今回はハーレーのエンジンヒエラルキー問題です。

ハーレーにはフラットヘッドナックルヘッドパンヘッドショベルヘッドエボリューションツインカムミルウォーキーエイトと歴代様々なエンジンがあります。(この中で実際、公道を走るハーレーとしてある程度の台数が実働しているのはショベルヘッド以降でしょう。)

ハーレー内でそれぞれのエンジンに愛好者がいるし、三拍子とか、鼓動感とか、いろいろな評価基準がある。素材や加工技術が進歩し、耐久性や性能も向上してるはずの新しいエンジンが最高!ってならないところがハーレーの特徴なんですが、これに加えてネットなどでエンジン同士の戦いが始まっちゃったりすることがある。

ハーレー エンジン
(今回はハーレーのエンジンの格付けについての分析です。写真はハーレーの歴代エンジン。作りが無骨になって耐久性が増していく過程が見ただけでわかりますね。)

典型的なのは
「やっぱ鼓動感や味はショベルだよ!それ以降はダメだね。ショベルまでだね。」「でも壊れるでしょ?」「いや俺のは壊れない!!壊れたことない!ショベル以降はクソ!」ってな感じのやつです。

私はこの手の論争を見る度に凄まじく呆れると共に「やっぱりハーレーって独特で面倒くさい世界だにゃー・・」って思うんですよね。多分このブログを見てくれている国産乗りの方も同じことを思ってるはずです。

いやね。カワサキでGPZ900RのエンジンとZX-14のエンジン比べて、「新型は味がないからダメだ」とか、「旧型エンジンこそパワーがないし荒っぽい!!ダメじゃん!」なんていったら「は?アンタなに言ってんの?」って怪訝な顔されますよ。だって普通はメーカーを愛すれば愛するほど、メーカーのバイクやエンジン全てをリスペクトするようになるんです。だからメーカー愛に満ちたファンは特定のエンジンを否定したり、エンジンを格付けするなんてことはやらないですね。

私はハーレーフリークじゃないから、ショベル、エボ、ツインカム、ミルウォーキーのどれがいい?って論争に、そもそも興味ないです。「ええーー!そこ興味ないの!?ハーレーにエンジン超大事じゃん!」っていうハーレー乗りの方も多いと思うけど、ハーレーのエンジン論争って非常に特殊で、私みたいなフツーの感覚のバイク乗りはついていけないんですよ。そもそも同じハーレー内で、勝ち負けつける意味がないっつーか、まぁぶっちゃけ「不毛である」とすら思ってます。

確かに昔からエンジン対決は比較記事の花形なんですけど、通常はそういう対決は他メーカーとやりますよね。ヤマハだったら「ホンダとスズキにゃ負けられねー!」とかね。そもそも同一メーカー内で新旧エンジン対決しても、販促に全然繋がらないんで「そんな意味のないことしてどうすんだ?」ってなるんですよ。だからこそ、メーカーが広告費を出して作る雑誌の記事はほとんどが「他メーカーのライバル車種との比較記事」になってるんです。そりゃそうですよ。ライバルに追いつけ追い越せで商品作ってるんだから。

でもハーレーって日本ではこの手の比較やらないですよね。だって日本のハーレー乗りの間ではハーレーが一番じゃなくちゃならないし、他メーカーを比較に入れるとハーレー内の格付けヒエラルキーが崩れちゃうからダメなんですよ。ハーレーの日本での販売戦略って他メーカーと顧客の争奪戦をやるんじゃなくって、ハーレー独自のコミュニティを強化して顧客の囲い込みをやり、ハーレー世界に取り込んでいくことがメインになってるんですね。

だから情報発信もメーカーが前面に出るのではなく、「ガチのハーレー好きの皆さんに情報発信してもらう」っていうスタンスを取ってるんです。公平なテスターとはいえないハーレー信者の方々が発信する情報の中身はハーレーだけの非常に狭く排他的なものになる。まさにハーレー乗りの、ハーレー乗りによる、ハーレー乗りのための情報がほとんど。そんなハーレー限定空間の中で行われるエンジン比較は、価値観的に偏りまくったハーレーファンが、「俺がルールブックだ」状態でジャッジするわけだから主観と情緒で固めたようなものになっちゃうんですよ。

ちゃんとした評価基準を持つプロのテストライダーがショベルとミルウォーキーを総合比較して、ショベルに軍配を上げたら、「アホかぁぁぁああああああ!!」って頭はたかれますよ。現代のバイクの評価軸で情緒を排して冷徹に比較したらショベルがミルウォーキーに勝てるところなんて何一つない。当然私のツインカムがミルウォーキーに勝つなんてこともありえません。

ちなみに私はハーレーエンジンの独特の振動は味だと思ってるし好きではありますけど、それが一定以上になるのは疲れるからマジ嫌です。フロントのオーリンズのサスセッティングやってて痛感しましたが、ダイナの場合、振動はフロント固めりゃそれなりに伝わってくるんです。ライザー下に噛ましてある衝撃吸収のゴム抜けば、それはさらに顕著になるでしょう。でもブログでも何回も出てきているように私にとってはそれは「アスファルトのハツリ工事」みたいなもんで、振動は適度じゃないと疲れちゃってどうしようもない。

ハーレーのエンジンがモデルチェンジごとにマイルドになってるのは、振動による乗り手の負担を軽減しつつ、気持ちよさだけを残すべく洗練させ続けてきたからですよね。そんな中、古いエンジンの乱暴さを支持するのは、学力テストの点数は圧倒的に負けてるのに、あえて「顔が好きだから」とか「声が良いから」とか「おしゃれだから」とか、評価軸をずらして内申書を作ってるようなものです。しかし、それは乗り手の「好み」「価値観」「思想信条」によるものであって性能とはちょっと違う。
                    
だから、ショベル乗りは単純に「ショベルを選ぶのが俺のスタイルだし、ショベルが大好きだから乗ってるんだ」って言えばいいんです。そういうのは素敵ですし、私も旧車に乗ってた時期もあるから「わかる!わかるよ、その気持ち!!」って思いますけど、「ショベル好き!」じゃなくて「TCダサイ!」「ミルウォーキーダメ!」っていう風に、他のエンジンを否定するから、「あの・・、ちょっとちょっと・・」ってなるわけですよ

「じゃあ、お前はハーレーのエンジンに対してどういう認識なの?」って問われると、私自身はフラットヘッドから、ミルウォーキーまで全部まとめて「ハーレーのエンジン」でいいじゃない?って認識です。ハーレーって、エンジンが走ってるみたいなブランドで、エンジンの仕立てや味付けは唸るものがあるし、どうせ比較するんなら、ハーレーだけの閉じた世界で新旧のエンジン比較してるより、「他メーカーの個性的なエンジンも巻き込んで、ケンケンガクガクやる方が絶対楽しいし健全だよね」って考えちゃう。ハーレーは素晴らしいバイクであるという点は同意するけど、ハーレーを他のバイクと区別したり、特別視する考え方がそもそもないんですね。

ハーレーの作り方3
(これ、有名なワイルドクッキングのパロディなんですが、エンジン以外ほぼワンオフの大改造チョッパーがハーレーとして成立するって、つまりはこういうことですよね。)

誤解して欲しくないのは、別に私は情緒的なバイク選択やエンジン選択が悪いって言ってるわけじゃないんですよ。性能云々より好き嫌い優先でバイクを語れるのは消費者最大の特権ですし、そういうパーソナルな感情はバイク選びにおいてとても大事です。ただ、先に述べたようにそれが「好き」じゃなくて「ダメ出し」として現れちゃうのは、「ハーレー内部で格付けが必要だから」という理由以外に考えられないんですよねぇ・・。そこにはハーレーというメーカーの販売戦略自体がかかえる構造的な問題が横たわっているように思えるんです。

以前に私は「ハーレーは宗教に似てる」ってブログ(そのブログはこちら→「胡蝶の夢はいつ覚める? ~ハーレー宗教論についての一考察~(独断と偏見のハーレー分析 その4)」)を書きましたが、ハーレーの周辺で起こる排他性や自己陶酔型のトラブルって、コアな宗教団体や村社会で起こるトラブルとそっくりなんですね。

ハーレーは販売手法として「顧客同士のコミュニティを強固にしてハーレーシンパを作る」ことに注力し、ハーレーワールドという閉鎖的な社会を作る戦略をとってきたんです。この村社会型コミュニティは絆という言葉に代表されるように強い仲間意識を醸成したり、共同作業でイベント等を行うのに適してるんですね。

ハーレーはディーラーごとにチャプターという組織を作って、リッターバイクにエントリーしてくる大型初心者やリターンライダーを手厚くケアしつつ、ハーレーの世界に誘導してきました。これは導入手法としては、とても優れていたと思う。でも、いろんなケアや体験の提供をハーレーが丸抱えするこの方式は、ハーレーの販売を大きく押し上げる一方で「組織依存型ハーレー至上主義者を大量に生み出してしまった」わけなんですよ。

ハーレーに育てられた人達はハーレーの世界が全てであり、ハーレーこそが最高だと思ってる。バイクの買い換えにあたっても、選択肢はハーレー限定なんで、モデルライフの長いハーレーの新車に飽きてくると、よりコアでディープな旧車の世界に足を踏み入れていくんです。

ハーレーのエンジン問題における疑問点を掘り下げるほど、それは「ハーレーという特殊な村社会の必然なんじゃないか」と感じる。

ハーレーという村社会を維持運営するためには、一定のヒエラルキーが必要で、一般常識よりその掟が優先されてる。「ハーレー最高!」って他のメーカーには吠えてるのに、同じハーレー内では、「現行のエンジンはダメだ!」なんて言ってるのは、ハーレーは内に対しても外に対しても階級構造が必須のブランドだからだと思うんですよ。そして、それは内外に大きな軋轢と矛盾を生んでいる。

「やっぱハーレーはショベルっしょ?ツインカムやミルウォーキーはダメだな。鼓動感ないし、三拍子でないし・・」

「あーー、そうなんですかぁー?じゃあ、ダメ認定されてるツインカムやミルウォーキーはインディアンのサンダーストロークよりいいんですかぁー、悪いんですかぁー??」

「いやそりゃ・・(サンダーストロークの方がいいってなると、ハーレーがインディアンより下ってことになっちゃうな)・・サンダーストロークと比べりゃミルウォーキーエイトの方が良いよ!絶対!!」

「えぇーー?ミルウォーキーってショベルにさえ負けてるのに、サンダーストロークよりいいんですかぁー?・・あっ、ってことはですねぇー、ショベルは他のメーカーの現行エンジンをブッチギリで圧倒できるってことですよねぇー?すごいですねぇーーー。今度対決させてみましょうよぉーー」

「・・・・・・・・・・」

この掛け合い見ておわかりの通り、エンジンの優劣語るのにエンジン性能なんて何一つ出てこないわけですよ(笑)。まずはヒエラルキーありきで勝敗はそれに応じて決められる。しかもそのヒエラルキーはハーレーワールドという狭い世界だけで作り上げられたものだから、他のメーカーの最新エンジンを比較に持ってこられると途端に論理破綻するんです。

だってサンダーストロークを比較対象に出されたら、ハーレーもミルウォーキーエイト持ってこないと勝てるわけないですよ。でも、多くのハーレー乗りはその矛盾に気づいてないし、そういう比較は絶対にやらない。だって他メーカーと比較しだしたら情緒で構成されたハーレー内の格付けの矛盾点が噴出しちゃうんだから。

私にとって、ハーレーの中で生じてるエンジン論争って、檻の中の秩序を守るために囚人同士が殴り合いしてるみたいなもんなんですよ。「檻の外には、もっと広くて自由で素敵な世界が広がってるのに、なんでそんな狭いところで殴り合いしてんの?」って思うんです。

その一方で、ハーレー独自の村社会を維持するってことを考えると、「そういうヒエラルキーを作るのもやむを得ないんだろうな・・」って感じるところもあるんですよ。日頃つながりのない人たちを集めて、組織的に活動しようとすると、そこに統治のための上下関係を作らなきゃならない。組織の秩序と命令系統を維持するために、会社には社長、重役、課長、部長がいるし、村には村長や、役員や、各エリアの班長がいるわけですよ。これはどんな組織でも一緒です。

ハーレーは集団で活動するから、それが大きくなればなるほど、その統率と推進のためにヒエラルキー構造が必要になってくる。コミュニティでヒエラルキーが作られると、その頂点を目指そうと参加者は積極的に活動するようになり、組織への帰属意識と推進力が生まれるから、運営側も意図的にそう誘導していくんです。組織員は自身の地位向上のために、イベントに毎回顔を出して運営に協力したり、バイクを沢山買ってディーラーの売り上げに貢献したり、よりコアなスタイルでカリスマになりハーレーに利益になる情報発信をしたり、とにかくハーレーにプラスになる方向で役立だっていこうというモチベーションが生まれるわけですね。

今月号のバイブスで、「コロナ禍だけどミーティングやらせて!」って編集長の泣きが入ってたけど、そういう組織ってミーティングを定期的にやって常に焚きつけないとモチベーションが一気に下がる。「当分ミーティングはないかもしれない・・」って考えた時点で、帰属意識って希薄になっちゃいますから、それで食ってる人たちには死活問題なんですね。

ハーレーのエンジンヒエラルキーもまさにそういうハーレーのお床事情を反映したものじゃないかと思うんですよ。旧車に乗ってる古参のハーレー乗りや型落ちモデル乗ってる組織内実力者に対し、免許とっていきなりCVOを買った新入りがイキれるようじゃまずいんです。入ってくるハーレーユーザーの中には財力や社会的地位がある人も沢山いると思うけど、ハーレー内の地位はそれとは別個に確立しなきゃならない。そしてそういう組織内の格付けにおいて最重要視されるのは資金力ではなく、「ハーレーというブランドに対する長期にわたる信仰の強さ」なんですね。

ハーレー内で古いエンジンを現行より持ち上げる風潮があるのは、「ハーレーという村社会の組織的な都合によるものではないか?」などと私は分析してます。そうじゃないと新しいエンジンを否定する理由がないんですよ。国産メーカーなら「新しいエンジンも良いけど古いのも良いよね♡」ってなるし、それが普通でしょう。でもあえて新しいものを否定しなくてはならなくなるのは、「古いものを絶対的上位に置かなければならない事情がある」からで、その事情は古参を中心とする序列型組織体制の維持だろうと思うわけです。これはハーレーという村社会独特の事情でありますから、私のような組織に帰属しないボッチのハーレー乗りが外野から正論をぶつけても決して議論が交わることはない、というのがこの問題における私の認識です。

まぁ今回も少々毒を吐きましたが、たまにフグ毒のようなものが挟まるのも私のブログの特徴です。内容は、いつものごとく私の独断と偏見に基づいた分析意見であって、当たってるか当たってないかは保証いたしません。ただ一つ明確に言えることは、この世の中って、一定の母数がある中で常識とあまりにも異なることがおきてたり、結論がおかしくなってしまう時は「変な結論を出さざるを得ないような特殊な背景事情」が存在することがほとんど。今回はその特殊な背景事情を私なりに少し掘り下げてみたってだけのことですので、いろんなご意見はあると思いますが、読み物として楽しんでいただけると幸いでございます。