前回の「重大事故発生!!」でお伝えしたとおり、4月23日(日)午後1時頃 バイク人生、通算10回目の交通事故に遭いました。このブログはじまってから7年くらいたちますが、最初の事故報告になります。私の場合、事故のうち8件が免許取って最初の10年に集中してて、その後の事故は10年ごとに1件ということになってます。それにしても、バイクでの事故が2桁いってるやつって私くらいなんじゃないでしょうか?・・・実にお恥ずかしい。

被害車両は昨年11月に納車された走行僅か2700㎞のHAWK11。ホンダが作った現代のサイクロン号です。

事故の現場はさびれた地方の舗装林道。携帯電話の電波が届かない山奥で、警察を呼ぶのに電波の届く麓まで降り、事故の検証にまた現場に戻るなど、事故後の対応にえらく難儀しました。

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(これがバイク側から見た事故現場。こんな道がしばらく続きます。ガードレールの向こうは崖。多くの人が「こんなところで事故??なんで??」って思うはず。)

現場は道幅6メートルほどの1車線の山道ですが、道の縁には落ち葉が積もってるので、実質的な道幅は5メートルくらいでしょうか。交通量が非常に少なく、速度標識もない。曲がりくねってはいますが、現場はかなり向こうまで見渡せて対向車が来てるかどうかがわかるので、本来であれば危険度は低い。そう、自爆転倒ならともかく、本来はこんなところで事故るはずがないんです。

なぜそんなところで事故が起こっちゃったかっていうと、理由は4つくらいある。

①このコーナーは曲率が高く、コーナー奥がブラインドになっていること。

②相手方の車が山側の窪地からからいきなり出てきたこと。

③車がいた窪地が私から死角になっており、車の存在が予想困難だったこと。

④車が出てきたタイミングがあまりにもドンピシャだったこと。


これらの条件が綺麗に合致した

「逢魔が刻」

の事故でした。事故の瞬間の写真は以下の通りですが、実際は車とバイクの距離はもっともっと近かった。

事故の絵図
(保険会社のために作った大体のイメージ画像。わかりやすいようにバイクと車を重ねず配置してますが、実際はもうギリで出てこられた感じ。)
事故の模様
(こちら事故状況図のポンチ絵。おそらく車側の路外進入ってことになるんだと思うんですが、保険会社の見解はまだ不明。)

「なんでこんなところに意味不明な窪地なんて作っちゃったの??」って言いたくもなりますが、事故の後に確認したら、窪地の反対側に今は荒れ放題になってる昔の記念碑っぽいものものがあって、その記念碑を訪れる人用に山側に沿って車数台が駐車できるスペースを作ってあるんですね。こっちはコーナー出口にさしかかり「さぁ右コーナーに向けて切りかえそうかにゃん!!」って車体起こしてるところで、このシークレットな窪地から突然現れたSUV車に、いきなり前を塞がれた形になりました。

出会い頭とよく言いますが、タイミングが待ち伏せ攻撃のようにドンズバで、車が前に来た瞬間、「あっ、もうダメ・・」って思いました。「ブレーキが間に合わない」ってわかったんで、前後ブレーキを引きずって可能な限り速度を殺しつつ、正面から刺さらないように、車の側面を滑るようにやり過ごしたってのが実情です。

車との接触した後、衝撃でコントロールを失ったバイクは右に転倒。私は*のじゃ子と共に母なる大地に感謝の五体投地です。アフリカツインという大猿をベースにした*のじゃ子も、ぶつかり稽古では陸の戦車であるSUVにはさすがに勝てなかったですね・・。

まぁ相手方もこんな寂れた道で、バイクがドンピシャのタイミングでコーナー抜けてくるとは思わなかったでしょうから、車の運転手を責めるのもちょっと酷かなって気がします。

それでは*のじゃ子の被害状況をご覧下さい。

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(右側接触の右側転倒ですから、ダメージは右に集中してます。)
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ギリギリまで回避しようと粘った結果、SUVの側面をハンドルウェイトで切り裂くように交差し、その後転倒。正面から逝ってたらフロントまわりお釈迦だったでしょう。ウェイトがスゲェ削れててヤバい。ブレーキレバーが見えませんが、根っこから折れて消えました。)
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(相手方の車の右側後部ドアにもミラーとハンドルウェイトの攻撃を受けた二本線がクッキリと残る結果になりました。)
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(ミラーがカウルに刺さってるうぅぅぅぅ!!カウルの値段を知ってるだけに涙が止まらない~。下側に見えるラジエターガードも擦れてますが、これは転倒時の傷かな。)
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(*のじゃ子の素敵なところは、転倒して接地するところにことごとくカバーがついているところ。)

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(マフラー部分。転倒したときには速度はほとんど出てなかったようで、ダメージはそうでもない。)

まず注目点は*のじゃ子最大の売りのカウルに、変態ミラーがドツキ漫才のようなツッコミを炸裂させているところ。ツッコんだ側のミラーがぶっ壊れるほどですから、この部分のカウルの惨状は推して知るべし。後はステアリングのバーエンド部分が車との交差時の接触でゴリゴリに削れ、転倒時に右のフロントウィンカーとエキパイのカバーとマフラーのカバー、ラジエターカバー、ステップに傷が入った模様。あとブレーキレバーも根っこからボッキリ逝ってますね。しかし、エンジンやフレーム、フロント周りまでは損傷が及ぶことはなく、自宅まで自走で戻ってきました。

 帰り道ハンドルが少し重かったですけど、カウルの一部がフロントフォークに接触してただけみたいで、そこが解消されれば、操舵にも影響はなさそう。ハンドリングはこのバイクのキモですから、ホッとしてます。

乗り手の私は、そりゃもう酷い状態で、投げ出された衝撃でヘルメット内部でメガネのフレームが折れ、メット脱いだら爆発コントの後の仲本工事みたいにメガネが垂れ下がった哀戦士状態になっちゃった。かといって、眼鏡かけないと何も見えないですからねぇ。

帰って聖帝様に直立不動で事故報告したら、聖帝様は「もーーっ!!何やってんのよっ!!!」って叫んだ後、私の顔見て「ふっ」って吹き出してましたから、間抜け顔もここに極まれりって感じになってたんでしょう。

今はとりあえず古い眼鏡をかけてるんですけど、度が全然合わねぇええ!!テキスト叩いてても超目が疲れるぅ~。まぁ、これが今回の事故の一番の被害かも。あと、ストレスなのか、疲労なのか、これまでにないくらい大口を開けて絶叫したのか、気がつくと口の両端が見事に切れてて、口裂け男状態になってました。その他はどこも痛くも痒くもないけど、過去に例をみない局地的でジワジワ効いてくる被害状況に、いささかとまどっております。

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(一番のダメージはこれ。しょうがないので若い頃の眼鏡はめてるんですけど、仕事してても、テキスト打ってても、微妙に度が合わないから肩が超凝る。はやく眼鏡作んなきゃ・・。)




今回の事故は信号待ちで停止中に追突されたやつを除くと、実に20年ぶりの事故です。久しく事故の苦さを忘れてましたが、改めて「ああ・・バイクはやっぱり厳しいものだな・・・」って思いました。

ビギナーの頃の私は、危機に遭遇すると、すぐパニックになって体が固まり、頭が真っ白になってました。基本的に人は「恐怖の対象を凝視してしまう」という本能があり、バイクは見た方向に吸い寄せられるという特徴があるので、体が固まっちゃうと、ザンギエフのスクリューパイルに吸い込まれるように、車や壁の方に吸い寄せられちゃうんですよね。これじゃ事故を避けるどころじゃありません。

でも、事故を繰り返すうちに、脳が「固まってちゃダメじゃん」って判断するのか、危機的瞬間を迎えても体が固まらなくなり、最後まで冷静に反応ができるようになってきます。そうなれば、衝突面積が極めて小さいバイクの回避率は一気に上がる。この「最後の悪あがき」が、この20年間、私を救ってくれてたんです。

ただ、どれだけアクセルを抑える自制心と悪あがきのスキルを上げたところで、事故がおきる確率は決してゼロにはなりません。それはいろんなモビリティが混在している公道で、「他人をコントロールできない」以上しょうがないことだと思う。今回は物陰から突然「変質者のようなSUVに抱きつかれた」っていう事故ですけど、「ドンピシャのタイミングで来られると避けようがないな」っていうのが正直な感想。ギリギリまで回避しようと粘ってみたんですが、ダメなものはダメ。

そう、不運をドス黒く塗り固めたような「運命の悪魔」は、ある日ある時、誰にだって訪れる。

車とバイクの接触死亡事故の報道があると、多くの人がネットで事故の原因を想像したり検証したりしてますけど、「亡くなった方は、いろいろと運が悪かったのだ・・・」と私は考えてます。

だって、「お前は10回も事故って、なぜそんなにピンピンしているんだ?」って問われた時に、私は運以外の合理的な回答を持ちあわせていませんから。

バイクでの事故とその結果って、とてもとても理不尽なものです。でも、大切なものが理不尽に失われたという事実をほとんどの人は受け入れられない。だから人は事故に対して、いろんな理由を探し、その原因を求めようとする。接触事故というものはタイミングが1秒ずれていれば起こるはずのなかったものですから、「なぜあの瞬間にそこにいたのだろう?」とか「もしああしていれば、こうしていれば」という後ろ向きの思考に陥りがちになる。

内向きになり、起こってしまった事故に理由を求めはじめると、やがて自分を責めるようになります。でも、どんなに自問自答したところで、私はスッキリとした答えなんて出せた試しがありません。

なぜなら「技術不足は本人には自覚できない」し、「過失は不注意で、そこに何らの意志がない」からです。

誰でも最初からライディングが上手い訳ではないし、ミスをしない人間もいない。人は生きているだけで、日々何らかの過失を繰り返していて、過失から逃れることなどできません。そんな間の抜けたニンゲンという生き物がちまたに大量発生させている過失が「ドンマイ!」で終わっているのは、それが些細なもので、リカバリーも容易だからです。

しかし、巨大な鉄の塊が行き来する公道では自分や他人の刹那の過失が、取り返しのつかない喪失につながってしまう。

私は過去に加害者側にも被害者側にもなっていますが、どちらの側になったにしろ、当事者にとって事故というのは「取り返しのつかない残酷な現実が、そこにただ置かれている」だけのものです。

たしかに「なぜ事故が起こったのか?」という検証は必要ですし、法に基づいて被害回復の責任を負うことも重要です。しかし、一瞬の不注意から生じた過失と、人智を超越した偶然をつなぐ運命の悪魔の気まぐれに、必要以上に深い意味を求め続けると、人は抜け出せない悔恨と精神的自傷の泥沼にはまる。

私は事故に意味なんて求めてもしょうがないと思うんですよ。だって、過失は故意じゃない。故意じゃないから、そこに加害の意志というものがない。意志がない以上、理由があるわけがない。そして理由がないものに意味を求めるのは不毛です。

私は、「事故というものはその責任を無条件で受け入れ、未来に向かって損害を償い、乗り越えるしかないものなんじゃないか?」と感じてます。

相手がケガをすれば賠償し、自分が怪我をすればリハビリし、愛するバイクが壊れればそれを直し、その理不尽を乗り越える。不毛を絵に描いたような事故の後に残るのは、ただそれだけのような気がする。

シン・仮面ライダーのクライマックスで、ある政府機関の男がこんなセリフを語ります。

「絶望は、お前だけじゃない。多くの人間が同じように経験している。だが、その乗り越え方が皆違う。本郷は本郷の乗り越え方をすればいい。」

私はこれまで事故という絶望を何回も繰り返してきましたが、事故に至るまでの過程をいくら分析してみても、そこに救いなど一切ありませんでした。事故による喪失の救いは事故の責任を取り、その絶望を乗り越えた未来にしかないような気がします。

歳を取るといろんなものを乗り越えるエネルギーがなくなってきますけど、事故はバイクの暗黒面であり、バイク乗りにとって最大の試練ともいうべきもの。今回も、なんとか乗り越えていきたいと思っています。





ライダー登場3
(シン・過失ライダー、第1話「ライダー登場」。実は第2話もあります。それはまた後日。お楽しみに。)