凍てついたバイク小屋の中で小川キャンバルの折りたたみチェアに身を預けながら、なんとなしにバイク達を眺めている。

12月に入り、気温は日中でも10℃を切るようになった。しかも外は小雨模様。振り返ると最近はずっとこんな天気だなぁ・・と少しゲンナリする。私には雨の中での寒中走行という荒行に赴く気概はないので、バイクに乗る気など1㎜も起きないのだけれど、1週間に一度はバイクの顔を見ないと落ち着かず、なんとなくバイク小屋にやってきてしまう。

バイク小屋の鍵を開け中に入り、蛍光灯のスイッチを入れる。「寒い、寒い」と呟きながら、エアコンのスイッチ盤を開けて、私の背丈より大きな業務用エアコンの電源スイッチを押す。大型の業務用エアコンは、室内を暖めようと、その頼もしい能力を全開放するものの、動作後しばらくしてブレーカーが飛び、あっけなく活動を停止した。

エアコンを購入するときに、バイク小屋の容積率に合わせてエアコンを選んだら、電源ブレーカーの上限に対して出力が過剰だったようで、冬場に風量自動で電源を入れると最初の急速暖房でブレーカーが飛んでしまう。高性能すぎるが故の悲劇である。モノには適正な器というものがあり、どんなに高性能でも器に見合わないと惨めな結果になるといういい見本ともいえる。これはまるで私とバイクの関係のようじゃないか・・と息絶えた液晶画面を眺めながら呆然とする。

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圧倒的能力を誇るはずのエアコンが稼働数分で完全に沈黙してしまったため、バイク小屋は寒々としている。スイッチボタンで電源を入れるという小学生でも完遂できるミッションに失敗するなど、通常は予測できることではない。エアコンを再起動しようにも、ブレーカーは配線で繋がれた別の棟に設置されており、そっちの建物の鍵は自宅に置いてあるため、もはやどうにもならない。「自宅に逃げ帰って、こたつに鋭角に突き刺さりたい・・」という欲望にかられるが、それでは扉を開けてブレーカーを飛ばして帰ってきたというだけであり、バイク小屋に何らかの爪痕を残さないと真の無能である。そこで、とりあえず1週間、火を入れてなかったバイク達のエンジンをかけ、排気熱で束の間の暖を取ることにした。

4台のバイク全てのエンジンをかけると、バイク小屋はそれなりの騒がしさにつつまれる。6気筒の排気音とツインの脈動が、まるでホラ貝と戦太鼓で、蛮族の群れが押し寄せてきたようだ。この勇ましい排気音だけで、なにやら暖かくなった気にはなるが、音で暖まるようならエアコンなどいらない。私は、縮こまるようにして*のじゃ子(HAWK11)のマフラー後方に手をかざした。

「・・暖かい・・。」

HAWK11はライダーに心地よい音を聞かせるためにマフラーを上向きにしているとのことだが、手をかざすと1100ccの排気熱がうまい具合に下から当たって暖を取るには丁度良い。開発陣もまさかこのような斜め上の理由で、アップマフラーを褒められるとはまったくの想定外だろう。

エンジンにオイルが回るまで3分くらい暖気運転をし、排熱でつかの間の暖を取ってはみたものの、エンジンを切れば、やはり寒い。そこで少しでも体を動かすべく、1年点検から戻ってきた*のじゃ子(HAWK11)のオイル交換をすることにする。*のじゃ子は3000㎞時点で一度オイル交換を行っているので、7000㎞でのオイル交換は「ちょっとはやいかな?」とも思ったが、ヒマでやることもないし、まぁいいかと準備にかかる。バイクを配置換えして、*のじゃ子のフロントタイヤをホイールスタンドに載せて直立させ、フロントブレーキを固定する。それだけで体がちょっと温かくなり、気分がシャッキリしてきた。

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HAWK11のドレンは12㎜のボルトがエンジン下に2箇所あり、とりあえず前を外し、それから後ろのドレンボルトも外してオイルを抜いていく。ダイナのようにドレンが3つもあって、国産のつもりでドレンボルトを外すと「残念!実はこれギアオイルのドレンなのでしたー♡」という妙ちきりんな造りではなく、それらしきボルトを外せばそこから確実にエンジンオイルが出てくるので悩む必要はない。オイルはホンダのG3。今回はフィルター交換もするので必要なオイルは4Lだが、ペール缶でまとめ買いしてあるので、まだ十分な備蓄がある。

ホンダの純正オイルG3はアマゾンでリッター缶を買うと2100円の価格だが、ペール缶で買うと20Lで2万4500円。1リッター換算で約1225円と一気にスーパーの特売並みのお値打ち価格になる。ゴールドウィングとHAWK11はどちらも4リッター弱のオイルを飲みこむし、距離もそれなりに走るから、価格が安いことに加え、1リッター缶をいちいち燃えないゴミに出す面倒くささがないことなどを考えると、ホンダ2台体制で今の年間走行距離なら、ペール缶一択じゃないかと思う。

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ホンダのバイクは昔から整備性が良く、ゴールドウィングですら外装を外すことなくドレンボルトにアクセスできるから、あっという間にオイルを抜き、足して終わりの親切設計だ。やってることは整備と言うほどのものではなく、もはや酪農家が牛の搾乳をしているのに近いものだと思う。オイルレベルの点検もHAWK11は2㎝くらいのゲージ幅でキッチリ計れて気分がいい。規定オイル量を入れると、レベルゲージのど真ん中にオイルが来て「ああこの瞬間が国産車ダネ」って感心する。これがダイナになると、オイルキャップとレベルゲージが一体化しており、キャップを外すと中からおみくじのように長いゲージがでろでろと現れる。オイル測定幅もやたら広く、「オレは適当でも動くんだぜ!」とバイクが粗忽さをあらわにしている。文化の違いと言えばそうなのだろうが、そこには整理整頓されている部屋と汚部屋くらいの意識の差がある気がする。

オイル交換を終えてバイク達を元の位置に戻すと、少し体も温かくなっていた。チェアに腰掛けスベア123Rで湯を沸かし、珈琲を入れて一服する。コーヒーを片手にぐるりとバイクを見渡し、冒頭のシーンに戻る。

それにしても、このバイク小屋は混沌としている。天井から下がっているレーシング・ミクやばくおんのポスターは論外として、買い込んだバイクの備品が所狭しと山積みになり、もはや半分物置きと化している。
これを買えば便利に違いない!と確信を持って購入したものの墓場である。バイク用品については、買ったはいいがロクに使わなかったものの方が多く、「無駄なものを死ぬほど買ってしまったな」とバカさ加減にゲンナリする。

バイク用のアイテムは
「高性能」「高機能」というアオリ文句に惹かれて購入することが多いが、結局残ったのは高性能でも高機能でもなく、「自分のしょぼいバイクライフに見合ったもの」であった。また、愛用しているものが壊れると、直したり買い直したりするのが面倒だから「耐久性」も重要だと思う。

バイク小屋の端っこに積み上げられている使ってないバックの山を見ればそれがわかる。タナックスの巨大なシートバックから小さいバックまでいろいろあるが、ここ2年ほどはコーヒーセットとチェアワンが入るGIVIのUT805防水シートバックがダイナに積みっぱなしになっている

UT805

このシートバックのいいところは、容量が丁度良いこと。防水であること。そして底板が非常に硬いことである。シートバックはいろいろ購入してきたが数年愛用していると底の方から型崩れしてしまい、やむなく買い換えるというパターンを繰り返し、長く使うには底板に型崩れしない耐久性が重要だと思うようになった結果の選択である。

一番巨大なタナックスのツーリングバックⅡはキャンプ用に購入したが、私のキャンプブームは、ちまたでキャンプブームが盛り上がる頃にはすでに終わっていた。当初はデタッチャブルの荷台に取り付けたツーリングバックにキャンプ用具をこれでもかと積み込み、「キャンブサイコー!!」なんていってたけど、回数を重ねるうちに、

「なんかさぁ・・俺って焚き火やって酒飲んでるだけじゃない?」

「へべれけになったら、家もキャンプ場も変わりないんじゃない?」

という疑念が湧いてきてしまい、試しに自宅の庭で焚き火したら、「・・ばかな・・こっちの方が面倒くさくないし、準備も片付けも圧倒的に楽じゃないかぁあああ?!」と電気ショックのような衝撃を受け、すっかり庭飲みの人になってしまった。他人と交わることのない私にとってキャンプとはつまるところ、「薪割りと焚き火と酒」が主たる構成要素で、バイクに荷物を積むとか、キャンプ場でテント張るとかは「面倒臭いこと」だったようだ。これはもはやキャンプ自体の否定に等しいが、多くの人々のキャンプブームはそのような面倒くささによって終わっていくのだと思う。

そして、キャンプという目的を失ってしまうと、私の日常には、巨大バックのスペースを埋めるようなイベントはまったくなく、以降キャンピングシートバックはバイク小屋の片隅で恨めしげに控えている。

過大な夢と高望みはいつしか反転して面倒くさいものに変わる。高額なバイクに搭載されている多種多様な機能ボタンも私にとっては同じようなものかもしれない。「うわぁ!すごい!」とトキメキを感じた時期もあった。オレもこんなにボタンのある多機能バイクを買えるようになったんだ!と勝利の余韻に浸って「ムフーー!」と鼻息を荒くしたこともある。しかし、今は山のようなスイッチ類を眺めながら「・・で、よく使うボタンはどれなの?」と既に一部操作を諦めている感すらある。機能は少なすぎても使い勝手が落ちるが、多すぎると面倒くさい。いろんな機能を提供されたところで、所詮私が押すのはウィンカーボタンとセルボタンとキルスイッチが9割である。他のボタンは使ってないどころか、起動のさせ方すらわかっていなかったりする。使わないと忘れてしまうからだ。アホな私は常に脳内のハードディスクが一杯で、滅多に使わない機能に脳の記憶領域を割く余裕はない。

クルーズコントロールやクイックシフターという流行の装備も試してはみたものの、結局アクセルをひねり、クラッチを切るいつものライディングに戻ってしまった。どちらにも本当に些細ではあるが、微妙な違和感があり、その違和感が嫌でいつも通りの操作に戻ってしまう。電スロバイクに必須となったライディング・モードも最初は色々切り替えて遊んでみるものの、半年も経つとお気に入りのモードに入れっぱなしになっていた。私が「これは便利だなぁ・・」と感心したものは、ウィンカーのオートキャンセル機能とトラコン(制御に違和感がないものに限る)、キーレスエントリーあたりだが、思えば、いずれも私の意志と関係なく自動で作動してくれるものばかりというていたらくだ。

そんな私から見ると、最近の電子兵装満載の高額バイクは長年ザクで戦ってきた私がガンダムユニコーンを見せられているような状態だ。デザインコンシャスで、スペック高くて、機能てんこ盛りでサイコミュが五段重くらいになっている。例えるなら育ちが良くってハイスペックなイケメン主人公というところか。今は世界中のイケメン達がこっちに手を差し伸べているので、バイク乗りとしては最大のモテ期が到来している状態で、次々とバイクを買い換え、悪役令嬢のように無双している人も多いようだ。

しかし、豪華なバイクが増えた結果、消費としてのリスクも随分高くなったと思う。消費で見る夢は常に代金先払いを要求され、当然ではあるが、幸せになれなかったからといってその対価が戻ってくることはない。

シンデレラはイケメン王子様と結婚して幸せになった。めでたしめでたし。しかし、本当にそうだったのだろうか?昨日まで小汚い部屋の掃除と下品で意地悪な姉に囲まれていた娘が、宮殿のハイソな生活の中で幸せになれたかどうか、私は疑問に思っている。1か月もすると、華やかできらびやかだが、オナラもできない生活に窒息し、狭くて薄汚いながらも自由な我が家が恋しくなり、身もだえするハメになったのではないだろうか?

年を食った今の私の立ち位置は、初心者の乗るガンダムに一蹴されたジーン・コズン・スレンダーのかませ犬三人衆と同じある。女性も30半ばを過ぎると峰不二子を応援するようになるというが、50を過ぎ私にもようやく、かませ犬の自覚が出てきたようだ。そんなオッサンは醜態をさらして無慈悲に誅され退場するからこそ味があるのだ。メインストーリーの事情など無視して、画面ハジで見切れつつ、やりたい放題のやっかいな奴なのである。

自分で言うのもなんだが、私は救いようのないほど面倒くさがりの朴念仁で、器がとても小さい男だ。そんな私を許してくれるようなバイクを選んでいたら、なんとなく今のラインナップになってしまった。それなりに吟味して選んだだけあり、どのバイクにも乗っていて喉にトゲが刺さるような違和感はなく、ごまかしのない素のバイクが多いと思う。なんとなく私の好み通りで、落ち着くところに落ち着いている・・という安心感があって癒やされる。まぁ浮気性の私だから、将来はどうなるかわからないが・・・。



・・・・などということを考えていたら、突然スマホのバイブ機能が作動した。画面を確認するとショートメールに着信がある。

「どこで油を売ってるの?早く帰ってきなさい!遅すぎる!!」

ひぃぃいい・・聖帝様がなんか怒っていらっしゃる。そういえば「ちょっと散歩・・」って家を出てきてから、もう2時間が経っちまってる・・ヤバイヤバイヤバイ・・。私は壊れたロボットのような動きで椅子から立ち上がり、しょぼくれた日常に戻るべく全力疾走で我がオアシスを後にしたのである。





※今回は文体を少し変え、私小説風にお送りしてみました。この手のテキストはヒネりつつ考えて書かなきゃならないんで、いつものようにダーーッと叩きつけるように垂れ流していくテキストと違って勢いが出ない。ちょっと苦労しましたが、なんとか終わらせることができました。



(本文とまったく関係ないオマケ漫画。「黒ベタの真実」)
下記文字2
(漫画は背景を使って言葉にならない感情を伝えていくというテクニックがあります。黒ベタは暗黒面や絶望の表現によく使われますが、そこに暗黒テキストを乗せると効果が倍になるのではないか?という実験的な試みです。)