今回はダイナのブログ回なんですけど、趣向を変えて、バイクの多頭飼いと上がりをメインテーマに語りたいと思います。

現在私の所有するバイクは、大型5台。かなーり狂ってます。所有年数はダイナの2台通算16年目を筆頭に、きんつば嬢が5年目、※のじゃ子が3年目、V7が2年目、CB1100が約半年。こうやって並べてみると「コロナ以降、毎年バイクを買ってるな・・」って愕然とする。

実をいうと50を過ぎたあたりから「体力が一段衰えた」ってのを明確に自覚しているんですよね。視力も落ちてきて、模型も作れなくなっちゃった。「こんな調子じゃ、もう何年バイクに乗れるのかわかんねぇな・・」なんて考えて、焦り出しているんです。

衰えの自覚と共に、自然と「上がりとは何か?」を考えるようになり、今、私は「上がりバイクを探す旅」の途中にいる・・・はず・・・・なんですけど・・・、ハタから見ると脇道に逸れまくってるばかりか、タガが外れちゃったように見えると思うんですよ。上がりバイクとして1台を選ぶどころか、各エンジン形式ごとに「上がりバイクを選んでいる」という恐ろしいことになっている。

5台(いろんなエンジンに乗りたい、という欲望に駆られ、気がつけば5台。目眩がする。)

結局のところバイクの個性ってエンジン形式によるところが極めて大きいんです。ハーレー世界ではショベルとエボとTC、ミルウォーキーの優劣なんかが熱く語られたりしますけど、空冷Vツインと水平対向6気筒という対極のエンジンを乗りわけてる私からすると、「それ本質的には同じじゃね?」って思うんですよ。「同じV型でも縦置きとか、V4とか、全然違うエンジン同士で乗り味を比較した方が楽しいと思うんだけど・・」って考えちゃうわけですね。まぁハーレーにこだわる人は、飼い犬はレッドリバー・オンリー!レッドリバー最高!!っていう方々でしょうから、それはそれで良いんですけど、ちょっと価値観が固定されすぎなんじゃないか?と思いますよね。私は「レッドリバー?それも確かにいいワンちゃんだけど、他にも魅力的で愛せる犬種は一杯ありますよ~」ってスタンスですから。

昔、元ホンダのワークスレーサーの宮城光さんが

「いろんなエンジンを揃えると楽しいゾ~♡」

みたいなことを言ってたんですよ。宮城さんは当時、6発ではCBX1000、V4はアプリリアRSV4、4発はCBR1000RR、Lツインはドカのスクランブラー、単気筒ではXR600を所有していて、「こりゃ、楽しいだろうな~」って感心しつつも、「ははは、この思想はヤバい、ヤバすぎる。こうなってはいかんな(笑)」って、心の中でツッコミを入れていた記憶がある。

しかし、気がつくと、何故か私も同じ穴のムジナということに・・。

コロナが終了して消費意欲が萎えたと思っていましたが、それは単に気分的な問題や、社会的ポーズに過ぎなかった模様。そう、今更ですけど、私は世間の空気読んで消費するような人間ではなかったんですよ・・。しかもコロナで夜に遊び歩かなくなって、その間ひたすらバイクで夜走りをした結果、「興味と消費がバイクに集中する」という恐ろしいことになっている。昨今、長きにわたって、密かに思いを寄せてきたバイク達が次々とディスコンになっていることもあり、それを拾い上げていると、バイクがどんどん増えていくんですね。

他の浪費でも同じだったんですけど、「人間って、ある一線を超えてしまうと、そこから先は秩序が失われるだけ」なんです。素行を正すどころか、奇行の純度が高まっていく。

2台にしたときは、凄い葛藤があったし、3台になったときはかなりの罪悪感があった。4台に増えたときは、「ついに頭がおかしい領域に入っちまった・・これでは単なる浪費家ではないか?」って真面目に悩んだんですよ。でも5台目は、もう完全にふわっとして、「ウフフ~♡既に一線を越えちゃったんだから~もうこの先は一緒でしょ♡」って、ええじゃないか状態になってしまっていたんですよ。

人は異常領域に足を踏み込むと、その罪悪感を薄めるために、自分よりも病状が進行している人を探すようになっていく。それはイカレた者同士が傷をなめ合う極限世界。ご長寿早押しクイズのように、テレビの前で、解答者の明るいポンコツぶりを見て、「俺もまだまだ正常だ!」という安心感を摂取するという末期状態です。


(こちらご長寿早押しクイズ。どんなに考え抜かれたギャグもナチュラルなピンボケには勝てない。やがて私のブログもこうなってしまうのか?)

調べてみると、前述した宮城光さんは現在1台増えて6台所有になっておられる。公式ページの情報ではCBR1000RRを手放して、ムルティのV4とGASGAS ES700を追加したみたいですが、追加車種も維持費を考慮しない見事な壊れっぷり。そんな情報を見て、「俺はそこまで壊れてないからセーフッ!!」と胸をなで下ろす妄想チキンレースが頭の中で展開される。そもそもバイクで飯を食っている業界関係者と比較してる時点で、完全にどうかしてるわけですけど、心が楽になれば、もはやなんでもいいわけです。

この自らの病状を見るにつけ、

「上がりバイクとは一体なんだったのか・・?」

って改めて考えちゃいますよね。だって私の場合、「上がりバイクを絞る」どころか、どんどん逆方向に驀進してるわけじゃないですか。今でも、上がりバイク候補として、いろいろと物色して買ってるのは間違いないんですよ。しかし、バイクはどんどん増えていく。

なんでこんなことになるのか?これは私の中で「上がりの概念がズレてきている」からに他ならない。上がりの形が一台に絞ることではなく、「欲しいバイク全てを制覇する」っていうアレキサンダー大王のような征服思想に変わっているんです。これでは「フルコンプ上がり」を夢見るポケモン収集家と変わりません。

でもよく考えてみるとですよ。本来、上がりの定義ってのは1台に絞ることではないと思うんですよ。「特定の状態に満足し、それ以上の欲がない状況に至る」ことが上がりだと私は考えているんです。しかし、その状態に至ることが、1台では極めて難しい。それほどバイクという機械は複雑怪奇で奥が深いものなんですよね。

多くの人が良心の呵責とか、環境的制限とか、経済的事情とか、常識的な思考で「1台に絞っている」という前提のもとで、上がりの1台が議論されてきたわけですけど、それってかなりハードルが高いと思うんですよ。だって、バイクってハマればハマるほど絞れないじゃないですか。今、現実に購入可能なエンジンの気筒数だけでも単、2、3、4、6と5種類もあるし、排気量も様々、シャーシにもいろんな種類があって、それぞれにしっかりとした魅力がある。そんな中から「あなたが永遠に愛せるベストを見つけてね♡」ってのは、浮気性で目移りの酷いバイク乗りにはハナから無理難題だと思うんですよ。

そもそもバイク業界は上がらせたら終わりなんだから「そんな簡単に落ち着けると思うなよ!」とばかりにどんどんバイクを出してくるし、バイク好きって下の絵ヅラのようなノーテンキなバカばかりなんで、賢い人達が考えた消費の檻の中で徘徊することしかできない。

ヘアー22(どんなに取り繕ったって、バイク乗りは加速に脳をやられたバカ。昔のカワサキ乗りなんて私も含めて、大概こんな感じですよ。)

今は多頭飼いの私ですが、バイクを1台に絞り、それを大事に大事に愛し抜くってのも素晴らしいバイクライフだと思ってるし、一時はそれを夢見たこともある。ダイナに施したカスタムは、1台だけしか所有しないという前提があったから、あそこまでできたんです。でも、それを徹底的にやった結果、

「1台に全てのシュチュエーションを満足させるような広い用途性をもたせることはできない。」

「どんなに金をかけても完璧なバイクを作ることは不可能」


ってのが自分の中ではっきりしたんですよね。その閉塞状態を打破するためにゴールドウィングF6Bを2台目に選んだわけですけど、これがヤバいくらいハマってしまった。対極のバイクが2台あることによって、3台分、4台分の感動が得られた(当社比)って私は感じてます。

でも、それで止まらなかったのは私の不徳の致すところ。必要から生じて趣味に昇華されたものって、なにが始末に負えないかというと、「本来の目的であった必要性と切り離されてしまう」ってことです。どんなにバイクを所有しようが、体は一つしかない。移動の道具と考えるなら、2台目からはまったくもって無駄。だから多くの人が悩みに悩んで1台に絞っていくのだと思いますけど、それ言い出したら、大型バイク、特にリッタークラスなんて、どう考えても過剰性能で無駄の極みですよ。大型なんてのは、「純粋な楽しみのためにだけ存在しているシロモノ」なんですよね。だから、

「これは実用ではない!バイクライフにおいて楽しさを最大化するアイテムなのだ!」


と割り切ってしまえば、何台もってたっていいことになっちゃうわけですよ。

私的には、理想を求めるのなら2台持ちが一番効率がいいかなって思ってます。1台を理想のバイクにするべく徹底的にカスタムしてもなかなか報われないから、お互いを補い合うような2台を所有して、2つの力で欲望を退治していく初代プリキュア型がオススメ。(置場があればですけれど・・。)

大型バイクのパーツって昨今はとても高いですから、理想に向けて徹底的にカスタムし出すと、もう一台買える値段になってしまうし、どんなに金かけてもバイクの基本的な出自を変えることはできませんし・・。

問題は、このパターンでさらなる展開を求めると最近のプリキュアよろしく大所帯のオールスターズになりかねないこと。台数を増やせば理想にさらに近づきますけど、常識からは遠ざかる。消費は一線を越えると修羅道、鬼畜道になりますし、世間からは変人扱いですので、到底オススメはできません。

そんなわけで、多頭飼いの言い訳じみたものを長々と書いちゃいましたけど、最後にちょっとだけダイナの話を・・。近年、個性豊かなバイク達が次々参加し、バイク小屋がぎゅうぎゅう詰めになっていく状況にあって、所有がダントツに古いダイナの評価が相対的に下がっているのではないか?地位が揺らいでいるのではないか?って感じる人もいると思いますが、そういうことは不思議とないんですよね。

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実はこう見えて、バイクの絞り込みはちゃんとやっていて、買いたいという衝動が起きるバイクってのは、ほぼ私の脳内で固定されているんです。購入してるのは何年も前からある程度意識している枯れたバイクがほとんどで、ニューモデルが出て即決したのってHAWK11だけ。そのHAWK11も定評のあるアフリカツインのシャーシとエンジンをロードにまるっと転用した個体でしたから、熟成度は高いし「これで自分の環境でも最新のシャーシとパラツインの組み合わせが存分に味わえる!」って思いも強かったんですね。

私はバイク選びにおいては、枯れた機械というか、機械的な馴染み度からくる安心感のあるフィーリングを重視しているところがあるんですけど、これは乗り手とバイクにもいえることで、ダイナは「乗り手である私とメチャ馴染んでる」点で特殊な存在になっている。通算16年目、11万㎞の付き合いで、私自身が満足するところまで徹底的に手を入れてますから、お互いの馴染み度はハンパない。

冬のダイナはクソ寒く、12月から3月末までほぼ冬眠しているんですけど、暖かくなって最初の乗り出し一発目から「あ~!これこれ!これな!」って普通に乗れちゃうんですよ。これは何気に凄いことで、大概のバイクは長期間乗らないと、クラッチの感覚や操作感にフォーカスが合うまでに、ちょいと時間がかかる。でもダイナに関してはそんな気づかいが一切ない。その点だけでも、他のバイクとは明確に違うなって感じる。

バイク自体は古くなってきましたが、距離と年月と手間暇で積み上げてきた私との関係性は、新しいバイクが増えるほど、コントラストになっている気がするんです。ダイナは所有期間と走行距離における私の一つの到達点で、現在もそれを更新中なんで、他のバイクが追いつく見込みはちょっとない。その所有年数の差のコントラストが新鮮で、それがトキメキに繋がるわけですから、バイクってホントわかんないもんです。

以前から言ってますけど趣味において大事なのは、そういうちょっとしたトキメキの維持なんです。初心者は放っておいてもトキメキ爆発なんですけど、歳食ってくるといろんなことに麻痺してドライフラワーみたいになってくるから、意識して養分を摂取しなきゃいけないんですよ。そんなオッサンが語る「上がりバイクを探す旅」なんてのは晩年のトキメキ増進のための養分に過ぎない。

多くの人が上がりバイクを夢見ているけれど、現実はどうでしょうか?上がりバイクって「一生のお願い」「10年乗るから」などと同様、バイクを買うために、ひたすら連発される枕詞になっていませんか?なってますよね?いやね。確かに上がりバイクってのを考えるのもバイクの醍醐味ですよ。でも、よく考えて見てください。

そもそもアナタに上がる気があるのでしょうか?

上がる気のない奴の「上がりバイク論」ほど空虚なものはありません。自分では上がれないからバイクで上がろうなんて、そんなの無理。ちまたで連呼される上がりは、ほぼ上滑りしていて、バイク買い換えのための下準備、心の免罪符に過ぎなくなっているのです。それに気づいてから私は、上がりバイクを考えることを完全に放棄しました。

だってそれを真剣に考えるほど、バイクが増えていくんだから・・(白目)


(オマケ漫画「上がりバイクの実像」)
指さし1p
指さし4
(上がりバイクってホント危険なワードで、それを真剣に考えすぎたのが、私の多頭飼いの原因ではないか?と最近では思ってます。)