今回のタイトルは「ハーレーの夢、アメリカの夢」ってことなんですけど、夢のない私がこの手の話題を持ち出すときは、だいたい過去の反省です。今回もメチャクチャ長いブログなんで、読まれる方はお覚悟を(笑)

私はハーレーという企業の将来については「なるようにしかならないかな・・」って思ってます。それほど興味のあるネタでもないんですよ。だってそれを私が考えたってどうしようもないですから。私がコメントできるのは、私とハーレーの関係性についてのみですが、これについては「私とダイナとの距離は変わらないけど、ハーレーとの距離はどんどん離れていってるな~」って感じてる。過去、私がいろんなものを購入してきた経験に照らしてもそう思うんですよね。

私は、市場やメーカーをどうこうしようってタイプではなく、移り変わる世の中で、「自分が良いと思うものをどう拾い上げていくか?」「購入者としてどう立ち回るか?」ってことを考えている自己中心的な消費者で、特定のメーカーを贔屓することもありません。

過去にはバイク以外の業界で、小規模メーカーに入れ込んだこともあったけど、私みたいにメーカーに追従せず、うるさいことばっかりいう顧客は、成長する企業にとって極めて面倒くさくて邪魔な存在なんです。それを自覚して以降、「メーカーに対してブツクサ言ってるより、他のメーカーに乗り換えた方が精神衛生上もいいな・・」って考えるようになって、完全なノンポリになってしまった。ドルオタ的表現をするなら、「箱推しはしない」ってことです。

そんなメーカードライな目線で昨今のハーレーを俯瞰しますと、「私みたいな層は、顧客としてあまり重視されてないんだろうな~」って改めて思うんですよね。

私みたいなのを相手にしなくても、今のハーレーは何ら問題なくやっていける。その証拠に、自社販売をやって数をフカしていたにしろ、昨年の実売って、あの価格でも7000台くらいあったわけでしょう?売上げが下がったっていうけど、主力のビックツイン系がほぼ300万円以上の乗り出し価格の中、メーカーとして7000台も売っちゃうって凄まじい。そりゃ全盛期13000台売ってた頃に比べたら販売台数は半分くらいかもしれないけど、ラインナップの平均価格が爆上がりしてるから、それを7000台も売るってヤバいですよ。私みたいなやっかいな客層を相手にしなくたって十分にやっていける。

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(福井県にあるローカルな「なぎさ上のドライブウェイ」、舗装されてるし、夕日が正面だし、何より人がまったくいない。夕暮れ時はアベックで溢れる千里浜より、私はこっちでコーヒー飲んでる方が好き。)

ハーレーさんはここ数年ガシガシ値上げを続けてるんで、通常であれば、購入顧客層は狭くなって売れなくなるはずなんですけど、それがこれだけ売れてるのは、「ローンの支払いの魔法」ですね。今は最長150回でしたっけ?年に直すと12年と6ヶ月。ひぇー。

ちなみに他の海外勢の最長ローン期間はトライアンフ120回(10年)、BMW84回(8年)、ドカティ60回です。国産勢ではホンダ60回、スズキ72回、ヤマハ、カワサキは120回まで。120回も大概だと思うけど、ハーレーの150回っていうのはバイクメーカーの中では、ダントツに長い。

消費者が魅力的な商品を前にしたとき、代金を支払う手段は2パターンしかありません。「自己資金か?」「借入れか?」です。自己資金を用意するのが困難な価格になれば、売れるか、売れないかは必然的に「ファイナンスが成立するかどうか」になる。ファイナンスでつじつま合わせちゃえば所得や貯金額に関係なく売ることができますからね。要は「支払い方法を収入にあわせちゃえばいいじゃない♡」ってことです。うーん、アメリカ型。アメリカや欧州って日本みたいに中産階級が分厚くないから、その中で人の欲望をどう満たすか?っていう方法論に特化してるところがある。アメリカってお金持ってなくても、望むものが買えますよ、という「消費型アメリカン☆ドリーム」を生み出すことにかけては世界一の国なんです。

ローライダーSTって定価316万円ですが、ホームページ見ると、本来ベースカラーで一番の売れ筋であるはずの黒が意味不明な4万円高のオプションになっている。ここでまず私のコメカミに青筋がビキビキ走るんですけど、そこはこらえるとして、定価は実質320万円。これを150回ローンで購入するとなると、年利4%で総支払額は400万円を超えてくる。でも月額の支払額は2万7000円程度。私が昔CBR900RRの中古買ったときに払ってたローンの方が高い。つまり、ハーレーは価格は上げてるんだけど、それと並行して、「広い所得層に売ることができるファイナンス・スキームを作っている」ということなんですよね。購買層が月々バイクに払える金額はせいぜい3万円くらい。じゃあ「頭金なしでも、それに収まるようなローン商品作っちゃえばいいじゃない」ってことです。

これ巧妙なのは認定中古車を買おうとすると、金利が年6%に上がるんですよ。だから、本体で損をしてもファイナンス面で利益が出るようになっているんですね。結局のところ、いくら中古は安いっていってもローンって選択をしちゃうと、契約がより複雑になり、どこかでイニシアティブをとられちゃうんです。

キャッシュで買おうが、ローンで買おうが、金利がいくらであろうが、何回の分割を組もうが、最後は消費者の選択であり、自己責任。バイクがフリーダムなら支払方法もフリーダムってことです。これがお高いハーレーが7000台も売れてしまうという理由だと思うのですが、これは

「ローンという補助魔法による一時的な支払能力のかさ上げ」

にすぎません。ハーレーの価格はバイク業界では超手強いラスボスクラスだけど、長期ローンという支援のバフが強烈だから、買い手の攻撃力をメチャメチャかさ上げして調伏することが可能ってことです。

ファンタジー系のアニメでは支援系のバフって、後からその分の反動であるマイナス・ステータスがつくってのがお約束ですけど、クレジットも支払いというマイナス要素を金利つけて将来に先送りするだけの契約ですから、そこは同じです。アメリカ型の考え方をすれば、顧客にも利益があるし、我々も儲かるし、信販会社も儲かるんだから、何の問題もないんじゃね?ってことかもしれないですけど、そこに潜む矛盾はちょっと考えれば誰にでもわかる。

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(誰にも邪魔されることなく、コーヒー飲みつつ、沈む夕日を独り占め。夏は気温を気にせず落陽を楽しめます。)

私の商売の師ともいえるナニワ金融道の青木雄二師匠の言葉に、

「貧乏人は貧乏を加速させる」

ってのがあるんですよ。これは師匠が、ものっ凄い赤貧状態にあえいでいた時代に紡がれた言葉ですけど、貧乏を馬鹿にしてるわけではなく、その悲哀を語ってるんです。

「金がない者は、借金をしてものを買うしかない。金を借りると利息を支払わなければならない。金がないから借金をしているのに、そこからさらに利息を払うんだから貧乏が加速するに決まってる」

っていう正直考えたくもない真実を的確に突いている。

20代の頃、バイクをコカしまくって、ローン地獄で車輪を回すハツカネズミ状態になっていた私の胸の奥に、この一文が深く深く突き刺さったんですよね。それで、今でもこの格言を金科玉条として忘れないようにしてるんです。

ただ、歳をとって当時の青木雄二師匠の年齢を超えると、その考え方は一部正しいけど、「金というものにとらわれて過ぎてるかな・・」とも思ってます。お金で評価できない喜びもこの世にはたくさんあって、多少不利益があったとしても、それを上回る満足が得られればいいんじゃないか?って考えるようになったんですよね。だから、私は青木雄二師匠と違って、単に金利分が損だからといって借入れを否定するものではありません。

実際、事業者であれば設備投資での借入れは当たり前。金利3%で10年スパンで借り入れて設備投資しても、その設備は将来必ず利益を生み出しますし、それを自分が経営という形でコントロールできるわけです。借りた金で工場を建て、生産能力を上げ、それが借入れに対して年利8%の利益を生めば、その差5%が収益になるし、しかも支払い利息は経費で落ちるから、その分は節税にもなるんですよね。要は営利企業の設備投資は未来に繋がる借入れで、借金が生きるといういい例です。

その一方で、趣味のバイクに120回とか150回とかいう長期の分割払いが成立するか?っていうと、私は個人的に「成立しがたい」と考えてます。せいぜいホンダやドカティが設定している60回。それすらも長いんじゃないの?って考えてる。

だって、消費者は名前のとおり「消費するだけ」ですから。使ったものが利益を生み出すような消費はできないんですよ。車や家なら生活必需品だし、所有すれば他の移動手段を使わなくてもよくなったり、アパート賃料が浮いたりするから、所有することによってプラスはなくとも、マイナスが減るわけですけど、バイクなんて走る喜びに特化してるだけの存在だから、経済的には「まったく利益を生まない」わけですよ。だからこそ、ローンを組むのなら

「ローン中は毎月の支払い額と同等か、それ以上のトキメキをバイクから得られないといけない。」

わけです。購入したバイクに魅力がなくなったら、毎月定期的に支払いを続けていくモチベがダダ下がりになっちゃう。そんな中、購入初期のテンションは時間と共に緩やかに落ちていくじゃないですか。その後はマンネリとの戦いになるし、バイクが楽しければ楽しいほど、新しいものが欲しくなる。

ローンを組んでバイクを買うのであれば、せめて支払いの間は飽きちゃダメなんですけど、「10年間、決して飽きないぜ!」なんて私はとても言えない。その点で私は自分をまったく信用していないんです。

高性能な海外製のバイクは、ドカのデスモに代表されるように、マメな調整や手入れを前提としてたりするから、所有期間中、オーバーホールや部品交換費用も必要になるし、部品代もそれなりに高い。こっちの懐具合を無視して、こまめなケアが必要な高価格パーツや安定動作の実績がない新型パーツをブチ込んでくるモデルもあります。「うう・・交換パーツや工賃ヤバそう」ってのは長年バイクに乗ってると、ある程度わかるようになるんだけど、最初は高性能パーツ最高!特殊機構最高!って思ってるから、後でヒィィイイイってなるケースが多いんです。私が電子制御サス系に、あまり手を出さないのは、もし何かあったときにサスの関連の費用がいくらになるかが正直怖いから。

また、バイク側の問題だけでなく、人の問題もあります。人生は10年先はわからない。私の20代から30代はバブル崩壊で真っ暗な時期で、全体的にちょっと刹那的なところがありました。当時はバイク店の店員でしたから、その中でバイクに入れ込んで、コケたり怪我したりで、バイクを降りる人も山ほど見てきたんですね。

生活必需品である車は免許がなくならない限り、誰も降りようとはしませんけど、バイク(特に大型)なんて生活に必要なものではないし、この世にはもっと安全な趣味も山ほどあるんだから。

私は、数多くの趣味の中で、最後までバイクが残りましたが、それは「跨がってアクセル開ければ即レジャー」という、圧倒的なお手軽さと、その割に快楽が振り切れてるってところだったような気がする。

このように機械側から見ても、乗り手側から見ても、未来を最も予想しにくいのがバイクなんです。そんな乗り物に120回や150回の長期ローン組んで「未来の出費を固定しちゃう」のは、かなりリスキーなんですよね。売却したときにクレジットが消えるってんならまだいいけど、普通は残るし、長期ローンだと最初のうちは支払い分のかなりの部分が金利だから、車両本体が高いと残る額もハンパない。

実際独身時代の私はコケてばかりで、その都度修理費がかかったし、バイクを廃車にすると、その残クレが残ってる状態のまま次のバイク買って、常にクレジットの重ねがけというか、多重デバフ状態で生活してましたから、そのしんどさが良くわかるんですよね。あれは若くないと耐えられなかったと思う。

私はある時期から趣味のものを買うときに借入れは一切使ってないんですけど、それは私の財布のユルさを自覚してるからで、ものを買う時は痛みを先送りせず、それに見合った自分の生き血を即座に抜くことで、プライスに対する真剣さを維持し、浪費を抑止したいってのもあるんです。

長いこと趣味の消費をしていると「モノに対し、高すぎるものを選んじゃう」ってのはある意味「負け」だって意識が自分の中に芽生えてきます。高いものを選ばないんじゃなくて、自分の感じる価値に対して高すぎるものを選びたくない。どんなものにも良し悪しがあって、好きと嫌いと良し悪しは全然違うんだけど、それとは別に、「価値に見合うかそうでないかっていう基準がある」んですよね。

例えば、アグスタやビモータみたいに生産ロットが少ないものは高くてもしょうがないと思うし、日本車は価格対効果が異常だから、海外ブランドに対しては少し評価が甘くなるところはあります。多少高いものでも文化や思想の香りがすればそれを根拠にエクストラコストを払ったりもする。それでも「いくら何でも高すぎる」って感じるものは、やっぱ買えないんですよ。バイク乗りの私が心の中で「欲しい」っていっても、辛酸を嘗めてきた消費者としての私がそれを止める。

ブランドを重視しないのも、プレミアに手を出さないのも、下取りなどの経済価値に無頓着なのも、そんなものに頼るより、私自身が長年酷い目に遭いながら育ててきた消費者としての経験と評価基準が、自分にとって一番正確で信頼できると考えているからなんです。

で、そんな私から見ると、今のハーレーはバイクより夢の部分の価値がかなり大きいんですね。ハーレーはイメージ戦略がうまくて、その部分をどんどん肥大化させてきたんです。これは戦略的なもので、世界の中で相対的に貧乏になりつつある日本で、生活必需品でもない巨大でクソ重、低性能高額バイクにハイプライス出すなんて夢以外のナニモノでもない。水冷ハーレーが苦戦しているのも、今のところ「ハーレーが語ってきた夢の部分」にうまく乗ってこれてないからだと思うんですよ。夢の部分が大きくなりすぎて、簡単に方向転換ができなくなってる弊害もあるけど、今のハーレーはその夢の部分に頼るしかないのも事実です。

価格が乗り出し300万円ってことになると、購買層は「一部の富裕層」「鬼ローンを許容できる人」のどっちかです。私みたいに「現金で出せる範囲で・・」って考えの一般層は購入を諦めちゃうゾーンだと思う。でも、そんな金額がキャッシュでポンと出せる富裕層はそうそういるわけないし、いたとしても母数としては数%でしょう。

必然的に購入にあたってローンを組む人が購入層の大部分になりますよね。つまり売る側としては「ローンが通りそうな人に、どうやってローンの契約書にサインをさせるか?」ってのが販売方法の主流になる。頭金ゼロもOKだから、手持ち現金なんて持ってなくてもかまわない。手ぶらで店舗に入ってきた人にその場で売ることができるわけですよ。購入のためにとりあえず必要なものは、紙にサインさせるだけってことになれば、必要なのは買う側の欲望を引き出すことと、一筆サインさせるための最後の一押しだけになる。

そのために高級ブランドは、過去の歴史を語り、正当性を語り、永続的なブランド価値を語る。それらを提供するための店舗やサービス、ホスピタリティなどいろんなところに気を遣い、バイクがキラッキラに見えるようにライティングし、おもてなしで一時の夢の世界を作っていくんです。その世界観の満足度や陶酔度が大きければ大きいほど、それが店舗での顧客の高揚感につながり、「契約をしてもらいやすくなる」んですよ。

そうなると

「価格が上昇?ああ、大丈夫大丈夫、どうせ長期ローンで買うんだから、サービス派手にして、ローンの支払い回数その分伸ばせばいいの♡30万円の差なんて150回ローンなら2,500円でし                                  
かないんだから♡」

ってことになっていく。価格は凄いけど、購入機会は誰にでもある。妥当性より選択肢。これがアメリカ式自己責任型資本主義です。

だから、ある一定以上の高額商品の本質は価格でも、性能でも、有益性でもなく、「どれくらいの夢を見せてもらえるの?」ってことになっていくんですね。旧車もそうですけど、性能のヒエラルキーを超えた価格領域では、実績と歴史があって「価値が確定したもの」が非常に強いんです。

私はその手の商売に否定的でもなんでもありません。この世の高額品やブランドものは、どれも多かれ少なかれそういうところがありますから。でも、永遠に続いていく現実と違い、消費で見られる夢って永続性がないんです。場合によってはマッチの火みたいに儚く消えるものだったりする。ローンを組む場合は、「ローン支払期間と夢が続く期間が釣り合わないといけない」んだけど、長くなればなるほどその釣り合いは取れなくなるんですね。

アホな夢を見すぎて丸裸になった私が得た結論は、「夢って人に見せて貰うものじゃないな・・・」ってことです。外部から与えられる夢は、中毒性は高いんだけど、あんまり長続きしないんですよ。そういうものにどっぷり浸かった過去の私に残ったのは、ケツの毛まで抜かれた自分自身と、聖帝様の大魔神顔とメンチビーム熱光線でした。

今は自分の身の丈で、「ささやかな夢を細く長く見てればいいじゃないか?」って思ってる。ハーレーが顧客に見せたい夢は、そんな私にはいささか過剰で、それがプライスに大きく反映されてるのが明確にわかっちゃう。そういうところにお金をポンと払える人にとっては、舞台装置が整備されることで、ブランド価値やエンターテイメント性が上がってるのかもしれないけど、私みたいに自分の殻にこもって、バイクとの関係性だけでいい。という即物的で枯れた人間にとってはその仕掛け分のプライスはあんまり意味がないんですよ。

ただ、この点を突き詰めていっても、「バイクとは?消費とは一体何なのか?」というややこしい議論になるから、きっと答えは出ないんです。人によって消費に対する考え方の差もあるから、そもそも答えを出す必要すらない。いろんなバイクがあり、いろんな人がいて、いろんな解釈があるからこそ、この世の中はうまく回っているんです。

私は過去に高額消費において狂乱のサバトを踊りすぎて、ミスター・スポックみたいになっちゃったんです。高額消費は依存性があって健康と脳を害しますからね。その反作用で、夢を見られなくなっちゃ本末転倒じゃないですか。

そういう世界を覗かないためにも、やっぱ身の丈にあった消費っていうのが一番いい。背伸びをした夢は覚めたときに現実がツライし、酷いときは自家中毒を起こしたりします。気持ちのいい夢を見続けるためにも、夢の部分はホドホドにしておくのがいいと僭越ながら、進言させていただく次第です。


あたりや1-1

あたりや2-1
(この事故で私は右手首を骨折し、日常生活で地獄を見るんですけど、示談金でローンは消えました(笑))