先日X350のディスコンが発表されましたね。これにより、日本におけるハーレーのエントリーは、来年以降、従来通りスポーツスターが担うことになりそうな雰囲気です。
「オィィィィ!一度ディスコンにしたものを復活させるんかい!!」
「電気バイクまで作ってたのに、最後に頼るのは空冷か?」
「エントリーモデルが早期ディスコンってどういうことなの?」
ってことなんですけど、ハーレー、ひいてはブランドというものを理解する上で、これは「象徴的な出来事だった」と私は思うんですよね。
私は過去X350に試乗してますけど、実はこのバイクを「さして悪いバイクだとは思っていない」んです。ハーレーとしてデリバリーされることなく、中国製ベネリで日本に導入されている分には、私はどーのこーの言うことは1㎜もなかったと思うんですよ。
でも、ハーレー・ブランドで出てきちゃったから、その意義について考えざるを得なくなってしまった。一応、この私も17年間ダイナに維持費をツッコミ続け、今回でハーレーのブログ記事数120という、傍目から見りゃ「ガチ信者」なワケですから。
そんな私の視点から見たとき、X350とX500は、明らかに「異端」だったんですよね。
結局、私の中で湧き上がったX350へのアンチテーゼって、「ハーレーにとって異端であること」が9割くらいだったんじゃないかなって思うんですよ。今回は私がなぜそう思ってしまったかを書いていきたいんですよね。日本における早期ディスコンもそれが理由の一つだと思いますから。

ハーレーは私がこれまで散々生き血を抜かれ続けてきた、ブランド商売の王道を征くメーカーですが、私はブランド商売自体を悪いものだと考えておりません。ブランドは所有する人に「強烈な幸福感を与えてくれる」っていう「脳を溶かす効果」があり、その点では非常に魅力的なものだと思っています。やっぱストレスフルな生き方してると「脳を溶かしたい時」もありますからね。
ただ、ブランドマーケティングって「脳が溶けた人に支払能力ギリギリの消費をさせる」ってのがキモになるので、ブランドが採用する販売手法への理解は最低限必要だと思ってるだけ。昔、私自身が他の趣味で、人の形を保てないほど溶けてしまってるので、そこは警鐘を鳴らしておきたい。
ちなみに、ハーレーの企業理念を見ると「モーターサイクルを通じて、人の夢を実現する」って書いてある。他メーカーより優れてるとか、質が高いモノ作りとか、物的性能のことなんてまったく書いてないんですよね。人の夢という観念的なものを価値基準として、顧客とのライフスタイルの充実やコミュニティを重視しているんですよ。
これって販売するバイクを一種のツールとして、「幸福な生き方を目指す」っていう、非常に宗教的な発想だと思うんです。ハーレーの各モデルは、その世界観を象徴するアイコンであり、彼らが売っているのは、バイクそのものではなく、その先にある精神的な充足です。
ハーレーは乗り手に対して、「バイク乗りの幸福とは、性能やスピードではない」という数値と切り離された独自の価値を提示してきました。だからこそ、80年代~90年代にかけて、速さこそ正義という価値観を植え付けられた日本人に、そのアンチテーゼとして爆発的に販売する力があったんだと思うし、私のバイク観すらも変えてしまうほどのインパクトがあったんです。その点で、私はダイナに深く感謝しているし、だからこそ、国産メーカーや一部海外メーカーとは違ったウェットな見方をせざるを得ないところがある。
私から見て、そんなハーレーの哲学に沿ったモデルって
「重くて大きく、性能面では他メーカーとは張り合うことはできないけど、乗り手と強固な関係性を築き、長く愛され続けるバイク。」
ってことになります。
よく「ノーマルのハーレーは素材である」っていわれますけど、ハーレーのカスタム文化も「乗り手と強固な関係性を作る」という考え方に忠実に沿ったもので、バイクと人との親和性を深め、長期にわたる関係性を構築するというハーレーの特性と切っても切れないものなのです。
私にとって「ブランド」は、そんな顧客との約束を守り続けることこそが重要なんですよ。だから、プレミアがつくとか、人気度とかは、まったく評価に関係しないんですよね。歴史の古い海外メーカーは、独自のポリシーを掲げて生き残ってきているものもあるけど、長い時間軸の中で変節せずに生き残るとことは想像以上に大変で、年を食うとそういう気骨のあるメーカーに目が行くようになるんです。
古き良き価値観を守ることをアイデンティティとするブランドって、私の中ではハーレーとモトグッチとエンフィなんですけど、これらのブランドに共通してるのは、空冷という古いエンジン形式を頑なに堅持しているところなんです。
現代のエンジン技術なら水冷でも空冷っぽい乗り味が出せることはトラのボンネが証明しているし、空冷を維持している限り、性能や環境的には、どんどん時代に取り残されていきますが、空冷エンジンにはそのような価値観とは違う世界に存在しているんだと思う。
実際、多くのハーレー好きが、時代に逆らって、古くさい空冷エンジンを頑なに支持するじゃないですか。多分彼らがそこに固執するのは、ハーレーの空冷エンジンが
「顧客との古い約束やこれまで築いてきた信頼がわかりやすく形になったもの」
だからではないかと思うんですよ。バイクにとってエンジンは心臓であり、そのブランドの思想を最も強く内に秘めたものだから、その在り方が顧客にとって非常に重要なものになっているのだと思うのです。トライアンフはそれを現代的に解釈し、水冷に移行するにあたって、エンジンの姿形は絶対に変えなかった。トライアンフの方法論は、
「内部はエアコン付きの快適な現代建築にしても、伝統的な仕立ての教会の外装は一切手を加えない」
というものだったと思うんですよね。内部を水冷にしたからこそ、逆に姿形は徹底的に空冷クラシックスタイルにこだわった。私は水冷の加飾フィンが好きではないけど、多くの人達がそれに惹かれるのは、そのモデルが歴史上、背負ってきた顧客との約束を現代に伝えるアイコンだからだと思うし、それらのバイクの存在意義を考えたときに合理的なエンジン加飾って、やっぱり空冷フィンしかあり得ないんだろうなって、ここ最近は考えていたりする。
このように、一部の老舗ブランドは、昔から継承してきたエンジンや外観そのものが宗教でいう教義化しているんですよね。特にハーレーに関しては、車体構成を変えることが単なる設計変更ではなく、教義が変わってしまうことと同義になってしまっているんだと思うんです。
そんなハーレーというメーカーにとって
「空冷V型2気筒OHVエンジン」
はその核心なんですよ。だからこそ、ハーレーは性能やコストを度外視してでも頑なに空冷を守り続けようとしてきたんだと思う。だって、教義を変えれば信者がついてこないからです。
そんな視点でX350を見た時、あのモデルは「まったく異なる他宗教の作ったアイコンを、ハーレー風にアレンジして引っぱってきたもの」なのですよね。エントリーモデルとしてラインナップのボトムを埋める機能が持たされてはいましたけど、「最初に触れる教えが異教のものでいいのか?」って感じるじゃないですか。実際、乗ってみた感想も、コンセプトも、乗り味も、これまでハーレーが我々に提示してきた価値とは大きく異なるものでした。
ちなみに、時代にあわせて古い価値観の顧客を切っていくのはメーカーの自由でかまわないんですよ。メーカーには商品企画と開発の自由があり、我々にはそれを選択する、しないの自由がありますから。
でも古い価値を捨て去るなら、「それを上回るほどの説得力があり、心に響く価値」を提示しなくては、ブランドは衰退し、消えていくでしょう。古い信者は離れ、新しい信者も獲得できないってことでは、存続するのは難しい。
ここ数年、ハーレーが新しい水冷エンジンで提示した価値は、「開拓」と「生存」、そして「正しさ」だったと思うんですよ。それは過去にはない新しい教義であり、それをかかげて、信者を増やそうとしたことは間違いないと思う。
しかし、それって我々日本のユーザーにとって、そこまで魅力的じゃなかったんですよね。だって、その方向性はハーレーだけのものじゃないからです。国産他メーカーも掲げてきたものであり、ハーレーの愛好家の求めているものとは少し方向性が違っていたと思うんです。特に日本では、レブルが先にその席にドカンと居座ってしまいましたから、ハーレーは後発になってしまった。
そんな苦境の中、今回ハーレーは「Back to the Bricks」を宣言し、X350をディスコンにして、旧スポーツスターを復活させる選択をしました。
その決定は「もう一度古い教義に基づいて勝負する」という選択をしたということに他なりませんが、私はハーレーの古くからの顧客として、それを支持したいと思う。
(落日を迎えたとしても、顧客との約束を守り続ければブランドは残る。しかし顧客との約束を捨て去れば、それはもう新興メーカーと同じです。守るべきは売上ではなく、顧客の信頼だと私は思いますね。)
結局のところ、ブランド同士の販売競争は、教義同士の対立であり競争なんですよ。多くのCEOはブランドというもの自体に価値があるとか、マーケティングに価値があるって考えているのかもしれないけど、そんなもんに価値なんてないんですよ。ブランドの価値って創業当時のエンジニアリング魂と顧客との長きにわたる約束で成り立っていて、それを、与えられた枠の中でどう守っていくのか?それが価値になるのです。
トラは徹底して外観と乗り味を守ることで、それを履行しようとしているし、モトグッチやエンフィは未だにエントリーに空冷エンジンを据えている。そりゃ、いつかは約束を守れなくなるかもしれない。でも、存在が許される限りはひたすらに守り続ける。それが教義ってものでしょう?それを変えたら、もう別の宗教になっちゃうんだから。
モトグッチがマニアに愛され続けるのも、ロイヤル・エンフィールドの販売が伸びているのも、古き教義を守る姿勢が強いからだと私は考えています。
結局、バイクメーカーの高価格帯の戦いって宗教戦争に似てて、そこで競われているのは性能ではなく「どの約束を支持するか」なんです。
だからこそ、ブランドの姿勢は明確でなければならない。今回のX350のディスコンと、スポーツスターの復活は、ハーレーの教義からすると必然の結論だったと思いますが、過去に戻る選択をした以上、ハーレーの苦悩は今後、より深くならざるを得ない。
でもね。教義って、そのメーカーが顧客や社会に対して行った約束であり、自らに課した責任なんです。だから、そう簡単に変えちゃいけないし、ブランドとして存続するということは、連綿と続いてきた顧客との約束を、製品という形で発信し続ける営みなんですよね。エンジニアが積み重ね、顧客が信じ続けた時間だけが、ブランドの本質を作るんですよ。
・・・ということで、なんか最後は説教くさい言い回しになっちまいましたけど、「水冷化して教義をどう守るか?」に関しては、「古き良き空冷を捨て去る代わりに、教会の外観をより本物志向で再現する」という方法論を既にトライアンフが提示してくれてますので、どうにも詰まったら、それをやれば良いんじゃないか?って思うところもあります。・・・でもね。
「オィィィィ!!オマエらVT750Sを散々スポのパクリだって言ったくせに、それってもうVT750Sの逆パクリじゃねぇかぁぁああ!!」
って言われかねないですから、やっぱハーレーにはもっともっと斜め上をいって欲しい。
「俺達やっぱ未来永劫空冷Vでいくわ!それがハーレーの教義なのだから!!」
「でも環境規制厳しいし・・エントリーで出すVツインは油冷小排気量にしていかざるを得ないか・・」
「いよぉぉぉっし!こうなったら883(パパサン)を388(サンパパ)にしちゃうぞぉぉぉ!レブル250やGB350くらい走れば、それで十分さ!!」
くらいのブッ飛んだ発想を期待しちゃう。これなら中型ですから日本でもインドでも数が見込めるし、真の教義バイクがご降臨あそばされることになるし、ネーミング的にもとってもヒネリが効いている。
ハーレーさん、将来的に、この方向はどうですかね~(笑)
(オマケイラスト「ダイナさん、サンパパ案ってどうですか?」)


コメント
コメント一覧 (8)
トライアンフは一度途絶えてしまったブランドだからこそって感じの、歴史を紡ぎながらも絶対に生き残ろうとする強かさを感じる立ち回りがとても好きです。
へっちまん
が
しました
私もハーレーは限界まで空冷であってほしいですし、水冷化するにしてもトラのように見た目そのまんまでしれっとやってほしいのは同感です
モトグッツィもアプリリアRS457の水冷パラツインを使ったネオレトロモデルがスパイショットされていました、日本ではX350とX500の二の舞になりそうだなと感じています
欧州A2ライセンス向けモデルっぽいのでそもそも日本でガンガン売る気は無いのもしれませんが、パラツインのエントリー向けモデルならハーレーやグッツィじゃなくてもって思っちゃいます
サンパパにちょうどいいやつがベネリの親会社?のQJモーターにラインナップされていますねw
最初からこっちで出せばコレジャナイ感は少なかったような・・・
へっちまん
が
しました
アプリリアのエンジン使ったグッチは親会社の命令で名前だけ使ってます感が半端ないです(-。-;
いっそのことカブエンジンを供給してもらってファルコーネ125で出してくれた方がまだマシかも^^;
へっちまん
が
しました
結果旧来のファンや世間からそっぽ向かれても
トライアンフの400シングルやBMWのF450GSのようにシェアを取ろうという真剣さが見えない
だからほら!XRや後継のXG750R…本気の公道トラッカー出すんだ!(ニーズ極小だと思うけど)
VT750S(400)ありましたねぇ〜、久しぶりに調べたら開発コンセプトが「カジュアルロードスター」なんですね
クルーザーとロードスポーツの融合を洗練させ、よりカジュアルにしたのがレブルなのでしょう
レブルのヒットは市場の成熟もありますけど、脱ハーレーフォローを上手く推し進めたのも大きいんでしょうね
VT750Sはレブルという大きい柱の礎のような意味のあるバイクなのかもしれない
へっちまん
が
しました