ゴールドウィングといえば言わずと知れたアメリカ生まれのグランド・ツアラー。滑らかに回り、たっぷりとしたトルクを低回転から発生する水平対向6気筒と魔法の絨毯のような乗り心地をご提供するダブルウィッシュボーンサスの採用で、極上のタンデムライドをお約束する、ホンダ熟成のクルーザーモデルです。

かく言う私は、ゴールドウイングのブログ数が100を越えるというゴールドウィング大好きライダーなのですが、その一方で、この世界に冠たるグランド・ツアラーを擁しながら、「50を過ぎるまで女子とのタンデム経験がなかった男」でもあります。そう、免許取って25年以上、人族のメスをタンデムシートに乗せたことがないという、タンデム童貞でございました。

そりゃね。私だって、昔は「左手にメット、右手に彼女、後方には俺に憧れる無数の女達」という妄想を抱いた頃もありましたし、バイクに乗る前は、「バイクはモテる」とか、「バイクこそ選ばれしヒーローの乗り物」って思っていたりもした。でも、いざバイク乗りになってみると、現実は正反対だったわけですよ。

バイクには、「キツイ」、「汚い」、「危険」というモビリティ界の3K要素が標準装備されており、ぶっちゃけ環境的には軽トラ以下。それで快適性にうるさい女性をどうやって後ろに乗せろというのか?そもそもこの世の女性はバイクの後部座席に憧れなんてないのですよ。

しかも、オジサンは加齢臭を振りまく臭い生き物です。よく小説で「素敵なオジサマに強く抱きしめられ、ほんのりとシトラスの香りがした」などという、浮ついた表現がありますけど、もし私からシトラスっぽい香りが漂ってきたとしたら、それは間違いなくファブリーズ。体臭を消臭で上書きした結果の産物、プールのカルキ臭みたいなものです。

そんな奴がバイクに乗ってるわけですから、輪をかけて臭い。長年排気ガスの燻製攻撃と虫の凸突撃を浴び続け、環境汚染度は限界突破しています。年季の入った革ジャンを着用しているライダーとのタンデムなど、ハエ取り紙に顔を埋めるようなもの。そこには女性が求めるトキメキ要素など1㎜もないのです。

世の中の女子のバイク乗りに対する印象もマイナス要素です。そのイメージは北斗の拳やマッドマックスとそう変わらない。爆音やアウトローイメージが先行しすぎた結果、もはや正義か悪かも関係なくなってます。無法世界には、「汚れた英雄」はいても、「綺麗なヒーロー」などいないのです。さらに、近年のバイク乗りはオタク属性まで付与されつつある。

「やぁ!今日はとっても良い天気だね?僕とタンデムしないかい?」

って、爽やかにアプローチするどころか、

「デュフフフ・・異性は裸眼で見るより、スマホのカメラを通して見てた方が安心できますなぁ・・」

ってニチャニチャしているわけですから、そんな変態にリアル女子など不要。AIでいいまである。そう、バイク乗りの唯一の武器であった硬派のイメージまで崩れ去りつつあるのですよ。

このブログ自体、女子が最も嫌う「不潔ネタと下ネタ」を満載しているわけですから、あらゆる意味で非モテの方向。もう修正はきかない。そんな私がタンデムに至る道をいろいろと検討してみましたが、

「クロロフォルムで意識を刈り取り、タンデムシートに拉致する」

という方法以外はないのでは?という結論に達してます。タンデムを実現しようとすると、刑法に触れてしまうのです。

ではなぜ、私はそこまでして、タンデムに憧れていたのか?それはこれまでに読んだバイク漫画によって「タンデム=勝ち組」のイメージが刷り込まれたからだと思う。後部シートに綺麗な女子を乗せてタンデムすれば、バックハグと乳の密着という、ダブル役満は既に確定している。青少年ならぬ性中年なら誰しも憧れざるを得ない。しかし、その成立条件を今あらためて検証すると、驚愕の事実が浮かび上って参ります。

そう、漫画におけるタンデム・シュチュエーションを大きく分けると

少年誌における「イケメン主人公&優等生女子のキャッキャウフフな青春グラフティ」

か、

ミスターバイク誌での「東本昌平のイケナイ妄想」

の2パターンしかないと気づいてしまう。少年誌は車を買えない若人達が対象ですし、タンデムライドはイケメンに対する女性側からのアプローチってところもありますから、まだありえるかな~って感じですけど、東本昌平氏が描く中年オヤジのタンデムなんてのは、冷静に見て「バイク乗りの無理筋な願望を煮て固めたもの」と解釈せざるを得ない。まぁ連載が業界誌ですからそれは致し方ないのですが・・。

つまり、中年と若き女子とのタンデムライドなどは、ほとんど全てが「オジサンにバイクを売るため、業界がねつ造した非現実世界」ということです。実際、タンデムシートは、私にとって何十年も「柔らかな荷台」にすぎなかった。だからこそ、ゴールドウィングも、あえてバガーモデルを選んでいたのです。

しかし、その状況が一変したのが5年前。なななななんと、「配偶者である聖帝様をパッシンジャーシートに乗せる」ようになったのです!その時から、私の脳内に存在した「キャッキャウフフのタンデムライド」とはまったく異なる、「リアル・タンデムライド」の世界が展開するようになった。

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(タンデム仕様のきんつば嬢。GIVIのケースは取り外し式。ベースキットもケースもすこぶる頑丈で、ある程度パッセンジャーを支えることができます。)

F6Bの時は後部座席に興味すら示さなかった聖帝様ですが、きんつば嬢になってGIVIのトップケースを背もたれ的にとりつけたことにより、安心感が増したのか、「これは楽ちんっぽい。ちょっと後ろに乗せなさい。」ってことになり、お乗せしてみたら大層これを気に入られ、それ以降、タンデムライドが増えていった。

今年も4月以降、既に3回、聖帝様を乗せてタンデムミッションを遂行させて頂いておりますから、本領発揮のウインターシーズンが過ぎて以降も、きんつば嬢は大活躍しているのですよ。そんな状況下でシミジミ感じるのは「タンデムライドとは、配偶者の馬と化すことと見つけたり!」ってことです。

そもそもバイクは重いものを運ぶという用途には一番不向きな乗り物です。不安定な移動体に重量物を乗せて、良いことなど一つもない。だからこそ昔は「女性と密着し、バックハグして貰わないと割に合わない!」って思っていたのですけど、それ自体が大きな勘違いだった。そう、私は「命令によりパッセンジャーを乗せる」という可能性に全く思い至ってなかったのです。

実際、ハーレーのウルトラにしてもゴールドウイングにしても、タンデム専用のグランド・ツーリングというのは、運転手とタンデムライダーの間に、しっかりとした距離感がある。

「え?それじゃ、一番大事な密着がないじゃないの?」ってことになるんですが、ライダーの背後に乗り込んでくるのは「ほぼ9割9分が配偶者」と仮定すれば、その距離感も理解できる。だって、家庭を顧みず土日に遊び呆けている亭主に対するバックハグなど、そのまま投げ捨て式のジャーマンスープレックスになる未来しか見えないのだから。

ここで私の家庭を例にとってみましょう。私のハンドルネームはへっちまんですが、これに対して妻は聖帝様。ネーミングの設定ですでにビビリ散らかしていることは明らかです。過去の私の悪行、不始末、浪費に対し、愛のムチ、スパンキング、踏みつけ、言葉攻めなど、厳しいメンタル調教が行われた結果、私は富豪の玄関に敷いてある虎の毛皮のように「踏まれることにこそ喜びがある」状態にまで仕上がった絶対服従者。まさに聖帝サウザーとクソザコ達との関係とほぼ同じといえるでしょう。

ハーレー乗りはハーレーのことを鉄馬などといいますが、バイクに対してそんな偉そうなことが言えているのは自分勝手にライディングできるソロライドだからです。グランド・ツーリングモデルにおいては、タンデマーは神。バイクは神を乗せる豪華な神輿。そして

ライダーこそが去勢された馬

配偶者様の命令に対して「ヒヒンといなないてニンジンを貰うだけの存在」です。よく「バイクの極意は人馬(じんば)一体」といいますが、タンデムライドの極意は、「ライダー自らが人馬(ひとうま)と化す」という意味で、真の人馬一体といえる。

つまりグランド・ツーリング・モデルは、亭主=「馬」、妻=「神」というリアル世界の力関係をそのまま設計に横滑りさせ、「タンデマー上位の徹底した作り込み」がなされた専用機なのです。それを私は聖帝様を乗せることによって、ようやく理解するに至ったといえます。

ブチ切れた配偶者様は、世の中の亭主にとって、血を見て狂乱状態になったハート様みたいなもんですから、下手な運転は一切できない。過度な速度超過や急加速は、お怒りに触れ、ノシイカにされることになりますから、ライディングに一切の手抜きは不可能。コースの選択から、わだちの回避まで、箱根駅伝で先導する白バイくらいの細心の注意が必要です。

しかし、そんな過酷な環境をものともせず、休日になると多くのバイク乗り達が、自らを人馬と化して、配偶者とのタンデムライドに身を投じている。その滅私奉公になんの意味があるのでしょうか?

おそらく、そこには「奥様にバイクの素晴らしさを理解して貰わなければバイクライフは続かない。」という大前提があるのです。実際、私のバイク購入制限がはずれたのって、聖帝様をタンデムライドしたあたりからなんですよ。それは、多分聖帝様が「バイクって結構いいものじゃん♡」って感じてくれたからだと思うんです。

私はこれまで、下忍ムーブでひたすら聖帝様のご機嫌をとることで、なんとかバイク生活を維持して参りました。事故11回という事故魔の私ですから、家族のバイクに対する風当たりはとっても強かったんですね。

歳をとれば取るほど、「バイクは危ない乗り物である」っていう評価が一番恐ろしい。だからゴールデンウィークの死亡事故なんてマジやめて欲しい。そのマイナスイメージは「いい歳して、そんな不安定で危険な乗り物にいつまで乗ってるの?もうそろそろやめなさい!」っていう突然の命令に直結しかねないからです。その状況を防ぐために一番良いのは「配偶者様をバイクの世界に引き込きずり込む」ことなんですが、それがこれまでなかなかできなかったんですよ。

蛇の舌のような甘言を弄し、聖帝様にバイクの免許をお取りいただいて、一緒にツーリングしていた時期もあったはあったのですけど、低身長で運動音痴の聖帝様には、バイクの運転はかなりのストレスだったようで、立ちゴケなどがトラウマになって、逆に「バイクは不安定で恐いものだ」っていう意識を強くしてしまったようなんです。だから、バイクに対する冷ややかな目線をなかなか払拭することができずにいた。

しかし、この世に存在するグランド・ツアラーってのは、そんなマイナスイメージに対する一発逆転の切り札になりえる。最初は聖帝様の突発的な気まぐれで行ったタンデムライドでしたが、きんつば嬢が提供するゴージャスでド安定な走行感覚は、聖帝様のバイクに対するマイナスイメージを一気に払拭してくれたのですよ。

タンデムライドではパッセンジャーには運転リスクは一切ないから、素敵な景観に集中できるし、アトラクションとして見れば、気持ちよさと旅情は振り切れてる。常に前席で亭主が頑張る奉仕の姿も自然に見せられ、まさに一石三鳥。人格を捨て人馬(ひとうま)と化したとしても、それで助かるバイクライフがあると思えば安いものです。

私が現在多数台持ちを許容して貰えているのは、定期的に行っているこのタンデムライドの奉仕活動が非常に大きいわけですね。マイナスを抱えている奴ほど、プラスのボランティア活動に精を出さなくてはならない。それまでの私のバイクライフには、「奉仕の感覚が明らかに欠けていた」と改めて感じている次第です。

きんつば嬢は「聖帝様のご機嫌をとる手段を確立してくれた」という意味で、ダイナと並んで、私のバイク人生の救世主かもしれない。それまでは業界に植え付けられたキャッキャウフフな妄想に脳内を支配され、タンデムライドの真の意味を理解していなかった私ですが、蓋を開けてみれば、その真髄は「配偶者に対する贖罪と奉仕」でした。

バイクというのは、「雷を受けたように、ある日突然いろんなことのつじつまが合い、理解できてしまう」ところがありますが、私にとってタンデムライドもそういう類いのものだったようです。



(オマケ漫画「人馬(ひとうま)屠殺編」)
聖帝様p1.1
聖帝様P2.3
(処刑されるときですら、聖帝様への感謝の言葉を忘れない。真の奉仕には、それくらいの気持ちと覚悟が必要です。)