ちょうど一週間前の6月15日付けでヘッダーを夏仕様に更新いたしました。今回はストリートトリプルRSの化身「ザラブ嬢」がメインキャラ。シン・ウルトラマンも絶賛公開中ですし、ザラブ星人も登場したんでタイムリーかな~なんて思ってます。

お仕置きよ・下絵2
(こちら、ヘッダーのザラブ嬢下絵。デザインは割とすんなり決まりました。)

バイクの話ばっかりってのも何だかなぁと思いますので、ヘッダーを更新する度に、コーヒーブレイク的に製作イラストに関連する駄文を書いてるんですが、今回はヘッダーモチーフがウルトラマンルックのザラブ嬢なので、話題の映画「シン・ウルトラマン」について、ダラダラと下らない考察を書いていきたいと思います。ちなみに思いっきりネタバレしてますんでこれから見るって人は閲覧注意ですし、所詮一個人のブログネタなのであんまり真剣に受け取らないでくださいね。

そもそもウルトラマンって存在自体がヘンテコなんです。だって顔があるのに一切表情筋が動かない。まさに鉄面皮。なんであそこまで顔固まってんのか?っていうのがまず謎。でもあれ素顔なんでしょうね。だって地球に来た最初の頃ってめっちゃ肌荒れしてましたからね。地球生活が長くなるほど、地球の環境にも慣れ、いいもん食ったのか、玉のお肌になっていきましたが、最初の頃はデコボコでしたから。

それにしても、あそこまで表情固めちゃうと、もう真面目にストイックに生きるしかなくなります。あの顔で「カンチョー」とか「電気あんま」とか「恥ずかし固め」とかやった瞬間、完全なる変質者ですから。変態行為やお下品ムーブって無言・無表情でやっちゃいけないんですよ。ある日「ダーーー」っとかいってザラブ星人のお尻に指を突き刺していったり、ダダにヤクザキックを繰り出したり、石で思いっきり殴っていったりしたら、もう確実に事案になります。シン・ウルトラマンで山本耕史が演じた外星人メフィラスみたいに「冗談、冗談♪」なんて笑いながら言葉巧みに弁明することができないから、常識的な行動しかとれないんですね。

ウルトラマン 中指
(ウルトラマンの有名画像。もしスペシウム光線がこのポーズだったら、怪獣を倒してくれたとしても、地球人にとってのウルトラマンの扱いは非常に微妙なものになったと思うんです。)

胸についてるカラータイマーも大いなる疑問。あれって戦いにおいて「俺は死にかかってるぞぉ~!!」って敵にアピールしてるようなものですよ。バルタン星人なんて毎回ウルトラマンに向かっていったあげく、輪切りにされたりしてますが、アホですか?って思う。あんなの逃げまくれば勝ちなんですよ。どれくらい弱ってるのかも点滅見てりゃわかるんだから、ただ距離とって笑ってれば勝つでしょ。しかも、逃走中みたいに3時間逃げろって言われてるわけじゃないんですよ?

あまり指摘されないけど、ウルトラマンはファイターとしてはあり得ないくらいスタミナがないんです。エヴァンゲリオンですら内部電源で5分持つのに、地球上で3分しかもたない。相撲だと幕内の立会制限時間が4分だから、ウルトラマンは式守伊之助が「ハッケヨーイ!ノコッタ!」って叫んだ頃には、もう土俵上で死んでるんです。競技によっては戦うことすらできないんですね。だから「常に1ラウンドKO狙いで襲いかかっていく」というケモノのような脳筋ムーブをせざるを得ないわけですよ。まぁ相手が弱っちければスペシウム光線あてるだけで勝てるんで、残りの2分30秒は遊んでるって解釈もできるのかもしれませんけど。いずれにせよ通常戦闘時間3分では戦いの機微もへったくれもございません。

そんなヘンテコなウルトラマンが今回、脚本・庵野秀明、監督・樋口真嗣で映画になりました。映画化にあたり製作スタッフは、ウルトラマンの最大の欠点である3分の時間制限、カラータイマーを取っ払いました。この時点で少年達が歌う「胸につけてる~♪マークは流星~♪」っていう主題歌は使用不能となりまして、アダルト路線が確定しております。そして「鉄面皮で意思疎通できない」という部分は、神永新二という地球人とウルトラマンが融合し、ウルトラマンの意識を持った神永新二が爆誕するという形でクリアしてるんですね。

で、そんなピュアピュアで無垢な宇宙人を禍特対という非常に濃い人達が勤務する日本の防衛組織に放り込んだ結果どうなったのか?それが今回のウルトラマンです。

お仕置きよ・ペン入れ白黒
(こちらペン入れ後。カラーなので線の強弱は控えめ。)

ちなみに私はシン・ゴジラが大好きで、シン・ウルトラマンも凄く期待して初日に見に行ったんですよね。でもそこに展開されていたものは、私の期待していたものとは違ってたってのが正直なところ。まぁ見た直後のダメージは抜けてきたんで、今は冷静に書いてますけど、終わったときにはいろいろ言いたいことがありました。

私は怪獣と戦う強くて格好いいウルトラマンを見に行ったんですが、映画館を出て行くときに私の頭に残っていたのは「強くて男前の長澤まさみ」だったんです。どうしてこうなった?

「それってもうコンフィデンスマンJP【ウルトラマン編】なんじゃないの?」って言われると、回答に窮することになるんですが、とにかくこの映画における長澤まさみ演じる浅見弘子のキャラの立ちっぷりはすごかったですね。人の形を取っているとはいえ、腕からとんでもない熱量の光線を出す得体の知れない60メートルの銀色の巨人を、いきなりビンタで張っていきますからね。

ぶたれた方のウルトラマンも親父にもぶたれたことないのに!って返しができるくらいの洒落っ気があれば長澤まさみと互角にやれたかもしれないけど、真面目宇宙人にはそんな返しは望むべくもありません。力で勝るはずのウルトラマンも禍特対という組織に組み込まれればダダのコミュ障、圧倒的な自己表現力で勝ち抜いてきた長澤まさみのビンタの前になすすべはありませんでした。

ちなみに、この一発で長澤まさみはウルトラマンにまったく有効打を与えられなかったネロンガとガボラを確実に超えたといえるでしょう。

お仕置きよ・カラー2-1
(こちら彩色後。なぜか初期案はパンツがホワイトバージョンでした。これって色が逆じゃんということで後で修正しましたが、パンツは白じゃなくちゃ!っていう好き者にはこっちの方が刺さるかもしれない。)

ウルトラマンは個としては強く、原理主義的でストイックではあるけれども、それ故にキャラ勝負に持ち込まれると長澤まさみや山本耕史(メフィラス星人)に全然勝てないんですね。強いけどキャラが真面目で薄い。これがこの映画におけるウルトラマン最大の弱点なんです。その一方で長澤まさみは、とにかくどんどんキャラを立てていきます。自分のケツを揉みしだいて気合いを入れたり、巨大化したりと、自分の生き方とキャラの薄さに悩むウルトラマンを尻目にやりたい放題。メフィラス外星人もウルトラマンを居酒屋に連れだし、自身が人間世界に溶け込んでる様を見せるなど、キャラの濃さでネチネチと煽っていきます。

ちなみに、この映画の中でウルトラマンが長澤まさみの体臭をクンカクンカするシーンがあるんですが、これに対して「セクハラだ!」っていう意見が多いみたいだけど、違いますよね?セクハラって相手が厭がって初めてセクハラなんだけど、長澤まさみの厭がり方はポーズだけ。その後長澤まさみがウルトラマンを避ける描写なんて一切ないんだから。こんなのはもはや疑似SEXです。男と女が匂い嗅ぎまくる関係になったら、後は肉体関係までは秒読みですよ。最後の方にウルトラマンと長澤まさみとのキスシーンなんかも予定されてたらしいですが、この濃厚な疑似SEX描写の後にタダのキスシーンではあまりにもインパクト薄いから削ったんだと私は思ってます。

それにしても女って怖いですよね。最後のシーンでゾーフィが「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」っていうんですが正しくは「そんなに長澤まさみが好きになったのか、ウルトラマン」ってことでしょう。

今回のゾーフィは慈愛溢れるゾフィーと違ってかなり意地悪なので、命を1つしかもってきません。意地悪ゾーフィはゼットンを倒し、瀕死になったウルトラマンに神永新二を生かすのか?自分が生きるのか?」という2択を迫ります。そのゾーフィの体は金色でオィィィ!アンタ完全にお釈迦様じゃん!?」って突っ込みたくなりましたが我慢。その2択を前に、ウルトラマンは自己犠牲という名の死を選びます。それは他より個を優先する彼の種族では本来あり得ない選択なんですよね。この時点でウルトラマンはもう人になってるんです。だから地球は神であるウルトラマンに救われたようで、やはり人が救ったといえるのだろうと思うんですよ。

結局これって「神様が人になる」物語なんですよね。でもこれと同じようなものどこかで私は見せられたことがありました。そう、外宇宙から来たアダムとリリスという神様がシンジ君という一人の人間によって変質していくアニメが遙か昔にあったんですよ。あれ見た時も「ちょっと待って!アンタ達!そんなにシンジ君が好きになっちゃったの?!」って言いたくなりましたけど、ゾーフィの台詞はまさにその時の私の心境そのまま。主人公の「神永新二」って神とシンジが合体したことを想起させるネーミングでしたんで「まさかね・・」 と思ってましたけど、予感が見事にあたってしまった。

お仕置きよ・カラー3-1
(PC版のザラブ嬢、こちらはジョジョ立ち。あとはバイク描いて背景を付ければヘッダーイラストの出来上がりです。)

人は神に憧れるけど決して神にはなれません。その一方で賢いはずの神は愚かな人に憧れ、人に惹かれて人になる。庵野秀明の物語は、人が神を徹底的に堕天させる。まさに悪魔とは人類そのもの、人は原罪のケモノなんです。

そして、堕天したウルトラマンは、必然的に死という結末を迎えます。今回も庵野秀明お得意の神殺しが行われた。神を殺したのはロンギヌスの槍ではなく、終末兵器のゼットンでもない。人の心こそ神殺しの刃なんですね。その刃を胸に深々と突き立てられたウルトラマンは人になることを望んでしまった。最後のゼットンとの戦いはウルトラマンが人になる上での試練であり、ベータカプセルをウルトラマンが2回起動させるのはウルトラマン新生の表現だったんだと私は思ってます。これはシト新生の反転、「ヒト新生」ですねぇ・・。

映画のラストで「ウルトラマンに生きてて欲しい!」って思う観客は多かったかもしれないけど、こうなっちゃうとああいうオチしかないんですよ。一度堕天した神が神であり続けるためには死ぬしかない。そこがウルトラマンが神のまま終わったTV版とシン・ウルトラマンの最大の違いでしょう。だからエンディングが変わってしまうのはしょうがない。神は堕天した時点で、神の神聖性を破壊する最も凶悪な悪魔になっちゃうんだから。

もしウルトラマンが生きて地球に残ったとしてですよ。3年後ゾーフィが日本に来て、遠くからウルトラマンを見つめながら「そんなに同人誌即売会が好きになったのか、ウルトラマン」とか「そんなに美少女フィギュアが好きになったのか、ウルトラマン」とかいってたら厭すぎるでしょ。放射性物質貯蔵庫の前でガボラと戦うウルトラマンはサマになるけど、同人誌即売会場を必死で守るウルトラマンってどうよ。「俺の推しの壁サークルを守り抜く!」ってなるとさらに人間強度は上がるかもしれないけど、ゾーフィからすると「あのときやっぱ殺しておけば良かったわ・・」ってなっちゃうわけですよ。

これが私の「シン・ウルトラマン」の考察・感想です。映画見終わったときの感覚がエヴァンゲリオンの「まごころを君に」を見た時に非常に近かったんですよね。エヴァの時も「これをアニメで見せられてもね・・」って思いましたが、今回は我々が憧れていたヒーローでやってくれちゃいましたからね。正直私はそれなりに怒ってました

私はいろいろと解釈こねくるのは嫌いじゃありません。でも空想科学特撮にそういうものを求めてないんで。アニメや特撮って筋もなにもわからなくってもメカや怪獣見てるだけで楽しめるもんだと思うんですよ。私はパシフィック・リムみたいにドッカンバッコンと明るく戦う「怪獣VSウルトラマン」が見られれば良かったんです。でも、本作はウルトラマンの格好いいところは前半だけ。後半は長澤まさみとメフィラスに主役を食われ、その後は庵野監督のお決まりの独自世界になっていった。

エンドロールで「M八七」が流れ米津さんが「君がー♪のーぞむならー♪それは強くー♪こーたえてーくーれるのだー♪」と熱く歌っていましたが、私の望みにはこの映画は応えてくれませんでした。皆がネットで絶賛している中、傷心の私はただただ押し黙り「痛みーを知るー♪ただ一人であーーれぇー♪」っていう状態だったというわけですね。まぁ私のために作ってるんじゃないんで、それでもいいんですけども(笑)

作り手って自分が特別だ~とか選ばれてると無意識に思うと、特別なものを作りたくなるんですよね。でもそれってどうなのかなと。パリピ孔明じゃないけど、エンターテイメントはすべて民草のためにあると思うんですよ。ウルトラマンは子供達のためのとてもシンプルなヒーローでしたが、この映画は、そんな無邪気な民草のために作られた映画じゃなかった。これはややこしくものを考えるのが大好きな大人達に向けたものです。だから私はこの映画を支持しておりません。

庵野監督や樋口特技監督に言いたいんだけど、難しいこと考えずに普通に大衆向け映画作ってくれと。だってこのお二人はこだわりとセンスが突出してんだから。フツーに作ったって人と同じモノにはなりませんよ。筋書きに文学的な主張入れたって、文学者には絶対勝てませんから。主張入れずに作った「トップをねらえ」とか、「シン・ゴジラ」とかは名作って評価でしょ?もっと肩の力抜いて下さいって言いたいですね。

(米津さんのM八七、素直にいいなぁと思いました。だってこれ孤独なバイク乗りのためにあるような曲じゃないですか?大人になると社会はとても冷淡だけど、バイクはいつでも応えてくれた。この歌を聴くと怖い物知らずで青臭かった若い頃をなんとなく思い出してしまいますね。)

ということで、今回も長々とテキストを叩いてしまいましたが、結論は「米津玄師のM八七は素晴らしい!!」です(笑)

それでは、2022年夏もへっちまんのモーターサイコルをお楽しみ下さい(笑)


※ちなみに昨年シン・エヴァンゲリオン劇場版の公開直前に書いたエヴァンゲリオン考察はこちらです。

独自解釈・いまさらエヴァンゲリオン

オマケで昨年夏のヘッダーイラスト。懐かしいですねー。

夏ヘッダー・スマホ3+1