全国のほんの僅かなグッチスタの皆様。日本で細々とモトグッチの魅力を発信する数少ないブログの一つへようこそ。今回もモトグッチV7の魅力を、ほの暗いトイレの中から発信していきたいと思います。

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(最近は暖かいので日没ギリギリまで海辺で珈琲飲んでることが多いです。ネイキッドやアメリカンは、シルエットに旅情があっていいですね~。

最近CB1100に乗りまくったり、CB1300も味わったりして、ホンダのCB系にガッツリハマっているのですけど、この2台って、天下のホンダのフラッグシップネイキッドですから、「ホンダのもの作りの良さを凝縮した」ようなバイクなんですよね。乗って納得のデキの良さ。バイクとして太鼓判を押せる。

そんな大メーカー、ホンダが精魂込めて煮詰めたバイクに乗った後、イタリアの中規模バイクメーカー、モトグッチの主力モデル「V7スペシャル」に乗ると、これまたなんとも趣深いものがある。

「いやそれ、もう全然勝負にならないんじゃないの?」

って言う人もいるかもしれませんけど、大丈夫です。そんなことはあ・・りま・・せ・・ん・・。(ホントか?)

いやね。CB1100のおもてなし感に比べれば、ぶっちゃけダイナやモトグッチV7なんて「穴だらけのチーズ」みたいなもんですよ。でも、「穴だらけだから、マズいわけではない」ってのもチーズと似てる。バイクってのは、得体の知れない感覚の集合体みたいなところがあって、複雑怪奇な奥の深さがありますから。

手間暇かけた隙のない完成度や作り込みが、最終的な信頼性や、耐久性、商品力や売上げにもつながるわけだから、そういう意味ではホンダは実に強いわけですが、その一方で、食う側の価値観は様々。

ご飯に卵と醤油をぶっかけただけでも、ジャンクな味でも、珍味系でも、「美味ければそれでいいじゃん」ってところがある。乗り手側からすると、バイクに「美味いと感じさせるナニカ」があれば良いワケです。

CB1100が一流の料理人が盛り付けや器にまでこだわって作った高級和食だとすると、V7は、濃いオヤジがこじんまりとした店舗でやってる二郎系ラーメンみたいなもんです。

「縦置感マシマシ、シャフトカラメでお願いします!」っていう変態マニア層が列をなしてる。

面白いのは、ガレージに並べて※しび江さん※とヴィーセ本口の2台を乗り比べてると、非常にデキが良くて全方位スキがない※しび江さん※が、「穴だらけのヴィーセを逆に光らせてしまう」っていう事態が起きてしまうことです。この2台は同じネイキッドの形してても、乗り手の喜ばせ方が全然違うわけなんです。

V7について、いろいろ語る前に、私自身「どんな味が好みなのか?」っていう基準を、ざっくりとお話ししておこうと思うんですけど、基本的に私は雑食性です。ただ、自分が大型免許を取った「あの頃のバイクの乗り味」が何となく忘れられないようで、シャーシやエンジンの設計がそこら辺の年代のバイクを好んでいるのかな・・って思ったりしてます。

最近取り上げてるCB1300や※しび江さん※(CB1100)は水冷、空冷の違いはあれど、フレーム、エンジン的には兄弟車で、そのベースとなってるSC54の登場は2003年ですし、ダイナやモトグッチV7も大体2000年代くらいの設計がベース。この頃までのネイキッドバイクって、今と比べると、良い意味でユルいし、乗り手のライディングにバイク側の介入が少ないんですよね。

現代の大型バイクってマスの集中化がしっかりと行われ、シャーシの剛性バランスも素晴らしく、駆動部分もどんどん締まって動きの質が良いものになってます。スロットルもクラッチも軽いし、レスポンスが良くて曖昧さもなく、スリッパークラッチ、ABS、トラコンフル装備で、とにかく後輪が滑ったりロックしたりしないし、危なくなったら即座にバイクが介入してくれる。そのくせ乗り味はとってもクリアで、フィードバックも正確。

これってレコードがやがてCDになり、さらにデータ音源になっていくとか、テレビがブラウン管から、液晶になり、さらにそれが4Kになっていくのと似たような感覚がある。今からバイクの免許取る人は現行バイクに乗るのが一番だと心の底から思います。

これに対し、古い設計のバイクは丁寧に作り込まれているとはいえ、現代のバイクから乗り換えると、ちょっと曖昧でフワッとしてるんですよね。車体が大きく感じるし、動きにも大らかさがあるし、バイクによっては雑味もそれなりに残っていたりする。

現行ソフテイルに乗ってから一世代前のTCダイナに乗ると、「隙だらけで雑だなぁ・・」ってほとんどの人が感じると思いますが、それがV7になると、現行モデルでも「さすがにいろいろ大雑把じゃないですか?」って苦笑しちゃう。

でも、私はそんな古き良きズボラさをフツーに許せちゃうタイプのようなんですよ。だってバイクに完璧をハナから求めてないし、あの頃のバイクって全部そんな感じだったから。結局真にオールドなバイクって、今のネオクラと違って、「作り方も古けりゃ、技術も古い、素材も古い、考え方も古い」んですよね。だから、今の進化したバイクに比べると古いがゆえの欠点も穴もある。でも、そういうものが「ビックバイクらしさ」として、私の体に刷り込まれているし、現代のクッキリハッキリした乗り味と比べると、なんとなく「癒やし成分強め」に感じるんですよね。

簡単に言うと乗っててなんか落ち着くんですよ。ズボラで育った人間は、部屋が整いすぎてると落ち着かないってのと同じかもしれない。

機械としての進化は1㎜も否定するわけではありませんが、バイクの良し悪しと好みは別ですから。今のバイクは環境と安全性を重視するあまり、電子的デバイスによる強制進化を続けているんですよね。でもそれが業界の都合の押しつけになってるところもあるし、なんとなく疲れるところもある。少なくとも私みたいに、融通の利かない自己中ライダーはそう簡単には変われないし、全然ついて行けてないんですよ。

イラストでもバイクでも、模型の世界でも、電子化っていうのは、効率的で便利な一方、「極めて曖昧かつ定量化が不可能な人間味の排除」を招き、その結果として「旧ユーザー層の離反」に繋がりかねないところがある。まぁ、私はガチのオッサン老害ライダーですので、「思い出補正」とか、「昔は良かった・・」みたいなものも多分にあるかもしれませんけど、進化についていけてない層や、それに違和感を感じる層ってのは確実にいると思う。

そんなオッサン目線で、モトグッチのV7を見ると、これもう「昔のバイクの穴、丸かじりスタイル」みたいなバイクなんですよね。穴開きチーズなのは間違いないけど、その穴を塞ごうともしていない。

その昔、とあるフレンチ料理界の大御所が、料理番組の中で「イタリア人は細かいことにこだわりはない。彼らが真に大事にしているのは素材の良さを生かしたシンプルさと、料理に対する情熱や感触だ。」っていっていましたけど、それは私がV7に感じていることとほぼ同じです。

ウチのV7は、とにかくシンプルで余計なモノは何もありません。ABSもトラコンも、なんか鈍感で「いつの世代のモノですか?」って感じだし、スロットルもワイヤーで味覚調整など一切ありません。(なお、本年度から電スロを採用するようになったようですが、空冷を今後も残していくには電スロによる燃焼調整はもはや必須なのかもしれません。)

しかし、そんなスッピンのエンジンフィールがとにかく素晴らしいんです。V7に乗ると「イタリア人にとっての魂や情熱ってやっぱエンジンなんだな~」って、改めて感じる。モトグッチご自慢の90°縦置Vはパワーはたいして出ていませんが、ビックリするほどトルク感がある。押し出し感は公道走行では十二分で、アクセル開ければ、脂とパンチの乗ったトルクがモリモリ湧いてくるし、エンジン回転も大空に舞い上がるように実に気持ちよく伸びていく。普通のバイクは回せば回すほど振動が増えていくのに、このエンジンは回せば回すほど透明になっていく。この感触がたまんない。

もうね。この包容力があって頼りがいのあるトルクと、美女の柔肌のように滑らかで美しい回転フィールを味わうと、不要な馬力を求めるのがマジで馬鹿馬鹿しくなりますよ。こんなオッサンバイクの中に、これほどのエロさがあろうとは・・って呆然となる。今となっては逆にコストがかかりそうな、空冷90°Vに、モトグッチがひたすらにこだわっているのは、このエンジンがまるでエクストラバージンのオリーブオイルのように

「どスッピンのままで素晴らしい感触を出す」

からなんだろうな~って思います。馬力を乗っけることで、このトルク感と回転フィールが失われるなら、そんなものはいらない。だって馬力を重視するんなら同じ90°Vでもドカの方を買えばいいわけですからね。

最近はバイクと折り合いがついてきて、3000回転あたりで流すことも多くなってきてますが、そのときの滑らかさと鼓動感のミックス度合いもなんとも素晴らしい。エンジンとシャフトドライブが一体となった動力系と駆動系の滑らかさは良質な感触のカタマリで、価格差が倍のゴールドウイングですら「この点は及ばないな~」と思うところもあるくらい。まぁ他で負けてるところ山ほどありますけどね(笑)

現代の複雑化するエンジンの中で、このオーガニックなエンジンフィールと駆動系の気持ちよさは頭一つ抜けたものがあると私は思う。シンプルなものの中に情熱を込め、その感触をひたすらに重視するイタリアンの真骨頂だと私は感じてる次第です。

その一方で、スペックとか、表示機能とか、細かな質感とか、そんなこと多分どーでもいいんだろうなぁと思う。とにかく、過度なアピールは全然してこない。ただでさえ見てくれがオッサンなのに、シャツとネクタイがヨレヨレで、どこかにポンコツ風味というか、「お仕事するのイヤです」っていうヤル気なさそうな雰囲気が漂ってるんですよ。この生活力のない感じが「なんとなく壊れそう・・イタ車だし・・」っていうイメージをも助長する。

これじゃ、アイロンをあてたYシャツとスーツをビシッと着こなすトライアンフのボンネビルに印象の時点で負けちゃうし、質感で目が肥えてる日本人ライダーに面接で落とされるのも当然。このため、日本じゃ坊主のように達観したベテラン層向けのバイクになっちゃってるんだと思うんです。

結局のところモトグッチって、昔から売れようが売れまいが、ずーっと「自らの主張」を爆発させ続けてるガチのインディーズ系地下バンドなんです。縦Vというコダワリをひたすらに追い求めていて、主義主張を曲げてまでメジャーになりたいとは1㎜も思っていないフシがある。多くのバイクメーカーが収益を上げるために規模の拡大を目指そうとする時代に、小さく強固なファンコミュニティをバックに、はるか昔に掲げた縦Vの理想を追い続けるモトグッチのインディーズ路線はまるで不気味な秘密結社。エンジンメニューは奇っ怪な縦Vのみで「伝統の空冷がよろしいですか?それとも性能の水冷ですか?」の2択しかない。試乗記も少なく、地方に住んでいると試乗機会もほぼありませんし、そもそも試乗レベルじゃ全然良さがわからんバイクだと思う。もうね。歴史はあるけど謎しかないんで、「モトグッチを推してるネモケンさんを信じて150万出す」ってバイクになってるんですよ。

でもね。このうだつの上がらないイタリア中年は、一旦舞台に上げて、ソロでエンジンが独唱はじめたとたん、バイク好きはきっと皆白目になると思う。「オィィィイイイイ!!おまえ、そのガワでこんなエロい声なのかぁぁあああ!」って頭はたきたくなりますよ。ワインを飲み過ぎたのか、足回りやシャーシはヨレヨレですけど、そのシャーシが乗り手の脳内麻薬を抑制する絶妙なスパイスになってるから、これまた実に始末が悪い。エンジンの回りっぷりとシャーシの遅さのコントラストがなんともいえず、ヘンな中毒状態になってくる。このお手軽な時代に「そんなメンヘラみたいなオッサンバイクいらん」って人は、他にいいバイクは一杯ありますから、そちらを選べばいいと思う。


(私の感じるモトグッチのイメージ。それは、大阪の新天地で朝から酒飲んでるダメオヤジから発せられる天上の歌声。こんなんどうしろと?)

日本における年間販売台数はモトグッチ全体で300台から400台程度っていうんだから笑っちゃう。ハーレーが武道館でコンサートやってるとすると、モトグッチのハコは市民会館で十分ってことです。でも、私はモトグッチには、ずーっとこのポジションでいて欲しいんですよね。メジャーになっていろんな足かせがハマってしまうと、モトグッチの良さも失われてしまうと感じるし、派手な広告でブランド戦略をやるようなメーカーでもありません。

モトグッチは一旦良さを理解できれば、デキの良い日本のバイクと比較しても、独自のポジションでずーーっと居座り続けます。隙なくキッチリ作られたCBと、だらしなさはあるけど感性勝負のV7では、そもそも比較が成立しません。私はいろんな意味で適当なV7やダイナと付き合ったからこそ、日本的気配りの権化ともいえるCB系がやたらめったら欲しくなってしまったところがあって、そこにはある種の補完関係がちゃんと成立しているんだと思う。

今後、製造面や制御面でのデジタル化がどんどん進む中、人に魅力を振りまく「趣味の乗り物」において「人の好みとは何なのか?」は命題としてどんどん大きくなっていくように思います。デジタルをそのまま提供しても、きっと人の好むものにはならない。良く出来ているから、好まれるとも限らない。バイクはどんなに電子化されても、アナログの意識と肉体を持つライダーの感性は永遠にアナログでワガママなままなんです。そもそも私が電スロにおいて一番重視してるのは、「電子的でないこと」ですから、もう現段階で矛盾が生じているんですよね。

良いものを作るのも大事だけど、好まれるものを作るのはもっと大事。これって大型バイクの一番の課題かもしれませんけど、モトグッチみたいな感触重視の小規模メーカーは、「割としぶとく生き残っていくんじゃないかなぁ・・」と思うところはあります。生産数が少なく、社会への影響がほとんどない割に、ファンダムが根強くて趣味性が高いメーカーが生き残っていけないような、そんなつまらない時代が到来しないことを切に祈りたいですね。



(オマケ漫画「地下バンドの主張」)
売れないアーティストp1
売れないアーティストp2.1
(メジャーなホンダとインディーズのモトグッチ、そのスタンスはまったく違いますが、まったく違うからこそ、相性がいいともいえます。)