冬場であまりネタもないので、今回は私自身のことをグダグダ書きたいと思います。私はバイク乗りとしてもオタクとしても、初老過ぎまで生き残ってしまったスーパーロートル戦闘員です。今振り返れば6年前、このブログを細々と書き始めるまで、下水の中のリケッチアみたいに息を潜めて暗~くすべてをやり過ごしてきました。オタクでいつづけるには当時はそれが最善の生き方だと思っていたんですよね。ナゼ私がそう考えるに至ったのか?今回はそんなブログです。

皆さんもご存じのように、私はバイク乗りであると同時に「オタクで変態」なわけですが、とある掲示板を見たところ、女性側から見た「キモオタ」の定義は

①臭い
②ダサい
③変態
④Twitterにペロペロとか書く
⑤ラブライバー
⑥女子キャラのフィギュアを買っている
⑦趣味で女の子の絵を描く

の7つらしいです。これを私に当てはめてみますと、

①臭い
 →年齢的に加齢臭からは逃れられない。
②ダサい
 →好みが銭形警部と等々力警部なので確実にダサい。
③変態
 →間違いない。
④Twitterにペロペロとか書く
 →ツイッターもLINEもSNSもやらないけど、ブログで品のないテキストを書き散らしている。
⑤ラブライバー
 →ラブライブは興味はあるが見たことはない。
⑥女子キャラのフィギュアを買っている
 →買うどころか自ら製作してる。
⑦趣味で女子の絵を描く
 →言い逃れようがない

自分で言うのもなんですけど、カテゴライズ的には「キモオタに限りなく近い」もしくは「キモオタそのもの」ってことになると思うんですよ。初老過ぎてのキモオタってマジ厭すぎますね。で、そんな私が真人間になるってどうすればいいのか?っていうと、この定義から外れりゃいいってことですから、以下のような人物になればいいんです。

①イイ匂いになる
②ダサくなくなる
③変態でなくなる。
④ブログを閉鎖する。
⑤ラブライブには近づかない。
⑥過去製作した美少女ガレージキットを処分する。
⑦男絵や背景画のみを描き続ける。

いやもうこれ、到底無理なんだが・・。この条件満たすより、風呂に入らず、Twitterでペロペロして、ラブライブを視聴しまくり「パーフェクトキモオタ」に進化する方がどう考えてもたやすい。つまり、わたしゃ完全無欠のキモオタにはなれるけど、絶対に脱オタできない人間ってことなんですよ。そりゃもうわかってたことなんですが、あらためて再確認しましたね。

なんでこんなキモイマンが社会に排除されず日常生活を送れているのか?それは性癖が周囲にバレてないからです。私はリアルワールドで「貴様オタクだろ!」とか「変態ね!」って面と向かって指摘されたことは一切ありません。職場では極めてお堅く、まっとうな仕事人間と思われており、現状は「私はオタク・ディープコアなのでぇす☆」ってカミングアウトしても、「このクソ忙しいのに、つまらない冗談やめてください。」って相手にもされないと思う。

「ええ!?そんなバカな??」っておっしゃる方がほとんどだと思うけど、事実なんですよ、これが。よく考えてみて下さいよ。あのスーパーマンのクラーク・ケントだって、一応ちゃんとサラリーマンしてるんですよ。世界的に有名なヒーローに大変失礼な物言いかもしれませんが、一般社会で三つ揃えのスーツの下にレオタード&赤パンモッコリを忍ばせてるってのは変態以外のなにものでもない。あれって結局「私って脱いだら凄いんです」ってことなんですよ。日々仕事しながら背徳感にゾクゾクしてるに決まってる。

スーパーマンなんて予備知識消して、あのカッコだけ見たら「うぉぉおお!こいつは鈴菌の親玉じゃねぇか!どうせスズキングとかいう名前なんだろ?」とか、「ストロベリー味プロテインのイメージキャラ?」とか、そんな風な感想しか出てこないと思う。

だいたいね、ズボンの下にあんなヘソ上まであるタイツは「ものっすごくオシッコがしにくい」ですよ。相当念入りに尿切りしないと、仕舞った後に竿から染み出ちゃいますよね。もしそんなことになったら大変。世界救うどころか飛行中に写真撮られて、股間を拡大されたあげく、ツイッターに「スーパーマンのパンツにオシッコ染みてるんだがwwww」って画像上がって、100万リツィートとかされちゃって、人類救うモチベなくなってのたうち回る未来が見える。

でもそんな無茶な重ね着のクラーク・ケントやピーター・パーカーですら、設定上は「ヒーローだってバレてない」ことになってるんですよ。私から見りゃガバガバなんですけど、立派に一般人してるんですよね。なぜそんな設定が成立するかというと、ヒーロー時と日常時のイメージギャップがあるからです。大泉洋が「ウジムラくぅん、ボカァねぇ、実はバットマンなんだよぉ~」って言ったって信じる奴など誰もいない。それくらい日頃のイメージって大事なんです。

趣味がヤバい人物ほど、現実では可能な限りマトモな人格を演じて生きるのが効果的。本性がグダグダな分、普段はしっかりしてないとイメージギャップが出てこない。それをちゃんとやっていれば多少有害成分が漏れ出ても「あの人が・・いやいや、気のせいだな・・」って思ってもらえるんです。

誰?4
(仕事してる時と、バイク乗ってる時のイメージ落差が凄いとよく言われます。ディーラーに仕事中に顔出したら気づいてもらえず、ハーレーご検討中ですか?って新規の客扱いされたこともある。)

「昨今はオタクに対して社会が寛容になりつつある。」なんてオタ世界にいると感じるじゃないですか。実際ラノベの世界なんてオタクにモテ期が来ちゃって無双状態ですよ。それがさらにアニメ化されて地上波に乗るから、一般的にもオタクが肯定されてるような気分になる。でもね。勘違いしてはいけません。時代認識がどう変わろうが、「生理的にキモいものはキモい」。長年の人権運動により、オタクは社会的な排除対象からは逃れられたのかもしれませんが、気持ち悪いという概念そのものは何ら変わったわけではない。それはまったく別の問題です。

そもそも昔はキモオタなんて言葉はありませんでした。「オタクは全員皆キモイ」って評価でしたから。今は「キモいオタク」「キモくないオタク」がいるからこそ「キモオタ」って単語があるんです。現代社会ではキモいというのはオタク総体ではなくて個人に向けられるようになってるんですね。

確かに昔のオタクはキモかったんですよ。同人誌即売会場でも18禁どころか禁書指定の無修正本がゾロゾロ並んでて、オタク達はヒノカミ神楽のように狂乱のサバト状態でした。当時の熱量はとてつもなく凄かったけど、その一方では「キモさの極み」だったともいえる。三島由紀夫は「自分を理解しない人間を寄せつけないのは、芸術家として正しい態度である。」と言ってますが、オタクの初期構成員はある意味で周囲から理解されること拒絶した、変態芸術家揃いだったんですね。

当初のうちは同人誌即売会は漫画、アニメ好きの奇人達が集うアングラな社会現象のように見られていました。しかし、それが無視できない規模になり、オタクから社会を震撼させるような猟奇殺人者が出るに至ると、メディアによるオタクへの強烈なパッシングが始まった。どんなカテゴリーでもブームになる前の黎明期ってディープでコアなスーパーガチ勢が構成員なんですが、その熱量が高ければ高いほど一般人は理解できない。そんな無理解の中で、当時のオタク達は一般人にとっては「危険な性癖の変態」にしか見えなかったんですね。オタクという言葉がネガティブワードとして社会的に広く認知されたのもその頃です。

社会は理解不能で気持ち悪い異分子を攻撃し排除するようにできてます。それは社会の自浄作用で、人間の免疫構造とよく似てる。社会のキラーT細胞ともいえるマスメディアは、それまで判明していなかったオタクの生態を掘り起こし、マイナス部分ばかりを強調しオタクを目の敵にしはじめた。やがてオタクのイメージは地に落ちて、我々はデビルマンの悪魔特捜隊に追われるデーモンのように正体を隠し、闇に紛れて生きる羽目になったわけです。

「・・でもさぁ・・闇に紛れて生きるって言うけど、そんな隠れキリシタンみたいな生活大変じゃない?」っていうと、実はそうでもないんですよ。オタクって秘匿してる分にはなかなかバレないんです。だってオタク認定の①~⑦のうち、①と②は社会人してれば普通にクリアできてるはずです。風呂入ってちゃんと洗濯し、紺のスーツに無地のネクタイして、無個性の量産型社会人になってればフツーにクリアできる。骨タイツで統一されたショッカー戦闘員達にダサイもクソもないのと同じです。

問題なのは③~⑦のオタ特有の要素ですが、これも意図して他人に話さない限り、絶対にわかんないですよね。にもかかわらずなぜ正体を人に知られちゃうのか?そりゃ公衆の面前で一部の勇者が「キモオタスイッチをオンにする」からです。心の闇なんて外見からは絶対わからないのに、人は闇の力を手に入れるとその力を見せたがる。やめときゃいいのにキモオタ度を全開にして「フフフ・・怖いか?」をやっちゃうわけです。

性癖や嗜好がどうあろうが、人との付き合いをうまくやるってのは「常に相手を尊重する」ってことが基本になる。だから相手が受け入れ難く、不要な要素は封印するのが当たり前。議論だって「あなたの意見には同意できないけど、あなたの意見は最大限尊重する」という原則と「この世は白黒ではなく常にグレーである」という正しい現実認識があれば、まず激しいレスバなんかにはならないんですよ。「自分こそが正しい」という絶対認識こそ、この世の中で考えうる最悪の危険思想なんです。そんな誤解や錯覚を排除して他人と正しく向き合えば、ベースがオタクだろうが、暴走バイク乗りだろうが、妖怪人間だろうが、コミュニティでちゃんと生きていける。

私はオタクが社会で評価されるには2つのやり方があったと思う。一つは社会適合性のあるオタクを増やし、適合性のないオタクの特殊性を薄めること。要はディープな「ガチ勢」に対し、ライトな「エンジョイ勢」を大量生産し、特殊性を薄めるわけです。もう一つはオタクではない第三者に、その存在を肯定してもらうことです。オタクがオタクを褒めたって、ただのマッチポンプでオタクの地位は上がることはない。しかし、オタクとまったく関係のない人物がオタクカルチャーの存在意義を肯定すれば、一気に地位向上が図れるんです。

それを理解していたオタクの一部は一般人に擬態して隠れオタクになり、オタクに有利なように社会の内部から巧妙に援護射撃を始めたわけです。要は二重スパイです。実際はマッチポンプでもマッチポンプに見えないような仕込みをすれば、この世は騙せる。オタクは基本的に策士が多いですから、自らを社会に認めさせるために、巧妙な政治的裏工作を駆使するようになったんですね。

結局のところ秘密のない人なんてこの世のどこにもいないんですよ。そんな人を見つけるのは産婦人科で処女探すくらい困難です。でも心配はいらない。中身が変態レオタードのスーパー殴るマンだったとしても、それをスーツで覆い隠せばどこから見ても社会人です。救いようのない変態でも外骨格整えとくだけでなんとでもなる。ヒーローだろうがキモオタだろうが、生き方はたいして違わない。振れ幅が違うだけで、やってることは同じなんです。

人間なんてまっとうに生きてるように見えても中身は大概グダグダです。私が現実社会でどんな人間だろうが、このブログを読んでくれている方々にとっては、オタク目キモオタ科の下等生物以外のなにものでもないわけですよ。で、それが私の真実の姿なんです。所詮そんな程度のもんなんですから、「出世レースから外れ、社史編纂室に左遷された社員のように、フラフラと無駄に気楽に生きようじゃないか・・」って、ある時期から完全に開き直っちゃってて、そのどうしようもない副産物がこのブログというわけなんですね。