ポチッ

「カラカラカラカラ・・・」


ポチッ

「カラカラカラカラ・・・・」

はぁぁぁぁああああ・・・・(天を仰ぐ)

きんつば嬢のバックギアがまた空回り。これでこのトラブルは2回目。1回目はディーラーに持ち込んで、ギア連結部分のクリアランス調整で直ったわけですけど、また空回りをはじめましたねぇ・・。つーかね。バックギアってまだ通算で6回くらいしか使ってないんだけど、そのうち2回が作動不良。稼働確率6割ですよ。エヴァンゲリオンの起動実験かな?

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(夕日を見ながらコーヒータイム。この後見事にバックギアが空回り。)

ツアーの方はDCTのクラッチ機構を使用した前進後退でトラブルはないのかもしれないですけど、私の無印MTは旧型ゴールドウィングと同様、セルモーターで後退する電動リバース方式なんですね。でも、普段の私はバック機能なんて使わない。なぜかっていうと、SC79購入前に所有していたF6Bには「そもそもリバース機能なんてついてなかった」からです。ぶっちゃけ押した方が取り回しはやいし、バッテリーにも優しい。

加えてSC79はF6Bに比べたら「メチャクソ取り回ししやすいバイク」なんですよ。理由はフロントサスがダブルウィッシュボーンだからです。なんで、フロントがダブルウィッシュボーンだと取り回しが楽なのか?

「だって、フロントが切れ込んでこないんだもん♡」

ダブルウィッシュボーンサスってライディング時もどっしりしてて、サスペンションの衝撃吸収能力と踏ん張りの両立、ステアリングの外乱に対する座りの安定性が凄いんですけど、バックで押してるときにも、サスの構造の違いをシミジミ実感できるんですよね。

普通、バイクを取り回してるときに向き変えたいと思ったら、押しながらちょっとばかしステアリングを切るじゃないですか。そのときにテレスコのバイクだと切った方向に加速度的にハンドルが切れ込んでくるんですよね。

250㎏クラスまでのバイクなら多少切れ込もうが倒れてこようが、立て直しはどうってことないんだけど、385㎏のF6Bでグラッとくると、そりゃもうオオゴトですよ。だってゴールドウィングって、「バイク界のアンドレ・ザ・ジャイアント」なんだから。

アンドレって質量が凄いから、倒れてるときにケツを落とされるだけで、普通のレスラーはグロッギーなんですよ。そのアンドレの体重は235㎏、ヘビー級選手の平均が120㎏くらいですからその倍はある。80㎏程度のジュニアの選手がトップロープからダイブしたって、アンドレのケツ落としほどの破壊力は絶対に出ない。F6Bも385㎏と、車重はドカティ・モンスターの倍くらいあるから、完全にバイク界のアンドレといっていいと思います。

(こちらアンドレの紹介動画。技云々より、質量による破壊力が圧倒的。打撃やプレス技の説得力と怪物感がハンパない。重量級巨大バイクの魅力って要はこれです。)

だから、グラッとくると、こっちはこれ以上ステアリングが内に入らないように、鬼瓦のような顔になってステアリングを押し戻すことになる。「諦めたらそこで試合終了ですよ。」という安西先生の声が頭の中で聞こえるし、支える手首にも凄く負担ががかるから、手首痛めたり、くじいちゃうってこともおきちゃう。まぁ一定以上傾かなけりゃ問題ないんですけど、年に1回くらい気が抜けてフラッときて「あら~あらららららッラッラァァアアア゛ア゛ア゛ア゛ガガグギギギギィィイイイイ!!!!」(顔が大魔神)になるときがあるんですよね。

これに対し、SC79のダブルウィッシュボーンは傾ければその分切れるんだけど、それ以上かさにかかって切れ込んでこない。多少バランスを欠いても、一気に持って行かれることがないってのは取り回しで凄く安心感があるんです。はじめはテレスコに比べて乗り味に違和感があったんですけど、完全に慣れちゃった今では、あらゆる面でメリットしか感じない。これがホントの進化っていうものだよな・・って思うんですよ。

だからSC79において、私が電動リバース機構を使う機会は限りなく少ないんですけど、どうも私と相性が悪いのか、このバックギア、結構な確率で動作不良をおこすんです。

ヒルクライムアシストとか、クルーズコントロールが使用不能になったってんならまだいいんですよ。警告ランプはうっとうしいけど、壊れたとしてもその機構の重量は数百グラム程度。最悪警告ランプ無視すれば乗るにはまったく問題がない。でも、バックギアってユニットの重さが10㎏くらいあるんですよ。つまりこの機能は使えなくなると「タダの巨大なウェイト」になり下がっちゃうんですね。

私は初期型F6Bの「バックギアすら外したストイックさ」を熱烈に支持してましたんで、SC79が発売されたとき、「はぁぁああ??バックギアいらんからその分軽量化して価格下げてくだちゃい!!」って思ったんです。

取り回しが大変だからって、バックギアを入れちゃうと「重さ対策のためにさらに重くなって価格も上がる」という本末転倒パターンにハマるじゃないですか。しかも、動作不良で空回っちゃうとなれば、「ほら~!いわんこっちゃない!こんなクソ重い補助機能イラネっていったじゃん!!」ってことになるし、このリバース機能を積極的に活用する人にとっても、それは死活問題。後退機構をアテにして前下がりのところに止めた高齢者が「空回りです~(泣)」なんて事態に遭遇したら、そこでもう詰んじゃうわけですよ。補助機能は補助が必要な人が使うんだから、装備した以上、しっかり動作してくれなきゃトラブルが逆に大きくなるだけ。そんなの何回も続いたらほとんどの人がイヤになっちゃうと思う。

昨年、まったく同じトラブルが起きて、それは無償修理で直してもらったんですが、(そのブログはこちら→天元突破坂道発進(人力編))今回も同じ症状で再発してるってのは実に困る。だって、こうなると持病認定(構造上定期的に症状が出て完全には直らないこと)しなきゃいけないかもしれない。ホンダは新車から3年間はオーナーに起因しないトラブルは無償修理してくれるんで、今年の10月にくる初回の車検までこのまま放っておいて、車検の時に無償修理をお願いしようと思ってますけど、保証期間が切れたら多分修理は有料になる。無料なら直すけど、有料なら直さないですな。

バイクを複数台維持しようとすると無駄金なんて使ってられない。カネカネ言うな!って意見もあるけど、結婚と同じでバイクとの将来のために、お金って大事なんです。私の場合、バイクに対する思いは揺らぐことがないわけですから、バイク人生を維持するために必要なのは「もういっそ金だけ」と言っても過言ではない。そんな中で、使用頻度が限りなくゼロに近く、直してもまた壊れそうな機構に整備費を回してる余裕はない。

紅の豚に「飛べない豚はただの豚だ」って名セリフがありますが、私的には「回らないバックギアはタダのウェイトだ」だってことなんですよね。

バイクのように安定動作が大事な商品では、使わない機能はついていない方がいいまであります。パソコンでもLet's noteとかになると余計なソフトまったく入ってないけど、使わないソフトがやたらプリインストールされてるより、キーボードや筐体のデキ、外部コネクター部分の強度などの方がよっぽど大事です。バイク選ぶときも、それと同様、付加機能を頭の中で全部外していって、残った核の部分が欲しいかどうか?で判断してます。付加機能ってバイク以上に自分と相性があって、使わない機能はホントお飾りになりますし、ついているだけならまだいいけど、その機構のせいで走りが悪くなったり、故障するってことなると、それはもうマイナスでしかないのです。

最近はバイクのハイテク化がものっ凄い勢いで進んでいて、その進化速度ってヤバイくらい速いから、今ある最新機能も数年で陳腐化して、より良く動作するものにどんどん更新されていってます。こういうのって短い消費スパンの中で購入意欲を煽るにはうってつけなんですよね。

走り屋ブームの頃は、それは毎年のように行われるモデルチェンジと性能向上だったわけですけど、今の大型バイクは高級ハイテク装備の搭載競争になってる。豪華装備だけじゃなく、制御技術もどんどん複雑かつ便利になって果てがない。その進化はCPUの演算能力の拡大や、ノウハウの蓄積によってどんどん進み、一部のハイパワーバイクは「制御技術の優秀さを見せつけたいがために馬力上げてるんじゃないの?」って感じることすらあります。そういう価値競争ってアピール度が高いし、魅力もあるんだけど、修理コストや維持コストが増えるし、より性能の高いものが次々出てくるから、価格の割に賞味期限が短いという商品になっちゃうんですよね。

だから私はこれまでの消費経験から、バイクを選ぶときはエンジンやシャーシの絶対的な個性や、乗り味、デザイン寿命の長さ、仕立ての良さを優先して購入しています。それは時が経っても決して変化しない価値ですし、長く乗るバイクを選ぶ場合は最先端の装備や流行のデザインより「陳腐化しない」って仕立ての方が大事だと考えてるからなんです。

過去のものを進化によって陳腐化させることによって、買い換えを促していくってのは昔からずっと行われてる「消費を回す上でのテクニック」です。でも、本質部分は簡単には変えられないから、商品はどんどんディテールモンスター、スペックモンスター化していくんですよ。それが極限まで行くと、原点回帰して、価値のリセットとシンプルデザインにまた戻るっていう、予定調和の繰り返しなんです。進化のドンツキで古き良きものを再確認するっていうのは、時間が経って性能は上がっても、大事な部分は、ほぼ変わらないってことなんです。

最近はyoutubeの試乗インプレを参考に買う人も多いから、短期試乗でも価値がわかりやすいところに力を入れるのもわかるし、他メーカーに商品力で負けないためにもある程度の機能は必要なんでしょうけど、本質的なものが小手先の価値によっておろそかになったり、誤魔化されたり、ボヤけたりしては本末転倒だと思うんですよ。これはどんな商品カテゴリーでも同じですけど、長く価値を維持しようと思ったら、陳腐化するものを削り、必要な構成要素を吟味するべきだと思う。

納車前は誰しもが夢の世界にいますが、納車した後にあるのは現実です。多くの試乗記や、ライターの記事は完調のバイクで夢を語る。現実を考慮に入れずコメントするなら、夢多きバイクが魅力的になるのは当然なんですよ。でも、世知辛い消費の世界では

タダで見れる夢なんかない

使用頻度が低く壊れやすく高価な付加機能は、長期的には足を引っぱるお荷物になりかねない。「使わないけど邪魔にならないからまぁいいか・・」って思ってもらうためには、長期間の信頼性が必須なんです。だから私は流用ってそれほど嫌いじゃない。だって、信頼性が高く、性能評価をクリアし、トラブルが出尽くしてるからこそ流用されるわけなんだから。きんつば嬢はほぼ専用設計ですが、専用設計にありがちな初期トラブルもかなり出ています。

きんつば嬢は少量生産だし、フラットシックスやダブルウィッシュボーンなど、突出した変態機能を搭載したバイクです。装備も多く、検証しなければいけない部分も山ほどあるから、どうしても細かいところの対応は後手に回らざるをえない。エンジンやシャーシはきっちり乗り込んで検証した上でデリバリーしてるんだろうけど、付加機能は主要部分ほどの信頼性があるかというと、今のところ太鼓判が押せる状態じゃないですね。こういうことを経験していくうちに、特殊な機能が満載されてるってのを諸手を挙げて喜べなくなるんですよ。それどころか、「余計なものはいらない!過保護はやめて!そんなのはこっちでカバーするから!!」って思うようになっていく。

F6Bの前期型がステキだったのは、バガーモデルとして何が必要で何が不要なのか?をストイックに追求していたところです。削りに削っていく姿勢にはバガーモデルに最も大事な「切り捨てる精神」があった。結果的に怪物的質量と身一つで対峙する緊張感が生まれていたんですね。SC79無印は若い人向けだってことですが、贅沢になったが故に若者らしい精神の尖りはなくなった。その点については、私は初期型F6Bをいまだに支持していますけど、だからといってSC79がダメというわけでもない。大型バイクって原二みたいに鉈で割ったみたいなシンプルなものじゃありません。高額なだけに、いろいろな思惑が絡まっていて複雑なんですよね。

大型バイクの中には開発者の理想がいろいろと詰まってるんですが、理想と現実のギャップもそれなりに大きくなる商品です。その中で自分という現実とどう折り合いをつけるか?ということが、大型バイクの選択と付き合い方の大事なところなのかもしれません。


足など飾り・ペン入れ
(オマケ漫画。今となっては私のバイク達で故障確率がダントツトップとなってしまったきんつば嬢。原因は満載した便利装備にあることは明らか。機能を搭載すればするほど脆弱性は高まっていく、それがこの世の真理なんですね。)