最近動画を見ていたら、80年代、90年代のバイクシーンを語るものに出会いました。ちょっと古い動画なんですが、別のモトブログを見てたらなんとなく目についてしまったんです。で、その中身というのが、80年代90年代当時のバイク乗りをひたすら糾弾する内容だったんですよね。あえてリンクは貼りませんが、興味がある方は「80年代」「バイクブーム」「間違い」あたりでワード検索すると出てくるんじゃないでしょうか。 

私ははじめの方は「フムフム、その後のバイク乗りからすると80年代、90年代はそう見えるのかにゃ~」なんて思いつつ見てたんですが、徐々に疲れてゲンナリしてきちゃったんですよね。正直見なきゃ良かったと思いました。なぜなら、その動画はただ単純に

「80年代から90年代初頭のバイク乗りは最低!」

「オマエラのせいで通行禁止の道が増えてんだ!!」

「俺たちは迷惑してるんだ!」

と言い切るだけのものだったからです。しかもそれを発信してるのが、一般のバイク乗りではなくバイクで食ってる事業者だったっていうのが、私の疲労感の最大の原因でした。

私自身、そんな狂った時代にバイク乗りとなり、次の世代に迷惑をかけたA級戦犯ですので、今の世代の方々のお叱りに反論するつもりはまったくありませんし、当時犯した数々の暴走行為を正当化するつもりもありません。今の世代の方々の気持ちがそれで収まるのなら、土下座して心から謝罪したい。

「本当に申し訳ありません。ごめんなさい。」

私は背中が煤けた「まっくろくろすけ」なんで、罪人として市中引き回しでやむを得ないと思ってます。でも、当時のバイクシーンを語るのなら、その時代を生きたバイク乗りだけを糾弾するのではなく、それ以外にも問題視すべきところが多々あるのではないか?と私は思ってます。その点を本ブログでは少しばかり述べさせて欲しいんです。

80年代から90年代にかけてのバイクブームは、今と違って、特殊な人達が一部で暴走を繰り返していたのではありません。その頃は多くのレプリカ乗りが総出に近い状態で、週末に峠に向かい、踏み込む必要のないレベルのスピード領域にレミングの集団自殺みたいに次々と足を踏み入れていたんですね。その集団母体の大きさは、そこに「個人の属性を超えた特殊な背景事情」があったってことを間接的に証明してます。

多くの人々が常識を失い危険に向かうとき。そこには戦時下のような闘争状態と、それを煽る強烈なプロパガンダがなくてはいけない。では、その戦争状態を誰が作り、誰がプロパガンダを垂れ流していたのか?戦争状態を作り出したのは当時の過酷な学歴偏重社会であり、公道レースをエスカレートさせたのは、学校という閉鎖社会になじめず、袋小路にいた若年層にレーサーレプリカという麻薬を供給し、その販売競争に明け暮れたバイクメーカーに他ならない。また、速さこそ正義という価値観を作ったのは、その当時の大手マスメディアです。

バイクの危険度って、基本的にメーカーが「安全という名のリミッターをどこまで外してバイク作りをするか?」ってところにかかってくるわけですが、リミッターを外すのであれば、リスクを認識し、責任を取れるような層に売らなくてはならないし、そういう販売体制を構築しなくてはならないと私は思う。

しかし、当時の250ccクラスの2ストレーサーレプリカにそんな配慮はありませんでした。馬力規制で表向きは45馬力という触れ込みでしたが、日本の峠では「トータルポテンシャルで最強」といえるほど速かった。理由は簡単、当時の2スト・レーサーレプリカはその名の通り「レーサーから保安部品を取っ払ったようなバイク」だったからです。そんな非常識なバイクを、各メーカーはエントリークラスである250ccに次々と投入したんです。

「いやいや45馬力なんて大したことないじゃん」って思う人もいるかもしれないけど、エアクリーナーぶった切ってCDI(点火を制御してた当時のコンピューターみたいなもんです。)替えてチャンバー入れたら60馬力超え。車重は乾燥重量で130㎏台ですよ?フルパワーにすれば素人の手に負えないほどピーキーであったにもかかわらず、今の時代では安全装備の常識となっているABSもトラコンもリアロック防止のスリッパークラッチもない。そんなバイクを根性だけでコーナーに突っ込む向こう見ずな若者相手に売りまくったわけですから、事故が起きない方がどうかしてる。

そのことを当時のバイクメーカーが認識していなかったはずはありません。でも彼らは「他メーカーとの販売競争で勝てるならそれでいい」「事故は乗り手の未熟さ故でメーカーは関係ない」と開き直って、その手綱を全て未成年の乗り手に委ねてしまった。自主規制なぞどこ吹く風の実馬力が今でも語り草になっている88年式NSR(MC18)は「公道で最も若者を殺したバイク」と言われてますが、売る側もプライドをかけた性能競争のただ中で、常識が外れていた時代だったんですね。

漫画や雑誌、映画などのマスメディアもそんなバイクメーカーの片棒を担ぐように「速さこそ正義」という価値観をひたすら煽り、若年層を公道レースに駆り立てた。広告収入という利潤を最大化し、販売部数を上げるためにバイクメディアは喜んでメーカーの太鼓持ちとなり、共犯関係になったんですね。そんな扇動の中で、若いライダーは当時のスピード至上主義の価値観に疑問を差し挟むこともできなかった。

この世で大きな問題が生じたときは、大概それによって最も利益を受けたものが黒幕なんですが、80年代のバイクシーンで利益を受けたのは誰なのか?

確かに、当時のバイク乗りは暴走行為によって、刹那の快楽を享受しました。しかし、彼らは多くのものを失い、体も心も何かしら壊れてしまった。そこに何一つ利益などありません。当時のライダーが誇れる価値は唯一スピードだけ。それが否定された今の時代に、誇れるものなどなにもない。

ライダー達に利益がなかったのなら、彼らから流された大量の血は誰に流れ、誰が利益を受けたのか?その黒幕は誰だったのか?そんなものは書くまでもありません。ただ、バイクの世界では、その責任が公に語られることはほとんどない。

バイクは昔から、不安定で、不便で、危険という原罪を背負った乗り物で、常に社会から攻撃の対象になってきました。だから、バイク乗りは自分がどんな目に遭ったとしても、この世の中からバイクという素敵な乗り物が消えないように、バイクを常にかばい続ける。バイク業界はそんなバイク乗り達によって許され続けて存続している消費者依存の業界なんですね。

挽歌4
(今回はブログの内容にあわせて、イラストもセピアな雰囲気の鉛筆絵にしてみました。モチーフは「88NSRとオジサン」です。)

消費者って、なぜ消費者って呼ばれてるかわかりますか?それは消費するだけの無垢なお人好しだからです。今、全ての商売人を縛ってる消費者契約法は、過去の消費者被害を検証した結果、消費者を絶対的な弱者と位置づけ、いろいろな責任を事業者に負わせてる。「消費者は何も知らない赤ん坊みたいなもんなんだから、ちゃんと説明して、問題が起きないようにしっかり売りなさいよ。それが事業者責任ですよ。」って内容になってるんですね。

だから今の時代の事業者は常に消費者のことを考え、消費者目線でものごとを考えなくてはならないんです。にもかかわらず、その動画では当時の消費者をあまりにも安易に攻撃していた。バイクを取り巻く社会情勢や時代背景、消費者の置かれていた状況を考慮せず、またそれを分析することもなく、80年代の動画から得た情報を現代の常識にそのままあてはめて、口から泡を飛ばす勢いで消費者だけを糾弾する。そんな光景を見て、「こんな発想の事業者しかいないから、バイクの販売現場は昔と何にも変われてないんだな・・」と、私は暗澹たる気持ちになったんですね。

人は自ら死んでいくのではなく、この世の価値観を信じて殺されるんです。私は確かにスピード狂で最低の罪人でしたんで何言われてもしょうがないけど、だからといって80年代から90年代の走り屋たちが「みなスピード狂でモラルのない最低野郎だった」という考えにはこれっぽっちも同意できない。そもそも人の善性なんて時代によって変わるわけがないじゃないですか。「80年代、90年代のバイク乗りは皆悪党で、2000年に入ってからは皆善人になってます。」なんてことはありえない。変わったのはバイク乗りの置かれている状況と環境と価値観なんです。

私は当時88NSRに乗り、大事故を起こして車椅子になった友人と今でも交流がありますが、彼は決して頭のイカレたスピード狂ではありません。それ以後のバイク乗りと何ら変わらない一般人です。彼は当時の価値観の犠牲になり、歩行機能を失った、ただの一消費者にすぎない。

消費者というのは、いつの時代も「そのときの世相や事業者によって踊らされる無垢で哀しきピエロ」です。社会が形作った価値観に踊らされ、人生の大事な何かを差し出して、盲目のまま誰かの利益のために生涯を終える。企業や国はその栄養で成長し、新たな世代の人々のために、より安全な社会とより良い価値観を作っていく。だから今の価値観で過去を見れば、未開で野蛮なものに見えたりするのは、もうどうしようもないんです。

遙か昔の日本には切腹という責任の取り方がありましたが、それを今の常識で「こんなの自殺強要だ!野蛮すぎる!!」って腹を立ててもしょうがないんですよ。その時代の常識や正しさを、今の正しさで計ったところで真実は何も見えてこない。時代背景が全然違うんですから。

そんな時代の変化の中で、旧き時代を必死に支えたピエロ達は、やがて不要なものとされ、社会の片隅に追いやられる。新しい世代の担い手達に「旧時代の遺物」とさげすまれ、忌み嫌われていくわけですね。

私は今のバイク乗りにそう言われるのはしょうがないと思ってるんです。それは現役のバイク乗りがまともな倫理感を持っている証拠ですし、当時の事情なんて今のバイク乗りは知ったこっちゃないわけですから。

でも、その業界で食っている事業者なら、当時の背景をよく見て、何が問題だったのかを掘り下げる程度の責任はあるんじゃないかと思います。「あの頃の顧客のモラルは皆最低だったね」なんていっているような業界に発展性など期待できない。だって消費者と売り手は常に映し鏡の関係にあるんですから。

バイク乗りを長いことやっていればいろいろ叩かれるのは慣れてるし、そういう扱いされてもどうってことないんですけど、この動画ではある特定の人が叩かれてるのではなく、その年代の乗り手全員がまるっと叩かれていましたし、事業者が当時の一般消費者を叩く構図になっていましたから。消費者の味方を自認する私としてはいろんな面で「放っておこう」っていう気分になれなかったですね。

狂乱の80年代、90年代から約30年以上が過ぎ、あの頃はもう遠い過去となってしまったけど、今でも車椅子の上で当時の罪を背負い続ける私の友人や、去っていったバイク乗り達のために、私から見た当時の真実を少しだけ書いておきたかったんですよね。





(狂乱の80年代90年代を生き抜き、今なお走り続ける孤独で悲しいピエロ達のために、アニメ界屈指のバラードを。)