マッドマックス・フュリオサを観てまいりました。観たのは6月初旬の平日夜。5月31日に全国公開が開始された本作、いくら平日の夜とはいえ、初週の大スクリーン劇場に私とカップル1組の3人しかいないんですがががが・・。前作のアカデミー賞6部門を受賞した「怒りのデスロード」に比べて、「興行収益的に苦しい」という話はネットで拝見してはいましたが、クソ田舎のイオンシネマとはいえ、この入りはちょっと厳しい。ゴジラ-1.0は平日夜でも3分の1は埋まってましたし、ガンダムSEEDフリーダムもそれなりに入っていましたからね。

肝心の映画の感想は、ぶっちゃけ普通の映画としては悪くないどころか、かなり良く出来ていると思います。ええもう、十分に勧められる。最近のハリウッドの娯楽映画のていたらくを考えたら上・上・上出来でしょう。もっともっと観客動員が増えてもいいと思いますよ、マジで。

でもね、普通の映画としては全然悪くないと感じるフュリオサの評価は二分してるんですよ。その理由も私にはよくわかる。このフュリオサっていう作品には気の毒なところが2つあるんです。一つは前作、怒りのデスロードが

「映画史上に残る究極にぶっ飛んだ名作中の名作」

であり、どうしてもそれと比べられてしまうということ。もう一つは日本におけるマッドマックスの顧客層の多くがジャンキー揃いであるってことです。マッドマックスというタイトルは我々「北斗の拳世代」にとっては特別中の特別で、ファン層には私のような、北斗の拳スキーの変人が非常に多いと思うんですよ。

私から見て、北斗の拳は実に特殊な漫画でした。そう、この漫画は普通のヒーローものと違い「悪役キャラの散りざま選手権」みたいなところがあったんです。北斗の拳の悪役達は「いかにイカれていたか?」「いかに悲惨な死に方をしたか?」を読者に採点され、そこで芸術点を稼いだキャラが脈々と語り継がれ、人気の源になっている。このため、端役や一部のモブでも、見事な散りざまを見せたキャラは非常に人気が高いわけです。私のブログでも良くジャギ様牙一族が出てきますし、私は妻を聖帝様と読んでますけど、これは言うまでもなく聖帝サウザー様をリスペクトしたものです。その一方で、主人公のケンシロウは「ええええ!!?ケンシロウ君18歳?なんて老け顔なの!」って話題でしか出てきていない。

そんな悪党LOVEな私にとって、マッドマックスは「イカレた悪党達」が光りまくる最高の映画なんですよ。ジョージ・ミラー監督がクリエイトする悪役達のブチ切れた性癖&ぶっ飛んだメカ&体を張った激闘を、ケーキ投げみたいに私の顔面にべちゃっと叩きつけ、グリグリと塗りたくり「あ゛~~~~」っと窒息させてくれる。そんなシロモノなんですね。

え?ストーリーは?って?

はぁあああ?あれだけの画とアイディアと筋肉パワーとおバカメカと吠え猛るエンジン音を前にして、ストーリーなんて野暮なものはいらんでしょ?

(こちら怒りのデスロード予告編英語版。バックに流れるのはヴェルディの「怒りの日」。この映画に言葉などいらない。)

スピルバーグの「激突!」と同じように極限の「逃げる、追う」が成立してれば、その中で人間の感情とドラマは自然に出てくるんです。あらゆる言葉と説明を削ぎ落とし、死と狂気の鬼ごっこに特化したのがマッドマックスなんですよ。名作、怒りのデスロードは2時間ありますけど、そのストーリーは単純明快で、平和な楽園を目指して逃避行していたフュリオサ達が「この世には楽園などどこにもない、現実から逃げていたって未来はない」ということに気づき、自分達の力で楽園を手に入れるべく悪の変態軍団との闘争を選択するという、大枠はタダそれだけ。説明が全くないんで、細かいところは謎だらけで見ながら推し量るしかないんですが、あそこまで倒錯した世界の中で、細かな説明なんてそもそも不要でしょう。登場する悪党達の濃さとパワーと頭の悪さを前にして、ストーリーなど逆に陳腐です。

そんな私はマッドマックスの中でも「マッドマックス2」「怒りのデスロード」が超大好きなんですけど、その理由は悪役達のセンスとエネルギーが振り切れているからです。今回はその中のトップ2を紹介することで、皆様にマッドマックスの魅力を伝えたい。

ガス様2

こちらマッドマックス2の悪役ヒューマンガス様。「ガスさまぁぁあああ♡」って黄色い叫びをあげちゃいそう。

ガス様の萌えポイントはズバリ、ハゲ散らかしたマッチョ・ジェイソンなところ。ああ・・灼熱の砂漠でこのパンイチ・革ベルト。日焼けサロンなど邪道!体を焼くなら熱砂の砂漠で!ってことなのかもしれないけど、普通に自殺行為です。このビジュアルからしてもう、脳ミソまで筋肉なのは一目瞭然じゃないですか。

初めて見た方は、「は?ジェイソンのパクリじゃね?」って思うかもしれないけど、

バカヤロウ!ガス様に対して無礼である!控えおろう!!

あのね。13日の金曜日のジェイソンがホッケーマスクを被ったのは3作目からですからね。マッドマックス2はそれより前ですから、マネどころか元ネタの可能性すらある。そもそもガス様にナタとか斧とかの武器なんていらないですよ。ベアハックと体臭だけで、獲物は天に召されます。

ガス様の凄いところは、シンプルなのに前から見ても後ろから見ても上から見ても下から見ても完全無欠のモーホー殺人鬼にしか見えないところ。つかまったら最後、

「掘られた上で殺される」

って瞬時にわかる。降伏すれば「メンタルも肉体も尊厳も死ぬ!」という最悪の状況が予想される以上、もはや徹底抗戦しか道はない。劇中では突然マイクを持って「ガソリンを独り占めなんてお前達不公正じゃないかぁ~!!」などと倫理を語りはじめる。・・怖い。もうね。「裸でホッケーマスクのマッチョが倫理を語ってくる」ってのは、絵ヅラだけでとんでもない狂気ですよ。シュチュエーションに圧倒されて、言ってることがまったく頭に入ってこない。

ちなみに彼の愛車はニトロ積んでて、ラストシーンでドッカン加速もやってくれます。もうね。フル加速で正面から衝角増加装甲を付けた重量級トレーラーに挑むというイカレっぷり。頭の悪さがレッドゾーンを振り切ってますよ。「オィイイ!!それもうドッカン加速やりたかっただけちゃうんか!!」と叫びたくなる。マックスのインターセプターが人類の叡智である「機械式スーパーチャージャー」なら、こっちはバカの代名詞「脳死のニトロ」ってことなのか?ああ・・この頭の悪さがたまんない・・・。もう胸熱です。




お次は映画界に輝く金字塔、アカデミー賞6部門受賞の「怒りのデスロード」の悪役イモータン・ジョー様です。

まず名前がいいじゃないですかぁ。ジョーと言えばGIジョーとか、コンドルのジョーとか、あしたのジョーとか、オタギリジョーとかオタには特別な重みがありますよね。

しかもイモータンって英語表記で「Immortal」だから、彼の名前は日本語訳すると「不死身のジョー」ってことなんです。私にとって不死身と言えば、「不死身の村雨健二」、ジョーっていえばまずは「あしたのジョー」ですから、当然そのイメージが頭に湧いてくるわけです。

村雨健二&
(こちら横山光輝の「不死身の村雨健二」と、ちばてつやの「あしたのジョー」。格好良すぎ。)

敵役が「不死身のジョー」って聞くだけで、「凄く渋くてダンディなオジサマに決まってますわ♡ああどんな人なのでしょう♡早くお会いしたいですわ~♡」な~んてドキドキしながら、乙女のように胸の前で指を組むトキメキポーズしちゃいますよね。

で、見てくださいよこの姿。

イモータン


オィィィイイイ!メチャクソにイカレた年寄りじゃねーか!!

これ昔近所にいた農業命の太ったばあさんを白ペンキで塗って、ハーレー乗りのスカルのフェイスマスクつけて、グフのホースでデコって、透明な裸の王様プロテクターとチャンピオンベルトつけた姿じゃないですか?要はドクロマスクとメカホースとおバカプロテクターの三位一体。イカレたバイク乗りの好きな要素が全て揃っちまってるぜ!なにより、この姿をちょっとカッコいいかも・・・と感じてしまう

自分のセンスが怖ろしい・・

こんなの普通の人には「バカの死化粧」にしか見えないと思いますが、私はこのセンスに共感できてしまうんですよ。こじらせ系のバイク乗りが萌える要素をガッツリ抑えているところがあざとすぎる。

「自分がじいさんになって、認知症になったらこうなる可能性も多分にあるんじゃないのか?・・」って私は恐れおののいている。ジョー様を見る度に、「俺はことセンスに関しては、完全にそっち側の人間だったか・・」って、遠すぎる目になっちゃうんですよね。

その死にっぷりも、「いい歳して何やってんの!こんなふざけたマスク取りなさい!!」っていわれてマスクを引き剥がされたら、顔の肉ごともっていかれちゃったというハジけっぷり。もうね。タダのコスプレじゃなく、「コスが顔と一体化してる」という、世の中の全コスプレイヤーが胸を打たれ、夢に見るような死に様じゃあああないですか!素敵すぎます!ジョー様!万歳!

ちなみに「怒りのデスロード」には「人食い男爵」という変態紳士も出てきます。私、こいつも好きなんですよ~。こいつはYシャツの乳首の部分に穴を開け、常に弄っているというトンデモ設定らしいんですが、なんとカフスボタンまで乳首型なんです。ヒューマン・ガス様が「頭の中まで筋肉」だとすると、こいつは「頭の中まで乳首」であることは疑う余地がない。周りにはガスマスク野郎しかいないから、奴は女性が好きなんじゃなくて純粋なる乳首好き。国の通貨単位は1000チクビーとかでしょう。この男をガスタウンの幹部に抜擢したジョー様の眼力にも敬服せざるを得ない。天才は天才を理解するということなのか?

乳首
(一見すると知性の高いやり手のインテリビジネスマンに見えるけど、カフスボタンが乳首で漏らしそうになる。これはもう絶対まともな商談にならない。)

このように、マッドマックスの怖さって、頭と性癖が狂ってる「バイオレンス・マッチョの集団に襲われる」ってとこなんです。襲われる理由も、「ガソリンよこせ!水よこせ!!」とか「うーん!殺すって決めちゃった!!」とか実にシンプル。会話の通じないハッピーバカは「どんな怪獣より怖い」んですよね。だからこそ悪役は、怪獣と同様、出会った瞬間「ダメだ・・逃げるか戦うかの二択しかない!!」って感じさせることが大事。そう、第一印象が全てです。

劇中のバイクや車のカスタムだって第一印象のインパクトに特化しています。古来より男の魅力ってのは、己の肉体か?乗ってるメカか?のどっちかなんです。当然おバカなキャラ勝負ってことになれば、
「肉体とメカでいかにバカ度を表現するか?」ってことになるわけですよ。そのため、悪党達の乗るメカは自己表現のお祭り状態、カスタムアイディアの宝庫です。まさにハーレー世界に通じるものがありますよ。今回のフュリオサにも、荒野のバイク集団が出てきますけど、そこに君臨するディメンタス将軍は、「あの頭の悪い世界でのCVOってこれなんだろうな・・」っていう凄いバイクに乗っている。

The_Chariot
(オィィイイ!見てくれこの素晴らしく馬鹿っぽい乗り物を!!航空機用のエンジンを積んだ星形7気筒のラジアルチョッパーの両脇に、R18の三頭立てだぜ!!R18はこの映画じゃ投げ売り状態だ!この勇姿を見に行くだけでも金を払う価値がある。)
ビキニカウル
(こちらディメンタス将軍がラストシーンで乗るバイク。うぉぉお!マネキンの頭とオッパイがフレームマウントされているぅ!「フッ・・ビキニカウルからビキニをチョップするとトップレスだろ?」という超ヒネリの効いたスーパーカスタム!こんなバカすぎるマシンを緊迫のラストシーンで出してくるセンスがたまらん!!このスペシャルバイクの勇姿を見に行くだけでも金を払う価値がある。)

マッドマックス世界は、私にとって「悪いおくすり」みたいな魅力があるんです。でも、今回のフュリオサは、その「悪いおくすり」「ハリウッド製薬が一般向けに飲みやすくした市販薬」だった。その証拠に悪役のディメンタス将軍は「話ができるイケメン」であり、残虐で歪んではいるけど、ガス様やジョー様のように「人間離れした怪獣」ではありませんでした。

これまでは、悪党達の中で、マックスだけが唯一「言葉が通じそうなイケメン」だったんです。そのため誰しもが「弱きを助けてくれそうなダークヒーローはコイツしかいねぇ!」って理解できる構図になってました。でも、今回は悪役にイケメンを起用したため、いかにそいつが悪党なのかを言葉と演技で説明しなくてはならなかったんです。

でも、言葉や演技って知性なんですよね。狂気とは滲み出るもので、知性で計れるものではないし、説明するようなものでもない。だから、語れば語るほど、演技すればするほど、真の狂気はこぼれ落ちていくんです。狂気をわかりやすく咀嚼しようとする試み自体に無理があるんですよ。

その結果、フュリオサ嬢とディメンタス将軍が対決するラストシーンは、まるで演劇のワンシーンのようになってしまった。私的にはあの語り部分をゴッソリ削り、ディメンタス将軍がリンゴの苗床になってる最後のシーンだけ提供した方が解釈も多様でグッときた気がするんですよね。

今回のフェリオサという映画には、マッドマックス2や怒りのデスロードが描いた圧倒的な狂気の世界に、いろんなものがマーブル模様のように混ざっていました。その余計なノイズによって、作品は一般性を得たかもしれないけど、作品の純度は「怒りのデスロード」に比べて確実に落ちたんですね。このためフェリオサは前作で大興奮したジャンキー達にとっては「怪獣が出てくるまでの尺が長すぎる怪獣映画」のように感じたかもしれない。基本的な怪獣の造形やアイディアには素晴らしいものがあったので、決して駄作ではない。でも明確に足を引っ張った部分もハッキリしていると思う。

テキスト書きが言葉を否定してはいけないんですけど、本能的なエネルギーを表現するのに「言葉などいらない」って私は思ってます。本能と知性はまったくの別物。だってバイクの感触や楽しさ、スリルって、本能であり、言葉にできない感覚的なものじゃないですか。

私はテキスト書くと長いけど、バイクに乗ってる時の語彙力なんて「ハェェ!」「スゲェ!」「キモチいい!」「オッパイ!」くらいしかない。百万語を尽くしても正確には語れない感触が、乗れば一瞬で体の隅々に染み渡っていく。しかもどんな乗り物より濃厚に・・・。それが私にとってのバイクであり、だからこそ私はバイクから離れられないんです。

そんな言葉にできない渦巻くエネルギーが「怒りのデスロード」を支えていた。荒涼とした砂漠に鳴り響くエンジン音と、圧倒的な狂気の中、破滅まで一方通行でアクセルを踏み抜いていくような感覚は、まさにあの頃のバイクシーンで、はるか遠く、懐かしく、そこに私は心を動かされ、深い共感が持てたんですね。

最後にもう一度誤解のないように言っておきますが、フュリオサは映画として見れば、「確実に平均点以上のデキ」です。その映像からはジョージ・ミラー監督の美学も垣間見ることができるし、凄いバイクも出てくるし、センスも相変わらずだし、見て損はない。だからもっと多くの人に見てほしいんです。でも、フュリオサを見ると「怒りのデスロード」のさらに純度の高い狂気が恋しくなる。そんな感覚になることも事実。

この映画を見た後で、私はもう一度怒りのデスロードを見返しました。そして、改めて、そのエネルギーと無言の狂気に打ち震えた。ああ・・この現代最高の特撮映画に幸あれ!!フュリオサが不入りだから、商業的に失敗だから、などと言う人がいても、私にはそんなことはまったく関係がありません。私の中でジョージ・ミラー監督の評価は少しも落ちない。フュリオサを見た後、「もう一度、怒りのデスロードが見たくなる」という意味で、これは名実共に前日譚といえるのかもしれない・・・・・な~んて肯定的に捉えてます。





オマケ漫画「マッドマックス☆フェチオタ☆」

ディメンタス3
聖帝様
フュリオサに触発されて、ブログキャラ総出演の2ページ漫画を描いてみました。あまりに大変で、やめときゃ良かった・・とちょっと後悔しています。