最近気温が上がってきて、ようやくザラブ嬢の初乗りができました。フロントも新品のスパコルSP(3セット目)に交換したし、路面温度も上がり、タイヤの食いつきも良くなって、ようやくそれなりの安心感を持って走れる季節になってきましたね。

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(出撃を待つザラブ嬢。ようやく走れる季節になって来ました。)

以前「咲き誇りしは悪の華」(←クリックでブログに飛びます)というブログでダイナ嬢のスピードについていろいろと書きましたが、「場末ブログとはいえ、公開された場でTPOを考えず好き勝手書くと、いろいろと問題があるなぁ・・」と改めて感じた次第です。

自分を棚に上げて人のことをどうこういうのも好きじゃないんですが、かといって「はいはーい、ここにバカな悪党がいまーす!!」ってぶんぶん手を振りながら宣言するのも「あまりにもハタ迷惑」ということを今更ながら認識しました。やっぱね。いくら匿名ブログとはいえ、嬉しげに「悪党万歳!」は良くない。バカはロクな発言をしないので、ハナから挙手しちゃいけませんでしたね。

悪党といえば、先日封切られた「ザ・バットマン」も悪党の詰め合わせみたいな映画でした。ストーリーはダークナイトの方がダイナミックでしたけど、今回はなんともいえない雰囲気があった。ゴッサムシティの暗く閉塞した世界感が、私みたいな場末のリケッチアにはなんとも心地よかったです。もうね。ゴッサムの腐敗指数は歴代バットマン随一でしたね。で、そこで問われてるのは、悪の質だったように思う。

ザバットマン・ポスター
(「THE BATMAN」。 公式からキャラポス引っ張ってきました。今回は約3時間あるんですが、一つ一つのシーンに間を取ってるから長くなっただけで、話を詰め込みすぎてるわけじゃない。好みはあると思いますけど私はとても好きでした。雰囲気は歴代1番かも。)

バットマンはゴッサムでは「秩序ある悪」です。悪の闇鍋と化したゴッサムシティは「社会を腐敗に導く者」「秩序を維持しようとする守護者」と、「無秩序な破壊を求める断罪者」がプレイヤーとして互いに牽制し合う構図になってる。映画の中のリドラーは無秩序な憎悪と破壊の象徴だし、ペンギンは腐敗の象徴ですが、バットマンだってマトモな世界になれば最後は悪とされる存在です。バットマンを認めると、私刑OKで法律いらないですからね。ただ残念ながらゴッサムシティでは法は腐敗し、巨悪に対して機能してないから、市民はバットマンに頼らざるを得ない。

バットマンを見る限り、許容されるダークヒーロー像って、法は守らなくても、秩序を守る前提でなければならないということがわかる。法の枠外の存在は、秩序を守るべく奮闘するか、無秩序に悪を行うかで陣営が分かれます。

戦闘国家であるアメリカでは、仏教みたいな「殺生は悪」って単純な概念は成立しないんですね。アメリカ国内には戦争で人を傷つけ、手を血で汚してしまった戦争帰還者達が沢山いるし、殺生が悪という仏教概念では「正義の戦争を許容する」アメリカが悪性国家になっちゃう。日本では暴力が絶対悪だから善悪の認定は簡単なんですけど、あちらの国では「人を傷つけるか傷つけないかだけでは善悪をはかることはできない」んですね。じゃあ、仏教的概念以外で、正義と悪の概念をどう立てる?ってことになるわけですが、バットマンはその回答例の一つでしょう。

リドラー君
(ちなみにこちらは今回の悪役リドラー君。・・猛烈なお友達感を感じるのはナゼ・・?)

私が思うにゴッサムシティでの善悪の判断って「秩序を守る意志があるかないか?」なんですよ。そこに調味料として「罪の意識のあるなし」がプラスされる。小さな悪はドラッグ売買や汚職でゴッサムシティを内部から少しずつ腐敗させるのに対し、巨悪は無秩序を望み、自分を狂人に変えた腐った街を根こそぎ破壊しようとする。悪性によって成り立つ街では何が善で何が悪かがもうガタガタに歪んじゃってるから、正義の解釈もさまざまなんです。

大型バイクというトンデモパワーを持つ乗り物を与えられたライダー達も同じような葛藤を抱えてると思う。法定速度を守れば善良な一般市民。法を超えても秩序の側に存在すればバットマン、無秩序の側に振れればジョーカーです。

日本の公道では大型バイクは乗り手のアクセルのひねり方次第でその3者のうちいずれにもなれるし、気分次第でその間を行き来できちゃうということになってる。

ハイパワーな大型バイクの本質的問題はこの力をどう押さえ込むかなんですよね。

この手の膨大な力を押さえ込む方法として、まず考えるのが機械側にリミッターを仕込むこと。暴走を抑止するエヴァンゲリオンの拘束具みたいなもんですね。これ仕込めば誰でも法律を守れるはず。で、国産バイクにはこのリミッターという拘束具がちゃんとついている。さすが日本車、抜かりない。しかしその設定速度は180km/h。うーん、無意味。拘束具の拘束が緩すぎて機能してない。ゴムの切れたパンツ状態。

1975年から延々続いてた日本の速度リミッターの自主規制は、法定速度との整合性がまったくない実にアホらしいものだったんですよ。「一応上限があるんだから、まったく意味がないってわけじゃないでしょ?」っていう人もいると思うけど、それ以上出したい奴は逆輸入車や外国車を買うって抜け道があるんだから、国内仕様の商品力を落とすだけでもうホント意味がなかった。

そもそもメーカー自ら速度が出るバイクを製造し、それを自主規制で縛るって発想が意味不明なんですよ。スーパーマンに力ありすぎるからって、クリプトナイトの座薬入れて戦地へ送り出すみたいなもんです。バイクが泣いちゃいますよ。私はこのリミッター設定について、合理的で納得できる理由付けを聞いたことがない。

ちなみに私が子供の頃はそんな矛盾も悩みもありませんでした。なんせ私の父の乗ってた車には100km/hオーバーで鳴りまくるモラルの王者「キンコンブザー」がついてましたから。日本の法定速度の上限100km/hを境にして「けたたましく鳴り響く」キンコン音は、速度が増すにつれてビートが速くなり、ウルトラマンのカラータイマーのように乗り手を不安にさせるという、まさに究極の正義執行装置でした。今だって大型トラックには90km/h以上出せないように速度抑制装置がついてますけど、速度を守らせるだけなら、キンコンブザーみたいに機械的に制限するのが一番効果があると思う。でもこの正義の極みともいえるキンコンブザーはいつしか乗用車から取り外され、その後二度とお目にかかることはなかった。それはなぜか?

廃止の理由については「輸入車にはついてないから不公平」っていう意見もあるみたいだけれど、本当のところは違うでしょ?あれが廃止されたのは「車の性能向上の全否定だった」からですよ。100km/hでキンコン鳴っちゃうと100km/h以上の速度域での性能向上が無意味なものになっちゃうから必然的に廃止されたんです。

「性能インフレを許容しないとモデルチェンジの説得力が出てこない」という、販売上の大人の事情にキンコンブザーは実に邪魔な存在だったんですね。車もバイクも「前のモデルと比べ実質的価値が向上していないものを誰が大枚はたいて買い換えるのか?」っていう構造的な問題があるんです。
                         
今は環境性能という別の評価軸があるからパワーダウンも許容されてるけど、いつだって機械モノは性能インフレが買い換えの原動力なんですよ。ドラゴンボールだって弱い奴が出てきても話は全然盛り上がらないから、戦闘力はどんどんインフレする。商売だって他社とのシェアをかけた戦いである以上、性能インフレは必然なんです。

そしてついに国産バイクも2019年以降の新型モデルから180km/hリミッターという自主規制はなくなりました。ですから、新型のハヤブサは国内仕様でもメーター読み295km/h出ます。これだって「大型バイクにリミッターという商品力を落とすだけの無駄装置は不要」という大人の事情ですよね。これで商品力は全世界で横一線。道路事情にかかわらず圧倒的なパワーで295km/hまで加速可能なバイクが、220万円出せば手に入るんですよ。そこに抑止力として何が残るのか?何も残らない。もう乗り手が自己責任で「脳内キンコンブザー」を設定するしかないってことなんですよ。

「じゃあ皆さんのキンコンブザーは機能してるの?」ってことですけれども、それはこんなお気楽ブログなんかで軽々しく扱ってはいけないブラックボックスなんですよね。ホント危険極まりないんですよ。

天気の良い週末にパンドラの箱の蓋をそっと開けるじゃないですか。そうすると、中には普段峠でお見かけしているSS乗りの皆さん達がニッコニコで入ってるわけですよ。そして「よぉ!今日は最高の天気だね!」「路面コンディションは最高だね♡」なんていいながら、ゾロゾロ出てくる。そして

「やっぱ峠はゆっくり走るべきだよね♡」

「路面じゃなくて景色を見なきゃね♡」

「トラクションコントロールは最強設定でね♡」

なんて話しながら去って行く。実にのどかな風景ですが、誰がどう考えても嘘くささしかない。こいつらは善良なる市民なのか?それとも厄災があふれ出ちゃってるのか?何人かがジョーカーなのか?それとも全員なのか?その真実は誰にも分からない。

人の心の中にあるリミッターの設定値や、個々のライダーの正体なんて掘り下げてもどうにもなんないんですよ。ツナギのヒザが擦れてても、タイヤがヘリまでなくなってても、それ自体は違法でもなんでもない。「飛ばしすぎだろ!!」っていわれても「バカヤロウ!!俺くらいの猛者になれば30km/hからフルバンクさ!!」という強引極まる主張で切り抜けることも可能なんです。

同様に200馬力のバイクの公道での使い方を真っ正直に掘り下げる意味もありません。だってパワーがあること自体が違法じゃないんだから。そのパワーが公道で爆発することによって初めてそれは違法状態となる。こういうのはもはや

「ラブホからオネーちゃんと出てきたけど、シてないからセーーーーーーーーーーフ!!!」

って嫁に強弁するくらいの白々しさですが、社会がその詭弁を許容してるんで問題はない。

結局リッターバイクの乗り手に最も求められているのは、テクニックでもなんでもない。「ありあまるパワーを使わない」という忍耐力なんです。原付ならば全開でブッ飛んでも、その性能は公道の秩序の範囲内に収まる。でも一部の大型バイクは開けた瞬間「マッドマックス怒りのデスロード」状態になる。だからこそ乗り手は常識人であることを常にアピールし続けなくてはならない。

「いやボクちん忍耐がないんで、すぐ波動砲を乱射しちゃうんです!!」
って宣言しちゃうバカは、クロロフォルムで無力化して合併浄化槽に流すしかない。それがこの世の平和を守るということなんですね。










オマケ漫画「バイク達に聞いてみよう!」

ウソップ5