ようやく春か?と思ったら、また冬に逆戻りみたいな寒さになっております今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?最近は「勇気爆発バーンブレイバーン」という深夜アニメにどハマりしているへっちまんです。

バーンブレイバーン(私の現在のイチオシ深夜枠アニメ「勇気爆発バーンブレイバーン」。主人公の自衛官イサミを好きすぎる禁断のガチホモ変態勇者ロボが登場。とにかく予想斜め上の展開で深夜に視聴者を「不定の狂気」におとしいれています。別名は「汚い水星の魔女」。イサミィィーー♡)

今回のブログを書くちょっと前、アクセスカウンターをふと見たら、ライブドアに居場所を移してからのトータルPVが100万を突破してました。まぁこの世には1カ月間でそれくらいアクセス稼ぐブログもありますから、トータル100万PVなんてのは、実にささやかなものなのですが、このブログはアクセスを目的として書いているものではなかったので、それが結果的に100万PVに達したというのは、ブロガーとして感慨深いものがありました。

現段階でブログの記事数も515となっておりまして、1ブログにつき短く見積もって約3000字以上は書いていると思いますから(ちなみに本ブログは7000字オーバー)、トータル字数は160万字くらいになってるはず。普通のライトノベルの1巻分の字数が約12万字らしいですから、これまでライトノベル13巻分くらいのテキストを書いてきたということになりますが、それを読んでくれてる物好きの方々が結構いるというのに衝撃。

頭大丈夫デスカ?

※のじゃ子抜刀・下絵+1
(こちら春のヘッダーイラストの下書きです。最初は全身絵でした。最近は、服とか人体を上手く描こうと四苦八苦してます。)

よくもまぁ凡長で下らないテキストをこれだけ積み上げてきたものだなと我ながら感慨深い。質で勝負できないから量を誇ってるところが悲しいですが、継続は力なりという言葉もありますし、それはそれで我ながらたいしたもんだなと。なぜ、こんなに長く続いちゃったのか?という点を自分なりに考察してみると、それは、「書きたいことしか書いてない」という単純な理由だと思うんですよね。

私が仕事で日々叩いてるテキストって、このブログとまったく真逆で、

「誰が読んでも誤解や混同がなされないよう、曖昧さを排除し、簡潔に、偏見や差別をせず、相手の立場をおもんばかり、どこにお出ししても恥ずかしくないよう、格調高くあれぇ!!!」

という、やたら制約が多いものだったりします。事務的で説明的な文章に個人的な意見や感情はいらない。そう、それはまさに文章表現におけるディストピア。

意見や感情が抑圧されてる一方で、書き方の禁則事項やルールは山ほどある。忌み語をいれちゃいけない結婚式のスピーチみたいなもんです。そんな状況の中、いろんなところに目配りして配慮を極めていくと、「便秘でカチカチのウンコ」みたいなテキストになるんですよ。ウンウンうなっても出が悪いし、出したら出したでケツが切れる。1本グソでヒネりもないし、ウォシュレットで洗えば「薄汚い欺瞞」がしみる。そもそも私みたいな下品な人間からひねり出された格調の高い文章って、ジャコウネコの糞で入れるウンココーヒーみたいなもんじゃないのか?そんなものを毎日要求されてるなんて「三面リーチに安牌なし」って状況なのでは?

技術と論理で書いたテキストは、文芸と違い成果だけを求められてるものだから、何のパッションも面白みもないんですよ。要は個性が死んでて、それが精神的フン詰まりの原因になる。自宅に戻って自由になると、脳にジャバラ型浣腸をブッ差したごとく、自由気儘で品のないテキストをまき散らしたくなるんですよね。

出が悪く便秘が激しいほど、浣腸排出の快楽は大きい。

さぁ広げましょう、ニューロンと肛門を!

なお、テキストがやたら大量で、ねっちょりとお下品なものになってるのは日頃私を取り巻く環境のせいで、

断じて私のせいではございません。

たまに「この無軌道で破廉恥なテキストを仕事先で開陳したらどうなるかにゃ・・・」って思ったりするけど、私の積み上げた数十年がオッペンハイマー級に大爆発しちゃうので、それをやらない理性はまだある。

でもねぇ。文章なんて人類が編み出した他者への伝達手段なんだから、「シンプルに意味さえ通じりゃいいんじゃないか?」って思うこともあるんですよ。岸田総理が語尾を「だぴょーん♡」で答弁しても、中身がしっかりしてりゃ本来はいいわけなんですけど、現実は逆。様式美にこだわって中身はボカしまくってる。

国会の答弁でよく「検討します」が連発されますけど、あれはぶっちゃけ「やらねぇよ」って意味なんですよね。普通は「検討します」ってのは、わりかし前向きな意味なんですが、国会では意味がほぼ逆になってるんです。じゃあ、なんでそんなややこしい言い回しを使うのかっていうと、あそこは国会議員が国民の代表として質問してる場だからです。国家を運営する行政の責任者として、国民の代弁者である国会議員の質問に対し、「お前の言うことは聞かねぇ!」とは言えないんですよね。だから「やらないけど、意見を無視するわけじゃないですよ」っていう意味で、「検討します」って表現を使って、柔らかくお断りしてるってわけです。

ああいう言い回しは特殊な空間での儀礼的なメソッドなんです。同じ単語でも、相手のポジションや地位、権限、場の性質によって、表現やニュアンスが変わるから、日本語はとてもややこしい。

このほかにも、同じ言葉がその人の持つ思想信条や考え方で、全然違う解釈がされることもあります。例えば、

「今日は先輩上司につかまって、とても疲れちゃった・・ハアァ・・(ため息)

ってテキストも、BL世界に脳を焼かれた腐女子にかかれば

「今日は先輩上司につかまって、とっても突かれちゃった♡・・ハアァ♡・・(恍惚)

っていう「ア゛ッーーー」な、解釈になる。人はあらゆるものを「自分に都合良く解釈したい♡」という欲求があり、願望のままに脳内変換した結果、本質的な意味すら改変してしまうんですよ。

でも、私がここでやりたいのは、そんな腐女子の脳内妄想みたいな、アホで幸せな世界なんです。お硬い世界と正反対の柔らかい魔空間を展開したいんですね。魔空間と言っても大したものではなく、シモネタとオタクネタを織り交ぜつつ、バイクへの湿った愛を語るってだけ。でも、そんな無意味でおバカなものだからこそ、長く続いてるんです。

※のじゃ子抜刀5+1
(色塗り。カラーイラストのクォリティを上げたいという欲求は薄い。自分的には、カラーなどというレベルの高いものに行く前に、まずはモノクロで人体を自在に描けるようになるほうが先です。)

挿絵にしてる自作イラストも、テキストと同様、とてつもなくいい加減なものです。ブログに華がないなぁ・・って思い、挿絵として自前のイラストをブログに添えるようになったのが6年前。

学生の頃は授業中ノートの端にイラスト描いたり、Gペンで漫画なんてものを描いてたりしてましたけど、デジタル絵は初体験。でも、やってみたらまぁ凄いですよ。だって、なんもいらないんですもの。紙いらない、インクいらない、ペンは画面上で切り替え放題。定規いらない。スクリーントーンいらない。消しゴムやトーンカスが散乱することもない。やり直しは何回でも可能で、拡大縮小機能で眼にも優しい。パソコンの中に保存できるから管理も楽。5000円ほどのお絵かきソフトとパソコンと液晶タブレットがあれば「ほぼプロと同様の製作環境が手に入っちゃう」んですよ。アホらしくて、もう紙には戻れない。まぁ私の描く絵はクォリティ的に底辺レベルですけど、さすがに今まで挿絵イラストを300枚以上描いてるんで、少しくらいは上達してる気がする。昔はデジタルでも、Gペンと同じような描き方してたから、インクの香りがするようなタッチでしたけど、最近は「デジタル絵にかなり適応してきたのでは?」って思ってます。

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ブログスマホ用ヘッダー+4+1

ヘッダー再構築5+1
(こちらは初期のヘッダーイラスト。当時は板タブレットにイラストSTUDIOでお安くはじめてみました。実はこの頃は「特定の角度から」しか顔が描けなかったし、人体が描けないのをモコモコの服で誤魔化してました。おっぱい描くのがヘタすぎて、まったく肉の塊感がありません。)

イラストにおけるデジタルツールってある種トラコンや電スロなどの電子装備と似たところがあって、あくまで補助的なサポートツールにすぎないんです。優秀なツールを手に入れたからといって、描き手の技術や画力が上がるわけじゃないんですよね。

じゃあ本屋でよく売ってる、「イラストの描き方」なんてものを買ってくれば上手くなるのか?というとそれも違う。私の経験ではああいうの読んでも描けるようにはなりませんから。テクニック本ってバイクもそうですが、「上手い人はこうやってますよ。」って技術的なノウハウが書いてあるんです。でも趣味の楽しみに必要なのは、限界を引き出す高度なテクニックより、純粋な絵心であったり、バイクの伝えてくることを汲み取る感覚だったり、もっと素朴なもんだと思う。でも、そういうものは言葉で表現できないから、ノウハウ本の何処にも書いてないわけです。

そもそも、へたっぴは「上手い人が当たり前にできてることが何故かできない」から困ってるわけなんです。だから、あの手のノウハウ本をビギナーが見ると、「それができてりゃ苦労せんわぁぁあああああ!!」ってロボコンパンチを振り回して発狂することになる。実際私はそうでした。

よく、イラストで「顔の真ん中に十字描いて、目と鼻のアタリつけましょう」ってのがあるけど、あんなのはね。アタリつけて調整できるくらい、いろんなアングルを描ける画力の人が必要になるテクニックであって、ヘタクソはある特定の角度で自分が満足できる顔を描くだけで精一杯なのですよ。それすら描けない奴が顔に十字線描いたって、さしたる意味はないんです。

夏 ヘッダー・スマホ2

弓さやか9.2

春ヘッダー・基本路線14+2

雪子姫・パソコン2
(ライブドアに引っ越して、お絵かきソフトもCLIP STUDIO PAINTと液晶タブレットにグレードアップした中期のヘッダーイラスト。この頃は「永井豪キャラで仮面ライダーの変身ポーズ」がコンセプト。少しずつ体の方も色っぽく描かなければ・・という意識が出てきてます。イラストにおける「性の芽生え」ですね。

今では私も顔に十字描いてアタリ取ってるけど、「アタリを取っていろんなアングルに挑戦できるレベルになった」からようやく十字線を描く意味が出てきてるんですよね。あと、顔だけ上手くなったって体が同じレベルで描けなきゃバランスがとれないから、やがてそっちもやらなきゃいけなくなって、ハードルは次々に上がるから、ぶっちゃけ終わりがありません。技術って基礎を積み上げて、レベルを上げる過程で段階的に覚え、範囲も広がっていくものだから、一定レベルに達してない人が基礎や過程をすっ飛ばして高い技術や結果だけ手に入れてもそれを十分に生かせない。高いバイクやツールは金払えば手に入るし、知識は詰め込めばいいんですけど、実際のアウトプットは地道な実践によってしか身につかないんです。私の経験では、それはイラストでもテキストでも模型でもバイクでもブログでも、全部一緒だと感じてます。

じゃあ一朝一夕でどうにもならないもののレベルをどうやって上げていくの?っていうと、そんなもんは趣味人の特権

「好きこそものの上手なれ」

で推し通るしかない。趣味には趣味の上達の仕方ってもんがあって、それは仕事の上達の仕方とは根本的に違うと思うんです。その違いは「無限の自由があって、正解がない」ってところ。自分で判断し、自由選択できるからこそ、得られたものは画一的ではないし、好きなことを続けた先に、その人なりの個性やスタイルが確立していく。趣味っていうのは仕事と違って、その人の一部として成立しているかどうかが、一番大事なんだと思う。

その点では、当時「自前の挿絵をブログに入れる」って決断してデジタル絵を描きはじめたのは良かった。テキストだけじゃなく、絵を描くことでマンネリを防げるし、ブログの情報量が上がるし、放っておいてもブログに得体の知れない不気味な個性が滲んでくれる。あと、テキストからビジュアルまで全部自分一人で完結できると、ブログの製作ハードルも下がるんですよね。

私のブログは

バイクネタアニオタ成分不気味な人格下品なテキストハンパなイラスト

の5段レイヤーの重ねがけで、まさに「汚い虹」なんです。一つ一つを切り離して見ると、全部中途半端なレベルですが、それを重箱みたいに重ねることにより、なにか珍しい創作料理風に見える。一つ一つのキレ味や知識で他者に秀でることはできないし、そんな考えは肩が凝るだけなので、「球種の多さでキレのなさを誤魔化していきましょう!!」っていう戦略です。バイクって割と求道的で直球ど真ん中勝負なブログが多いから、こういう「キレのないションベンカーブをひたすら外角低めに出し入れしてるだけ」のタイプは、あまりいないんじゃないかと思うんですよね。

ヘッダ-2022春・最終デスクトップ+2

お仕置きよ11+1

冬のヘッダー・スマホ背景違3+1

*のじゃ子・ヘッダーサイズ・最終5
レイヤーを大量に重ねて描くのに慣れてから、少しずつヘッダーも華やかになり、線の細いデジタル絵っぽくなってきました。ソフトの機能も少しずつ使えるようになり、体の描き方やバイクがこなれてきてます。この6年間の過程を見ると、私みたいな凡人は「一つ一つ階段を上っていくしか上達の道はない」ってのがよくわかります。

なんだかんだ言って、人は傲慢で「自分が楽しいと思うことしか続かない」んですよ。だから長く続けていくためには、自分が好きなことをメガ盛りにしてやっていくのが一番なんです。事業として続けるのなら、収益のために他者にアピールしなきゃいけないけど、趣味として続けていくのなら、自分自身にアピールし続けなきゃいけない。

冒頭に紹介した「勇気爆発バーンブレイバーン」で、私が一番感動したのは、このブレイバーンという変態勇者ロボの「周囲がドン引きしても自分の好きを貫いていく」というメンタルのブレのなさ。その点ではコイツは最強の勇者です。戦闘中に場の雰囲気無視して自らが歌ってるOP主題歌をバックに流したり(地球存亡をかけたシリアスシーンが全て台無し)、主人公のイサミに必殺技名を一緒に叫ぶことを強要したりと、やりたい放題。まったく空気を読まないし、人の言うことも聞きません。徹頭徹尾、自分が気持ちよくなることしかやらないんですね。

でも、この変態勇者ロボのやってることは、自分の理想形そのまんまなんです。番組見てて、「そうだよ!オレのやりたいことも、結局はこういうことなんだよ!!」って拳を握って叫びたくなる。周囲にキモがられても、まったく気にしてないところまで、私の理想にとても近い。(アマゾンプライムで見られますので、興味のある方は是非どうぞ。)

自分が上下する
「イサミが私の中に入ってくれたとき・・私の動力源は熱いパトスではち切れそうだった・・(ハァア)♡」恍惚とした表情で主人公への粘り気のある愛を語る変態勇者ロボのお姿。イサミィィーー♡

この歳になって深夜アニメから教えられることがあるとは、やはりこの世界は奥が深い・・。何でも好き勝手やれる個人ブログが、マスを狙ったアニメに変態性とキモさで負けてられないゾって燃えてくるところがある。

そういうわけで、これからも明るく、楽しく、元気良く、熱き勇者魂とキモさを炸裂させつつ、勇気一刀流なテキストを紡いでいきたいと思います。

イサミィィーー♡(何?このオチ・・)



(悔しいのは、内容もさることながら、ブレイバーンの歌う主題歌「ババーンと推参!バーンブレイバーン」が私の性癖にドストライク過ぎること。バイク乗ってるときにひたすら脳内再生されて頭がおかしくなる。)
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(映像ではサタケ隊長がCBR1000RR-R(アクラポビッチのスリップオン仕様?)っぽいバイクに跨がってますね。昨年の劇場版グリッドマン・ユニバースにもCB1100Rが出てきて主人公助けてたし、今年のガンダムSEEDフリーダムもそうだし、ホンダはアニメ業界にコネでもあるのか?)