10月のはじめにゴールドウィングこときんつば嬢を初回車検に出しました。不具合が生じていたバックギアを調整してもらい、フロントのブレーキパッドも交換(2回目)した結果、車検費用、整備費用、ブレーキパッド交換費用で合計約10万円でした。

バックギアの空回りは、保証の範囲内での無償修理ということになったんですけど、バックギアの調整のためには、フロントカウルを全部引っぺがさないといけないみたいで、入院期間はちょい長めの2週間となってます。

ちなみに、きんつば嬢の車検は10月、ダイナの車検も10月と、うちのクルーザーズは「車検のタイミングがほぼ同時」という、ツレション状態なんですよ。2年後には*のじゃ子(HAWK11)の車検も同じイヤーサイクルになり、これが11月。つまり次回は、きんつば嬢とダイナの車検を10月に出して、返す刀で*のじゃ子をすぐ出すという、乗り越えても乗り越えても車検攻撃が次から次へやってくる「ジェットストリーム・アタック」状態になります。この攻撃をアムロよろしく華麗に回避できればいいんですけど、車検代金を踏み倒すというのは詐欺行為にあたりますので、全ての攻撃で直撃弾を食らうのはもう間違いのないところ。

私の財布の底が抜け、「本能寺のような業火の中、私の狂気の笑い声とともに諭吉が燃えていく」事態になることが容易に想像できるわけですが、「大丈夫だ、想像しなければどうということはない。」と心の中のシャア・アズナブルが囁くので、私は車検についての思考を放棄しています。

なお、今回の車検にあたっては、ザラブ嬢ことストリートトリプルRSと、きんつば嬢で明暗がハッキリ分かれる結果になりました。ザラブ嬢は5月に車検を前にして売却となり、きんつば嬢については、車検を通すことになったわけですけど、なぜそういう結論になったのか?

お礼1+1
(気位の高いツンデレ女子は、この手の表情がたまらない。)

イラストできんつば嬢がつぶやいているとおり、新車ってのはまず「3年目の車検が乗り越えられるか?」という点が大きい気がします。男にとって結婚は「人生の墓場」とも呼ばれ、そうそう解消はできませんが、バイクなら浮気も重婚もし放題。車検って一つの区切りだから、オーナーはその都度、バイクと再婚しているようなものかもしれない。

ザラブ嬢との別れは*のじゃ子の事故がきっかけだったんですけど、残り1か月で車検が切れるってのも理由としては大きかった。私のバイク史上おそらく忘れられないほど、高性能で熱いバイクだったにもかかわらず、そこでお別れの決断ができたってのは、このバイクに乗り続けるにあたって、2つの大きな問題点があったからです。それは

「私自身」の問題と、「社会環境」の問題です。

以前も書きましたけど、どんなに性能が高くてもバイクは乗り手の能力以上の性能は出せません。若い頃はそれでもいいんです。若さとは即ち可能性であり、乗り手のココロが夢とトキメキに満ちているから、バイクもそれに見合う夢のあるバイクがハマる。で、バイクにおける一番わかりやすい夢ってやっぱり高性能なんですよね。昨今、オフロードに持ち込む気には到底ならないクソ重・大排気量アドベンチャーが人気だけど、それもある意味では、過剰さからくる夢を売ってるんで、商売の仕方としては同じだと思う。

私が30年前に乗ってた初期型CBR900RRも今振り返れば、私の能力を大幅に上回ってて、トリコロールカラーも相まって「スポーツバイク界に降り立ったガンダム」といってもいい存在でした。明らかに分不相応だったんですけど、その頃は「ひょっとしたら俺ちゃまも、エースパイロットになれるんじゃね?」ってワンチャン希望がもてたんですよね。

「アムロだってド素人から連邦軍のトップエースになったじゃないか!俺だって!!」っておバカな理屈で目をキラキラさせ、その戦闘能力に無邪気に酔いしれることができたんです。その頃はまだ公道で速度を競うことによって垣間見える「名状しがたき虚無」を知らなかったから「速度の向こうには、輝ける栄光がある」と思い込んでたんですよね。

この手の話をすると、よく「サーキット走れ!」って言われるけど、一番重要なのは「その速さの先に一体何があるのか?」「終着点はどこなのか?」ってことなんですよ。職業レーサーやバイク関係の仕事でもするんじゃない限り、それを突き詰めても何らの回答も意味も見出せないと思う。スリルや快楽は人が生きる上でとても重要なものだから、それを否定するわけではサラサラないんですけれども、「じゃあそれがバイクの終着点ですか?」っていうと、そうではないと思うんですよね。

結局、どんなに刺激的で素敵な夢を見ようと、当たり前の人生を送る以上、最後は自分の生活や日常の常識の枠内に戻ってくるしかないんです。

「いやいや、扱いきれないくらいのパワーを前提に設計されたバイクを普段使いしてるってこと自体が、気分をアゲてくれるし、気持ち良さにつながるんだよ♡」って言う人は、一番賢い高性能バイクの使い方をしてると思う。高性能ってのは、ヘンに突き詰めず、抜かない刀として楽しむ。そういう姿勢が現代の大馬力の楽しみ方じゃないかと思うんですよ。

でも、私みたいに自分の可能性に夢を見られなくなった人間は、凄く即物的なんです。夢というブーストがないから、突き抜けた性能を体感しても、「ああ・・このバイクは自分にはもったいないな・・」ってすぐ結論がでちゃう。一定以上の高性能のバイクって、消耗品の交換サイクルが短く、かなりコストが掛かるし、「一緒にイケナイ夢を見ましょうよ♡」って誘いは、夢からリタイヤして余生を送る人間には、いろんな面で少ししんどいところもあったんです。これが私の内面の問題。

もう一つは、「社会環境の問題」です。

検証する限り、日本の公道にはもはや、「超高性能なザラブ嬢がイキイキ、ノビノビと走れる所はほぼない」んですよね。民俗学では「日本に街灯が普及することによって闇がなくなり、鬼や妖怪や物の怪は伝承の中に消えていった」と言われていますけど、今の世の中は、モノノケが生きていくには、いささか明るくなりすぎた。隅々まで監視の光が行き届いてるんですよね。その一方でストリートトリプルRSは都市伝説の物の怪「ターボばばぁ」のような存在。そのミスマッチが第二の問題なんです。

昨今、企業のコンプライアンスが声高に叫ばれてますけど、昭和や平成初期の頃は、企業にコンプライアンス意識なんて、あってないようなものでした。バイク業界もホンダとヤマハが死者を積み上げながら熾烈なドンパチ抗争やってましたが、当時はライバル企業を凌駕する高成績を叩き出し、シェア競争に勝利することが至上命題で「24時間戦えますか~?」なんてビジネスマン向けの過激な栄養ドリンクの宣伝が流れてたくらいです。

いつ頃からかメディアでは、勝ち組、負け組なんて言葉が踊るようになりましたけど、それはすなわち「負け組にもちゃんと光が当たってる」ってことなんですよ。昔は無残な負け組に誰も光なんて当てなかった。社会が競争からの脱落者という大量の闇を生み出し、それを放置してましたから、そこから生まれる闇も許容せざるを得ない。当時のバイク乗りはそんな社会の闇に潜んでいたんですよね。

(高度成長下にあった昭和から平成初期の影の雰囲気が良く出ている「アザミ嬢のララバイ」。中島みゆきのデビュー曲です。あの頃、社会から脱落した者達は「夜に咲く」しかなかった。だから、夜の闇の中で全てを飲み込みアクセルを開けた。それはもはやバイクを使ったリストカットでした。多数の人間がそういう異常行動をとっているのは「社会の歪みが可視化している」だけなんですね。)

私が思うに社会のモラルって「監視があってはじめて機能する」ものです。企業がコンプライアンスを金科玉条にしだしたのも、社会の監視の目が厳しくなり、倫理をしっかり守らないと企業としての存在価値を社会に否定されかねないような世の中になったからだと思う。

ビックモーターなんかはいい例で、会社組織は、経営陣が暴走しないように、監査役とか、株主などの抑止力をおいて、適正に運営できるような設計になっているんですけど、ビックモーターのように経営者と株主が同一人物ってことになっちゃうと、監督機能はまったく働かない。しかも、社外役員でお目付役の損保ジャパンまで悪事に手を貸してたってことになると、そこにあるのは単なる悪代官と越後屋の構図ですよ。

私から言わせると、自分が社長で支配株持ってる創業者一族の悪事なんて、内部からは止めようがないんだから、大企業であり、公器でもある損保ジャパンが監視役になって止めなくてはならなかったんです。それをビックモーターと一緒に、他人様の車を違法に傷つけ肥え太っていたわけですから、公器という立場を忘れ、利益に走った損保ジャパンが最もタチが悪いと私は考えてます。

で、その闇が社会に晒され、監視の目がなかったところに一気に光が射すと、「その存在がデカいほど、徹底的に糾弾され、吊し上げられる」という事態になる。だってその会社が競争に勝ち抜いて、大企業になったのは「不正行為によって積み上げられた利益のおかげだ」ってことになるワケだから、普通に考えたら「デカいままで置いておくわけにはいかない」ですよね。利益吐き出して、小さくなるまで叩かれてもしょうがないって理屈になる。まぁ自業自得なんですけど・・・。

でも昔はそんな闇は、社会のそこかしこに普通にありました。社会も、ある程度の混沌を許容し、それに寛容だったし、闇を闇だとも思っていなかったフシすらあるんですよね。そしてそれは、走り屋という物の怪には、とても都合がいい世界だった。各地の峠や、第三京浜や首都高など、至る所で百鬼夜行することができたんだから。

でも今は違う、いろんな人がSNSに上げるネタを探して、スマホを手に待ち構えている時代です。ドラレコも普及し、監視と記録のサーチライトがそこら中に行き届いていてて、昔のような闇なんてない。そして闇がないところには怪異は住めないんです。

「一億総監視社会」
なんていうけど、それは「不正を駆逐するための監視機能を一般人が担うようになった」ってことで、成熟したモラルある社会へ至る過程でしょう。でも、社会が明るくなってくると、高性能バイクがその性能を発揮できる場所は、サーキットという「合法的な特殊フィールド」か、「誰もいない閉鎖空間」しかなくなっちゃうんですよね。

自己責任が重視される他の国では、個人の自由と公益がバチバチにせめぎ合っていて、高性能バイクの滑り込む居場所もあるのかもしれないけど、日本は国土が狭く、個人より公益を重視する教育をしてきた国だからいろいろと厳しいと思う。私も一般の方に迷惑はかけたくないから、ある程度の走りをするには、しかるべきところにいくしかないと考えてます。

私にとって、それは即ち人里を追われ、田舎の山奥の無人の峠道に引きこもるということなんです。ちなみに私の走るコースが、どれくらい山奥かというと、もうこんな謎アニマルが出るくらい(笑)

DSC_2974

DSC_29751
(初めて見たときは、「は?コイツ一体ナニモノ?」って思いました。これ、ニホンアナグマらしいんですけど、こんなマニアック・アニマルが至近距離にいるんですよね。)

ザラブ嬢に3年乗って感じたのは、「このバイクの性能では、日の当たるところで生きるのは難しい・・」ってことです。現代のバイクはイージーに昔を凌駕するような領域に飛び込んでいくようになってるから、公道との矛盾は広がるばかりで、「もう、どうすりゃいいの?」って状態になってる。そういう矛盾が3年間で私の中に少しずつ澱のように沈殿していったんです。

その一方で、きんつば嬢は溢れ出る低速トルクと高い快適性とメイドらしいお仕事能力で、冬のツーリングを制するだけでなく、我が家の最高権力者、聖帝様をタンデムで味方につけ、デイキャンプツーリングをお膳立てするなど、「私の日常にガッチリ食い込んで、自らの居場所を確保する」というしたたかさを存分に見せつけた。それがこの2台の明暗を分けたんですね。

歳を重ねた私にとって、バイクは見果てぬ夢やあこがれではなく、中年男のありふれた日常になっているんです。今回の選択は、その「ありふれた日常を大事にしていきたい」と自分なりに考えた結果だったということなんです。






えーー昔のことを書いてたら、なんかすっごいセピアな気分になってきたのでオマケです。当時私がよく聞いていた曲で、中島みゆきの中でもマイナーかつ昭和的暗黒度が極めて高い曲ですが、あの頃のドロップアウト組の閉塞した雰囲気が伝われば幸いです。

(80年代から90年代のバイクは今のように明るくきらびやかな趣味ではなく、もっともっとアングラな何か、でした。90年代の第三京浜はその熱狂ぶりが語られることが多いですが、集ってくるソロのガチ系最高速アタッカーには、どこか世を捨てたような孤独な闇がありました。当時、多くの人々が第三京浜で散っていきましたが、彼らの一部は社会から疎外された、この曲に歌われるような悲しき異邦人ではなかったかと思う。だから、当時のことをよく知らない人達に、あの時代を簡単に語って欲しくないし、私も多くを語りたくないんです。)