ゴールデンウィーク中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?中日に休みを取って10連休という幸せな方もいると思いますが、私は昨日まで暦どおりの3連勤。ええ、クソ忙しさが詰まった3日間でしたとも。怒りのパック入り安ワインがぶ飲みで、現在はヘロヘロになっておりますが、なんとかブログをアップすることができました。本ブログのお題は「私の幸せな結婚」です。これ実写映画やアニメにもなったライトノベルのタイトルなんですが、私にいわせると「は?幸せな結婚?なに言ってるの?幸せって何なの?ポン酢醤油があることなの?」って感じですね。

(昔明石家さんまがやっていたポン酢醤油のCM。なぜかこの歳になっても、このフレーズが頭から離れない。)

実は先週末、煮詰まった仕事を放り出して、「ゴジラVSコング・ニューエンパイア」のレイトショーに飛び込んだんです。今回のコングの敵はクッソ人相の悪い赤ゴリラなんですけど、敵はその赤ゴリラだけではなく、赤ゴリラに変な杖で支配され、言いなりになってるキャラ薄な古代怪獣もセットで出てくる。その哀れな怪獣を見つめながら、「ああ、こいつはまるで聖帝様に支配される俺そのものではないか・・」ってやたら感情移入してしまった私に、幸せな結婚を語る資格は微塵もないといえる。

しかし、人の結婚に対しては語る言葉を持たない私も、ことバイクとの結婚については、いろいろ思うところがあるので、今回はそれを書いていきたい。まぁこれは倫理感を失い、消費の迷宮をアンデッドのごとく彷徨う私の歪みきった思考が生み出した与太話ですので、皆さんの参考には一切ならないですし、良い子は決してマネをしてはいけないので、あくまでネタとしてお読み頂ければ幸いです。

皆さんご存じだと思いますが、私の所有バイクは現在

ダイナ・ローライダー

ゴールドウィング

HAWK11

MotoGuzzi V7

の4台です。ええ、この時点で天にも届きそうなバカの壁が立ち上がってます。台数の頭の悪さもさることながら、「極めておっさん臭いバイク達」が並んでいるのもヤバイ。買い足すほどに若者らしい覇気が消えていくという凄まじさ。この私ですら「こりゃなんと樟脳(しょうのう)臭いメンツなのか・・」って思うくらいだから、若い人から見たら加齢臭は相当なもんじゃないでしょうか。

信じがたいかもしれませんが、これでも私は53歳。バイク乗りの平均年齢(今は54歳らしい)以下であり、ライダーとしてはそこまで高齢ではないと自負しています。しかし、所有バイクのラインナップは壮年期を過ぎ、養老の滝状態になっちまってる。人によってはこいつら全部が「上がりバイク認定」されてもおかしくない顔ぶれなんですよ。HAWK11になると公式がもう「こいつで上がりましょ~♡」っていっちまってますからね。

私が大型に乗るようになってから、はや32年が経過してますから、ホセ・メンドーサに挑む矢吹ジョーくらいにはパンチドランカー状態になってるのは間違いない。それが大きく影響してるのかもしれないけど、一般のバイク乗りの方々から見ると,

「ははぁ、なるほど・・このラインナップ・・さてはこのブログ主、ネモケンさんと同年代ですね・・」

とかいわれちゃいそうで怖い。

でもね!!ちがうの!!あの人は、鉄人28号世代で、私はガンダム世代なの!あの世代だとヘッダーイラストが横山光輝みたいになるから!お願い!信じて!!

横山光輝2
(私がネモケンさんと同世代だったら、ブログのヘッダーは多分こんな感じになってると思います。)

ああ、今回の話題は、「なぜ私の所有バイクがジジ臭いのか?」ではありませんでした。今回は「なぜ私が4台持ちになっちゃったのか?」ってところを掘り下げてテーマにしたかったんで、「爺ネタ」をコネていてもしょうがない、これはまた別の機会に回します。

このブログを読んでくださっている人にはわかると思うんですが、ここ数年、私のガレージにやたらバイクが増えている。それには私の中に芽生えた「水戸黄門思想」が大きく影響しています。これは歳をとって「水戸黄門ファンになっちゃった!」ということではありません。今の私は水戸黄門御一行のように、「特定の役割ごとに最適なバイクを用意し、集団で理想郷に至る」という考え方に取り憑かれているんですよね。

このため私は、ある時期から、バイクを性能ではなく「人生という道中を一緒に歩む旅の仲間としてどうなのか?」という視点で選んでいる気がするんです。今のガレージの中には、ゴールドウィングやモトグッチのように、何年もかけて、熟考を重ねて選んだものもあれば、見た瞬間、「うぉぉぉおおお!優勝!!」って採用したHAWK11のようなバイクもある。でもやっぱり人生を歩む旅の仲間として迎え入れるには「自分が背伸びすることなく、自然体で付き合えなきゃダメだな」って感覚はどこかにあるんですよね。

このため、バイクを選ぶ際には、そこに「へちま御一行様のメンバーとして適切かどうか?」っていう割と厳格なオーディション審査が入るんです。そんな私が選んだのが、今の4台。当初メンバーだったストリートトリプルRSが3年でお別れになったのは、私のドラマの登場人物としては「キャラが若く、戦闘特化で強すぎた」んですね。私の道ゆきは、アレキサンダー大王のような「バトルジャンキー征服遠征」ではなく、「笑いあり涙ありのお茶の間向け珍道中」なんですよ。スライムとかドラキーしかいない始まりの街周辺でうろついてるだけだから、ストリートトリプルは明らかに過剰性能だったんですね。

人生楽ありゃ苦もあるさ。ってのはわかるんですが、良いオッサンになってなお「趣味でハードさを味わう」ってのはなかなかにキツイ。これまで苦しみや痛みは散々味わってきたんだから、そろそろ多幸感に首まで浸りたいわけですよ。

今の4台は、そんなヨワニンゲンに丁度良い優しいバイク達で、実に安心感がある。どいつもこいつも、私に似て、どこか変わってて、特殊で、ボッチな感じですが、それが妙に落ち着くんですね。ボッチ同士、同じ波動で惹かれ合ってるんでしょうか(笑)

今の私は、1台のバイクと長く付き合うことを望んでるから、「そのために何が必要か」ってことを真剣に考えてるんです。想いだけではダメなのは、これまでの別れが証明してるから、もっと科学的で根拠のあるアプローチをしなきゃならない。で、バイクとの出会いと別れのメカニズムを突き詰めていくと、人の世の結婚、離婚と割と似てるってことがわかってきた。

現代日本は離婚率がそれなりに高くなりましたけど、その主たる原因は「体の相性や性格の不一致」「飽きによるトキメキの喪失とマンネリ化」、それによって生じる「浮気や女遊び」が多かったりするらしい。浮気するとケツの毛までムシられる夫婦間ですらそんな有様ですから、すぐにお別れできるバイクなどは、余程しっかりしないと別れは避けられないって気がするんですよね。逆に言うと、これらの要因を潰せば、バイクと長く付き合えるはずだ、と私は考えている。まぁこれはバイクだけじゃなくて、あらゆる消費財についても言えることだと思うんですけど。

つまり、まず大事になるのは「体や性格の相性」なんですよ。買い換えってのは「今のバイクを自分基準で見た時に何らかのミスマッチがある」という状態で、かつそれを解消するために「今より良い代替物がある」という状況から出てくるものですから、ハナから自分と相性ピッタリなバイクを買えばいいわけですよ。「でも相性ってナニ?」ってことになるとなかなかに悩ましい。

バイクと自分の相性は、バイク歴がある程度長くなり、バイクや公道走行に対する乗り手のスタンスがハッキリすれば、なんとなく固まってくると思うんです。でも、最初の頃はそもそも上手く乗るってことに意識を全振りしてるし、いろんな情報に左右されるしで、何が好みかすらわからないことが多いんですよ。だから、ビギナーの頃は「どんどん乗り換え、自分とバイクとの関係性を把握していくことが相性の良いバイクへの近道なのかもしれない」とも思うわけです。でも私は既に相当数のバイクを乗り換えておりますから、「まだ自分とバイクの相性がわからにゃいの・・(上目遣いで指をくわえる)なんてことは言ってられません。「こいつ・・真性のバカか?」って言われかねない。

これまでの一連のブログでわかるとおり、私が「トルク大好き変態」なのは隠しようがない事実です。水子の霊が母を求めるように、優しいトルクに包まれていたいんです。人は年を取ると子供にかえっていくと申しますが、「50代前半にしてもう禁断の領域まで足を踏み入れてしまったのか?」という恐怖すら感じているくらい。でも、もはやバブ味を求める心は止められるものではない。

このため、今あるバイクは「パワーを割り切って、トルクデリバリーに振ったバイクばかり」になってます。リッター200馬力以上を軽々絞り出す時代に、リッター100馬力に達しているバイクが1台もございませんから、モアパワーより、モアトルク。「パワーを抑えた方が、吐き出すトルクは清く正しく美しくなる」ってのは私の中での定説で、バブ味を求める心の声に従って選んだ結果が今のバイク達ってことになります。当然不満は一切なく、どのバイクに乗っても「ええわぁ~」と心から満たされる気分を味わえてる。

自分との相性が良いバイクと出会えたら、次に必要なのは「飽き」への対策。これはですね・・実に難しいんですよ。だって人と消費財の関係は

「どんなものでもいつかは飽きる。」

ところに絶対真理があると思ってるからです。どんな美味しいものでも、好みのものでも毎日食べれば必ず飽きるんです。ずっとそのバイクに対してトキメキを維持していくなんて、どだい無理。「飽きにくいバイク」はあるかもしれないけど「飽きないバイクはこの世に存在しない」という確信があるんですね。だからこそ、ほとんどの人が一定の期間でバイクを買い換えていくわけで、それは「当たり前の消費行動」だと私は思うんですよ。でもその自然の摂理に逆らおうってのが私の命題だから、なんとかして飽きを乗り越える方法を検討しなきゃならない。

そのうちのひとつは「飽きたけど、乗り換えられない」バイクを選ぶことでしょう。そのためにはバイクの中に「流行によって決して左右されないスタイルと唯一性」が宿ってなくてはならない。旧車が人気があるのは、ここがとにかく強いからですよね。バイクに得体の知れない特別なものが宿ると、替えが効かなくなる。必然的に買い換えという選択肢は潰れる。ダイナの場合は「自分特攻にカスタムしすぎてしまった」という事実が買い換えへの相当強い抵抗になっている。

私が年々古くなるダイナに車両価値以上のメンテ代を投入しながら維持してるのは、「これ手放してどうなるの?次なに買うの?満足できるの?」っていう内なる問いに答えが出せずにいるからで、今後もその答えは出そうにない。しかし、これはバイクの特殊性に依存する極めて消極的な対応であって、前向きなものではありません。それが確立してるバイクは旧車がほとんどで、当然高い。現行新車かつリーズナブルなところでそれを見つけるのは、自分なりの視点が確立しないと難しいでしょう。

しかし、飽きに対する切り札は実はもう一つあるんですよ。とても困難ではあるけど、単純かつ効果的な方法。それは

「飽きちゃうんなら、もう浮気フリーにすればいいじゃない!!」

って開き直ってしまうことです。一夫一妻制だから乗り換えという事態が生じるんです。日本人の狭い常識を捨てて、アラブ人になればいい。一夫多妻制を許容するなら、「自分の所有するバイク間で浮気を繰り返す」という禁じ手があります。全部と婚姻しちまえばそれはもはや浮気ではない。つまりは大奥です。ハーレムです。私はその禁じ手に手を出した結果、頭の中のナニカが壊れ、どんどんバイクが増えていくという事態に陥って「何故これが禁じ手だったのか?」を今理解しているところです。

そう、毎日食べて飽きるのなら、「毎日食べなきゃ良い」んです。洋食と和食、まったく異なった味を日々交互に食べることで、飽きがくる期間を2倍じゃなく、遙か未来に引っ張れる。私にとってダイナとゴールドウィングのセットは、まさにそんな選択でした。実はコイツら同じクルーザーだけど、存在が完全にパラレルになるように選択を仕込んでるんですよね。

ちなみにダイナときんつば嬢を比較するとこうなります。

「外国製」「国内製」

「横置きエンジン」「縦置きエンジン」

「振動重視のV型2気筒」「滑らかさの水平対向6気筒」

「空冷」「水冷」

「ベルトドライブ」「シャフトドライブ」

「シンプル・イズ・ベスト」「おもてなし満載」

「ネイキッド」「フルカウル」

黒」「黒

同じクルーザーながら、完全に相反する要素で構成されてるから、「交互に乗ることで、互いの新鮮さが甦る」という構図になっている。

DSC_3413
(まさに「正反対な君と僕」って感じの組み合わせですが、この2台は完璧な相互補完関係で、どちらか片方に乗った後で、もう片方に乗ることで、互いの特徴がより際立つようになっている。これにより、新鮮さが持続し、飽きに対する驚異的な抵抗力が生まれてます。)

このタッグは今年で11年目になるんですけど、あまりにも両モデルの相互補完効果が高くて、他のパートナーに変える気にならないんですよね。ゴールドウィングについては4年前、F6Bからきんつば嬢に買い換えてはいますが、同一モデルとのお付き合いはもう11年目になる。ダイナに至っては15年間そのまんま。もうね。この2台は「交互に乗ってるだけで、飽きを防いでくれる」という、完璧な組み合わせで、まさにへっちまん御一行の助さんと格さん。今はエッチなくノ一枠としてHAWK11、遊び人枠でMotoGuzzi V7があるけど、実用面では、ダイナときんつば嬢の2台だけで「どこまでも引っ張れた」と思うんですよ。

このように複数台所有を前提にするのなら、そのバイクを加入させることによって、他のバイク達もそれまで以上に輝くような選択をしたい。そのため、私のバイク選びはバイク単体としての評価だけでなく、チームに入れたときの役割やバランスも大事な検討材料になっているんですね。

ダイナときんつば嬢のタッグにキャラ負けせず、役割やカテゴリーが被らず、私との相性も良いバイクって、この世にそうそうあるもんじゃない。だからスポーツバイクではちょっと迷走したし、変態枠のモトグッチは、スポーツ部門が決まらないうちは手を出せなくって、最後の一枠になってからの滑り込み加入になっています。

結局のところ、自分の嗜好や環境、走り方、考え方を正しく把握し、理解できてるのは自分だけです。私はバイクとの離婚劇を繰り返した結果、既に「バツ18」という、トンデモないクズ男になりました。しかも、これまでの壮大な消費実験から得た結論が「倫理感と経済観念を投げ捨ててのハーレム隠居生活」ですから、相当に頭が悪い。自分でもバカだなぁと思うけど、多分マジでバカなんでしょう。

ただどんなにバカをやっても、消費に関しては、後悔がなければ、それでいいんだと思うんですよ。「オーナーが身銭を切る」という点で、消費行動ほど責任の所在が明確でシンプルなものはありません。つまるところ、消費者の責任の取り方って「金を払う」、ただそれだけなんです。金を払った時点で選択に対する責任は取り終えてるんですから、誰に何を言われる筋合いもないんですね。

人の生き方は地位や職業など、収入や功績の面でばかり語られるけど、資本主義の世の中では、消費に対するスタンスと選択の在り方も、人が生きてきた重要な軌跡の一つだと思う。趣味の消費は自分だけの為にするものだからこそ、奥が深く、その迷走はとどまるところを知らない。正しい生き方に誰も答えを出せないように、「消費における幸せな結婚が何か?」なんてことも、きっと誰にもわからないんです。もしそれがわかったところで、赤の他人にとっては、きっと「ポン酢醤油があるかないか?」みたいな、そんな些細で下らない話になるんだと思います。



おまけ漫画「枯れ井戸スコープ」
枯れ専2