2月はきんつば嬢が無双した月だったんで、今回きんつば嬢は一回お休みです。その代わりに取り上げるのが、モーターショーで最大の話題となったCB1000Fコンセプト。たまには時事ネタをやろうってことで、今最もHOTなこのモデルについて、私の感想と一消費者として、ホンダに対する意見と要望を書いてみたいと思います。

「オィィィイイイ!ちょっと待て待て!!お前なに偉そうに語ろうとしてんの?そんな資格あんの?」

って言う人もいるかもしれませんが、私はこれまでのバイク人生の中で、ホンダのバイクを10台購入しているんですよね。だから少しくらいはホンダにもの申す権利はあるんじゃないでしょうか?っていうか、もの申させて下さいお願いします。

で、モーターショーで盛大にアンベールされたのがこれだぁ!!!

cb1000f 2(大阪モーターショーで発表されたCB1000Fコンセプト。写真は全てHondaGO BIKE RENTALのホムペから転載してます。)

ショーモデルはコンセプトでまだ保安部品がついていなかったですけど、間違いなく市販されますよね?市販する前提でなければ、その横にコラボモデルが展示されているはずがないって思うんですよ。外部企業を巻き込んでいる時点で、既にマーケティングの広報費が発生しているわけだから、市販前提でないとつじつまが合わない。

このCB1000Fの発表をCB1300SFがディスコンになるこのタイミングに間に合わせたのは英断でした。そうでなければならない理由は2つあったと思う。一つはCBファンに市販に近いCB1000Fを見せて、

「CB1300SFのファイナルと、どちらを選ぶの?っていう、決断の機会を提供する」

ってことと、もう一つは

「伝統のCBの名を冠するネイキッドモデルの血統は切らさない」

っていうホンダの決意表明ですね。

だって、もし、このCB1000Fがここで発表されなかったとしたら、CB1300SFが消えた後のホンダの国内ラインナップってどうなりますか?中型クラスの屋台骨はGB350とレブル250、大型の屋台骨がCB650Rとレブル1100ってことになっちまうじゃないですか?これってどう考えてもおかしいでしょ?

だって、カタログにホンダの伝統的な王道マシンが存在しないじゃないですか。カワサキにはZもWもあるのに、ホンダにはCBらしいCBがない。ラインナップ見渡してカウルなしのネイキッドを選ぼうとしたら、レブルとCL250以外は、みーんなヨーロッパか、インドからの帰国子女。ホンダファンじゃなくても、「オィィイイ!!日本らしさどこにあんの?」ってツッコミを入れたくなりますよね。

もうね。こんなこといっちゃなんですが、ちゃんとした和製ネイキッド作って出せば、海外はともかく、日本で売れるのは間違いないんですよ。だって、Z900RSが国内販売で独走してるじゃないですか。

私はね。別にネオレトロだから「売れますよ」と言ってるんじゃないんです。正統派ネイキッドスタイルって、日本人が「格好いい、美しい」と感じるバイクの普遍的な形だからなんですよ。ハーレーが長年あのスタイルのままであり続けているように、日本のバイクの基本は、誰が何といおうが4発ネイキッドなんです。

ヨーロッパではストファイデザインが大人気で、この市場を無視できないのはわかる。でも、日本には日本がつちかってきた美学、アイデンティティってもんがある。日本を代表するメーカーが日本的な美学を捨ててはいけません。新しいデザインをやるのも大事だけど、歴史的デザインっていうのは大きな大きな財産ですからね。

トライアンフがうまいな~って思うのは、アバンギャルドなデザインを3気筒でやって、英国の歴史と文化に基づいた定番デザインをバーティカルツインでやってるところ。現代のトレンドと歴史的価値の両軸を抑えてるところがトライアンフの安定感と躍進の理由だと思う。

このように歴史を作ってきたデザインって古参メーカーの大きなアドバンテージなんです。特に大型バイクのような高付加価値商品って、歴史や伝統、文化的アイデンティティを漂わせることが差別化のために非常に重要。そんな定番デザインは、根強いファンがついてるから景気の波にも左右されにくく、長く販売できる足腰の強い商品になる。それは新興メーカーがどう頑張っても手に入れられないものなんで、それを生かさない手はないんですよ。

カワサキは自社のデザインアイデンティティを利用するさじ加減が昔から絶妙で、顧客の心をくすぐるのがやたらうまい。ヤマハはホンダとガチでやって一時潰れそうになりましたが、カワサキはホンダとガチでやったらマジでヤバいってのがわかっているから、隙をついてホンダをうっちゃるのを生きがいにしているようなメーカーです。今から遡ること35年。ゼファー400と750が立て続けに発売された時、ホンダは「はぁん?ゼファー?バカじゃないの?こんな古くさいの売れないでしょ(笑)」ってタカをくくっておりました。でも実際はゼファー400と750がバカ売れして販売独走態勢になっちゃって、「オィィィイイイ!待って、待って、どうなってんの?」って口から大量の泡を吹くことになったわけです。

今回のZ900RSについても、ホンダは初めタカをくくっていたと思うんですよ。「はぁん?なにこれ?CB1300SFの対抗馬なの?ストファイを旧態依然のネイキッドデザインにしただけじゃん?」って甘~く考えていたんじゃないでしょうか。でも、結果はどうですか?国内販売でコテンパンにのされちゃって、ゼファーの時と同様、白目になって大量の泡を吹かされることになってしまったわけですよ。

要因は実にシンプル。Z900RSはCB1300SFに比べて「コンパクトで軽かった」っていうことです。そう、これが近年のトレンドで、それはレブル250が手軽さと超足つきでバカ売れしたのと同じ構図。

確かにベテラン勢の中には丸山さんみたいに「人が尻込みするようなデカいバイクで峠で無双するのが好き♡」って人もいます。でもね。あの人って誰が見てもCB大好きライディングバカの変態おじさん(褒めてます)で、一般人じゃないですよね。あの人が「人が尻込みするような」とか「でっかくて重いバイクで~」なんて言ってる時点で、売れ筋じゃないって言ってるようなものですよ。

Z900RSが売れたのは

「重くてデカいバイクしかなかった時代ならともかく、今の時代にそんなストレスフルなものを選択するなんて合理性の欠片もないでしょ?」

って多くのライダーが考えているからだと思うんですよね。

確かに重いバイクには、軽いバイクにはない良さがある。でも、軽くてスリムってのは、価格的にも性能的にもバイクの理想であり、正義なんです。重いバイクが大好きな私だってその点は1㎜たりとも否定しない。昔のリッターバイクはエンジン自体がドデカかったから、頑張ってもCB1300SFくらいの巨体になっちゃってたわけですよ。それがどうですか?今のエンジンは超コンパクトでフレームも軽いから、リッターバイクが210㎏ソコソコで作れちゃう。それを生かして軽さを攻めたZ900RSは現代の王道を行った以外の何ものでもない。

カワサキの快進撃を指をくわえて見ていたホンダも、そこら辺はよくわかっているでしょうし、満を持して後出しするからには、何としても「独走するZ900RSを撃墜しなきゃならん」わけ。天下のホンダが、フラッグシップCBを後出しして、「Zとガチンコで一敗地にまみれちゃいましたぁ♡」なんて絶対にあってはならぬ背水の陣。だからCB1000FはZ900RSより

①軽くて

②ポジションがコンパクトで

②足つきがいい

の三拍子をやってくる。これは私がもしCBのLPLになって「Z900RSを撃墜しろ!」って言われたら絶対にやる。そんな軟派なものはCBじゃない!って言われてもやりますよ。だってそれがニーズだもん。

ダレノガレ明美さんがCB1300を購入して「お前にBIG-1が乗れんのかよ!」なんて心ないことを言われてましたけど、ああいう意見が沸いてくるのが「CB1300SFのネガそのものだ」って私は思う。つまりデカくて重いが故に「特別な技量を持つ人の専用機」みたいに見えてしまう敷居の高さ。確かに昔は大型は乗れるだけで特別な技量の証明って言われてた時代もありましたよ。そんな時代には敷居なんてどんなに高くても良かったんです。

でも、今は初心者でも教習所でいきなり大型免許までとれちゃう時代。BIG-1登場時にまだ日本に存在していた「大型への技能階級的意識」なんてものはどこにも存在しないんですよ。

みんながフラットな立場で大型バイクを楽しめるこの時代に、定番商品として多くの人に喜んでもらえるものをデリバリーしようって考えたら、まず「敷居の高さ、とっつきにくさを削る」ってのは当たり前の方法論なんですよね。レブルなんて、人気のハーレーに和テイストをブチ込んで、250から攻めるという階級無視の下剋上をやって、とっつきにくさも全部削って大爆発したわけでしょ?

で、バイクから、そういうとっつきにくさやネガを削り、絶妙にバランスとることに一番長けているメーカーがホンダなんですよ。だから、CB1000Fでは、そういう「ホンダのお家芸」を存分にやってくるんじゃないかって私は考えているんですよね。

「いやいやそうは言ってもだね~。現代の軽くて電子兵装満載のイージス艦は、俺のお好みじゃないんだが~💀」

っていうライダーについては、CB1300SFっていう古来からの大和級戦艦が奇跡的にまだあるでしょ?だから、文句あるなら、そっち買っとけ!ってことで問題はどこにもない。はい!終了!

と、ここまでCB1000Fコンセプトについての私の分析と評価を並べてきましたけど、ここまでなら

「へっちまんさんはCB1000Fコンセプトを諸手を挙げて受け入れてくれてるんだね♡」

「一緒に気運を盛り上げていこうじゃないですか!」

なんてことになりますけど、ここで一言申し上げたい。

「だが断る!!」

あのね。そんな毒のないことで、私のブログが終わるわけがないのですよ。

そう、このコンセプトモデルについて、私がどうしても書きたいことが2つある。それは

①とにかくエキパイをなんとかしろ!!

②ホーネットと同じヨーロッパ型の出力特性で出すのはやめて!!

です。

まず最初のエキパイですが、これは声を大にして言いたいから、フォントを最大にしましたよ。まぁね。デザインなんて好き嫌いなのは重々わかっていますのよ。でもね。多くの人が感じるネイキッドモデルの普遍的な美しさってのは、過去を見れば自ずと明らかになるわけですよ。ネイキッドって、なんでネイキッドって言われているかわかりますか?

裸だからですよ。

そう、ネイキッドバイクはヌードモデルと同じなんです。つまり

「裸体の素の美しさ」

が重要なのですよ。これに対して、ストリートファイターはSSのカウル取っ払った「公道殴るマン」だから調和より強さとマッシブさが表現されてりゃいい。でもネイキッドは、見た目の美しさを外しちゃいけないと私は思うんです。

で、その美しさのキモって、

「下半分を構成するエンジンと、そこから後方に流れていくエキパイの一体感。上半分を構成するタンクからテールへのライン。その二つの美と調和」

なのですよ。CB1100なんかは、そこら辺の安定感、収まりの良さにメチャクチャこだわったバイクですから、さすがにそこまでのレベルは要求しません。でも、でもですよ。

車体のラインに対して、逆反りしているエキパイはやめろ!

ここがCB1000Fコンセプトのデザインで、メチャメチャ違和感を感じる部分です。イラスト描きとして、あまりにも違和感があるんで、見ていてそこにばっかり目がいくし、座りが悪くて気持ちが悪いんですよ。もしモーターショーのエキパイのままで発売されたら、スタイリングにこだわる人はみんなエキパイを社外に換えると思うんですけど、スリップオンならともかく、エキパイ換えちゃうと、出力特性がかなり変わっちゃうから、「ノーマルの完成度を愛する人ほど苦悩する」ことになってしまうじゃないですか。

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(エンジンを大きく迂回するエキゾーストパイプ。これストファイだと当たり前のデザインなんですけど、エキパイの取り回しの美しさを問われるネイキッドの処理としてはいかがなものか。)
和製ネイキッド側面図(こちらは近年の和製ネイキッドの側面図の比較。ほとんどのモデルが車体のラインに沿うようにエキパイを流していっていますが、CB1000Fコンセプトのエキパイだけが脱腸状態。)

ちなみにカワサキはこのネイキッドの美をよく理解してて、Z900の逆反りエキパイをZ900RSで「エンジンに沿わせるようにわざわざ仕様変更してる」んですよね。
z900とz900rs
(Z900とZ900RSのエキパイ部分の比較。Z900RSはエキパイをちゃんと仕様変更してる。ここにカワサキ開発陣の見識を感じます。)
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(こちらはカタナ。現行カタナがイマイチブレイクしないのは、初代1100カタナが「リッターネイキッドの最高速仕様」ってスタイルだったのに対し、現行は「モロにストファイデザイン」だからだと思う。カテゴリー違いなんですよね。ストファイなんで、逆反りエキパイはそのままだけど、エンジンとエキパイの間に生じる隙間をアンダーカバーで潰し、まとまり感のある下半身にしてるところは評価したい。)

Z900RSはそれに加え、クラシカルな砲弾メーターも採用したりで、意匠面を徹底して作り込んでいます。でも、私は砲弾メーターについてはとやかく言わない。「液晶の方が情報が多く、軽いし、ナビの表示など、これからの時代を見据えればライダーの利点も多い」ってことならば、その意見には説得力があるし、和製ネイキッドだからといってクラシック一辺倒の必要はない。Z900RSが入れている空冷風のフィンだって機能と関係ない装飾で、「水冷モデルの空冷フィンはタダの加飾でスケベ心」って考えているから、私はない方が逆に好きまである。

でもね。エキパイについては、「ネイキッドの普遍的な美を理解しているかどうか?」の本質的問題になっちゃいますから。長年バイクを見てきたものとして、これはさすがに譲れない。

なんとなく、メディアの盛り上がりを見ると、「このまま保安部品つけて市販されちゃうんじゃないの?」って感じますけど、それだと到底納得できないですね。だってカワサキがやれてることを、後出しのホンダができないわけないでしょ?例えお安く発売されたとしても、エキパイ変えるのが前提のようなバイクは結果的にはコスト高ですよ。ホンダがCBをクリエイティブ・ベンチマークと定義するなら、後から社外に頼らなくていいように作り込むのが使命だと思う。

これは、コンセプトを見た瞬間に感じた違和感ですから、私が言わなくてもジャーナリストの誰かが言ってくれるんじゃないか?って期待してたんですけど、皆ヨイショばっかりだから、私がここでキッチリ指摘しておきます。

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(こちらCB1000Fベースのモリワキモンスター。エキパイ隠すと途端に格好よくなるんですよ。)

もう一つの懸念点は前にも言いましたけど、出力特性です。私が引っかかっているのは「CBがFのデザインで出てきた」こと。私にとってFはその昔、限定解除合格請負ライディングスクールで、徹底的に乗り込んでお世話になった車両ですから、愛着もあるし、全然嫌いじゃないですが、このモデルの復刻イメージがヨーロピアンデザインのFで、カラーはスペンサーってことになると、アメリカとヨーロッパでも「それなりの売上げを見込んでいるんじゃないか?」って勘ぐっちゃうんですよ。

車体の運動性に海外の要望が入ってくるようだと「馬力を盛る路線に振れていくんじゃないか?」という危惧がある。まぁ今の日本の若者達がそういうものを求めるんなら、それはそれでニーズなんですけど、販売みると全然そうじゃないわけですよ。

リッタークラス売上げ1位のZ900RSは110馬力台、2位のレブル1100は80馬力台、3位のハーレー・ローライダーだってハイアウトプットで114馬力でしょう?売上げ上位がそこら辺に落ち着いてる国内市場で、どう考えてもスタンダード・ネイキッドに150馬力もいらんわけ。123馬力のストリートトリプルRSだって240km/hまで出るっつーのに、それ以上の馬力いる?180とか190でリミッターが効く国内仕様じゃ、使いようがなくて矛盾が過ぎますよ。それなら上を削ってトルクやコントロール性を盛りましょ?

バイクは乗り手次第だ!なんてよく言われてますけど、違いますから。実際はバイクが乗り手の走りをある程度決めちゃうんです。バイクを買うと、多くの乗り手が、「そのバイクなりの走りをしなきゃいけない」って考える。我々スカポンタン世代は特にそう。だからこそバイクの姿形と、その本質ってのはある程度一致してなくちゃならないと私は思うんですね。走りに振ったストファイが存在している現代のリッターネイキッドっていうのは、溢れる余裕で、バイクを操る楽しさをタップリ味わおうって人向けのバイクになってますから、そこをしっかり作り分けて欲しいというのが私の切なる願いです。

ネイキッドというのは日本におけるバイクの基本、原点にして故郷のようなものであり、4発ネイキッドのCBなんてのは、その中でも定番中のド定番。そんな大いなる定番モデルにカタログスペックの見栄えなんかいらんでしょ?もっと本質論で勝負しましょうよ。

日本の公道で望まれてもいないし、使いようがない。そんな馬力のために生じるネガを、ネイキッドモデルで受け入れるのはバカバカしいって私は思う。高速機動に対応した堅い乗り心地をガマンしたり、必要以上の排熱に耐えたり、ハイグリップタイヤの不経済性に泣いたりするのは、実利を最大化したい人にとっては「なんでこうなった?」ってことになると思うんですよね。
 
でも、そこはやっぱり新型。

「Z900RSやCB1300SFに負けるのイヤなんです!」

って気持ちもわかりますよ。そこを考慮した上で、私としては「118馬力くらいが落とし所として妥当なんじゃないの?」なんて思っていたりします。

ということで、ここまでグチグチと小姑、老害っていわれるようなことを書き散らしてきましたけど、私はこれまで事故10回もやってて、その過程で両手首をポッキリ折って、鎖骨もやって、3回も病院送りになってるんです。それでもまだバイクを降りていないのは、それくらいバイクって魅力がある素晴らしいものだからです。でも、これからの人達は可能な限りそんな目にあわない方がいいじゃないですか。

私がこんなブログを延々書いてる時点で、CB1000Fのアンヴェールに対し、メチャ気分が上がってることは間違いないんですよ。買う買わないの話はとりあえず脇に置いておいて、和製ネイキッドのCBがちゃんと残っていくということに対していちバイク乗りとして心からエールを送りたい。だからこそ、多くの人が感動し、楽しめる仕様で出てほしい。消費者と事業者ってのはいつでも真剣勝負ですから、とりあえずその点については、茶化さず真っ向から書いておきたいんですよね。



(オマケ漫画、「上から目線と下から目線」)
アンヴェール
アンヴェール2
(これが私の中でのホンダの序列。世界中で愛され続け、累計販売1億台の稼ぎ頭、スーパーカブの前では、贅沢三昧のリッターバイクなど、もはや家臣も同然です。)