです。

古いバイクってパーツも時代に応じて古いから、普段使いしようとすると、かなりの不安がありますよね。豆腐だって江戸時代まんまの衛生状態で出てきたら「オィィィイイ!!」ってなりますけど、古い料理を食べるにしたって、さすがに衛生管理は現代基準を求めたい。バイクも同じで、現代の品質管理の下で、過去を楽しむ、という下心丸出しの選択が合理的なんです。

CB1100EXは、そういうワガママなニーズをかなえてくれる特殊で希少な一台だったのですが、乗ると確かに「現代の大型バイクが手放しちゃったものが込められてるな・・」って感じる。うまくは言えませんけど、それは昔の時間感覚というか、バイクとの関係性というか、なんかそんなものです。

バイクからの刺激は少なめなので、最初は薄味に感じるかもしれないけど、乗ってるうちに、「これまで刺激を浴びすぎて、自分の感覚の方がバカになったのかも・・」って思えてくるから不思議。

「うーん・・この感覚・・どこかで・・」って思い返したときに、浮かんだのが「京都の湯豆腐」だったんですよね。

湯豆腐紀行
(CB1100との旅はまさに湯豆腐紀行。欲望の塊ともいえるリッターバイクで、「欲を捨てられるか?」という命題に挑んでいく意味不明さがたまらない。)

現代のリッタークラスって「カロリー爆発でギルティ」なものが多いじゃないですか。パワー&トルクや便利装備を盛りに盛って、デザインもインパクトがあって、座っているだけでバイクがどんどん先導してくれて、適当なアクセルワークでも電スロで補正入って、常に走りは最適解。バイクが提供する価値がもの凄く大きいから、乗り手は受け身でも十分楽しめちゃう。

そんな現代のバイクに対して、CB1100EXには、速さも、強烈な鼓動も、奇抜な構成もない。つまり、「このバイクはここが凄いです!」という積極的アピールが用意されていないんですよ。でもホンダは空冷エンジンを新規開発してまで、そんなバイクを出してきた。これって、

「あなたはこういう価値観をどう評価するんですか?」

っていう乗り手に対する逆アプローチになっているんですよね。このバイクが投げかけてくる問いに、自分なりの答えを出そうという意識がない人にとっては、このバイクは単に「クッソ重くてデカくなった400」みたいな存在だと思う。昔のゼファー1100も、インフレしていくパワーウォーズに対し、そんな問いを投げたバイクだったのでしょうけど、当時の私はその声をまったく聞くことはできず、同年に発売されたCBR900RRの方に飛びついてしまった。

こういうものって、リッタークラスでギルティな世界観を食べあさってからじゃないと、なかなか評価できないと思うんですよ。ハーレーも十分に遅いですが、あれはアメリカという異文化からの刺客ですから、割と受け入れやすい。でも、CB1100EXは慣れ親しんだ日本製バイクの姿のまま、まったく正反対の価値観で殴ってくるから、「なんじゃぁぁぁこりゃぁぁあ!!」っていう人は当然出てくると思うんですよね。

私がCB1100EXを理解できるようになったのは「ギルティなバイクにそこそこ飽和した」からでしょう。最近はロボットアニメや特撮なんかでも、戦闘力のインフレが極まる中、最終回で初期機体が出てきて敵のボスにトドメ刺すみたいな演出がありますけど、なんかあんなイメージですよね。ハーレーに乗ったとき「これ子供の時に乗った耕運機じゃん」って思ったけど、人のインフレ嗜好にとどめを刺すのは、やっぱ原初的体験なのかもしれない。

「それならGB350とかエンフィを買えばいいじゃない。そうすれば、より肩の力を抜いて、平和な世界を味わえるでしょ?」

「カブ110を選べば、スローライフと、インフレからの完全解脱、原初体験の全てが味わえるんじゃないの?」

っていうご意見もあるでしょう。あのね。そんなことはわかってますよ。

私みたいな面倒な奴は、それができないから大型バイクに囲まれてるの。

遅さは受け入れつつも、抜こうと思えば抜ける刀をまだ脇に差しておきたいの。

刀を手放すどころか、ゾロみたいに何本も差してると安心なの。

で、そんな奴が「フン・・戦いなんて・・不毛・・」なんて言ってるんですよ。もうアホかバカかと。リッターバイク乗りが遅さを語るって、私が言うのもなんですが、完全な欺瞞なんですよ。もうね。死んだふりみたいなもんですから。CB1100EXだって、クソ重の90馬力とはいえ、ガバ開けすれば平均以上の暴力性が十分に備わってますからね。でも、カブ110になると、どんなに開けても軽トラと覇権を競う世界になり、

「ほっほっほ・・この鍬こそ我が刀・・」

って言いながら農耕してる感じになってしまう。実際、畑を耕す晩年の宮本武蔵と、ガチ農家のじいちゃんって、やってることも、見た目もほぼ同じで、しかも作物は農家の方が絶対にうまい。そこにあるのは過去の悪行の自己否定みたいなもんですが、「・・それこそが我が贖罪・・」って割り切った先に、真の解脱や悟りの境地、ニルヴァーナがある気がするんです。

でもね。そんな境地にほとんどの人が行けないんですよ。少なくとも私は行けない。テキストで「ぼくがそうぞうしたさとりのきょうち」を書くだけで悟れるのなら、私はもう宇宙大魔神になってますよ。

そんなややこしくも面倒臭いバイク乗りたちの、貴重な宿り木。価値観の踊り場。現代の湯豆腐。それがCB1100EX。素朴さを求めつつも、「本当に素朴なのは嫌です」っていう、アホみたいな矛盾が私のメンタルになんともいえない味わいを与えてくれる。

つまるところ、このバイクに一部の人が感じてる「つまらなさ」と、私が感じてる「たまらん味わい」ってのは、実は同軸上にあるんです。同じモノを見ながら、まったく違った結論になってる。そしてそれは、「性能インフレとは違う価値観」を拾おうとしているか?していないか?っていう乗り手側のスタンスによるもので、過去の自分と、今の自分の、バイク観の違いそのものでもあるんですよね。


まぁ・・私みたいなバカな罪人でも、アクセルを開け続けているうちに、日常や平和を語るようになるのですから、


「やはりララァは正しかった」


つーことですな。


でもね・・。ふと思い返すと、実は私と似たようなことしてるのが、ガンダムの中にいるんですよ。平和な世界と人類の革新を願いつつ、軍備増強、富国強兵にいそしんでる奴が・・。そう、私がやってることって、実はララァというより一番悪い頃のシャアなんですよ。

こういう奴は、ちょっと刺激すると、すぐ偉そうに理想を語ったり、コロニーを落として地球を破壊しようとしてくるので、サイコ・フィールドで別次元に飛ばしておくのが世のためかもしれませんねぇ(笑)





(オマケ漫画「湯豆腐事変」)
湯豆腐
湯豆腐P2.1
(※しび江さん※と☆しび乃☆のハッピーセット。☆しび乃☆は重度シスコンキャラとしての地位を完全に確立しましたね。)