バイクにとってデザインが如何に大事か?それは語るべくもないでしょう。Z1やGPZ900R、カタナやV-MAXなど、伝説になってるバイクは全てバイク乗りの脳裏に焼き付くようなデザインアイデンティティを持ってます。

また、これまでストリートトリプルのブログで再三申し上げてまいりましたが、私はこのバイクをほぼ「デザイン・インパクトのみ」で購入しています。ボディカラーと細部のデザインを見て「まるでニセウルトラマンのようではないかぁぁああああ!!尊い!!実に尊い!!尊すぎて死ぬ!え?ここ冥土??」と悶絶して購入しちゃってるんですね。ストリートトリプルには他にもSとかR-lowとか、いろいろラインナップがあるんですが、RSのウルトラマンカラーが矢ガモのように脳ミソの左から右にブッ刺さってるんで検討もクソもありません。

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(ウルトラマンカラーのストリートトリプル。カラーとデザインだけの衝動買いって実は初めてかもしれない。)

まぁ高尚なインダストリアルデザイン製作の目線で大上段から見下ろせば、これから私の言うことはハチャメチャだと思うんですが、アホの子的に申し上げますと


「そんなもんはクソ食らえなのですぅ(笑)」

だって金出して買うのこっちですよ。作る側の論理なんて買う側はどうでも良い。勝手に頭ひねってろと。どんだけ凝ったデザインでも、消費豚を「ブヒィィィイイ」って鳴かせることができなきゃ何の意味もないんです。

あのですね。髭のターンAガンダムがどんなに工業デザイン的に優れてようと、デザインしたのがシド・ミードだろうと、所詮はモビルスーツ界の黒歴史なんですよ。商売の世界は結果が全て。そこに甘い議論は入る余地などありません。顧客に支持されて金を出してもらえるデザインこそが正義なんですね。

商業デザインの世界では「デザイン要素一つ一つに機能と意味を持たせる。」などとよく言われますが、A4の説明文を長々と読んでからでないとわからないようなデザインは商業デザインとしてはなじみません。

私がここでブログキャラのデザイン論ぶったって、見てる人にとっては「萌えるか萌えないか」だけなんですよ。だって、私のクソ絵に真面目に向き合うような価値は微塵もない。だからデザインはインパクトとかわかりやすい魅力が大事なんです。単純に「考えるな!感じろ!!」でいいんですよ。

でも世の中はそう簡単じゃないんですね。

商品におけるデザインって下手打てば収益に大穴が空いちゃうから、その是非について、社内で長々と議論し吟味する。で、そんな答えの出ない選択の責任は誰が負うの?っていうとやっぱ経営者ですよね。成果主義の雇われ経営者だと、採用したデザインの大ゴケは自分の進退に直結しかねない。だからこそ「なぜそのデザインを選択したのか?」という理屈立てが必要になるんですよ。そのデザインを理論立てて分析することにより、選択の根拠を明確にし、失敗したときにも「このデザインについてこれだけ掘り下げて議論を尽くしたんですよ」という体裁を整えておく。それが商業デザイン論の真の存在理由ではないかと私は思ってます。

商業デザインの優劣って論じる必要がないんです。だって消費者のツボに入り、売り上げが伸びればそれは「最高のデザイン」ってことになるんだから。いやいや、「デザイン学的にはそうじゃないんだ。」っていう意見もあるでしょうが、売り上げで結果出ちゃってるからそれ以上議論の余地なんてないんですよ。どんなクソデザインでも、「売れれば正義」「勝てば官軍」である以上、そこでもう因果律が逆転しちゃってるんですよね。「デザインが良いから売れた」っていうより、「売れたからこれは良いデザインなのだ」ってことになるわけですよ。

こういう特性を持つ商業デザインは私の感覚上、方向性が大きく2つに別れるんです。一つは伝統を重視したクラシカルな定番デザイン。もう一つは前衛的なデザインです。

デザインを決定する際に、クラシカルな路線ってのはありがたい。だって、消費者が過去に支持してくれて勝ち残ったデザインモチーフをなぞるわけですから、大外ししにくいわけですよ。同人誌的ないい方すれば人気アニメのパロディ本みたいなもんですね。オリジナルじゃ見向きもされないけど、既に一定の支持のあるキャラを使ってスピンオフやるわけですから、そのキャラが人気であればあるほど手堅い収益が見込める。

一方前衛的でアバンギャルドなデザインは、ある種の冒険になる。通常、これらは最先端技術力で革新的な機能や性能を盛り込んだバイクに採用されることが多いですが、デザインって機能に寄り添うものだからそれは当然なんです。バイク全体の形が進化しないとデザインも進化しようがない。デザインがどんどん洗練されていくのはバイクの形状や機能、製造技術がどんどん洗練されていってるからで、デザインだけが進化していくなんてことはあり得ないんですね。

ただ、前衛的デザインというものは、名作を生み出すと同時に、数多くの黒歴史をも生み出してきました。ちなみにバイク史に残るような黒歴史製造業社はダントツにスズキ。これが変態スズキと呼ばれる所以ですが、スズキはデザインで冒険しないとホンダに勝てないですから、アクセルの踏みが深い。常にギリギリを攻めるから必然的にコースアウトも多くなるだけなんですよ。例を挙げますと

降霊術の過程で「東京タワーと超兄貴の精」を憑依させてしまい、爆散して消えた2台目インパルス。
インパルス
パカパカ開くリトラクタブルで「カタナ」から「パカタナ」への斜め上進化で時代の塵となった3型カタナ。

katana

心ないバイク乗りから「おまる」、「便器」の称号を与えられたSW-1。
SW-1

あまりのキワモノぶりに鈴菌保菌者からも「菌王」と崇め奉られるBーKING。
b-king


・・ああ、時代に受け入れられなかった珍奇なるものどもよ。安らかに眠れ・・・。(ちなみに私はこいつら全部好きなんですけど、やっぱおかしいですよね。)

こういう爆死例を見ると、やっぱりバイクはクラシカルなデザインの方が安心感があっていいんじゃない?って思うじゃないですか。でもそれだけじゃダメなんですね。

斬新なオリジナルデザインの提案って常にバイクの進化を促す。シャーシやエンジンのコンポーネンツが古いのに前衛的なデザインなんてできんのですよ。ハーレーがなぜ古典的なデザインなのか?そりゃ基本的なバイクの構成要素が古典的だからです。大排気量空冷Vツインに、ローシートのダブルクレードルフレーム、ロングホイールベースにネック角を寝かせたフロントフォーク。ここが変わってないのに大きくデザイン変わるはずがない。新しい技術的な提案がないからデザインも変わらないんです。

そもそも、企業を代表する定番デザインだって、飽くなきチャレンジ精神から生まれてるわけで、リスクを取った創造性の中から定番は生まれてる。でも定番って「選んで間違いのないもの」ですから、時代に応じて変わっていかなきゃならないんです。カワサキのZ900RSが大成功していますが、あれは空冷Z1の面影を残しつつ、現代的デザイン解釈と水冷エンジンで再構築してるからこそ、今のバイク乗り達から定番的な支持を受けているんですね。

このように、デザインには企業の姿勢や考え方やセンスが大きく反映される。小手先ばかりで新しいデザイン提案が出てこないってことは、開発リスクを取らず、古いたこつぼの中でしかバイクを作っていないってことなんですよ。それを別に悪いとは言わないですよ。戦線を縮小し、古き良き価値観を守り続け、それを支持する顧客だけで商売を続けていくっていう、老舗戦略も素敵だと思う。でも、戦線縮小も選択しないし、勝負もしないっていうのは、戦略としてありえない。過去の遺産だけで食ってるとそれを食い潰したときに進退窮まるのは、どのビジネスでも同じことです。

ハーレーの現在の危機的状況は、主力商品の停滞を何年も続けたあげく、ラッシュモアと称して商品開発を顧客の声に委ねるという根性のないことをやった結果ですよ。

顧客価値なんて本来企業が考え抜いて提案しなきゃならないことです。それを顧客に真正面から聞くってなんなの?バカなの?「お客様がこういったからこうなったんですよ。」なんて企業の言い訳ですよ。ニッチで生きてるバイクが大量販売するカローラと同じことやってどうするの?「これが最善なんだよっ!俺についてこい!!」っていうハーレーの信念どこいった?

オリジナリティなんて、裏を返せば企業の独善ですよ。顧客の好みを狙うあざとさは商品開発に必要ですが、それを顧客に聞くなんて馬鹿げてる。100年の歴史を持つハーレーくらいの企業になれば、積み上げてきたノウハウと独善で顧客を引っ張んなきゃならないはずなんですよ。そんなのは空冷とか水冷とかいう問題じゃなくて、バイクの中に込められてる「これが俺たちが作りたいバイクなのだ!コレが最高なのだ!!」っていう企業の主張の問題ですよ。

そりゃハーレーのデザインは良いですよ。素敵ですし古くさいけど、乗ると感心する。でもそれ作ったの何世代前の人たちだよと。古き良きものがアンチテーゼとして輝くのは、新しい価値観のデザイン提案があって、それとパラレルになるからです。私がハーレーの新型水冷モデルを支持しているのは、ああいうデザイン提案をしないと古き良きビックツインもやがて輝けなくなると思ってるからなんですね。

新しいものって大失敗するリスクもありますから、短期的には現状維持の方が利益が維持できるケースは多い。でも長い目で見ると停滞は必ず企業収益にはマイナスに働く。トライアンフはその点をよくわかっていて、トリプル系ラインは常にデザインをブラッシュアップし、最先端の尖った意匠を与えています。特にバイクの印象を大きく支配するヘッドライト周りで個性的なチャレンジを続けてる。一方、バーチカルツイン系は古き良きデザインラインを踏襲しつつ、機能を現代の需要に馴染ませてます。過去と未来の両方の軸を設けて、それらを全てを現代の商品として昇華してる。結果として「伝統的アイコンを守りつつも、最新技術を持つメーカー」という企業イメージが構築できているわけです。

この世にデザイン論は一杯あるし、いろいろな屁理屈もありますが、デザインなんて最後は自分たちの好きな物や主張を受け手に叩きつける行為です。それがピュアであればあるほど、リスクは高く、商品は尖る。スズキは多数のデザイン黒歴史がありますが、その一方でカタナやハヤブサ、GSX-Rなどバイク史に確実に残るメチャアクが強くて素晴らしいデザインも生み出しているんです。

創造の世界なんて最後は気合いと情熱。受け入れられない恐怖と戦いながら、それでも限界を攻めてチャレンジし、新しいものを提案し続ける姿勢に奇跡の神は舞い降りる。ストリートトリプルRSは、あのアバンギャルドなネイキッドデザインと異形ヘッドライトに、懐かしのウルトラマンカラーがあまりにも見事に融合したから、私というこじれた消費豚を「デザインだけでワンパンKOする」という奇跡を起こしたわけなんですよ。

偽乳特撰隊4
(現行ストリートトリプルの2灯異形ヘッドライトの曲面は実にエロいですね。まさに空気を切り裂くブラジャーって感じでステキ。)

時代を先取りしすぎたり、熱い思いがちょっと行きすぎたり、デザインを現実に落とし込むのをしくじったりすると、豪快にスベってバイクは「変態化」するんですが、変態になるのを恐れてバイク乗りの支持が得られるでしょうか?無理ですよ。だってバイク乗りの半分は変態ですよ。変態の満足は、同じ変態にしか提供できないですよ。

だから、私はリスクを恐れぬ変態デザインや不遇のバイクがかなり好き。名作デザインって「多くの大衆に支持され、愛された変態デザイン」だと思うんですよ。その一方で一部の好き者にしか愛されなかった変態デザインは歴史の中に消えていく。でも、それは表裏一体なんです。一人の綾波レイを生み出すために、セントラルドグマには多くのアヤナミレイ失敗作が横たわっていますが、その違いはリリスの魂が宿ったか宿らなかったかだけ

結果から見るだけなら、変態デザインは勝者と敗者に別れます。厳しい商売の世界ではその勝ち負けはとてつもなく冷酷。しかし、イラストを描く私から見ると、デザインって「攻めてるか、手堅いか」のどっちかでしかないんですよ。で、私としては中途半端な攻めより、豪快な空振りを評価したい。デザインもバイクと一緒で限界を攻めれば当然大怪我をする。でも怪我を恐れていては破壊力のある必殺パンチは生まれないんです。

各メーカーから次々生み出される変態デザイン達の中で、社会性を獲得し、綺羅星のように生まれた奇跡。それが時代を超えるような名作デザインとして生き残っていく。でも歳を取って敗者の気持ちがわかるようになると、勝ち組を選ぶ安心感もいいけど、敗者の個性を拾っていくのも素敵なんじゃないかと考えるようになったりする・・・。そういうのが変態道の入口なんでしょうね。