※のじゃ子年末2.5
(いきなりあざとさ満載のイラストでスタート。「今年はできるだけ全身絵を描こう」という目標を持って挑んだ1年でしたが、低レベル絵師脱却の道のりは果てしなく遠い・・・)

うぉおおおお!!年末滑り込みで、なんとかブログを一つ間に合わせましたぁぁぁあ!はぁはぁ・・

いや~皆様、今年一年、私の垂れ流す長文ブログに付き合って頂いて誠にありがとうございました。このブログは日々の鬱憤を晴らすべく、朝一でパソコンをトイレに持ち込み、指のおもむくまま、毒電波テキストを叩き続けた集大成。いわば長きにわたって堆積した「私の脳の排泄物保管庫」ですが、在庫数はついに600を超え、もはや「とあるクソ野郎の禁書目録」みたいになってしまっています。

コメントをくれている方々のレベルも高くて、店主の顔はガリガリ君ソーダ味のように真っ青。だって本来はおもてなしに最高級のマグロのトロをお出ししなくてはならないところ、「スカトロ同然のもの」をお出していくという、とんでもないことになっているわけですから。

以前カミングアウトしましたけど、このブログ、トイレの中で全てを脱ぎ捨て、裸一貫で製作されております。「おおっ、この寒い中、そんな気合いを入れて書いているとは、まさに漢!!」と、仏教の荒行を行っているかのような勘違いされると困るので注釈しておきますが、私にそのようなれっぱくの気合いなどあるわけがございません。

実は私、

「全裸にならないと大ができない」

という世にも珍しい奇病を患っており、それ故にやむを得ずトイレで丸裸になってる次第。この時期はトイレの中で、便器の室暖機能と小型の電気ストーブを併用しつつ生命維持をはかっております。つまり、このブログは

「裸のオッサンが、便座に座り、白目でヨダレ垂らしながら、ひたすらバチバチキーボードを叩いている」

という、サイコスリラーもびっくりの倒錯した光景のもとで生み出されているのです。ブログを書いている私の姿は第三者の目から見たら、「邪悪な悪魔に憑依され、人の心を失っている」ようにしか見えないと思う。

通常はこのような環境で生み出された「脳のウ〇コ」を人様にお出ししたら、保健所の職員さんが鬼瓦みたいな顔で乗り込んできて即営業停止となるわけですが、残念ながら、ネットというバーチャル情報空間は、発信側のリアルがまったく問題にならないのが悩ましい。垂れ流されるダーティテキストが、完全脱臭されてアップされるのを見るにつけ、ネット世界の闇の深さを身に染みて実感する今日この頃であります。

そんな私のしょぼくれた製造モラルの話は置いておいて、昨今インターネットでは作り手側の発信モラルの問題が取り沙汰されているようです。しかし、私は常々、「匿名空間では発信側のモラルを期待するのはハナから無理である」と思っております。そもそも匿名で情報が溢れる空間は、そこにアクセスする「受け手の情報の選別能力や解析能力に大きく依存する世界」です。皆がスマートフォンを持ち、SNSに参加する世の中となったことで、匿名空間でまことしやかに垂れ流される無責任情報の弊害が拡大されてるだけで、基本的な問題点は昔と何ら変わっていない。

私の大学時代は匿名掲示板「2ちゃんねる」の最盛期でしたけど、2ちゃんねるは品性のなさと攻撃性を剥き出しにした下品でオープンなテキスト闘技場。そこでは、あらゆる欺瞞、すり替え、詭弁、罵倒、煽りなどの手練手管が駆使されていて、とにかく相手を言いくるめた方が勝ちという、ルール無用の殴り合いが展開されておりました。当然ですが、相手を誘導する誤情報の垂れ流しなど日常茶飯事。匿名で不正確な情報を放り込み、それに踊らされる人達の反応を見て悦に入る輩もいるから、投げ込まれた情報は論理と検証で徹底的に叩くか、華麗にスルーするものだったんですよね。ただ、そんな汚い罵り合いの中から、自分だけでは到底出せないような、非常に深い真実に至ることもあり、そこが一部のテキスト廃人にとって最大の魅力でもありました。

でも、今のSNSって濃いやりとりの場というより、ほぼ言いっぱなしの空間です。情報や主張というものは「動かぬ証拠や、検証作業がないと採用に値しない」ものなのですが、そういう過程を経ることなく、個人の主張が投げっぱなしで拡散される。それをそのまま真に受けてしまうと、真偽不明のデマが頭に刷り込まれてしまいかねない。まぁ多くの動画配信者はそこを狙っているフシすらありますが。

そういえば、つい最近「シールチェーンに注油をしなくていいのか?」って命題について、石川県に本社があるEKチェーンの方がアイキョウさんと対談する動画が上がってました。でも、シールチェーンに注油は必要か否か?なんて、SNS特有の議論ですよ。


(こちらがその動画。ネットのわけのわからん情報に流されぬよう、製造側の意見を一度は頭に入れておくのがオススメ。江沼チェン製作所は、遙か昔に存在した江沼郡っていう地名からきたものですが、江沼郡は加賀市に吸収合併されて消滅。ちなみに加賀市にはDIDの本社もありますから、小さなエリアに日本のバイク業界を支える2大チェーンメーカーが共存することになってます。)

シールチェーンと言えば、数年前「メンテ不要だから注油がいらないのだぁああ!!!」というとんでもない動画が話題になったことがありまして、私もこのブログで「はぁ?んなわけないだろ?」ってツッコみをいれたりいたしました。実際、昔の2ちゃんねるでそんな情報を流したら、必ず反論の一の槍、二の槍、三の槍が飛んできたはず。

そもそもチェーン注油がいらないなんていう情報は「チェーン注油をサボっている人にしか刺さらない」と思うんですよ。ちゃんとチェーンメンテしてる人なら注油によって駆動系のフリクションが減るのを体感できてるはずだから、理論はともかく感覚的に「んなアホな・・」ってなるはずです。誰がどんな理屈をこねて発信しようが、乗り手の感覚上、明確に結論が出る問題だから話は簡単だと思うんですよ。にもかかわらず、そんな動画が一定程度支持されるというのは、「いかにチェーン注油をサボっている人が多いか」を物語っていると思う。

過去にバイク屋に勤務していた経験から言わせて貰うと、この世はチェーン注油をサボっている人の方が圧倒的に多いんですよ。ただ多くの人はサボっていても「後ろめたい・・」「不安だな・・」ってどこかで思っているから、「注油いらないっす」って情報で、その罪悪感を中和してあげると「そうなのかぁあああ!良かったぁあああ!」ってグルグル再生数が回ることになる。

こんな情報はプロの方々から見たら「オィィイイ!ナニ言ってくれてんの?」ってものでしょうけど、ユーチューバーって玄人筋に評価されるんじゃなく、圧倒的多数派である素人さんに気持ちよく視聴していただくことを重視してるから、多少無理目なこじつけでも支持されそうな情報発信をして再生数や閲覧数が稼げればいいって割り切っていると思うんです。

動画配信ビジネスって、再生数が上がれば収益が上がるし、それが勝利条件だから、その過程に正しさがないと勝利がひっくり返ってしまうリアル世界とは全く違う。つまらない真実より、見ている人に楽しんで貰えるもっともらしい虚構を作った方が閲覧数が増えるし、拡散もされるという無責任世界なワケです。

まぁ注油しない人は、どんなに言っても注油しないと思うので、「そこを肯定してくれる動画で気持ちよくなれればいい」ってことなのかもしれないし、大人は全て自己責任ですから、それでもまったくかまわないわけですけど、チェーンは安全に直結するパーツですから、「注油はいらん」などという情報で、プラスにならない方向に人を誘うのは止めて頂きたい。責任とれないし、取るつもりもないでしょ?

まぁことほど左様に、発信する側に多くを期待するより、受け手が一定の情報フィルターをかけて自衛する方がよっぽど解決が早く確実というのが私の結論です。

匿名SNSは、明確な根拠も科学的裏付けもなく、好き勝手に情報を発信できるが故に、そこに渦巻くのは圧倒的物量の無責任意見になりがち。一定の責任の下に販売され、安定した知識を提供する書籍とそこが根本的に異なります。

しかし、そんな書籍はネットから発信されるタイムリーな刺激的情報に押されまくってます。今年も歴史あるバイク雑誌だったヤングマシンが休刊し、WEB媒体に移行しちゃいました。

ヤンマシ
(紙媒体としてのヤングマシンは2025年6月号をもって終了。WEBの情報媒体に移行しています。)

ヤングマシンの他にも、休刊、廃刊するバイク雑誌は多く、情報発信の場はSNS、YouTube動画がメインとなってきています。試乗会でもモトブロガーやインフルエンサーの方々がたくさん招かれているようですが、ここ10年で動画配信が極めて身近なものとなり、「バイクの選ばれ方や、広報の仕方も随分変わってきたなぁ・・」って感じざるをえない。

実際、最近のバイクの選ばれ方を見てみますと、昔と異なる法則性が感じられ、そこにSNSやYouTubeなどの影響が極めて大きいのではないか?と思うんですよね。

例えば、一昔前の人気バイクってのは、ある程度売れると飽きられるというか、販売台数はそれなりに下降線をたどるものだったんですよ。でも今の時代は、一度勝ちをはじめたバイクに人気が集中し、価格が高騰するだけでなく、ひたすら勝ち続ける傾向にあるように思います。しかもライバルに対して性能で勝利したバイクではなく、フツーのありふれたバイクだったりするから面白い。

それってSNSなどの発信を通じて、バイクが単なる乗り物ではなく、一種のコミュニケーションツールに変化したからだと思うんです。SNSの普及により、同じバイクを所有している人達同士が繋がることができるようになり、オーナー同士のコミュニティが昔と比較にならないくらいのスピードと規模で広がりをみせるようになってます。

バイク単体よりそのバックにある交流やコミュニケーションの魅力が大きくなり、イベントやミーティングなどが行われ、そのモデルの人気と魅力が拡散されることにより、裾野がさらに活気づいていく。昔ハーレーがディーラーを軸にしてやっていたことが、ネットで自然発生的にできちゃうようになっているんですよね。

乗って楽しむだけでなく、情報面でもバイクを楽しむようになると、広大なコミュニティをもつ多数派バイクの露出度はどんどん増え、多くの人がもたらす圧倒的な「いいね評価」によって、バイクの売上げがさらに加速する状況が生まれていく。

そんなコミュニティの中心となったバイクは、ちまたで沢山見るようになり、さらに多くの人に受け入れられるよう、乗りやすい方向に進化していくから、やがてバイク自体が「共通言語」みたいになっていくんですよね。これがSNS時代のバイクの特徴だと思うんです。

この法則がモロにハマって、大ブレイクしたのがレブルシリーズでしょう。レブルは、何の変哲も無いシンプルなバイクですけど、コミュニケーションツールとして見た時、これほど優れたバイクはないと思います。価格がリーズナブルで、好き嫌いの少ないルックスと、軽くて足つきがいい車体は、老若男女誰でも乗れるし、佇まいもジーンズのようにカジュアルで、どんな人を乗せてもサマになって悪目立ちもしない。ツーリングも楽で、燃費が良くて、修理も維持費も安い。カスタムパーツも山ほどあって個性が出せるし、最初に250が大ヒットして覇権を取っているから、排気量ヒエラルキーもない。

つまり、レブルシリーズは、とっつきやすくて色づけがなく、価格が安くて用途も広い。だからこそいろんな人達が語れる共通言語として圧倒的な支持を得たと思うんです。大型バイクでは長年その役割を果たしてきたのが「Z900RS」でしょう。そして新型のCB1000Fも明らかにこのクラスの共通言語たることを意識して作られていると思う。CB1000Fが売れるだろうと私が予想しているのは味付けの良さもさることながら、今の時代に求められる共通言語としての要素をしっかり備えてるからなんです。

そのようなバイクの共通言語化は、バイクの間口を広げ、コロナ禍でも人をつなげる役割を果たし、バイクブームを牽引する大きな大きな役割を果たしました。しかし、マイナス面もないではない。それは多くのライダーの価値観の平均化や選択の単純化に繋がりかねないということです。それはエヴァンゲリオンに例えると、消費選択において「皆の意識や好みの境界が溶け合ってしまうサードインパクト状態」ってことです。

人が凄いと認めてくれるバイクに乗り、それを多くの人に見て貰うことが承認欲求に繋がるってことは良くわかります。でも、私が気になっているのは、ネット上の声や価値観、合理性に溶け込みすぎて、「自分自身のATフィールドがなくなっていませんか?」ってことなんです。

自分の外に価値を求め、他人と溶け合いすぎると、「本当に自分の好きなもの」にたどりつくことができなくなる。承認欲求を満たしたいなら「多くの人が凄いと感じるもの」を買えばいいけど、個人として趣味を追求するなら、迷うことなく「好きなもの」「共感できるもの」を買うべきだろうと思うのです。

ビギナーの頃は右も左も分からないから、経験者の意見や、雑誌のインプレが選択の大きな部分を占めるのは当然のことです。しかし、時を経て、バイク乗りとして、またいち消費者として自分のスタイルが確率するにつれ、人はインターネットにある他者の情報に「自分にとっての正解はない」と気づくでしょう。これはバイクの世界に限ったことではなく、全ての趣味の世界にあてはまることだと私は思う。今は、無意識にバイクを選択している人達も、バイクに長く乗っていれば、いつか必ず、その境界に立たされる。

多くの人が、そこで碇シンジ君のように、もう一度「個」に回帰する選択をすると思うんです。他人からの共感が得られなくても、ヤマアラシのジレンマ状態でも、「それが自分そのものである」と肯定したその先に「ブレることのない自分の好みと、確立されたスタイル」が生まれると私は思う。この世には消費者を常に誘導し、惑わせ、特定の価値観に取り込もうとする情報が溢れていますけど、集合知と溶け合うことは、趣味における「正解」では決してない。そのうち少なくない人達が、そんな「幸せだけど生ぬるい世界」から抜け出し、自分だけの選択理由で、自らの正解を探し求めるようになると思うんです。

私が選んだHAWK11は、溶け合いつつある時代の中で、「他と溶け合うことを徹底して拒絶したバイク」であり、モトグッチもその歴史上、「共通言語化することを頑なに拒み続けてきたバイク」です。それは決して今の時代の主流にはなりえないですけど、私自身が主流じゃないから、そんなものこそ愛おしい。ちなみにダイナやCBやカブやZ、SRのように「共通言語として歴史を作ってきたバイク」もメチャ好きです。そんな対極の存在に触れることで、改めて感じるものがあったりするんですよ。バイクから得られるものって目線を変えれば無限にあるので、この世界からずっと抜けられないんです。

正直申し上げて、私は人とあんまり繋がりません。そのかわり、一人で悶々と何かをしたり、考えることが好きな真性の陰キャです。そのため、どんな趣味においても内向きに世界観が完結したものを選ぶ傾向がある気がする。色も黒ばっか。私のバイク6台全部「黒ベースのダークマター」ですから、我ながら闇の波動が強すぎる。バイク選びを好みにばっかり寄せていくと、身の回りがみんなダークトーンのディスコンバイクばかりになって、「まるでアンデッド軍団じゃないか」「ナザリック地下大墳墓かよ・・」と頭を抱えしまう。

まぁ消費っていうのはどこまでいっても悩みは尽きません。そんなジレンマを抱えたまま、来年も趣味の世界を彷徨っていくのでしょう(笑)

なにやら最後は、お堅いブログになってしまいましたけど、年末ってしんみりするから、こういうのもいいかなと(笑)冒頭に※のじゃ子さんが宣言したとおり、今年はこれが最後のブログになります。皆さん、一年本当にありがとうございました。良いお年をお迎えください。



それでは、また来年~(ブンブン手を振る)




(オマケ漫画「タイトルイラストについての雑談」)
※のじゃ子年末2コマ2
(アイドル然とした明るいイラストが締めでは私らしくないので、最後はダイナときんつばのダークな会話で今年の幕引きとしたいと思います。)