今年一発目のバイクネタはモトグッチV7からです。本年も明るく楽しくシャキシャキとバイクネタを綴っていきたいと思います。

ちまたでは、モトグッチといえば、クセ強バイク、マニア向けバイク、おっさん向けバイク、などと言われてますが、その点についてはまったく反論はございません。実際、私もそういう印象を持っていましたし、乗って半年くらいは、「ううん、確かにベテラン向けかな・・」と思ってたんです。

V7って私にとっては初の縦V、初イタ車でしたから、納車しばらくは、その新鮮さに浮つきつつもキャッキャと喜んでいたことも事実。でも、それから1年半が経過し、その印象は大きく変化しています。バイクの中には「時間と共に大きく印象が変わる」個体があり、それがオーナーとしてのバイクインプレを実に難しくしています。

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(1月3日は午後から晴れ間が広がりましたので、初走りに行ってきました。冴え冴えとした冬の空と珍しく穏やかな日本海のコントラストが素晴らしい。)

私はブログ初期では、このバイクを「メッチャ男っぽいイタリアンマフィアみたい」って言ってましたよね。新車の場合は3000㎞くらい走って落ち着いてから走行インプレをボツボツ上げるんですが、3000㎞の段階では、V7はバイクとの対話にまだ、独特の訛りを感じたていたし、乗り味にツンケンしたところもあったんです。それが初期の硬派な印象に繋がっていました。

納車初期のエンジンの回りかたは、まるで石臼のようで、リアサスの動きも渋く、やわっこいフロントとのバランスが取れてない感じがありました。また私自身も、慣らしが終わってしばらくは、いろんなアベレージで走ってみてバイクを試したりもしますから、当然バイクが不得意な領域にも一定程度は踏み込みます。そんなこんなで、お互いのすりあわせも、まだまだ感があったんです。

しかし、それが変化してきたのは8000㎞あたりから。この頃から、ヴィーセがどんどん丸く、優しく、気持ち良く感じられるようになってきたんです。

その理由は主に3つあると思う。

エンジンの回り方が滑らか、まろやかになり、いよいよ本領発揮となってきた。

各部(特にリアサス)にアタリがついて、動きが馴染んできた。

ある程度バイクの性格がわかってきて、走りのアベレージが落ち着いてきた。

ってところが大きいんではないかと。

そう、私にとってヴィーセ本口嬢は、

「新車から現在までの印象の変化度が大きいバイク」

だったんです。

バイクのトリセツには「慣らしは〇〇㎞までやってね♡」って書いてありますけど、それはとりあえず「性能解放までの慣らし」であって、「真のフィーリング解放まで」はまた別だと思うんですよね。新車おろしたてから、バイクが気持ちよさの本領を発揮するまでは、もう少し長い目で見る必要があると私は感じてます。

その変化幅や本領発揮までの期間ってバイクによって様々なんですけど、大型バイクだと「1万㎞あたりまでは微妙なフィールの判断ってできないかな・・」って思ってますし、この点においては「日本製より海外製の方が本領発揮までの期間が長く、フィールの上がり幅も大きめじゃない?」っていう印象があります。人によっては、そこまで大きな変化だとは感じないかもしれないけど、リッターバイクって、実用以外のプラスアルファを求めて購入しているところがあるわけじゃないですか。特にV7スペシャルなんてたったの65馬力でスポークホイール&チューブタイヤですから。こりゃもう性能というより、古式ゆかしい「イタリアンならではの感触を求めて買う」バイクだと思うんですよ。

その大事な感触部分が、乗れば乗るほど良い方向に変化していくってのは、バイク界のツンデレお姉さん攻略みたいで実に味わいが深い。

「ハン!我輩の走りの理想は高いのだ!そう簡単になびくと思うなよ!せいぜい振り落とされないように、心してかかるのだな!!」

なんて、初登場時は堅くこわばっていた表情筋のガードが、時と共にあらかた崩壊し、

「え?素直になった?はぁぁああああ!?おおおおおお前のためじゃないからなっ。そ、そう、こっこれはぁ、イタリアの名誉のためだ!わかるか?しょうがなくなんだ!あああ、こっち見んなっバカ!頭を冷やせ!いい気になるな!この超銀河ダークマター縮退物質クソゴミうんこ野郎がぁあああっ!!/////(顔を真っ赤にして逃げ去っていく)

ってな感じです。

イラストではお堅いイメージで軍服なんか着せちゃったけど、現状はハニトラと賄賂でデロデロになった汚職軍人のように、かなりフランクで融通が聞くようになってきた。「掟自体はかなり特殊だけど、それを受け入れ、ファミリーになるとデレる」ってのは、まるでシチリアン・マフィアのようではないですか。

頑固なおっさんバイクにこれだけデレられると、攻略感が半端ないです、はい。これが多くの人がモトグッチにハマり「グッチスタ」になっちゃう理由なのかもしれない。

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(モトグッチには、海沿いの高台がよく似合う。有名観光地や名勝ではなく、日常の何気ない風景がこのバイクにはピッタリ。)

ヴィーセは私にとって、初のイタ車体験であり、他にはない縦Vを積んだ変態バイクであり、ある意味ではネタ枠のバイクでした。だからこそ、失敗を恐れず、お気楽に購入したつもりだったんですけど、乗り込むほどに「こいつ・・ナリは確かに変態だけれど、実はイタリアの歴史と文化を背負ったスタンダード・バイクなんじゃないのか・・?」って感覚が強くなってきたんです。ある一定の範囲内で走っているときのバランスには、変態感どころか普遍的な合理性すら感じる。ちょっと初期制動が弱めなブレーキ以外は、日本の公道環境、速度域にもしっかりアジャストしていて、たいしたサスでもタイヤでもないんですけど、縦Vの特性を生かして、直進安定性とワインディングでの鮮やかな足捌きを両立してます。

サーキットのような過激な走りや、必要以上のハイアベレージを求めるとV7のバランスは一気に崩れちゃうと思うんですけど、公道速度域の範囲内なら、エンジンと車体のまろやかな旨みを存分に味わえる。つまり、乗って楽しく、無理がなく、良い按配に肩の力が抜けてて、奥が深いんですよ。

「過剰な領域をバッサリ削って、常用域の気持ちよさを盛る」

っていうのは、調整幅に余裕のある大排気量バイクでこそ、大いに生きる演出だと私は思うのですが、製品的なヒエラルキーや、販売上の要請からカタログ上でのスペックに振るとそれがなかなかできないんですよね。感触って評価軸がないし、人によって感じ方が様々ですから、そんなわかりにくいところを攻めるより、高性能パーツやハイパワーなどの数値的価値にこだわるのはしょうがないところもあります。

商品っていうのは、まずは売れなきゃしょうがない。だから「ぱっと見は地味だけれど、長く乗れば良さがわかる」ってのは実に回りくどい。見た目が良くって、試乗したときにインパクトがある方が商品力があって短期利益も出て開発費の回収も早いんですね。でもモトグッチV7は違う。こいつは個性的な素材を独自レシピでコトコト煮込んだ老舗の煮込み料理です。ちょっとおぼつかないところもありますけど、そこを乗り手が補うところが、イタリアンらしくて逆に好印象。

私が大型に30年間乗ってきて実感してるのは、日本の公道速度域で使うのなら「80馬力もあれば十分」だってことです。高速をぶっ飛ばすとしても、国内リミッターの範囲なら最高出力100馬力もあれば余裕。ドイツのアウトバーンで200㎞オーバーから怒濤の加速をしようとすると馬力が本領を発揮するでしょうけど、それでも123馬力のストリートトリプルRSで240km/hまで出るんだから、ヨーロッパの高速事情でも150馬力もあれば十二分だし、日本国内でイキイキと走ろうとしたら馬力はそこそこでトルクを盛り、アクセルフィールを磨いた方が気持ちよく走れると思う。

そんな中で、モトグッチの65馬力は、ご自慢のV型エンジンの「トルクの美味しさ」「回りっぷりの良さ」を堪能するために、あえて馬力を欲張ってないんですよ。大パワーによるストレスがないから、心臓をバクバクさせることなく、お尻を振り出すこともなく、バビューンと気持ちよく回せちゃう。乗っててアンダーパワーを感じるどころか、「こんなんでいいんだよ、こんなんで」って膝を叩ける納得感があるんです。もうね。「過剰な馬力アピールには興味ない」っていう大人の割り切りを感じるんですよね。

これって、1800ccの排気量を擁しながら、高速走行をある程度割り切って乗り味を作り込んでいた、ゴールドウイングF6Bと似てるんです。局所的にいいパーツをつけて作った乗り味ではなく、車体レイアウトを含め、トータルとしてのバランス調整を続けてきたからこそ、生まれた老成感、熟成感みたいなものを感じる。ちなみにCB1100EXも同様の感覚があるけど、CBはそのレベルがちょっとヤバいんで、それはまた後日インプレしたい。

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(冬はクソ寒いし、日没が早いので、あんまり遠くへは行けないですね。)

バイクに限らず、私にとって長く使える条件って「自分の使用環境にしっかりとアジャスト」し、「使ったときに、心地よさや、キラリと光るもの」があり、かつ「デザインが消費されない」ってことです。特に前の2つは重要で、使い勝手の良さが突出してれば、デザインは使っているうちにアバタもエクボで、よく見えてくるまである。

派手で超かっこいいデザインや、突き抜けた性能って、モード最先端のアパレルのように自己アピールには最高なんだけど、旬が過ぎたり、それを上回るものが出ちゃうと上書きされやすいから、果てがないんですよね。性能やデザインに依存しない地味目で楽なスウェットの寝間着みたいなものが、肩肘張らずに付き合えて、案外長続きしたりする。

私目線で言うと、ヴィーセは、そこらへんの要件をしっかりと満たしてます。数値性能は低いけど、日本の下道ではそれが丁度良くて、日常域で使ったときの感覚性能が極めて高い。特にエンジンがなんとも素晴しい。ステイして良し、回して良しで、フィール面が実に気持ちいいんですよ。性能的なものを度外視し、感覚的な気持ちよさだけで比較するなら、今まで乗ってきたエンジンの中でもピカイチかもしれない。車体も直進安定性とリーンしたときの体捌きのバランスに他のバイクにない個性があって、縦Vの美点にこだわってきたイタリアの老舗ブランドの歴史をバイクの乗り味の中にちゃんと感じるんですよね。

こんな感覚になるのは、1年半乗ってきて、私自身がこのバイクに馴染んできたというのも多分にあるんだと思う。同じクセがあるバイクでも、ダイナのフロント19インチなんかは、ギッタンバッコンしてて、そのクセ自体がたまらなかったりするんですけど、モトグッチのクセって乗り手が馴染めば「綺麗に消える類いのもの」なんです。実際私は当初感じてたヴィーセのクセってのがなんだったのか、もはや知覚できていないのですよ。乗れば乗るほど、バイクとの一体感が増してきて、クセが当たり前のものとして私の中に馴染んでいったからです。

モトグッチって「特殊なバイクだ」って思われてますけど、今は「きっとこれがイタリアのスタンダードなんだろうな・・」っていう確信がある。直線をブッ飛ばすより、アップダウンのあるワインディングを駆け抜けるのが大好きなイタリア人の好みを優先させて作ったらこうなったってだけじゃないか?って思うんですよ。直四で育った日本人からみたら、いささか特殊なバイクかもしれないけど、そんなこと言い出したらアメリカン・スタンダードのハーレーだって国産バイクと正反対の価値観を持つメチャクチャ特殊なバイクですから。

結局のところ、スタンダードってのは、走る環境や国の歴史や文化、国民性によって大きく変わるんでしょう。このバイクに乗るとイタリア人が愛してる普遍的なフィーリングを、機械の文化としてちゃんと感じられる。そう、多少のユルさや適当さを含めて、それがイタリアだって感じられるんです。だからこそ、この一見奇妙な縦Vのバイクは時代を超えて愛され、生き延びてきているんだろうな、って感じてます。

・・・ま~、そんなこんなでヴィーセにイタリア的な普遍性を感じちゃってる今日この頃なわけですが、そのおかげで、今度は「日本の歴史や文化を深く感じられるバイク」がムラムラと無性に欲しくなり、たまたま出会ったCB1100EXに絡め取られちゃったわけです。・・・はぁ~・・我ながら度し難い・・・バイクっていうのは乗れば乗るほど、マジで底なし沼なんですよね・・・。



(オマケ漫画、「欲望という名の二択」)
オニデレ1.1

鬼デレ1.68
(どっちを選択しても、「基本ご褒美になってしまう」というのは、デレ系二択のお約束。素直になれない過剰なプライドが「二択勝負」という形であらわれますが、欲望の行き着く先は一択。それがツンデレという生き物の生態なのです。)