ハーレー、ホンダときて、今年の締めはモトグッチじゃあああ!っていきたいところなんですが、モトグッチの総括っていってもですね~。特に何もないわけですよ。

「売れてまっか~」

「超ボチボチですわ(困った顔)

で、終わりでしょう、これ。

前回はマンデッロネタをひねり出しましたけど、マジでネタがない。なんでこんなにネタがないかというと、モトグッチからの情報発信がな~んもないからです。


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(道ですれ違うバイクは随分少なくなってきましたが、私は冬のバイク旅がかなり好きだったりします。)

せめてCEOや広報が今年の商品や今後の戦略について語ってくれれば、考察の糸口もありそうなもんですけど、今年何台作ったの?ってことすら良くわからない始末。ピアッジオグループとしての生産台数はわかるけど、それってベスパやアプリリアを合計した台数ですから、モトグッチだけの台数ってまったく不明なんですよ。これじゃ「イタリアのマニアックバイク」ってイメージしかないのもしょうがないと思う。

でも、イタリアのド田舎で長年シコシコと作られている謎の縦Vは、私にとってまさにクラシコ・イタリアを象徴する存在でした。

近年のバイクはコンピューター設計と産業用ロボットによる生産体制の構築により、カチッと作られてて隙がありません。その一方、モトグッチって見るからに「人の造りしもの」感が濃厚で、品質管理も人任せなのがありあり。現代の機械管理された製品と比較すると「相対的にマイナートラブルは多いだろうな~」ってのは外観を見れば感覚的にわかる。ただ、それこそが私にとっての「罪深きイタリアン・バイクのイメージ」そのものなんです。

これは私見ですが、維持の面から信頼性をみたとき、バイクは大まかに3タイプに分類されると思う。

1.設計や製造品質が安定していて、安心して乗れるバイク。

2.信頼性がイマイチで、それが許せず手放してしまうバイク。

3.信頼性はイマイチだけど、いろいろと許せてしまうバイク。

当然ですが下に行くほど「悪魔度が高い」ってことになる。そもそも3はダメ女に貢ぐも同然になっている。でも、イタリアンバイクって「多少のことはあってもそれ以上の魅力と個性があればいいんでしょ?」って開き直ってるところがあるから、明らかに最後のカテゴリーに属する存在なのですよ。

80年代から90年代にかけて、信頼性があり、性能も高い日本車が市場を席巻する中で、イタリアン達が一定の地位を築いてきたのは、ひとえにバイクに高い趣味性を求める人達がいたからに他ならない。そんな人達は安定より、特別なものを求める傾向が強く、とにかくパンチドランカーで打たれ強いんです。遙か昔の海外製バイクなどは趣味人として壊れかけのレディオな人達がヤケド上等で手を出すもので、派手にエンジンぶっ壊れたり、キャリパーが落ちたり、修理待ちの間に次の車検が来てしまったりと、まるで悪夢のような状況が展開しても、覚悟完了のマゾヒスト達相手ですから、特段大きな問題にはならなかった。

漫画の世界では一部の同人誌が「ギリギリまで煮詰めた熱さと共感」で商業誌を食うこともあるし、模型の世界でも、個人ディーラーがワンフェスで数十個の単位で販売する不完全で高額なガレージキットの支持がいつまでたっても衰えない。機械式時計も小工房が手塩に掛けて作った年産僅かの時計が注目を浴びたりしている。

そういうものは経済的にはどう考えても割高だし、買い手にいろいろな苦労と試練を強いる存在ではあるわけですが、その世界が趣味や文化としての深みを増せば増すほどに、リスクの中にあるピュアな感動を求める人達も増えるわけです。


壊れた人達は大枚をはたくことに躊躇なく、対価として求めるものは強い個性とアイデンティティなわけで、これからの時代、環境規制を横目で見ながら、それを貫いていくというのはバイクメーカーにとって重要な戦略的要素であり、高いハードルでもあるのかもしれない。その点ではモトグッチがピアッジオという巨大グループから資本注入を受け、その一部門として生き残りをはかったというのは、極めて賢い選択だったと思うんですよ。

モビリティの世界において、EV化が進んでいくことは間違いない流れでしょう。しかし、その過程で「実用ではなく、趣味のバイクとは?」という問いかけはますます大きくなるはず。世の中が合理的になればなるほど、不合理な選択の中にある喜びが求められる流れになっていく気がするんですよね。今の時代に、時代遅れの空冷エンジンを多くの人が望むのも、現代的な性能や合理性の対極に、ノスタルジーと郷愁を感じているからで、そんな人の内面にどう刺さるか?という文学的ウエイトが今後はさらに大きくなっていくような気がするんですね。

その点でモトグッチは、趣味性を求める人に刺さる王道路線をいっていると評価されるのかもしれない。モトグッチのアイデンティティは「イタリア最古のバイクメーカー」という大看板と、その個性を象徴する「縦置90°V型2気筒エンジン」で、これからもその古き良き資産を最大限活用していくはず。近年ヨーロッパでも少しずつモトグッチの人気が出てきているようですが、それは既存のメーカーが多くのものを手放していく中、シーラカンスのように同じところに踏みとどまることにより、個性がより強調され、結果的に特定の層からの支持が上がっているのだと思うんです。

その一方で、変わらないことによる弊害も当然出ています。作り手がこだわればこだわるほど、合理的選択を拒めば拒むほど、それが顧客側にコストとなって跳ね返る構図はどこの世界でもみな同じ。モトグッチも、性能に特段の変化がない中で、価格のみがどんどん上昇していく事態になっている。

このような状況で、数を売りたいと思えば、人件費や輸送コストを抑えられるような地域で物作りをするのが常道ですが、モトグッチはマンデッロから動く気配が一切ない。そのマンデッロは、日本からは地球半周向こうにあり、ユーロに対しての円安傾向や、生産コストと移動コストの影響をモロに受けるため、それが価格にそのまま反映されてしまうこととなるし、その振れ幅も大きい。

でもモトグッチは、「そんなの知ったこっちゃない」のでしょう。「マンデッロで生産を続けることがモトグッチの文化的アイデンティティで、価格を抑えるために生産地を変えるという選択肢はない」って考えていそう。

過去にハーレーの生産国についてのブログを書いたとき、アメリカ生産にコダワリを持つ人は多いんだなぁって改めて感じたところですが、実際私の近場でもハーレーを手放した人がいて、「なんでハーレー降りちゃったの?」って聞いたらその理由の一つに、「ハーレーもタイ生産になっちゃったしね・・」ってのがあったんですよ。

でも彼が次に買ったのはボンネビル。日本で販売しているトライアンフも、ほとんどがタイ生産だから、「君さぁ・・ハーレーがタイ生産だっていうけど、ボンネだってタイ生産なんだが?タイから全然逃げられてないのだが?」って、ツッコんだら「え?」ってことになってましたけど、それがグローバルで戦うバイクメーカーの標準的な姿なんですね。

そんなコスト重視の生産体制が当たり前になっている今、アイデンティティ重視の本国生産にこだわるのなら、顧客側がエクストラコストを支払うことになるのはしょうがないと思う。ハーレーのCVOやドカのパニガーレも本国生産していますから設定価格は大概ですけど、モトグッチの本国生産によって生じるコスト増も、近年の価格改定を見ればあきらかです。

タイトルなし(こちらV7の価格情報です。売れ筋になりそうなスポルトは、なんと来年から168万円・・・)

来年の1月からV7スペシャルの価格はななななななんと約160万円。V7が850にモデルチェンジした4年前のスペシャルは128万円でしたから、5年で約32万円のアップということになっております。スポルトに至っては168万円のプライスタグをつけることになる。これに国産にはない「陸運に持ち込んでガス険を受ける費用が乗っかる」から、CB1300SFのファイナルより乗り出し価格が高くなってしまうのは間違いない。「オィィィイイ!いい加減にしろ!!」って言いたくなるじゃないですか。ちなみにどちらの造りが上なのかは比較するまでもありません。かたや「飲んだくれのイタリアン」、かたや「クリエイティブ・ベンチマーク」、でもそこを気にしだしたら、イタリアンなど選べない(笑)

ガス険込みで「V7が乗り出し200万円でぇす!!」って時代が、すぐそこまできてる感じですけど、モトグッチはこのまま意に介さず、「かかっただけプライス」で売り続けるでしょう。長年「欲しい人だけ買えばいい」ってスタンスでやってきてますし、ハーレーと違って広報費やサービス、店舗整備費用、イベントやグッズなどのコストがほとんど乗っかってない素の価格ですから、価格吸収余力などどこにもなく、水揚げされたマグロと同じで時価商売にならざるを得ない。値上げの理由も、「原材料費高騰、輸送コスト上昇、為替の影響」とヘレンケラーのごとき三重苦で、買う側から見ても、ぐうの音も出ない事情が並んでる。

モトグッチにしてみれば、赤字になってまで日本市場で頑張る必要もないでしょうし、顧客も「アイデンティティを曲げてまで安くして」と願うのか?っていうと、昔からそういう層が買うバイクでもない。その手のエクストラコストを「モトグッチがモトグッチらしくあるためのお布施」と飲み込める人達が買えばいい、と割り切って価格設定をしているはずなんですよね。

生存4,5(モトグッチはマジでこういう風に思ってそう。日本には総生産の数%を割り当てて、かかったコストはこれだけなんで、最終価格はこうです♪というシンプルな商売でやっていく気がする。)

モトグッチがマンデッロに新工場を建設しているのは、「俺たちはここをテコでも動かんぞ!」って意思表示だと思いますし、このタコツボ的な生産体制で、古き良き縦Vワールドをやり続けていくことがこのメーカーの核心なんでしょうけど、そのためのコスト増は、そっくりそのままモトグッチの製品価格に転嫁されていくはず。

ちなみに価格がどんなに上がっても、V7は、豪華になるわけでも、速くなるわけでもなく、極めて普通のバイクでしかない。しかし、それは日本と全然違う調味料やスパイスを使って作られた普通です。速さと運動性という尖った競争に足を踏み入れると、みんな同じように鋭利になっていくけど、当たり前の争いになるほど、その戦い方のバリエーションが広がっていくのが面白い。普遍に至ろうとする過程やメカの調理法が製造国の文化や国民性で大きく違うから、その違いから生まれた普通に大きな価値があるんです。

同じ空冷の普遍的バイクでもダイナとCB1100とV7の間には、バイクに対する考え方、アプローチの違いが明確に横たわっている。それはバイクのスタイルを見るだけで誰しもがわかるレベルです。

また、生産台数や生産方法によってもバイクのあり方は大きく変わる。モトグッチのライバルとして欧州ではよくトライアンフが上げられますけど、生産台数を比較するなら、モトグッチは1万台規模、トライアンフは15万台規模で、母数がまったく違うんです。つまり、これら2つのメーカーは似ているようで、もはや根本的な生き様が違っているわけです。客層も、売り方も、インディーズとメジャーで同じになるわけがない。

地球を半周し、喜望峰を回って細々と日本に届けられるモトグッチは、これから変態向けとして、どんどん高額になっていくかもしれない。その結果、性能や品質、質感とまったく関係のない、乗り手にしか感じられない「何か」に対価を支払うようなバイクになっていくでしょう。これは200馬力でイキり倒すスペックモンスターより、ある意味でもっともっと強烈ですよ。コダワリを盾に顧客を経済的に切り刻むイタリア生まれの縦Vのモンスター。もし、V7が200万円を超えたら、その不気味で奇天烈なエンジンの外観も相まってもはや「バイク界のサイコパス」と呼んでいきたい。でも趣味の世界ではそういう商品って結構あるのが恐ろしいんです。

モトグッチは変わりたくないし、顧客も変わって欲しくない。でもその願いは我々の財布を確実にエグっていく。これは作り手と買い手が二人三脚で走り続けるコダワリのチキンレース。他の業界を見る限り、そこに終わりなどない。コストバランスに優れたライバルとの価格差が広がっていけばいくほど、モトグッチはそんな「形のない踏み絵を迫るバイクになっていくのかもしれないな~・・」などと感じている今日この頃です。

でもね。そういう頑なで「納得できる奴だけ買ってくれ」っていう傲慢なバイクがこの世に存在しててもいいと思うんです。だってバイクはこの世の趣味の中でも、「最も深遠なる魔界」なのですから・・・フフ・・怖いか?