世の中には、様々な嗜好のバイク乗りがおられると思います。いろいろなところを旅する人、多くのバイク乗りと交流する人、サーキットを走る人、バイク修理に余念がない人。ネット見ると、そういう人達が大多数。しかし、私はどうかというと、

「ほぼ近場しか走りません。」

「バイク仲間いません。」

「サーキット走りません。」

「オイル交換やサスの調整交換など、日常整備はするけど重整備はディーラーに丸投げです。」

あー、全部中途半端でスケールちっさ。「ねぇ君、何が楽しくてバイクに乗ってるの?」って言われちゃいそうな状況ですね。

そりゃ私もバイク乗りになって最初の頃は、雑誌に書いてあるような王道ステップをそれなりに踏んで、「経験豊かでスマートで、模範的なバイク乗りになろう!」なんてアツく燃えてた頃もありました。

でも、どんな趣味でも30年もやってると、そんな目標なんて霧散して、自分の性癖中心のダレダレの日常になっていきます。よく「ベテランになると変態度が高くなる」っていいますけど、あまりに長くその世界に粘着していると、常識的なバイク乗りとしての一般性を失って、自分の不気味な性癖が前面に出てくるんですよね。

先程の「旅、人との交流、サーキット走行、メカイジリ」などは、実にまっとうじゃないですか。最初の頃は、そんな非日常が楽しくて楽しくてしょうがないから、目から星飛雄馬のように炎を出しつつ、その方向に熱く邁進するんです。趣味の世界では夢中はあらゆるものを凌駕するから、この頃が一番輝いてるんですね。

しかし、焚き火と同じで、そんな大火力は常に薪をくべ続けないと出てこない。だからくべるモノがなくなったり、ちょっとくべるのサボると、火力は徐々におき火になり、夢中が日常に浸食されてくる。こうなると「バイクに乗ってる」のと「こたつに入ってる」のが自分の認識の中でそう変わらなくなってきます。いや確かにどっちも気持ちいいよね、ってことではあるんですけど、

「バイク乗りとして、これでいいのか?」

って自問自答したくなる。「じゃあどうしたらいいの?」っていわれると特段策もないんですけどね。

この段階で、心の中の革ジャンはクローゼットにしまわれ、楽なジャージ着てる状態になっちゃってます。しかし、さらにそこから何年か経つと、ジャージすら脱ぎ捨て、イチジクの葉っぱ一枚になって、恥も外聞もなく好き勝手やり出す変質者になるんです。

結局「変なオジサンは、何やっても変なオジサン」なわけですが、若い頃はまだ「そんなオジサンにはなりたくない!!自分の恥ずかしい性癖は決して表には出さないゾ!」っていう若者らしいこだわりというか、メンツがあるんですよ。格好悪い自分を封印し、格好よく振る舞いたいんです。結果、自分の緩んだ変態性を覆い隠し、意図的に厳しい方向に振れたりする。でもそんな無理は長くは続かない、自分なりにその世界でやるだけやった・・って感じた後は、素の自分がニョッキリと出てきてしまうんですね。

模型だってそうでした。模型歴20年を過ぎたあたりで、何を思ったか魔界といわれている木製帆船模型の世界に足を踏み入れてしまい、砲108門戦列艦ビクトリーというバケモノと約1500時間に及ぶ死闘を展開。己を無にするような壮絶な戦いを経て、灰のように真っ白になった私は、「・・後はもうなんでもいいんじゃね・・」って解脱状態に陥りました。

そこからは、人間性を回復するべく、全てをぶん投げて美少女ガレージキットを作り続ける変態モデラーと化していきます。それはバイクで例えるなら、在りし日の第三京浜のようなものだったかもしれない。そう、魂を燃やした日々のあとに訪れるのは、性癖を萌やしまくる日々。戦乱の世が終わり、平和が訪れた後には、元禄文化のような退廃が花開くんですね。

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IMG_4999(スケールモデラーの最果て、木製帆船模型の一級戦列艦。プラモデルと異なり、与えられるのは最低限の金属装飾パーツと、木製の板と棒と図面のみ。パーツは製作者自ら設計図面から自作する必要がある。現在はケースに入れられ、リビングのインテリアと化してますが、とにかく巨大なので来訪者は皆絶句。存在自体が壮絶な戦いのヒエログラフとなっています。)

頂点を目指して突き進んでも、そこにあるものは、プライスや馬力、ラップタイム、豪華さ、格好良さなどの「一般的な指標による最高到達点」で、必ずしも自分のためのユートピアがあるわけじゃないんです。それを理解すると、「自分にとっての一番楽しいものは自分で探さなきゃダメだ。」って考えるようになる。

それまでは、自分を趣味の世界にあてはめる趣味中心の楽しみ方なんだけど、それが反転して、趣味の世界を自分にあわせる自己中心的な楽しみ方をするようになるんです。そうなると、他人の評価はまったくどうでもよくなっちゃうから、マスを狙ったバイクには惹かれなくなり、選択がマニアック化していくんですね。そうなった奴は「第三者からすると、理解不能な変態にしかみえない」と思うんですよ。

そんな私が現状でどんなバイクライフを送っているかというと、

一人あてどなく走りに出て、エンジンの機械動作の振動や回転感を堪能し、ピストンとかサスの作動感やタイヤの接地感触を五感で味わって「いひひひ・・今日もしっかり動いておるわ・・」っていいながら、ご満悦のヨダレを垂らす

という、「赤木リツコ博士型のメカ変態」になってます。マジで白衣着て走りまわりたいくらいなんですけど、メットに白衣だと、家を出て1㎞も行かないうちに「君は、どこの精神医療機関から逃げ出してきたのかな?」って職質されそうなんで、そこは自重せざるを得ない。

ちなみに私の敬愛する赤木リツコ博士は「真正メカ変態」です。碇ゲンドウの愛人状態で、多くの視聴者が男の趣味が悪い・・って思ったかもしれないけど、メカ変態の彼女にとっては開発予算をぶんどってくる碇ゲンドウが最高に生活力のある男なんです。でもね。家庭にたくさん生活費入れてくれる男は凄くいい奴ですけど、異常な予算を引っ張ってくる男は、ほぼ外道。そこにリツコさんの不幸があった。

シリアスな顔して腕組みながら、頭の中では、本日の体位のことしか考えてないゲンドウ君の下半身の節操のなさも相まって、ネルフ本部は現世の地獄と化しています。だって、ゲンドウ君の元愛人は研究者だったリツコの母親で、正妻の碇ユイは初号機のコアの中で旦那との浮気をジト目で見ており、綾波レイはあろうことかその正妻のクローンという・・なんなんでしょう?この背徳空間は・・・。

そんな異常な状況におかれたリツコさんは、どんどんメカへの愛情をこじらせていきます。彼女の幸せは、毎日の日課であるエヴァの起動実験と性能テスト。エヴァがとりあえず起動して、シンクロ率が高ければメンタルは安定。逆に実験が上手くいかなくなると、とたんに闇が深くなる。だって自分の手塩にかけたメカがしっかり動かないなんて、メカオタとして最大の屈辱ですから。

私もそんなリツコ博士と同様、愛車達の起動実験に余念がないメカ変態です。とにかく、バイクが元気に動いてさえいればいいんです。お決まりのコースを走り、日々バイクの動作をチェックして、「自分とのシンクロ率が規定値を超えてれば満足」というシンプルなバイクライフを送ってます。目的が起動実験と機械の機能チェックだから、ちょっとでもサスの減衰が抜けてきたり、ベアリングの動きが悪くなったり、変な異音が聞こえると、もう許せない。

警告灯なんかついちゃった日には、体中からジンマシンが出そうになるし、バッテリーが上がってエンジンかからないと、白目で天に召されそうになります。もはや「バイクが健康なら、自分は病気でもいい」っていう薄気味の悪い男になっているんですね。

そんな淡々とした日常を送る私ですが、先日バンダイが発表したシン・ユニバースロボっていう合体巨大ロボットに、久しぶりに脳波がかき乱されたんです。え?今話題のシン・ユニバースロボを知らない?そんな人のために、とりあえず動画貼っときますね。

(こちらバンダイが企画開発したシン・ユニバースロボ。考案した人は絶対変なクスリやってると思う。)

このロボットは、いろんなところで「名状しがたき狂気」とか「寝つけない夜に見る悪夢」とか、様々な物議を醸してますけど、私に言わせるとこのロボの一番の問題は、合体する4体が「全部ロボットじゃない」ってことですね。つまり、このロボは初手から発想が狂ってるわけですよ。

初期設定が狂気に満ちてるから、合体の絵ヅラがもの凄くヤバイ。何がヤバイって、エヴァとゴジラとウルトラマンは生命体としての扱いを受けていないんですよ

合体過程で輪切りになったり、首が折れたり、あまりにも猟奇的かつスプラッターな合体風景になっちゃってる。これ、エヴァの中のシンジ君は泡吹いて失神してるでしょうし、ウルトラマンとゴジラは、どう考えても合体の途中で息絶えてますよね。バンダイのあまりの所業にゾーフィもドン引き。

「え?輪切り??アッハッハッ、宇宙人と怪獣に人権などあるわけないでしょう(真顔)といわんばかりのバンダイ開発陣の恐ろしさよ。シリアス路線で主役を張ってきたヒーロー4体が合体して、目も当てられないイロモノになる様は実にシュールで、世も末感が凄まじい。

でもね。私はこのシン・ユニバースロボの世も末合体をみた時、なんともいえない憧れとトキメキを感じたんです。なぜなら、私が今バイクで目指してるのってまさにこれなんですから。

これまで多くのバイクに乗ってきて、「1台で全てをまかなうことはムリなのだ・・」ってわかってしまった以上、目指すところは数体を合体させて、群れをもって最強のバイクライフに至る「シン・ユニバースロボ路線」しかない。バイクを複数台持ちしてる人って、最終的にそういう考え方に至った人が多いんじゃないかなぁと思うんですよ。

私はある時期から、自分だけのシン・ユニバースロボを作るためのバイクを探し続けているんです。多くの人がバイクで日本のいろんなところを旅してますけど、今の私はバイクで旅をしたいんではなく、きっと

バイク自体を旅したい

んだと思う。季節を問わず、気まぐれな私の要望に応えることができて、いつでもどんな気分のときでも自分にフィットし、アジャストしてくれる理想のバイク軍団、そんな最強のアベンジャーズを吟味して組成したいんですね。それも自分の感性と体力が枯れないうちに・・。65歳までバイクに乗るとして、最後の10年をそのバイク達と満喫したいと思うと、もうそんなに時間はない。

理想はズバリ水戸黄門御一行。あのチームは、肉体系戦士、頭脳系戦士、隠密情報屋、ボケ役、色気役と見事にキャラ分けされ、しっかり役割が揃ってる。「あらゆる困難に対応し、何年も一緒に楽しく旅ができる」っていう旅の仲間の理想型です。

今の所有バイクの中では、「助さん」「格さん」としてダイナときんつば嬢は確定してます。この2台があれば、ことツーリングにおいては、夏も冬も、ソロもタンデムも、ロングもショートもカバーできちゃう。エンジンもシャーシも個性的な、この2台はセットで最強。私の右腕、左腕として満足度は極めて高く、この両雄を崩す存在は現れそうにありません。

助さん角さん
(こちら、私のバイク漫遊記における助さん、格さん。細かいことはともかく気持ちよければいいんだろ?っていうダイナが助さん。越後のちりめん問屋を経営できそうなクレバーさとそつのなさを持つ頭脳派ゴールドウィングが格さんですね。)

色気と隠密部門については、ヤバいくらいエッチな曲面のロケットカウルを装備して、野猿のような身のこなしをする*のじゃ子(HAWK11)が最終候補に近いんじゃないか?って感じがしてます。まだ3000㎞も走ってないから、修理から戻ってきたら、さらにじっくりと乗っていく必要があるんですけれども、リッター超えのスポーツバイクでありながら、今の私が重視してる「非戦の精神」があるから、そのポジションに収まる可能性は高い。

あと1台「おバカでユルーいバイクがあれば最高!!」ってことになるけど、これはかなりの難題ですね。うっかり八兵衛は生理的に好きじゃないんで、理想は頭湧いててエッチなパルコ・フォルゴレかな・・。

フォルゴレ2
(金色のガッシュからパルコ・フォルゴレ。出てくるだけで、暗い話も笑いに変わる。昔は手のつけられない凶暴な不良だったようですが、「ライオンの牙には小鳥はとまらない」の名言を残し、今はお笑い系プレイボーイに転身。「一周回ってバカになった」ってのが素晴らしい。)

あと、バイクもさることながら、黄門様御一行を作るのなら、何よりオーナーの私がしっかりしなきゃいけません。峠で車に抱きつかれてる場合じゃない。

「水戸のご隠居様を前にして悪党達がドゲザするのは、印籠と副将軍という役職のおかげだ」、と多くの人が思ってる。でも違うんですよ。あれは実は黄門様から発せられてる「実力者のオーラ」のせいなんです。だってそうでしょ?月曜の夜に「この印籠が目に入らぬか!!頭が高い!!ひかえい!!ひかえおろう!!」ってやってるけど、日曜日の暴れん坊将軍では、「フッ・・上様とて屋敷内で死ねばただの狼藉者(ニヤリ)・・ものども!斬って捨てーーい!!」と将軍様がまるで押し込み強盗扱い。もはやドゲザもクソもありません。

将軍吉宗には臆せず斬りかかっていく悪代官達も、光圀公にはまずドゲザ。これはもう吉宗と光圀公の「人としての格の違い、実力の差」としかいいようがない。多くの人は役職に人がついてくると勘違いしてるけど、人がひれ伏すのは実力に対してのみ。つまり、悪代官には「お飾りの将軍より、百戦錬磨の実務畑の副将軍の方が怖い」って思われてるんですよ。まぁ企業あるあるですね。

やっぱりね。人は研鑽を積んで徳や実力を上げてかなきゃいけない。吉宗レベルレベルの小僧じゃ、まだまだ年齢層が上の悪代官に舐められてるんです。黄門様の人生の荒波を漕ぎ抜いた後期高齢者特有の人間力と印籠の後光が、悪党に自然とドゲサを強制する。でも、イロモノの私は到底そこまでいけてない。完全に悪代官側なんで、まずそこからの足抜けが必要です。

ということで、私はこれからも紆余曲折しつつ千鳥足でシン・ユニバースバカ路線を邁進していくと思う。とりあえずの目標は、自身の高齢化を見越し、私のための黄門様御一行を作ること。それを踏まえて見て頂くと、私の不可解なバイクライフが、少しはご理解頂けるかもしれないです。