融雪装置の検査も始まり、そろそろザラブ嬢(ストリートトリプルRS)で走れる季節も終了かな・・って感じの今日この頃ですが、今年もこのバイクで随分楽しませてもらいました。

ザラブ嬢の並列3気筒はMOTO2レースの主力エンジンとしてメチャメチャ活躍してますが、ストリートの名を冠するだけあって、公道ダラダラ走っててフツーに気持ちいい設定をちゃんと入れてます。スポーツモードをガチ設定だとすると、ロードモードでアドレナリン抑えて少し癒やし成分を入れてる感じですね。

私は峠を走った後は、麓の町で「はぁ~~・・」って一息入れた後、クールダウンもかねて、下道をしばらくダラダラ流して帰るんですが、そんなとき、このロードモードの低回転領域はとっても使い出がいい。

ロードモードの5速、6速で3000回転から4000回転前後を使うと、襲いかかるような攻撃性はナリを潜め、「ハニャニャ~」ってリラックスして走れるフィーリングになります。「そんな軟弱モードはいらん!!」っていう人もいると思うけど、私は「公道バイクには流して走れる特性も大事かな・・」なんて思う。いくらストリートファイターというイカツイカテゴリーだとしても、ネーミングにストリートを冠する以上、常時殴ってるだけってのは無理があります。乗り手にだって安らぎたいときはありますから。

超有能でメチャメチャ論破してくるとか、ケツ叩いてくるだけの無慈悲なメカ子がパートナーだとやっぱり疲れちゃう。来年CBR1000RRーRのファイアーブレードカラーが出るらしいですけど、実は私は遙か昔、初期型CBR900RRに乗ってたんですよね。今振り返るとCBR900RRって、この融通の利かないメカ子の代表でした。すっごい研ぎ澄まされたバイクで、「本気モード」しかない。気合い入れて走ってると高揚感と無敵感があるんだけど、ランボーみたいに「紛争地域でしか生きられない感じ」のバイクなんです。

モジモジして見つめ合うとか、睦言遊びとか、そういう艶めいたやりとりはできず、いきなり峠道で押し倒されてスポーツセックスがはじまる。ケモノですね。若い頃はエネルギーを持て余してるから、そういう一直線でわかりやすい快感も魅力的だったし、その強烈な快感のために他のいろんな不都合が我慢ができたんですね。バイクも「MAXでどんだけ強いの?」ってとこばっかり見てたし、やってることも奥多摩と第三京浜を主戦場にしての勝った負けただったから、必要なのはとにかく戦闘力やトップエンドのパワーでした。バイクの嗜好と同様、実生活も似たようなもんで、とにかくがむしゃらに働いて「MAXパワーで頑張ればもっと稼げる」なんて思ってたんですよ。実に若いですねぇ・・。

ファイアーブレード
(WEBオートバイさんからの転載。当時私が乗ってたバイクが時を越えて現代の最強バイクの横に並ぶとは・・懐かしさと感動で胸アツですね。CBR900RRは公道レースが華やかなりしころ、その戦場に突如舞い降りた「大型乗りのためのガンダム」。私みたいなへっぽこが乗っても、機体性能で他を圧倒する。今みたいに大型乗りがいない時代でしたから、このバイクに遭遇した人はとても少ないと思いますが、185㎏に124馬力は当時の公道シーンでは反則レベルに速かったんです。)

ローンまみれの赤貧君のMAXパワーと、資金力のある人のMAXパワーって天と地ほどの差があるのに、自分の努力値だけが基準だったんですね。でも、私のような単純バカにもやがて残酷な現実がわかるようになってくる。資金力のある人って、上手に投資すれば利回りだけで食っていけるんです。逆に金のない人は借金して利息まで払わなければならない。

「貧乏が貧乏を加速させる」って名言がありますが、大きな勝負をするときって、殆どの人がファイナンス(=借金)を利用しますから、商売の能力が同じなら「借入利息の高低」で初手から勝負がついちゃうんです。コスト高でファイナンスを受ければ必死に働いても利息で吸い上げられて手元には残んない。逆に調達コストがゼロなら売り上げは全部利益ですよ。資本主義を生き抜く秘訣は商売の能力だって勘違いしてる人が多いんだけど、そっちより「ファイナンスを理解してるかどうか?」の方がよっぽど大きい。

資本主義の社会って無差別級の戦いですから、フライ級とヘビー級が一緒のリングで戦ってる。だからメチャクチャ不公平なんです。フライ級の人がヘビー級とまともにやりあったら勝てるわけない。互角に戦おうとすれば、とにかく頭使って相手が鍛えられない急所を狙う。新日本プロレスの矢野通なんて試合はじまっても「金的からの押さえ込み」「テープでぐるぐる巻きにしてのリングアウト勝ち」しか狙ってませんが、大物食うにはあれが一番の戦術なんですね。いくら鍛えても、小兵は体のデカいレスラーには勝てないんですよ。だから矢野は絶対に鍛えられない股間を狙う。プロレスの本質がよくわかってるんですね。

金的で体をくの字に硬直させて繰り出す矢野の多彩な押さえ込みは、一流選手をいとも簡単に撃沈しちゃうし、反則攻撃のためにコーナーポストを外して金具を露出させるスピードは世界一。総当たりのトーナメント戦のG1クライマックスにも出てくるんですが、選手達にとって長いリーグ戦の中での矢野との試合っていうのは「ダメージなく、体を休められる大事な休養」になる。筋書きはあるけどメンツとプライドは傷つけちゃダメなプロレスの中で「相手のメンツを潰さず勝つ」矢野通の存在は非常に貴重なんです。

(矢野プロレスの味わい深さをご覧下さい。もはや正面から戦う気は全くない。パワーファイターをいなし、スカし、おちょくり、金具にぶつけ、一瞬の隙をついて丸め込む。「必殺技は金的」という禁じ手が許される数少ない選手の一人。最後の「ヤノ・トォー・ルゥー!!」の大見得の後ろで対戦相手が股間を押さえて転げ回ってるのが傑作。)

金的からの押さえ込みで大物食いもでき、弱い選手に白星供給も出来る。リーグ戦の星勘定の帳尻あわせに長期総当たりリーグ戦では必須の存在で、「なんでこいつがいるんだ?」なんて誰も言わない。観客だって矢野の試合の勝ち負けを見てるんじゃなくて「矢野の試合運び」を楽しんでるし、大物食うから人気もある。G1クライマックスの星取り見ながら、矢野がどこで勝ってどこで負けるかってのを裏読みするのも楽しい。

彼は自分の価値をわかってて「自分の能力を最大限発揮できる戦法を編み出し、ファンにアピールしてる」わけです。矢野はことさらに強さを強調しないけど、強くないからこそ愛される。会社やリーグ戦の事情を加味した上で、頭を駆使して試合を作ってるからリザルトも残すし、キャラも抜群に立ってるんですよね。ピエロに徹して笑いをとりつつ、判官贔屓の観客を味方にして、必殺の金的を繰り出してくるんですから相手も怒るに怒れない。

結局プロレスでもビジネスでも大事なのは「本質を理解して、いかに立ち回るか」なんです。矢野通は金の稼ぎ方って強さだけじゃないってことを教えてくれる。プロレスは人気商売なんだから、世界チャンピオンじゃなくても、お客さんに支持してもらえれば勝ちなんです。逆に言うと、素で人気のある選手ってベルトなんていらないわけですよ。矢野を見てると、少し肩の力が抜けて、生きるのが楽になるんですね。

バイクだって理屈はまったく同じで、公道走ってる限りは勝ち負けってないんですよ。レプリカブームの頃って、あたかもそれがあるかのように勝ち負けを競ってバカ騒ぎやってたわけです。当然ですが勝っても何にも残らないし、負けるとコケてバイクぶっ壊れたりするんです。そんなリスクしかない祭りが長く続くわけもなく、一時期支配的だった「どっちが強い?」的ものの見方はあっさり衰退。大型免許も教習所で取れるようになり、排気量による選民意識も薄まって、バイクは自分を表現するツールとしてとっても自由になってきた。

今時スピードとか排気量とかいってる人はもう完全に時代遅れなんです。アウトバーンの国、メルセデスの主力エンジンが今や1.5リッターターボ。1000万円の車がカローラと同じ排気量なんですから、車の世界では排気量重視の価値観なんてとうの昔にガッタガタ。今や性能は「必要にして十分」がトレンドで、サスティナビリティが叫ばれる現代において、バイクにもその流れは例外なく押し寄せつつある。

そんな時代の流れを反映し、バイクの選択も性能重視ではなく「パートナーとしての魅力度」重視になってきてると思う。今やそれすらバイク単体じゃなくてキャンプや旅など、バイクで体験できることを含めた広範囲のアピールになってきてる。アドベンチャーが売れるのは体験力が高く何でもこなすから。空冷モデルのハーレーなんて速さなんかバッサリ斬り捨てて、旅や野外遊びのパートナーとしての能力に特化してますよね。そしてその部分での女子力がクッソ強い。もはや機械を越えて伴侶化しちゃう勢いです。

ニシンのクレープ2
(有能キャラのお約束ともいえるメシマズ設定。味覚異常系、料理下手系、即死系、ダークマター系と色々ありますが、オタクの世界ではダメ部分すらキャラの魅力に厚みを加えるものとして考えられてる。勝敗がないキャラ勝負の世界では、マイナス部分をダメと判断するか魅力と判断するかは見る側の見方一つなんです。)

バイクってパワー出せば出すほど危なくなる乗り物だけど「パワー出さないと楽しくないじゃん」っていうのが、我々の頃のテンプレ的な考え方だったし、排気量ごとにパワーヒエラルキーも明確だった。でも、そういう力のヒエラルキーはバイクの楽しさに直結しない。バイクって乗り手が剥き出しだから、パワーに頼らなくたって十分楽しい乗り物の筆頭なんです。コケりゃ壊れるバイクにとって軽量コンパクト、アンダーパワーは安全安心設計の王道でもある。最近はそれを後押しするように低排気量に格好よくって味わい深いバイクが揃いはじめてて、とっても良い流れになってると思う。

危険な香りもバイクの魅力の一つですが、やっぱ乗り手の自制心やスキルがいる。バイク側でパワー削るにしても、「パワーを削っちゃいました感」はどうしても出ちゃう。ガチの世界だとこういうのは「無気力試合」ってことになるけど、街中を気持ちよく走るのにパワー削らなきゃいけない時点で既に公道にマッチングしてないんです。125や250くらいなら自然と流せるパワーになるし、排気量や電子制御に頼らない、清々しいすっぴん感もあるわけです。

最近はバイクの魅力ってなんだろう?ってあらためて考え直すことが多いんですが、大排気量車の良さも理解する一方で、250あたりの小排気量車がものすごく魅力的に思えてます。アメリカ製やイギリス製のバイクに乗ると、あらためて日本製のバイクの良さがわかったりするし、大排気量を揃えたら揃えたで、小排気量のバイクに気持ちが振れる。バイクとのつきあいが長くなっても全然腰は定まらない。価値観が拡散すると、もうダボハゼみたいに全部のバイクが好きになってくるんです。コダワリもポリシーもどんどん消えてる。逆にそういうタイプだから、しぶとくバイクに乗れているのかもしれませんね・・・。