今回は、タイトルを昨今人気のラノベ小説風にしてみました。なんかタイトル変えるだけで、凄くイマドキ感が出ますねぇ。今のラノベってタイトルが帯キャッチみたいな状態になってて、中身の紹介をやっちゃってるんですよね。たしかに、書店では背表紙がズラッと並ぶんだから、文学性などお構いなしに読み捨て消費を目的とするなら、こういう手法もアリだなって思う。

この手のライトノベルは、文学小説では超重要だけど、読み易さの面では足を引っ張ってるような部分をバッサリ捨てて、ものッ凄く軽い味になってるんです。純文学を微妙な味わいにこだわる熟成ワインだとすると、ラノベはガブ飲みのジュースですよ。でもどっちも飲み物には変わりないし、需要はジュースの方があるからラノベが増殖してるんですね。

HAWK11だって「最強ロケットカウルをつけたけど、性癖がマニアックすぎるので、オジサンを乗せて無双することにしました❤️」って車名にしたら、一大センセーションを巻き起こしたかもしれない。もうね。ここまでブッ飛んでしまうと、批判の言葉すら出てこないと思う。しかも乗ってみたらベテランが唸る乗り味ってことになれば、ギャップ萌えも凄いことになる。まぁイロモノ認定は避けられないんで、高額のリッターバイクじゃ無理っぽいですけど、ネットやSNS時代に伝説のバイクとして語り継がれることは間違いありません。それが良いかどうかは別として、そういう名付けも今はありえるってことですね。

私のブログも一部の変態愛好家達に、ダメライダーの日常と、カビの生えたオタクネタを珍味のように楽しんでいただくという邪道なカルトコンセプトです。でも、そんなクソブログを読んでいただけてるのは、昔では考えられなかった変化球的な手法も受け入れられる、多様性のある世の中になってきたからなのでしょう。

・・相変わらず前置きがやたら長くなってますけど、ここからブログの中身に入ります。



私がストリートトリプルRS(以下ザラブ嬢と呼称)を売却して、はや4か月が過ぎようとしています。3年目を迎え、車検費用とタイヤ交換費用も準備してあったんですが、4月におきた*のじゃ子(HAWK11)の事故における修理費用76万円!!の支払いと、「聖帝様に対するHAWK11の購入隠蔽という窮地からの脱出」(実際には購入は既にバレていた)という個人的な事情で、レッドバロンにドナドナされていきました。当初は委託販売を利用してたんですが、諸般の事情で正式に買い取ってもらうことになったんで、もう私の元に戻ってくることはないんです。

思い返せば、このバイクは「熱血スーパロボットアニメ」のように熱かった。乗り込むときの気分は、まさにグレンラガンの合体風景、

無茶で無謀と笑われようと意地が支えのケンカ道!!

壁があったら殴って壊す!道がなければこの手で作る!!

心のマグマが炎と燃えるゥ!超絶合体ィィイイイ!!!


ストリィィィトオォォオーー!トォリィィイィプルゥゥウウウ!!

RSっ!!!(ビシッと決めポーズ)

てな気分。いやいや、おっさん一体何やってんだ?って感じですけど、バイク乗りは歳食って理屈をこね回しても、本質的には中身子供ですから。ダンディ・オジサン代表格のキリンだって、客観的に見ればポルシェ狩りに失敗して海にダイブしたトンデモ中年にすぎないんですよ。あんなにカッコつけなければ、私からこんなにイジられることもなかったのに、カッコつけすぎたんで、私の妬みとイジリの対象になってんですよね。まぁ、要はバイク乗りはハタからどう見えようと本質は世紀末ヒャッハー野郎と変わんないってことなんですな。

私のようなベテランバイク乗りの悲しいところは、脳みそは子供のまま、肉体は確実に老いていってるところ。高回転に向かってフケまくるのがSSの4気筒エンジンだとすると、こっちは後期高齢者に向けて老けまくってるわけです。オイルが滲んでる旧車を「しょうがねぇナー」って腕組みして見ていたら、いつの間にかこっちも尿が漏れてたぞ・・ってオチ。そんな乗り手が現代のハイパワースポーツバイクに乗るには相当頑張らなきゃならない。

キャバクラ・2
(久しぶりにザラブ嬢が再登場。乗り味やデザインが若いってのもあるけど、乗り手にも若さを求めてくる熱いバイクでした。)

ザラブ嬢は、バーハンでポジション起きてましたけど、構成要素は、クラス最強SSのデイトナそのもの。ガチのアマゾネスです。セパハン前傾ならもう少し加減速もマイルドに感じられたのかもしれないけど、トンデモ機動力に上体起きたポジションですから、縦横Gと突き上げがダイレクトに上体と腰にきちゃって、超電磁砲ビリビリ状態だったんです。

しかも進化しまくった現代のスポーツエンジンとシャーシとタイヤは、昔だったら命がけレベルのコーナリング速度を造作もなく許容しちゃうというトンデモ性能。反社風に表現するなら「・・峠の一往復で、このキマりよう・・この純度、タダゴトやないでぇ・・」って感じですよ。

私が30代だったら、まだ釣り合いもとれたのかもしれませんが、50男には明らかに刺激過剰気味だったことは否めない。バイク側にどんなに高い性能があっても、それが発揮できるのは、所詮は乗ってる人間の能力までですから、そういう意味では明らかに私にはオーバースペックだったんですよね。それでもHAWK11の事故さえなければ、車検を通して、あと2年はこのバイクを維持していたと思うんです。

別れは唐突なものでしたが、多分ああいう形じゃないと私は手放す踏ん切りがつかなかったんじゃないかとも思う。なぜなら、ザラブ嬢は私の中で、「若さの象徴」だったからです。バイクに振り回されつつも、「まだこの手のバイクに俺様は乗れるのじゃあ!」って、私の中で、しぶとく頑張ってるメンツのようなものがあったんですよね。

HAWK11の発表時に「上がりのスポーツバイク」って言葉に反発する人が多かったですけど、過剰性能に必死にすがりついていた私には、その人達の気持ちがちょっとばかりわかったんです。心の奥底では「もうシンドくなってきたな・・」って感じてるけど、まだそこにしがみついていたい、落ちたくない、って頑張ってるところに、引導渡された気分になった人も多数いたと思うんですよ。

人は本心を暴かれると観念するか、怒るか、開き直るかのいずれかになる。時代劇の悪役の反応も大概この3パターン。「上がりのスポーツバイク」というワードに対する反応もそれと似たようなものだったかもしれない。人という生き物はいろいろと矛盾していて、若さを失っていくほど若さを手放したくないし、自分では自覚していても、他人から年寄りって言われたくない。聖帝様から見れば「バイクに乗れること自体が若さなんじゃないの?」ってことなんですけど、バイク乗りの中でも、やっぱ対抗意識があるじゃないですか。その中で「若さに振ったのがスポーツバイクで、その頂点がSS系」なんですから、熱き若さを求める人達が、SSにこだわるのは必然なのかもしれない。

実際、私も「このバイクは自分が乗るには高性能すぎる・・」って思いつつも、いざ手放すとなると、かなりの抵抗がありました。でも事故によって、強制的にその執着から開放された今は、なんだかちょっと・・いやかなりホッとしてるんです。

乗ってるときは、やっぱりバイクの性能に釣り合うように虚勢を張ってたんだと思うんですよね。それが身体能力の維持になってたのかもしれないけど、ある程度マージンを取っていたとしても、「このバイクの誘惑に負けて、何かあったら、間違いなく浄土へ旅立つことになるんだろうな・・」っていう、そこはかとない死亡フラグ感と背中合わせだったんです。ここら辺が、高性能バイクが昔から抱えてるジレンマなんだと思う。

長い間バイクに乗っていくためには「無理をしない、バカをしない」ってことが大事になると思うんですけど、ちょっと前の開いた直線で、刹那的におバカワールドに誘ってくるようなバイクはたくさんある。若い頃はそんなバイクに対応できても、歳食うと無理の範囲に入ってきちゃう。そんな中、無理を押して若さを求めていくというのは、プラス面ではチャレンジ精神を失わないってことあり、マイナス面では「捨てきれない執着」ってことになるんだと思う。手放してどこかホッとしてるってことは、私にとってはプラス面より執着の方が大きかったんでしょう。

今でもザラブ嬢の3気筒のバイブレーションって体の芯に残ってるし、*のじゃ子で同じコース走って一休みしてると、あの叫ぶようなギョワワワーーーンっていう排気音を思い出します。でも、それは既に私の中でちょっとセピアなものになっている。腰を破壊するような突き上げとか、ハードなGとかは記憶の彼方に消え去って、路面に貼り付くようなグリップ感とか、脳天を突き抜ける豪快なフケ上がりとか、切り裂くような排気音とか、良いところばっかり思い出すんですよね。それは多分、現実的なリスクと感動が切り離されたからじゃないかと考えてます。

ザラブ嬢が思い出の中で美しくなっていく反面、ウチの現状のメンツはあまりにもリアル感がある。

「超ハイプライス・メリケン耕運機=ダイナ・ローライダー」

「有能シニア介護認定二輪車=ゴールドウィング無印」

「人生100年時代のスポーツバイク=HAWK11」


というラインナップ。もうね、全体的に若々しさがない。同じハーレムでも、華やかなキャバ感は皆無で、雰囲気はもう貸し切り熟女系スナックでしょ。

でもねぇ・・困ったことに、私的にはかなり居心地がいいんですよ。ザラブ嬢は若くて、お話ししてるとドキドキしたし、ヤケドしそうなアバンチュール感があったんですけど、それに比べると今のメンツはどれも日常のホーム感がある。一緒にいて、自分が無理してないのがわかるんですよね。今の私の年齢とカチッと噛み合ってる感じがするんです。

「え~?若い子いないの~?まったく、しょうがないな~」ってボヤきつつも「はぁぁ~。枯れたスナックっていいわぁ~♡・・やっぱりオジサンは、キャバでパリピしてるより、スナックで焼きうどん食ってた方が性に合うわ~・・」って心のどこかで思っちゃってるんですよね。うーん、これが老いを受け入れるということなのだろうか?

スナック3
(年増呼ばわりで怒り心頭の3車。今回はイラスト2枚使いで、懐かしのカルテットが全員登場です。ちなみに残ったこいつらは全て曲者。対話は意味深、個性も強い。普通に満足できなくなると、もう変態ですね。)

少し前に見た漫画に、「キャバクラは女に見栄を張りに行くところ、スナックは女に慰めてもらいに行くところ」みたいなセリフがあったんですけど、その言葉がやたら心に染みてくる。昔はあらゆるものに見栄を張って、傾いてナンボのところがあったけど、今の私はバイク達に慰めてもらう方がいいみたい。20年ぶりの事故の反省もあって、今一度自分を見つめ直したところもありますし、一抹のさみしさもなくはないけど、「自分なりに妥当なところに落ち着いたのかな・・・」って感じてます。