モトグッチ納車記念3部作の最後を飾るのは「V7のファーストインプレッション」です。購入してから3か月、このバイクをうまく表現する言葉を探し続けてきたんですけど、このバイクの魅力をどのように伝えるかってのは本当に難しい。

実は私は納車されるまで、V7を「イタリアっぽく、ちょっとヌケててユルいけど、乗るとハッピーになれるバイクなんだろうな・・」って思ってたんです。「馬力と車体剛性が低いけど、ゆったりと縦置Vツインの鼓動を楽しめる、お散歩バイク」って勝手にエーゲ海観光みたいなイメージを作ってたんですよね。

モトグッチに関しては雑誌のライターさんが「人生で一度は乗って欲しい」っていう殺し文句をよく使うんですけど、あれ別方向から解釈すると「一生で乗るのは一度でいい」っていう意味にもとれるじゃないですか。長年日本で売ってるけど、人気が全然出てないですし、「どーせイタリアの小規模メーカーが古くさいディメンションで作った雰囲気バイクなんでしょ?」って心のどこかでタカをくくってたところがあったんですよ。

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(私の当初のイメージがこれ。夕日を背景にルパンのエンディングのようにマッタリする。そんなことを夢見ていましたが、そのイメージは納車後あえなく崩壊。)

しかし、納車されてチョロっと走り出した瞬間、ものッ凄い衝撃を受けましたね。もうね。思っていたのとあまりに違うんですよ。私は最近の新車で「こんな主張が強くて男臭いバイク」に乗ったことがない。ナラシが進む度に硬い表情は和らいで、心を開くようにエンジンは穏やかになっていったけど、それでも破顔一笑なんて感じじゃない。

スカートをチラ見せして誘ってくる明るくエッチな尻軽イタリア女を想像して、「その体にむしゃぶりついて、甘々なデートをしていきたいですっ」って買ったら、正体は美少女に受肉したオッサンで「コメカミにベレッタ92を突きつけられて引きずり回されてる」って感じなんですよ。コイツの硬質なトルク感と縦置きエンジン&シャフトドライブの濃い乗り味に「モトグッチ、血の掟」みたいなものを感じるんですよね。ショッカーかな?

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(V7の主要諸元です。この古くさいディメンションとオールドルックが現行グッチの主力商品だっていうんだから凄い。)

モトグッチについては多くの人が縦置Vツインとシャフトドライブの個性の素晴らしさを語ってるし、それは間違いはないんだけど、私はその前に語らなきゃいけないことがある気がする。それは、このバイクが「絶対に譲らない独特の世界観を持っている。」ってことなんです。ここまで乗り手に迎合せず、ハッキリとした独自の世界観で押してくるメーカーは、モトグッチの他にはハーレーくらいしか思いつかない。

ハーレーとモトグッチが異なるのは「モトグッチは世界が完全に閉じていること」です。ハーレーはバイクの個性がライフスタイルの一部になってるし、その楽しさ、豊かさを理解してもらおうと、ものっ凄く企業努力をした結果、今や日本で大型バイクを一番売るメジャーブランドになってます。その世界観は強固だけどスピードに依存しないから、一般層にも受け入れられるものになってるんですね。

一方のモトグッチはそんな企業努力など一切していないし、する気もなさそう。一般層にウケるバイク作りはしておらず、特定の生産台数を維持しながら、店の扉を叩いて入ってくる好き者だけを相手に商売してるんですよね。だから創業100年を迎えても、バイクは謎のヴェールに包まれてるんです。

しかし、いざ接してみると、その主張はハーレーに勝るとも劣らないくらい、独自の美学に貫かれている。

ハーレーとモトグッチは、どちらもスペック上は大したところはありません。しかし、公道でバイクに寄り添うように走ると固有結界のように独特の時空に誘ってくれる。クセはあるけど、流儀を守り、筋を通せば、乗り手にちゃんと応えてくれるという点でも似てる。ハーレーがアメリカのアウトローだとするなら、モトグッチはさしずめイタリアン・マフィアと表現するべきかもしれない。

そんなバイクだから、私みたいにロクに試乗もせずにイメージだけでヘラヘラと購入したオーナーは、跨がって走り出した瞬間に、その城塞のような世界観に、まずは頭を殴られる。外見でエルフの美女だと思って抱きついたら、中身がドワーフのオッサンだったんですから、これはビビる。「はぁぁぁぁああああ?」ってなる。その時点で

「もうダメ!こんな美少女受肉オジサンじゃなくて、ボンネビルにする!!」

っていう人がかなりいると思うんですよね。最近は世界的なバイクブームを受けて売上げが伸びてるようですけど、それでも総生産台数は年間1万台程度。一時は年間生産台数4000台くらいまで落ち込んでたんですよね。しかしそれもまったく意に介さず、少量生産のまま、収益の出と入りをコントロールし、このメーカーは100年間の長きを生き抜いてきた。

モトグッチは現代のカンパニーとして、企業の在り方、製造手法、経営方針が古風極まりないんです。しかも頭の痛いことに「それこそがMoto Guzziの美徳である」って考えてるフシがある。

この会社、最近ようやく水冷エンジン出してきたけど、昨年まではスペック的にしょぼくれた空冷OHVの2気筒エンジンしか売り物がなかった。しかも中間排気量で目立たないし、基本設計が50年以上前から変わってないという骨董品。いまどき縦置空冷V型OHV2バルブ一本でやってるなんて、ヤバイです。「鮭定食しかない定食屋」みたいなもんですよ。でも、モトグッチは石を磨くようにこの内燃機に手を入れながら長きにわたって存続し続けているんですね。当然他のメーカーとの差は開く一方なんですが、そんなの我輩の生き様に関係ないとばかり気にもしない。

こうなっちゃうと、レトロもクソもありません。「モトグッチっていう会社自体が、時代に取り残された存在なっちゃってる」んですよ。販売面の事情で意図的にレトロやってるんじゃなくて、モトグッチ自身は普通にバイク作ってるだけなんだけど、あまりに頭がカタイから、周囲から昭和か?!!っていわれてるんです。髙倉健かな?

そんなグッチだからこそ「趣味人」に強くお勧めしたい。だって、このバイク、「変態度」が突き抜けてますから。そもそも、あの縦Vを見た瞬間、誰もが瞬間的に「うむ、このバイク、ド変態である」と理解できる。私が分析するに、このバイクが売れないのは、変態であることがあまりにもわかりやすいからですよ。

見た目質感ではボンネビルやW800の後塵を拝するかもしれませんが、見た目変態度の偏差値は70を超えてる。この点ではW800やボンネビルなど、まったくライバルにはなり得ない。だって、縦置V型なんてV7が発表された50年前だって「かなり振り切れた変態度」だったはずなんですよ。それを半世紀の間ずっと発酵・熟成させた結果、今のV7はもはや「完成度の高い変態、質の高い変態」になっている。歴史ある変態というそれはそれは恐ろしい存在になっているんですね。普通はね。変態バイクって綺羅星のように現れて、すぐに表舞台から去って行く一代限りのものなんですよ。しかしモトグッチのV7は違う。

変態道、歩み続けて50年

これほどマイノリティを勇気づけてくれるバイクがありますか?自ら歴史を作るとは、まさにこういうことなんだ!と教えられるじゃないですか。

ちなみに私がこのバイクに乗ってナラシをしている間中、頭に鳴り響いていたのは「ビート・マック・ジュニアが歌うルパン三世のテーマ」でした。


(ハーレーのもつイメージがステッペンウルフの「BORN TO BE WILD」なら、V7のイメージはピートマックJr.の「ルパン三世のテーマ’78」です。)(当初引用していた動画が版権違反で削除されちゃったみたいなんで、新たにサンマリノ編のOPに差し替えました。)

ルパン三世のテーマってはるか昔からアレンジを変え、ビジュアルを変え、時代にあわせながら生き続けてるアニメオープニングの古典中の古典で、ルパンの世界観を象徴するような曲なんですよね。それと同じで、モトグッチのV7は、時代にあわせて少しずつデザインや乗り味を変えながらも、本質的な世界観、価値観をずっと守り続けているんです。このバイクに乗ると「男には~♪自分の世界がある~♪」というルパンのサビが頭の中に盛大に鳴り響くんですよね。モトグッチのヤバいところは守り続けた世界が斜め上の縦V変態ワールドだったってことなんです。

こうなっちゃうと、完全にバイクにやられちゃって頭ピヨピヨ状態になります。速いとか遅いとか、乗りにくいとか乗りやすいとか、もはやまったく関係がない。モトグッチが折れることなく守り続けてきた世界観にどっぷり浸かり、それを堪能しようっていう楽しみ方にならざるを得ない。逆に言うと、自分の乗り方や主張が、グッチの世界観とケンカしちゃう乗り手にはこのバイクはまったく向かないってことになります。

最初にハッキリ言っておきますが、このV7より良く出来たバイクはぶっちゃけたくさんある。しかし、そういうありきたりな基準で判断するのは、このバイクに対して野暮に過ぎると思う。現代の工業基準でデキが良く、性能、質感、機能、バリューフォーマネーのあるオールドルックを望むなら、トライアンフのボンネビルT100を購入すりゃいいわけです。でも、モトグッチはボンネビルを含め多くのバイクが諦め、手放してしまったものをまだ頑なに守ってて、そこにこのバイクの真の価値があるんです。

ワインに例えると、現代のネオレトロは最新のステンレスタンクと科学技術を駆使し、技術と見識のある熟練ワイン職人が「今の製法で作った昔の味」で、それはとても飲みやすく、現代人の舌にもあう、素晴らしい仕立てなんですよ。現代の道路事情や、現代のバイクしか知らない乗り手には、それがベストだと思うし、私も今の技術を駆使して作り込まれた美味しさにまったくといっていいほど文句はありません。

これに対し、モトグッチのV7は、オーク樽で遙か昔から熟成してきた「古酒」です。昔のバイクが持っていた重量級クランクの動きや、電子化を最小限にしたメカの自然な風味や、職人的な造り込みを、ネガも含めてあますことなく、たっぷりと味わいたい人のための嗜好品。でも、そういうものって、多くの一般層にとって「やたら値は張るけど、イマイチ使いにくいしとっつきにくい」ことの方が多いんです。嗜好品ってどの世界でも「ヘンなものや使いづらいものを高い金払ってありがたがっている」という側面があるんですよね。実際、イタリアワインのブルネッロなんてガチの奴はバカ高いくせに渋みがきつくて、富豪のワイン通には人気だけど、私みたいな庶民には飲みにくい酒です。

酒の話になって恐縮ですが、世の中って安ワインが下で、高級ワインが上とかいう考え方が蔓延してるけど、私に言わせりゃ嗜好品に高いも安いも、古いも新しいも関係ないです。要は買い手に愛されるかどうかだけ。目的は体に水とアルコール入れて気持ちよくなることなんだから、飲み手が気に入ったものが天下を獲るんです。ちなみコーヒーガブ飲み人間の私が日頃飲んでるコーヒーで天下取ってるのは「UCC職人の珈琲」1杯20円。バカ舌って言われようがなんだろうが、私にはこれが一番いいんでほっといてくれ!ってことですよね。赤カブ様みたいな業務用バイクならともかく、嗜好品としてバイクを選ぶときの理屈はそれとまったく変わらない。

そういう嗜好品への理解があるかないかが、このV7の評価を分けると思うんです。この手のものに感動するためには、嗜好品に絶対的な基準はなく、良い悪いで語るものではないってことを、まず受け入れないといけない気がするんですね。

このバイクはイタリアという特殊な土壌で育ってきた「好き者のための古酒」ですから、普通に乗るだけならいいけど、乗りこなして、旨さを堪能するには、それなりの期間をかけて、バイクを理解し馴染むことが必要だと感じます。相当量を飲み続け、イタリアの文化やこのメーカーの歴史、考え方、歩み方を理解する必要がある気がするんですよね。

ちなみに今のV7の走行距離は3200㎞とソコソコの距離に到達しましたが、私は今もってこのバイクを理解した気分にはなってません。まだ上辺をなぞってる段階。バイクの本質的な味つけのセンスがこれまで感じたことのない特殊なものだから、それをまずちゃんと味わえるようにならないといけない。結論としては、インプレしようにもバイクの分析は、まだまだ道半ばだってことなんです。

これから少しずつこのバイクの魅力を伝えられるように頑張っていきますが、奥がかなり深く、面白くも難解です。でも興味のある人にできるだけ魅力を伝えられるよう、ボチボチやっていきたいと思ってます。









最後にレッドバロンでモトグッチを購入することの是非について、私見をちらっと書いておきたいんですが、私はその店を信頼できれば、特に問題ないと思うんですよ。レッドバロンのモトグッチはトライアンフと同様、正規輸入元であるピアッジオ・ジャパンからの業販モノでしたから。

(なお、レッドバロンが扱うトライアンフについては、過去こちらのブログで詳しく書いてます。「大人の事情で日本侵略」←クリックで飛びます)

それは交渉時に「価格がレッドバロンで自由に決められない」って言ってた時点でもはや明らかだったんですけど、業販で処理された結果、私のV7にはレッドバロンの2年保証に加え、ピアッジオ・ジャパンの2年保証がついているってことになってる。私はレッドバロンとピアッジオ・ジャパンの両方に金落としてるんだから当然といえば当然なんですが、契約上はレッドバロンでも正規代理店でもどちらでも修理がOKってことになるはずなんですよね。

ワランティブックレット
保証書
(モトグッチの取扱説明書と、ワランティブックレット。日本語記載でわかるように、私の個体はピアッジオ・ジャパンが正規に輸入したものです。)

海外製バイクの総輸入元に対しては、本国から最低販売数について一定のノルマが課せられてると予想されます。販売網が脆弱なモトグッチが圧倒的な販売力を持つレッドバロンで一定数を売ってもらえるというのは、ピアッジオ・ジャパンとしてはありがたいでしょう。モトグッチなんて顧客を奪い合おうにも、顧客層がどこにいるかもよくわかんないようなバイクですから、釣り糸垂らして掛かるのをずっと待つというフナ釣りのような売り方しかできない。そんなバイクを売るんですから、地元の小規模販売店も薄い利益で無茶な販売ノルマを課せられるより、レッドバロンにも卸してもらってノルマを捌き、自由に売らせて貰う方がいいと思う。

他のブランドもそうだけど、結局市場に対して理不尽な圧力をかければかけるほど、その歪みは外に向かうんですよ。で、その受け皿になるレッドバロンみたいな二次販売が儲かる構図になるんですね。バイクはこの世に生まれた以上、必ず誰かの手元に渡ろうとするから、正規で売りきれなければ正規以外のどこかで売られるってのは、必然の予定調和なんですね。

まぁそんなこんなで、3回にわたってモトグッチV7の購入報告を書いて参りました。次回からは通常運転に戻ります。

抱きつき商法4+1
(Moto GuzziをMGと略す人もいるんですけど、MGって私みたいなオタクにとって「メカゴジラ」か、ガンプラの「マスターグレード」のどっちかです。このふたつのMGが強すぎて、イニシャルからモトグッチを思い浮かべることができないんですよね。)