爆ぜろリアル・弾けろシナプス・パニッシュメントディスワールド11
(いきなり痛々しいイラストではじまりましたが、この中二病呪文こそ、今回のブログのオープニングにふさわしい。)

ちなみに表題の「 Van!shment Th!s World!(バニッシュメント・ディス・ワールド)は、「中二病でも恋をしたい」というアニメの中に出てきた現実を上書きする中二病の結界呪文です。

中二病については過去にオタクたちの間で、いろいろと論じられてきていますが、発症例及びその傾向と対策を紐解いていくと、それはバイクの世界で起こっている多種多様な問題とも密接な関連があることがわかってまいります。

これからこの中二病について分析していくわけですけど、やってることはとても簡単で、私の古傷をエグってるだけ。だって私はコテコテの中二病ですから。私の恥ずかしい過去を釘でほじくるだけで、この病気の分析ができちゃうわけなんです。悲しいですね。

ちなみに中二病の主たる症例は以下の3類型と言われています。

症例1(邪眼系)
最もピュアな中二病。子供の頃のごっこ遊びを高年齢まで引きずり、ありえないほどの高度な設定を仕込んだ結果、妄想空間がファンタジーにまで昇華されてしまったもの。超自然的な力に憧れ、自分には隠された超能力があると思い込み、妄言や奇行を繰り返す病気。

症例2(アウトロー系)
DQN系とも呼ばれる。ダークヒーロー型中二病。反社会的な行動を格好いいと思いこみ、社会ではパッとしない自分の承認欲求を社会規範を逸脱することで満たそうとした結果、恥ずかしい言動を繰り返す。どこそこでストリートファイトを行った、バイクで何km/h出した等の武勇伝を語り、自分がいかに凄いかを吹聴する黒歴史度が高い病気。

症例3(サブカル系)
マイナー路線を好み、有名どころや一般人を浅いと認定することで、自らが一般人より高次の存在であると思い込む病気。自分が支持するものこそが最高だと信じ、膨大な知識で理論武装を行い、それ以外を上から目線で否定する傾向がある。

・・これねぇ。テキスト打っててゲンナリするんですが、まさに私の黒歴史そのものなんですよ。症例は私が罹患した順番に並べてあるんですが、書いてるだけで窓からダイブし我が身を消し去りたくなります。学生時代にかかったのは邪眼系ですが、それが大人になるに従って、アウトロー系、サブカル系に進化していきました。つまり、邪眼系中二病にかかる人って、「残り全部に罹患する可能性がある」んですね。まぁ私みたいにフルコースで発症する人は少ないでしょうけど(笑)

ちなみにバイク乗りの皆さんは「邪眼系中二病」ってのは良くわからないかもしれないですね。これ低年齢層がかかる最もピュアな中二病で、昔テーブルトークRPGのキーパー(進行役)やってた私はこの症例のど真ん中だったんですよね。テーブルトークRPGっていわゆる特定のキャラになって、キーパーとの掛け合いで進行するゲームですから、妄想力を働かせてこそ楽しめるんです。

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(こちら1986年にホビージャパンから発売されたクトルフの呼び声というテーブルトークRPG。当時の私はウォーゲーム系プレイヤーでしたが、ホラー映画が大好きだったこともあって、このTRPGにはガチでハマりました。)

その先にあったのが、邪眼系中二病。この症例は中二病の中でも最も奇っ怪と言われており、アニメで散々ネタにされたりした結果、これが中二病の主なイメージになってますね。邪眼系中二病は全ての事柄を自分自身が考案した超能力を持つキャラ目線で表現していくため、「そのキャラ設定をまったく知らない第三者から見ると完全なバカに見える」という特徴があります。どんなものか例を挙げてみましょう。まずこちらのテキストをご覧下さい

「僕は炎天下の中、一杯のコーヒーを求め愛車の「HAWK11」で走り出した。会社からの呼び出しでスマホが鳴り続けているけど、あえて聞こえないふりをする。ああ、今、僕は自由なんだ・・。この清々しい気持ちをどう表現したらいいだろう?・・・そう、僕は決して間違ってはいないんだ・・」

これはバイク乗りの「希望に満ちたお仕事サボタージュ」ともいうべき光景です。格好いいですけど、やってることは最悪です。これを中二病テキストで再構築いたしますと以下のようになります。

「人造の魔神と鬼神たちの間に生まれし俺は、太陽の灼熱の業火に焼かれながら、一杯の暗黒の聖水を求め、魔導アーマー「鷹十一式」と共に走り出した。次元管理局からの万物を破断せしめる召喚音波を受信し、魔道端末が先程から慟哭を続けている。しかし、四大天使と七十二の使徒を使役し、絶対の結界防御術式を展開できる俺にはまったく効果を及ぼさない。俺は鋼の教えと闇を司る魔が支配する管理局の魔の手から、ついに解き放たれた。この心の解放を伝える秘術を残念ながら俺は持ち合わせていないが、俺にはこの世界の理がすでにわかっている。そう、俺は間違ってはいない。間違っているのは・・・世界だ!!

これが邪眼に毒された人の紡ぐテキストですね。もうなに言ってるかわかんないですね。このテキストの作り方は簡単で、ベースのテキストにとにかくダークファンタジー系の修飾語を見境なしに盛っていくだけでOK。

こういうものを作れることからもおわかりになると思いますが、私は現状でも中二病からまったく抜け出せていません。それどころか邪眼系、アウトロー系、サブカル系、全ての症例に多重罹患しているといっても過言ではないかもしれない。なんせ五十過ぎの今でも「ハレ晴レユカイ」普通に踊れますからね。

(中二病患者の定番ダンス。オィィィイ!男がこれ踊るのかよ!ってビックリされると思いますが、オタにとっては地元の祭りの盆踊りくらい踊れて当然のダンスです。)

中二病的な内面世界ってのは、誰しもが共通して持っているものだと私は思うんです。中二病は振り返ると身もだえするほど恥ずかしいんですけど、特定の世界観を自分自身に取り込んで、そこで妄想するだけなら、そんなの誰でもやってます。邪眼系はともかく、アウトロー系、サブカル系は誰しもが一度は通る道だと思うんですよ。

にもかかわらず、この世には「中二病」と診断される人とそうでない人がいる。その違いは一体どこにあるんでしょうか?

ちなみに今の私は自分が「50代中二病保菌者」であると自覚しているし、中二病の恥ずかしさや問題点もよく理解してますんで、内面はどうあれ、リアルな社会生活では中二病だとはまったく気づかれていないんですね。だから、私は中二病保菌者なんですが、中二病ではないんです。

中二病はシュレディンガーの猫のような病気で、第三者に観測されることによってしか確定しない。つまり、自らの内面がどんなにイタくてもそれを表に出さなければ、誰からも中二病だと言われないという特徴がある。症状が出ない中二病は存在しないのと同義なんですね。でも残念なことに中二病の患者はそれを表に出さずにはいられないんですよ。だってそんな自分を最高に格好いいと思ってるし、自分の格好良いところを見て欲しいってのは誰しもが持っている承認欲求なんだから。

結局中二病の問題点は「自分がとらわれている世界観が他人に受け入れられるものだ」って勘違いしてるところなんです。「自分がカッコいいと思ってることは他人も格好いいと感じてくれる」という根拠のない自己中心的な考えに基づいて行われたイタい言動そのものが「中二病の本質」なんですね。

バイクの世界でも、そんな勘違い一杯ありますよね。ハーレー動画で炎上してる集団や、昔、第三京浜走ってた私のような最高速厨って、アウトロー系中二病の典型ですし、ハーレーのショベル警察はサブカル系中二病に似た症例を発症している。排気量マウントおじさんや高額バイクマウントおじさんだって、自分の世界観を人に押しつけてるところは同じです。

でもそれは、趣味の世界により深く傾倒することで発生する必然的な副作用で、我々が感じている夢中やトキメキの原点になるものなんです。だからその要素を迷惑だからとか、恥ずかしいからと否定し、捨て去ってしまうと、トキメキも同時に失われてしまう。妄想のインナーワールドに深く入り込み、そこで遊べるというのはとても素敵なことだし、愛すべき素質なんですよ。しかし、その一方でコダワリや世界観が深くなればなるほど、それは他者を寄せつけない閉じたものへと変わり、社会との折り合いは損なわれていきます。

特定の世界観に染まりきって自己陶酔した結果、産み落とされてしまった言動は、第三者にとっては奇行であり、自分にとっては黒歴史になる。私の過去には、そんなのが山ほどあって、振り返ると頭を抱えて転げ回りたくなるんです。

中二病が社会で生きていくには、自分の中二病と、外の世界との折り合いをつけるしかない。でも中二病の発症中は熱に浮かされ聞く耳を持たないので、それが全然できません。邪眼系中二病の台詞の中には「機関の妨害」とか「管理局の陰謀」とかいう台詞がしょっちゅう出てくるんですけど、それは違う意見を持つ他人を完全に拒絶して、「理解し合えない敵」と設定して引き籠もってるだけなんですね。

大人になる過程で、多くの人は社会で真っ当に生きるために「中二病を治療したい」と願い、中二病の元になったものを消し去ろうとします。でも中二病ってのは、趣味に生きる人にとっては不治の病なんですよ。だって趣味における最高の状態って周りも見ずに自らの内面に没入し、夢中になることなんですから。

中二病の治療で大切なのは、自分の大事なものを捨て去る選択をするのではなく、自分が「自意識過剰の妄想ダメ人間である」ということを自覚し、ヒーロー願望を捨て去ることなんです。「自分の内部で暴れまわる妄想と承認欲求を人様に向けるのは罪である」と理解し、人はようやく中二病的嗜好を「自己のアイデンティティ」として胸の奥にしまい込み、社会に馴染むことができるようになる。私はこれに15年かかりました。

要は中二病って「イタい妄想」「肥大化した承認欲求」が合体したものなんです。そこから消し去るべきは、イタい妄想の方ではなく、肥大化した承認欲求の方だっていうのが私の出した結論です。そして、承認欲求を手放すには自分を「モブキャラ」だと自己認定しちゃうのが一番手っ取り早いんですね。

ちなみにこのブログは私の中に普段は眠っている中二病が表面化したものです。抑圧された現実世界の反動で、非常に恥ずかしいものになっちゃってますけど、創作なんて所詮は自分の恥部をさらけだす裸踊りなんですから、そこら辺はしょうがない。

ただ、どんなに割り切ってみても、産み落とされた中二病テキストと中二病イラストは、痛々しく恥ずかしい過去として私の中で猛威を奮う。こういうブログを書き続ける限り、私は自分の中二病とずっと向きあって行くハメになるんですけど、これってもはや私の業のようなものですよね・・。


(現実の事象を再構築して妄想上のリアルを作り出すのは邪眼系中二病の得意技。京アニの無駄に力が入った作画をご覧下さい。ちなみに「中二病でも恋がしたい」のファーストクールは、この能力を逆手にとったエンディングへ物語が収束していく素晴らしい仕上がりでした。