12月15日に冬のヘッダーに変更しました。登場するのは私の定番冬バイクのゴールドウィングです。来年はゴールドウィング生誕50周年記念ということで、下の方にしれっと歴代ゴールドウィングと並んで私の愛車、F6Bときんつば嬢が登場してます。

「オィィィィイイイ!不人気車をわざわざ出すなぁぁああああ!!」

っていう人もいるかもしれないけど、いやいや出すに決まってるでしょ?個人ブログなんて「贔屓を引き倒し、ローラー車でそれを潰して伸ばす」ような世界です。あと、誤解があるようですが、F6Bはともかく、SC79に関しては「箱なしモデルこそ、真のゴールドウィング」ですからね。ディスコンからすでに2年、もはや誰も覚えていないと思うけど、ネーミング的にはツアーの方が分家なんですよ。軒を貸して母屋を取られる典型例ですが、あくまでゴールドウィングは箱なしモデルに与えられたネーミングだから!頼む!誰か信じてくれぇぇええ!!

きんつば下絵
(こちらヘッダーの下絵です。)

なお、今回は色をつけるにあたって、意図的に「アニメ塗り」を採用してます。この手法は色の境界線を明確に分け、コントラストをガッツリつけていく手法で、アニメのセル画と同じ塗り方だからこう呼ばれています。理屈は子供の頃お世話になった「ぬりえ」と同じっすね。

「なんだそりゃ?進化どころか退化してんじゃねーの?」

ってご意見もあろうと思いますが、あのね。低レベル絵師がこれ以上退化することなんてねーんですよ。この世にある絵は「どんな塗り方しようが、高レベルな絵と低レベルな絵しかない」んです。そして私は後者の筆頭格。

現在のイラストはほとんどがパソコン上でお絵かきソフトを使って描くデジタル絵で、色混ぜやグラデーションを駆使して自然かつ繊細な表現ができる「グラデ塗り」が主流。私も、これまではモノクロ絵ではできないカラーならではの表現を求め、色混ぜによるグラデ塗りをしてました。ではなぜ今回「アニメ塗り」を選択したかっていうと、


「グラデ塗りはAI臭いから」


ですね。まぁ私は下手すぎてAIに見えないですから、どっちでもいいんですけど、そこは気分の問題です。

人工知能である生成AIが描いた絵って、どういう理屈でできてんのかわかんないけど、とにかく完成クォリティがメチャクチャ高いんです。もうね、速い、安い、上手いで「スゲぇな・・」って言葉しか出てこない。

デジ絵(こちらがAIが描いたメイドさん。どーですか?「どこのプロ絵師つれてきちゃったの?」って思うでしょ?こういうのがネット上には無料の著作権フリーでわんさと溢れちゃってるんです。完成度を重視するなら、もはや私がイラストを描く意味なんて1ミリもないんですよ。)

遙か昔、一部の絵師だけに許されていた職人技は、いまやAIにことごとく学習され、吸収されちまってるんですね。

イラスト部門での生成AIの圧倒的能力は、

「人の描く絵とAIの描く絵の違いとはなんぞや?」

「人の描く絵の価値とはなんぞや?」


「人が絵を描く意味って何ぞや?」


っていう命題を突きつけてきますけど、私はこと、技術面に関してはAIに対し、完全に白旗を上げちゃってますね。

だって、この海のリハクをもってしても、もはや人が描いたものとAIの描いたものの区別が全然つかないんですよ。非常に残酷な現実ですが、ここまでAIが人の描く絵に擬態してくると、もうどっちでもいいんじゃね?と感じてしまう。

これと似たような葛藤が一昔前、紙にインクで描くアナログ絵と、パソコンで描くデジタル絵の間に存在していました。そう、当初は私を含め多くの絵師が、「デジタル絵は味気ない!アナログ絵こそ真の絵なのじゃああ!!」って主張していたんですよね。

確かにアナログ絵に味があるのは認める。インクによる一発描きの緊張感とダイナミズム、描画線の独特な揺らぎなどはデジタル絵にはないものでしょう。しかし、そんな微妙なこだわりは、デジタル絵の利便性、効率、お手軽さ、修正能力を前にして、あっという間に吹き飛んでしまった。そう、僅か数年で、ほとんどの絵師がケツをまくってデジタル絵に移行したわけですよ。

実際、職業マンガ家がアナログで描いていた漫画と、デジタル絵になってから描いた漫画に読み手が決定的な優劣をつけているか?というとそんなことはまったくない。

商業漫画ですらそんな状態ですから、ネットに溢れかえり、一瞬で消費されていく萌え絵がどうなるかは火を見るより明らかだった。細かなこだわりに労力を投下したとしても自己満足以外のリターンなどありませんから、生産性が高く、便利で効率の良い方向に流れていくのは当たり前なんですね。描き手側は自分達の地位と価値観を守るために、やたら人とAIに区別をつけようとするけど、

「見てる側で、そこにこだわってる人って、ほどんどいないんじゃね?」

って思うんですよ。描き手側がどんなにイキっても、大量消費されるデジタルな萌え絵に人の手でしか生み出せないような芸術的価値や工芸的価値を見いだしている人なんて、現実にはほとんどいないわけで、「それなら生成AIでいいじゃん」ってなっちゃうのはしょうがないと思う。


きんつばペン入れ21
(ペン入れです。相変わらず雑ですが、その雑さが人間らしさだ!という開き直りも可能。)


ちなみに、手作りの価値ってジャンルによっても大きく違ってきます。これが、機械式時計になると、手作りの価値はもうメチャクチャに爆上がりします。だって、機械式時計は「消費されないアイテム」の筆頭ですから。存在そのものが究極のアナログで、実用的価値だけでなく、伝統工芸的な側面もあり、世界中に多くの好事家、収集家がいて、ハイプライスで販売可能なマーケットがある。良いものは長く愛用されますし、所有してるだけなら維持コストもかからない。だからこそ人が丹念に手作りし、特別な仕立てをしても、それに見合うリターンが成立するんですよね。しかも真の手作り時計は、この世に僅かしか存在せず、世界でも最高といわれる時計師の手によって年間数十本程度しか作られないわけですから、流石にモノが違います。

これに対して、デジタルイラストは毎日のように多種多様な萌え絵が無料でネット上にアップされてるわけですから、読んだ後、電車の網棚に放置される週刊漫画誌より刹那的。生成AIはそこに君臨する

スーパーローコスト超絶技巧多作型贋作マシン

ですから、これはもうどうしようもないわけですよ。

このように生成AIが急激にイラストシーンを席巻していく中、多くのイラストレーターは表現手法でAIと違うものを模索しようとしているけど、AIはそれにすら絶対に追いついてくる。もはやイタチごっこの消耗戦ですよね。でも、デジタルイラストの世界には、その消耗戦を乗り越えるような経済的価値も、芸術性も、工芸的な評価もない。そうなると、商業的な側面では、多数のファンを持つ一握りの天才絵師を除く、多くの絵師は食えなくなって駆逐されていくってことにならざるをえない。

きんつばカラー
(色を塗りました。今回は色の境界線を明確に描いていくアニメ塗り。コントラストを徹底的に意識して、色を強めにしてありますので、クッキリ、ハッキリした色づけになってます。)

じゃあ、

「低レベル絵師のお前が絵を描いてる理由はなんなのよ。」

「お前の絵の価値って何?」

っていわれると、そりゃ~もう

「私が好きで描いているだけです。」

「それが私のアイデンティティですから。」

って以外ありませんね。

日本でアイデンティティを語るときは、人種とか性別とか出自などのルーツ的な意味あいが強くなりますけど、私はどっちかというとその人固有の記憶や経験、生き様、考え方、スタイルなどのパーソナリティがアイデンティティの本質だと考えています。

この世に生きとし生けるものはみな、独自の個性を持っているけど、それをどう表現するか?ってことに対し、空気を読む日本人は、かなり消極的です。私自身もブログでは個性重視ですけど、現実世界ではモブに徹してますからね。

私のイメージしてるアイデンティティ表現ってのは、わかりやすく言うと、人類のうち、このバイクに乗っている人はこれだけ。さらにその中でブログを書いている人はこれだけ。やたらクソ長いテキストブログを書く人はこれだけ。そこに訳のわからん萌え絵と漫画をブチ込んでくる奴は・・・

「そんな奴はへっちまんしかいねーんじゃねーの?」

って、ところまで徹底的に他と差別化することなんです。

この世の中にあふれかえる81億のホモ・サピエンスの全体概念をどんどん縮め、それを一個人が特定できるまで、煮詰めて凝縮することが、個性の表現だと私は考えているんですよね。

そういう見方で検証するなら、コマンドキーワードの入力だけで、誰にでも素敵な絵を出力しちゃうAIは、技術的にいかに優れていようとも、「個性を薄めるノイズ」でしかないんです。今後、機械やAIが作った「品質の高い無個性デザイン」で溢れかえる世界になればなるほど、アイデンティティの価値は重要になると思うんですよね。

バイクの世界では、ネオレトロブームだなんていわれてますけど、私はこの流れはしばらく続くんじゃないかなって思う。「不景気になれば定番回帰」ってのが、機械式時計では毎度お約束のフレーズになってんですけど、バイクだって同じでしょう。浮ついた気分から、我に返った消費者は、自然とメーカー独自の普遍的なデザイン・アイデンティティを求めていく。

ホンダにしか作れない。

ヤマハにしか作れない。

カワサキにしか作れない。


スズキにしか作れない。


それがメーカー・アイデンティティで、それを確実にお届けできるのが、温故知新のネオレトロってわけです。

要はネオレトロだろうがニューデザインだろうが、各バイクメーカーの「らしさ」がしっかり表現できてることが大事なんですよ。国内販売の売上げ上位を見てみると、メーカーアイデンティティが感じられる「らしいモデル」が並んでるじゃないですか。消費者は身銭を切るから常に真剣で、価値のあると思うものをちゃんと選んで支持していくし、そういう芯を持っているバイク達が、長い時間軸に耐えてロングセラーになっていくわけですよね。

その一方で、メーカーアイデンティティより、個のアイデンティティを重視したバイクもあっていいと思うんですよ。HAWK11なんてのは、市場を無視してそっち方向に振り切った、パーソナル・アイデンティティの塊みたいなバイクです。

「HAWK11に乗ってる人」っていうだけで乗り手のイメージはギュッとフォーカスされ収縮する。こんなバイクは半径50km圏内に2台くらいで十分。たくさん売ろうなんて、買ってくれた人への裏切り行為みたいなもんですよ。

歳をとって、内向きの個性を求めるようになった私が、下手なりにオリジナルのキャラを作り、自分でシコシコ描いているのは、「自分が生み出していないものに、アイデンティティは宿らない」と考えているからです。多くの絵師にとって、イラストや漫画って自己表現なんですよ。たとえそれが不完全で、低レベルなものだったとしても、それを含めたものがアイデンティティであり、自己同一性そのものなんです。

・・・・つまり何が言いたいかというと、

下手でも許してくれぇえええ!!

ってことです(笑)

そう、このブログは5000字を消費して吐き出された壮大な泣き言なのです。低レベル絵師が自分の絵に対して長々と語れば、大概ろくでもない自己弁護になるのがお約束。

膝に矢を受けて引退した衛兵の戯れ言みたいなものと聞き流していただきたい。

ということで、今年もなんとか冬のヘッダーが完成いたしました。はぁ~めでたしめでたし。

皆様、今年もあと僅かとなりましたが、歳末の忙しい中、疲労と寒さで、体を壊さないようにお気をつけ下さい。

ヘッダーパソコン用11.12
(目指すは私にしか描けない1枚絵。とはいっても背景は日和って無料の生成AI。要は適材適所ですね。)

2023・冬ヘッダー・ペン入れ・スマホV2+1
(ちなみにこちらが昨年のヘッダー。この頃やたらジト目を練習していた気がする。同じキャラを描いていても、少しずつ細かなところが変わります。「過去から連綿と続き今に至る」っていうのもアイデンティティの重要な要素の一つですね。)