生きて抗え(今回はイレギュラーですが、山崎貴監督の「ゴジラ−1.0」についてレビューさせて頂きます。)


いや~ゴジラ−1.0、最高でした~!はい、5点満点中5点!!パチパチパチパチ。

初日に見て、また昨日2回目を見てきました。初回視聴は、映像の迫力に圧倒されっぱなしでしたが、ある程度冷静に見ることが出来た二回目は、人間ドラマに涙しております。あまりに感動、興奮しちゃって指が超高速で動いたので、一夜にしてテキストが上がっちゃいました(笑)本作はシン・仮面ライダーみたいにマニアックじゃありませんので、万人にお勧め。8日もオタ仲間と3回目を見に行く予定です。

この映画の何がいいかって、「メチャクチャ怖い、神のようなゴジラが降臨した」ところです。そして日本側がとにかく弱い。時代背景が戦後ですから、日本の国力が最弱状態なんですね。もうね。ようやっと復興してなんとか生活も形になってきたところを、再度ゴジラに蹂躙されるという悲惨な状況なのに、ゴジラの破壊能力が歴代最強クラスで凄まじく、人類の無力感、絶望感はハンパありません。このため、この映画は怪獣映画ではなく、パニックホラー映画としても十分成立してます。ゴジラの無慈悲さ、容赦なさは、復興した東京を再度地獄にたたき落とす第3の原爆投下のようでした。

私にとって、ゴジラ映画とはゴジラが仁王立ちしたときの風格と威厳、神々しさ、その力を描写するための破壊シーンのスケールと造り込みが全てなんですけど、それについては、本作は満点に近く、「山崎ぃぃいいいい!(←超失礼)お前、わかってるじゃん!」ってコブシを上下に振ってました。

結局ゴジラってのは圧倒的な脅威じゃなきゃいけないんですよ。脅威としてのレベルが高ければ高いほど、周りにいる人々の生きあがく姿が生々しく刺さる。シン・ゴジラも、まるで黙示録のケモノのようなアトミックブレスで東京を完膚なきまでに破壊しますが、あれが「人類文明の滅亡」まで想起させたから、ゴジラ映画としての緊張感がいや増して、名作になり得たのだと思います。

我々世代はゴジラに親近感を持ちすぎちゃってるんで、真のゴジラを表現するには人間を生々しく殺戮するゴジラを見せて一旦それを壊さなきゃならないんです。初代ゴジラはもの凄く近寄りがたい怖い存在だったんだけど、子供に人気が出るにつれ、人も怪獣もお互いにすり寄っちゃって、身近なヒーロー的な存在になってしまった。人とゴジラの親和性が高まるにつれ、ゴジラが人を殺すのがタブーになってしまったところがある。

その後も人との対立軸は描かれましたが、ゴジラはあくまで超生物ではあるけど「人が倒せそうなスケールの存在」として描かれることが多かった。シン・ゴジラがあれだけのインパクトを残せたのは、久しぶりに「人類根絶」の意思と能力を持ち、人が絶対に勝てそうにないゴジラが現れて、皆殺しを実行したからだと思うんですよ。今回の-1.0もそこをしっかりとやってくれてた。

ハリウッドのゴジラって特撮は凄いんだけど、いまいちゴジラのフォーカスが合ってないんです。なぜなら、ハリウッド版ゴジラは人類にとって破滅的な厄災であるという解釈じゃなく、モンスターバースという巨大な生物が存在する世界での一最強個体として描こうとしているからです。いわゆるモンスター版の百獣の王なんですね。そういう意味では立派になったヒーローゴジラです。しかし、日本映画のゴジラの本質は、繁栄する人類の前に立ちはだかる純粋な厄災。だから極めて超越的で理不尽であることが求められる。

山崎監督のゴジラは戦後日本にとって、理不尽な厄災としてしっかりと描かれてます。銀幕にいたのは、まさに神話の怪物で、ヤマタノオロチやリヴァイアサンと同類でした。

今回は主戦場が海で、海のシーンがとことん多いんですけど、この海のシーンはビジュアルがものっ凄く美しいんですよ。しかし、この未知の美しい海の中に、日本にとっての恐怖の存在が潜んでいる。海ではゴジラの全身像が見えないから、逆に与えられた情報の範囲でゴジラの動きや大きさを想像することになる。ホラー映画ってのは恐怖そのものを見せるより、恐怖の対象を想像させることが一番の恐ろしさにつながるんですけど、その手法をゴジラでやってる。ゴジラが出てなくても「海の中にゴジラがいる」って観客が想像してくれるから、人間がそれに対して必死になってる姿を描くだけで尺が持つんです。そして、陸と違ってゴジラの動き全てに膨大な波しぶきが立ちます。巨大に見せるための手法っていろいろあると思うんですけど、その手法として波のテクスチャーを使ったってのは、特撮作品として、とてもよく考えられてると思いました。

そして今回もアトミックブレスは強烈。発射するゴジラ自体もダメージを負うため連射不能というとんでもなさ。それは全てを破壊する神の怒りの刃であり、まさしく原爆。日本人のトラウマを見事に突いていてとてつもなく怖い。

(こちら海外版の予告。ゴジラの動いてるシーンが日本の予告より多く見られます。)


映画のパンフレットの中で山崎監督は「ゴジラ映画を作ることは神事に近い」と語っていました。映画は「ゴジラ」という荒ぶる神を鎮めるための「神楽」を舞う行為であると。庵野監督のシン・ゴジラは人を滅ぼすために進化していく存在でしたが、山崎監督の描くゴジラはインタビューのとおり荒ぶる神でした。それは私のゴジラの解釈とも、ほぼ一致しており、それゆえに、私にとって、ゴジラがもの凄くゴジラらしく見えた映画だったといえます。

古事記のヤマタノオロチは大洪水で荒ぶる河川を怪物に例えたもので、それを治水工事によって人が乗り越えていく逸話だという解釈がありますが、今回のゴジラは戦争という厄災を象徴する死の荒神を人が鎮める物語です。そして、そんな神を滅ぼすのは、人が作った兵器ではなく、あくまで人の意志でなくてはなりません。神や怪物の伝承は人の心の闇や畏れが生み出したものですから、それを乗り越え、否定できるのは、それを克服しようとする人の意志のみ。今作では、そこもしっかりと練られていたため、ゴジラという「神殺し」に説得力がありました。

主人公の神木隆之介は葛藤の末に、神殺しの覚悟をもってゴジラを葬ろうとします。死を恐れ、特攻から逃げ、神のような存在のゴジラに対しても立ち向かうことなく逃げ出すことを選択し続け、罪の意識から自己否定を繰り返していた神木隆之介が、家族を守るため、そして自分が生きるために、荒ぶる神に立ち向かい、神殺しを行うことで戦争のトラウマを乗り越える過程が、冒頭から丁寧に描かれていたため、この手の作品ではおざなりになりがちな人間ドラマ部分もしっかり見応えがあり、ある種の生命賛歌にもなっていたと思います

庵野監督はゴジラを不死の完全生物、いわゆる「生物学上の神」として描き、日本や世界の政治を絡めつつ、リアリティのある戦争シュミレーションとして成立させましたが、山崎監督は、ゴジラを圧倒的な力を持つ「厄災の荒神」として捉え、非力な人類が知恵と勇気で神を乗り越える物語として描いてます。前者は極めて化学的かつ論理的でしたが、後者は何か古事記や日本書紀の中にある人と怪物の戦いのような、そんな不思議な感覚になります。この2作は切り口は違いますが、どちらも甲乙つけがたい特撮史上に残る名作だと私は感じてます。

最後になりましたが、今作では、神木隆之介が搭乗する人類側の切り札として、とある戦闘機が出てきます。その戦闘機がゴジラを鎮めるための神楽を舞うんですが、ミリタリーオタクはその戦闘機の勇姿をみるだけで、涙腺が決壊すると思う。あと、不沈戦艦と言われつつ、あっけなく沈んだ大和とは違い、太平洋戦争を通じて真の不沈艦だった「雪風」がゴジラに挑むのも胸熱。それだけでも、ミリオタにとっては絶対に外せない映画になっていると思います。

これは大音響、大画面の映画館で見なきゃダメな類いのエンターテイメントですし、日本人ならとりあえず見とかなきゃいけないものだと思いますので、皆さん是非映画館でご鑑賞下さい!