このブログは以前書いた「アマリングという名の呪い」のPart2にあたるものです。私のブログの中でも検索でのアクセスが比較的多かったし、いろいろと書き切れないこともありましたので、今回続編を書くことにしました。5000字を軽く超える大長文になっちゃってますが、テーマが重いから、趣旨を正しく伝えようとすると、どうしても長文になっちゃうんです。何とぞご容赦を。

こちら以前のブログ→
アマリングという名の呪い(クリックで飛べます)

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(生粋のスポーツバイクと評価できるストリートトリプルRS。これ買わなかったらこの手の話をすることもなかったかもしれませんね。)

前回私が「アマリングを消す必要がない」といってたのは、アマリングが消えるってことと、スポーツバイクを楽しむってことはまったく別の概念であって、バイクは楽しんだ者勝ちなんだから、「自分がバイクを楽しめてるんなら、そんなこともはやどうでもいいんじゃないの?」ってことでした。個人の楽しみであるバイクをわざわざ人と比べる相対評価で語る必要はないってことですよね。

私から見ると、他人と比較して格付けしようとする価値観自体が競争社会を生きてきた日本人にかけられた呪いそのものなんですよ。そういう狭っくるしい競争社会から自由になるために人はバイクに乗ってるはずなんですが、そのバイクでまた他人の作った「アマリングのあるなし」というモノサシに拘束されて不自由になる。自分のペースと自分の価値観で自らの生き方を定めるんじゃなくて、一定のモノサシで人と優劣を比較して自分の位置を相対的に定めないと落ち着かない。日本人はそろそろそんなものから抜け出すべきなのでは?っていうことを述べたのが前回でした。

ちまたのブログや動画では「アマリングを消す必要はない」っていう常識的な意見がほとんどですが、それらの意見を踏まえても、呪いが解けずに、「どうしてもアマリングを消したいっ」って人もいると思うんですよね。呪いって自分が自分に掛けてるものだから他人の言葉じゃ解けないんです。でも困ったことに、この手のライディング技術論は「必要でもないことを必要だと思い込む」というのと「結果だけを求めて惨劇が起こる」という、2段構成の呪いになっていて、一つ目の呪いが解けなかった人には2つ目の呪いが発動することになるんです。この手の呪いにとらわれて、過去に酷い目にあった私が言うんだから間違いない。

DSC_1218-1(こちら納品直後に皮むき中のスーパーコルサSC2です。
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(こちらは現状のSC2。交換してから2000㎞くらい走行。ヘリにあったディアブロ・スーパーコルサの文字はいつの間にか消えました。)

私から見ると今の「アマリングの呪い」ってのは私がビギナーの頃にかかった「ヒザスリの呪い」とほぼ同じなんですよね。なぜ同じなのかっていうと、ヒザスリとかタイヤをヘリまで使うのとかってのは、「より良いライディングの結果であって目的ではない」からです。結果だけにフォーカスを当てると、人はなぜヒザを擦っているのか?ヒザを擦る必要性ってなんなのか?っていう根っこのところをショートカットして「とりあえず、擦らなきゃはじまらないんだから、思いっきりバイクを寝かせて、尻をギリまで落としてムリヒザを出していこう!」なんて考えになるんですよね。

でもビギナーってそもそもベテランに比べてうまく乗れてないからビギナーなんですよ。にもかかわらず、思いっきりバイクを寝かせて、見よう見まねでアクロバティックにヒザ出して、「まだ擦れない、もう少し寝かそうか、まだ擦れないな」ってどんどんバンク角深くなるから、スリップダウンしてぶっこけるわけですよ。私はそれで奥多摩の崖下にNSRを落とし、布団の中でレッカー車の請求書抱えて震えながら泣いた苦い過去がありますよ。でも当時はしょうがなかったところもある。今みたいにYouTubeで正しい知識を入れられる時代でもないし、雑誌はなんかはもうヒザスリ一色だから、ヒザ擦りゃ官軍、擦れなきゃ賊軍状態だったんです。

あの頃の自分の何がいけなかったのか?「オレはヒザが擦れるのじゃ!GPレーサーとおなじなのじゃぁあああ!!」っていいたくて、頭がおかしくなってたところがいけない。自分勝手な思い込みで「ヒザを擦るにはどうすりゃいいか?そりゃ膝がつくまで寝かせばいいでしょ!!」と一方的に決めつけ、バンク角をどんどん深めてたんです。

でも、ヒザスリの本来の意味って「コケないためにバンク角を制限する」ことです。深いバンク角で走れる人がスリップダウンしないよう設定した安全マージン確保のテクニックなんですよ。だから、ヒザ擦るためにコケるなんて本末転倒もはなはだしいんです。ちなみに今はタイヤが進化して、モトGPなんかだとヒザ出すんじゃなくてヒザをできるだけたたんで物理的なバンク角の限界まで攻めてますから、レーサーのマネしたいからってヒザ擦る意味ももはやない。

私は、いろいろ痛い目に遭った末に、ようやくヒザの出し方覚えてヒザ擦れて、しばらくは嬉しくなってヒザスリ小僧になりました。で、その後どうなったか?マジで「どーでも良くなった」んです。リッターバイクと同じで一度体験しちゃうと憧れが消えて「ふうんこんなんなんだ・・」ってなっちゃう。

私の感覚では公道でヒザスリっていらないですよ。にもかかわらず、さもヒザスリを必須テクニックみたいに常識化して「安全マージンであるヒザスリを、ビギナーの息の根を止める呪いに変えてる」ってところが、この問題の罪深いところなんです。もう安全装置のエアバックが爆発して大ケガ!みたいな話になっているわけですよ。だから「そんなどーでもいいプロパガンダを気にするのやめましょ?」ってことですね。ちなみに私はザラブ嬢に乗り換えたけど、昔みたいにヒザなんて擦ってないし、擦る必要性も感じてません。

そもそもヒザスリのフォームってサーキット走行を想定したものだから公道ではいろいろ不都合があるんです。サーキットって公道ライダーから見るとリングの上で一定のルールで勝ち負け競うボクシングみたいなもんですよ。戦いに集中できるフィールドだからこそ、ああいう型にハマった攻めの走行が可能なんです。対して公道ってルール無用のステゴロ系生き残り世界ですから。障害物や地形変化、邪魔する敵キャラがウヨウヨいる。だから公道には公道の戦い方ってもんがある。公道は防御力重視で柔軟性のある乗り方がいいんです。

ヒザスリって私が「公道での命綱」って考えてるリアブレーキのコントロールがしにくいし、重心移動が大きくて突発的な危機回避の面では明らかにマイナスなんですよ。公道の速度と曲率、路面にあった理想的な重心移動を考えるとヒザスリフォームは「どー考えてもオーバーアクション」なんですよね。環境が全然違うのにサーキットと同じ価値観に縛られるからいろいろとツジツマが合わなくなる。まぁそれは公道でヒザ擦ってる人も薄々感じてるんじゃないですかね。

走るコースに応じて自分の安全領域を柔軟に設定して賢くアクションしないと公道では長い年月を生き残れないですよ。歳食うとあんな強烈なぶら下がり状態で、タイトな峠切り返してくなんて体力的にもしんどすぎて無理。拳法でも老師って派手な動きしないですけど、あれ達人なんじゃなくてジジィは派手に動けないんです。だから楽しようとして動きが最小限になるし、それで実際事足りるんですよ。私なんて腰をちょっと落とすだけで峠の往復でフラフラになってるってのに、動きを効率化しないとオッサンはもちませんって(笑)。

アマリングもヒザスリと同様。公道では、それを消すための特別な走り方をする必要なんてありません。ザラブ嬢のリアタイヤがヘリまで削れてるのは、単にタイヤの特性と、私のホームコースがヘリ使うのに丁度良い曲率ってだけだと思う。

私が走ってるのはロクにメンテもされてないほったらかしの山道ですから、ミューも低いし、平坦でもない。流水も横切る。そんな路面を走ろうとすると、サスを柔らかめにして追従性を上げ、コーナーではリアにできるだけ荷重かけて、さらにトラクションで追い加重してグリップが抜けないようにする必要があるんですよね。そうするとリアのスーパーコルサはこちらの意図を察知して、端までのリソースをフルに使ってグリップを稼ごうとしてくれる。つまりはそういう賢いタイヤだからアマリングがないんですよ。

ちなみに良くアマリング消すのに空気圧落とせっていう人いるけど、危ないからやめた方がいいと思う。そんなことしなくても消えますから。私のザラブ嬢のタイヤ空気圧は純正指定のままです。今履いてるSC2は純正SPの指定空気圧じゃ堅すぎて腰が崩壊するからピレリのホームページの指定に従って2.0くらいで走ってますが、SP履いてた頃は純正空気圧でした。ちなみにあまり寝かしてないからザラブ嬢のフロントタイヤにはぶっといアマリングがありますし、このブログ書く前にダイナやゴールドウィングのリアタイヤも一応確認したけど、アマリングはちゃんと残ってましたね。でも、それってどうでもいい話だと思う。

DSC_1723(フロントタイヤにクッキリ残るアマリング。でもそれがどうした文句があるか。)

アマリングという価値観だけで乗り手を評価するのなら、ストリートトリプルRSに乗ってる私は凄く乗れてる人で、ダイナやゴールドウィングに乗ってる私はダメライダーってことになるのかもしれないけど、そんなの意味がわからんでしょう。だって同一人物が乗ってるんだし、バンク角の差こそあれ同じような乗り方しかしていないんだから。

これって、コントロールできる領域の中で安全マージンとって走ったときに、「アマリングが残るバイクと消えるバイクがありますね。」ってだけの話に過ぎないんですよね。

もし、自分が頑張って走ってるのにアマリングが消えないっていう人は、それでいいと思うんですよ。それで何の問題があるのか?消えないものは消えないで良いじゃないですか。大事なのは自分が安全に走れる領域を守り、走りを楽しむことで、タイヤをどうこうすることじゃないんだから。

SS系のタイヤで、アマリング消したいけど、アマリングが残るってのは「リアへの荷重が不足してる」んです。加重かけるって簡単なようで難しいから、最初の頃はなかなかできない。だからその段階でバンク角上げてアマリングを消しにいっちゃダメなんですよ。

荷重が不足してるってことは、いまいちタイヤのグリップ力が発揮されてないってことですから、その状態でバンク角を増やしていけばスリップダウンのリスクが高いってのは誰でもわかると思う。にもかかわらず「アマリングをどうしても消すんだ」っていう呪いにかかったまま結論だけを求めると、リスクを負ってそれをやらなきゃならないことになる。

ヒザ擦りもタイヤ潰しも本来はコケないためにやってることなのに、その意味と過程を取り違えたために、それが大きなリスクになって、バイクというゴマカシのきかない怖い乗り物にガブリと噛まれることになる。バイクって、間違ったこと要求するとすぐ反逆するっていうスゴくわかりやすい乗り物ですからね。

これらの呪いの憎むべきところは、「まだライディングの基盤を作ってる段階の人々がかかりやすく」「結果を出そうとするとリスクが非常に高くなる」ってことです。この2つは、せっかくバイクを好きになってくれた人達を転倒というアクシデントに誘い込み、バイクの世界から退場させてしまう悪しき呪いの両巨頭です。私はバカなんでコケてもコケてもゾンビのように復活しましたが、普通は転倒続けば乗らなくなりますし、今の高額で格好いいピカピカバイクをわけのわからない呪いでキズ物にしちゃうなんて超もったいない。

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(単純で素直だった昔の私は、いろんな呪いにかかり、所有したバイクの3分の1くらいを事故廃車にしてしまいました。ここ10年くらいは走りが変わり、バイクは皆さん五体満足なんで廃車率は急激に下がってますが、一時は廃車率5割で首位打者爆走状態でしたね。呪いが解けるまで15年くらいかかりました。)

結局のところ、アマリングもヒザ擦りも、無理矢理結果を出しにいっても、転倒リスクに見合う実益はないんです。アマリングには消える条件がいろいろあって、消えるバイク、消えないバイク、消えるタイヤ、消えないタイヤ、消えるコース、消えないコースがありますから。ライディング技術なんてその条件の一つに過ぎませんし、消える消えないは乗り手のバイクに対する考え方次第ってところもある。だからアマリングって上手い下手の絶対基準にはなり得ないんですよ。そんな不確かなものに必死になる必要はないんです。

それにしても、一番恥ずかしいのは人の趣味や走りに難癖つけて呪いを撒いてる人達ですよね。そういう人に対しては逃げるか、相手にせず無視するしかないですね。どこの世界にもいますけど、趣味人の世界の中では「一番厭がられるタイプ」でしょう。

趣味って好き嫌いの世界だから、他人の評価なんて必要がないんです。各々が自分の内面を見つめ、その人なりの粋(いき)や満足を追求することができるパーソナルな固有結界なんですよ。にもかかわらず、他人のライディングや他人のバイクの否定ばかりして、人のパーソナルに介入する人は後を絶たない。そういうのは価値観の押しつけで、イキはイキでも「イキりちらす」方になってるし、アマリングとヒザスリに至っては有害な呪いを撒き散らす死霊系レイドボスモンスターに近い。もう無粋と野暮の極みだと思う。

私からすれば、できるできないにかかわらず、アマリングとかヒザスリにこだわる人って皆呪われてるんですよ。その手の呪いってバイクの世界には大なり小なり山ほどあるんですよね。私は一時期頭のてっぺんから足の先まで呪いのアイテム全装備して身動きとれなかったんですが、そういうのって自分を拘束するわりには実りがないし、ほとんどが人を特定の方向に誘導し、視野を狭くし、価値観の穴に落とすために巧妙に配置されてるトラップみたいなものなんです。

呪いって正体が解っちゃうと大したものじゃないんですよ。それに気づいて、それまでの価値観から自分が自由になると、バイクの新たな楽しさがまた見えてきたり、視界が広がったりする。だから、わけのわからない呪いにかかって深い縦穴に落ちないよう、自分の呪い耐性を上げていくのもバイクを長く楽しむには大事なんじゃないかな~なんて思ってます。