「いつかはハーレー」

「ハーレーはバイクではない。ハーレーという乗り物である。」

なんて表現をしばしば目にします。これらの言葉には、ハーレーには「凡百のバイクと異なり、特別なステータスがある」ということを前提としたニュアンスが含まれていますね。ちなみに私はステータスという概念には肯定的です。俗物なんでステータス大好きなんですよ。私みたいなアホは基本「俺ツェェェエエ!!」したいわけですから、強さの象徴たるステータスが嫌いなわけがない。

この世でステータスシンボルになれるものって、凄ーく少ないですから、それはとても得がたく素晴らしい価値だと思うんですよ。長い歴史の中で積み上げられてきたものって、とても重くて尊いもので、到底、無視して良いものではない。しかし、その一方で、このステータスという価値をメーカーがどう扱い、乗り手がどう受け止めるかっていう部分では、いささか難しい面があると思うんですよね。

ハーレー乗りには半ヘルが多いですけど、ハーレーをただの移動手段や純粋なバイクとして見ていたら、半ヘルって普通はないわけですよ。機能性がないですからね。ではなぜハーレー乗りが半ヘルを選ぶのか?それはハーレー乗りがバイクを通じて自分のスタイルを演出してるからだと思うんですよ。ある種のファッションといっても良いかもしれない。

ファッションだから、そこは当然「顔出し」になるわけです。自分の個性出すのがファッションなのに、メットかぶっちゃうとアンパンマンもプレデターも違いがない。だからハーレー乗りは半ヘルなんだと思ってます。ハーレーを通して自らのスタイルをアピールしていこうっていうポジティブな思考になれるところが、ハーレーの魅力の一つなのでしょう。

バイクのステータスというのは、このようなスタイルを演出する際にも武器の一つになります。ステータスってある種の社会的な地位ですから、その地位が高みにあればあるほど、乗り手の地位と立場が強化される。ハーレーは中古も新車も価格が高いけど、価格が高いイコール「それを購入するだけの財力がある」ということになるんですよね。旧車の希少価値や、高額価格もバイクの地位に貢献してるんです。如何に乗り手を演出するか?いかに傾けるかも「ハーレーの価値の一つ」なわけですね。

ステータスを求める心って、突き詰めると自己顕示欲なんですよ。だからイケイケな人ほどこれが刺さる。ブランドは多くの人の持つ自己顕示欲をくすぐり購買意欲を喚起していく。こういうのって「クジャクは羽が綺麗だとモテる」ってのと同じで、自然界の雄が子孫を残すために持っている本能のようなもんだから、これを去勢したら男は成り立たないんです。

適度に自己顕示欲があるってのはとってもいいことだし、ギラギラとステータスを求めていくのも悪くないと思う。私みたいに、「自分は着飾ってもモブ以上にはなれない。」って諦めた男は去勢されてるようなもんで、男としての魅力ゼロです。

だから、バイクに乗って自己アピールはどんどんすれば良いと思うんです。ただし、その場合は「人の迷惑にならない範囲で」ってのが非常に重要になってきます。なぜなら、この世には「公の秩序と善良な風俗を乱すものは、皆等しく排除される」という普遍のルールがあるからです。特にバイクと中年にはそれがかなり厳しく適用されているんですね。つまり、アウトロールックのオッサンが爆音三拍子を奏でてるハーレーは確実に社会的排除の対象になるということです。

「いや、俺たちは仲間同士で楽しめればそれで十分だから。」って多くのハーレー乗りは言うと思う。でも、それなら一般人が集まる商店街に入っていく必要はないし、SAや道の駅のど真ん中でドヤ顔するのは逆効果です。

以前北陸で問題になったパナウェーブ研究所だって人里離れた山で仲間内だけでひっそり暮らしてれば害はなかった。でも

「惑星ニビルが地球に落下してくる」

とか訳のわからんことを叫びながら、福井県に向けて集団大移動をしたから住民の反対運動が起きて大騒動になったわけですよ。ハーレー集団のSAや道の駅でのスペース占拠は、一般人から見るとこのパナウェーブ研究所とあまり変わんないわけですね。

東名高速からカタナで海にブッ飛んだオッサンが社会で暮らしていけるのは、サービスエリアで一服してると無害でダンディなオジサマに見えるからです。これは明らかに排除されないための猫かぶり。どんなに美化しても中身はスピードに頭やられてるオヤジです。でも、この猫かぶりがバイク乗りが生きる重要な知恵だと私は思ってるんですね。

ハーレーは公道でSSのように飛ばさないし、隊列組んでおとなしいけど、サービスエリアでは爆音と威嚇的格好で極めて目立つ。イージーライダーではハーレーに乗って好き勝手するだけで射殺されてましたが、日本だって殺されないだけで、バイクで好き勝手してる集団に対する社会の反応は似たり寄ったりです。

悲しいかな社会的には「バイクは極めて邪魔な存在」でしかない。最近バイクのアニメに平和な「ゆる萌え系」が多いから勘違いしがちですけど、現実の環境はこれと大きく異なる。これまでの私のバイク人生は「排除されず、否定されずにバイクに乗り続けるにはどうしたらいいか?」を我が身で実験してるようなものでした。

私の周りはバイクで重大事故を起こした人たちが多すぎて、家族に対しても、周囲に対しても非常に難しい環境におかれていたんです。30年以上バイクに乗ってますが、胸を張れるような社会的なステータスを感じたことなど一度もありません。

ステータス2+11+1
(今回の鉛筆下絵、ハーレーにはやはり「ドヤ顔」がよく似合う。)

その昔、第三京浜を超高速で暴走してたライダー連中は、明らかにド底辺のどうにもならんクズでした。でも彼らは少なくとも
「自分がゴミクズ以下であり、排除の対象」であると理解していた。だから、目立たぬよう深夜の闇に紛れたんです。

ブッ飛べばその瞬間に未来はないし、検問張られれば拘置所行きで大罰金、免停取り消しも覚悟の上。普段は普通に生活するけど、夜になると公儀の目を盗み、辻斬り同士がイカレたスピードでタマの取り合いしてたわけです。でもハーレー乗ってアウトロールックで走ってる人たちって、そんなリストカッターみたいなガチの世界にいるわけじゃない。

だからこそ、それは「安全圏での健全な娯楽であり、生活を彩るスタイルであり、正当な自己主張」でなくてはならないはずです。

社会に背を向ける覚悟があるのなら好きにやれば良いと思うけど、その結果どうなっても、自己責任で同情の余地はない。「アウトロールックで爆音カマしてメチャ目立ちたい。でも安全圏にいたい。」なんてことが許されるのは、法で責任能力を軽減されてる未成年者だけ。集団の規模が大きくなり、それが大衆の注目を集めれば集めるほど社会的な排除を受けるリスクは二次曲線的に上がっていく。

尾道の商店街事件で、「ハーレーのイメージが悪くなった・・」っていう人がいますけど、一般人がもつハーレーのイメージなんて、元々下がるほど高くないんですよ。ハーレーは一般人にとっては、ただデカくてうるさくて邪魔なバイクにすぎないから、ハーレーのステータスなんて一般人に対しては何のご威光もないんです。

そもそも、バイクは多くの人を事故によって殺してきた原罪にまみれた乗り物です。不安定であり、乗り手の保護という点で極めて脆弱なバイクはどこまでいっても血塗られた原罪が消えることは決してない。このため、バイク乗りと一般人の間には大きく深い溝がある。どんなに頑張ってもこの認識の差を埋めることはできません。だから、ハーレーのステータスは自分とハーレーコミュニティの中だけで完結させるべきもので、一般人や他のバイク乗りに胸張ってアピールするのは下策なんです。

時代的にも、今時ステータスをこれみよがしにアピールする風潮ではなくなってきてます。個人が自由に情報発信できる多様性の時代に必要なのは個性やキャラクターで、ステータスなどの特定の地位で第三者アピールをするのは発想自体がもはや古くさくなってきている。集団的同調性が必要とされた昭和の高度成長期なら、その手のアピールが成功者の証とされたんでしょうが、そんなステレオタイプの価値観が今の日本を固定化した社会にしてしまったんです。

今の若い人は、そういうステレオタイプな集団的同調性で縛られるのは御免被りたい、と考えている人も多くなってきているようにも感じる。

空冷エンジンは凄く味があるんで、「空冷が好き」「鼓動が好き」っていう個人の嗜好はよくわかる。でも「空冷じゃなきゃダメ」「鼓動がないからダメ」と簡単にいってしまうのは、「築40年の線路脇のエアコンもないボロアパートで生きるのを強要する」ようなもんですし、未来を閉ざすだけの発展性のない結論しか生まない。

ステータス2+1
(足下の爆弾に気づかずに、イキリ散らすダイナ嬢。バイクというのは恐ろしい乗り物で、調子こいてるとメガトン級の大爆発を起こすことがある。)

ものの評価で大事なのは「何を否定するか」ではなくて、「何を肯定するか」です。マイナスの部分はどんなものにもあるけれども、プラス部分をしっかり見て、マイナスとプラスを天秤にかけることがビジネスにおいても消費選択においても重要だと思うんですよ。で、今の時代はプラスを評価できる人の方が伸びる時代なんです。

ハーレーは性能的にはたいしたことないけど、柔軟で、実用性があって、とても使いやすいバイクです。大排気量を要しながら、こんなとっつきやすく奥が深いバイクはない。100人バイク乗りがいれば100通りの楽しみ方ができて、それをまるっと受け入れられる懐の深さがある。でも肝心の乗り手の方がいろんな価値観に縛られて、狭いものの見方でしかハーレーを評価できないようになってる気がするんですよ。

それは私が90年代に捕らわれていたスピード至上主義という価値観の檻に似てます。当時の自分はまさに価値観の囚人でした。囚人は檻の中から出たいと思う反面、閉じた檻の中で安心していたいっていう願望もあるから、一度価値観の檻に捕らわれると、その檻をどんどん補強していって出られなくなる。囚人でいることを受け入れてしまえば強固な価値観の檻の中はとても居心地が良いんです。

価値観の檻という点から考えると、ハーレーの持つ高いステータス性は、ハーレーの弱点にもなる。誰しも大枚はたいて手に入れたステータスが低下するのは望まない。だからステータスを守るために保守的になり価値観の檻に籠もる。ハーレーって旧車がもてはやされているというより、ニューモデルを認めない構造なんですね。既存のステータスを維持し続けるためには、新しく、より良いものを否定しなきゃなんないんですよ。中古業界もそれを後押ししてるようなところがあるから、保守色がとてつもなく強くなる。

でもそれはハーレーの足かせになってます。以前も評価したとおり、空冷ビックツインを冷静に見ればメカ的に行き詰まってるのは明らかです。環境のために効率的でコンパクトな方向に流れるべき内燃機において、排気量を上げてくしか環境対応の方法がないなんて、技術的には終わってる。

ハーレーがこれからやらなければならないことは、ブランドステータスを維持しながら、自ら作った価値観の檻を解体していくことでしょう。方向としては「保守的価値観の檻の中にいる人たちを切り捨てる」「ゆっくりと諭していく」かのどちらかしかありません。

当面は販売面を考慮し、緩やかに後者をやってくることは間違いないと思う。メディアによって作られた価値観はメディアによって上書きできる。これからは「古い空冷も良いけど、もはや時代は水冷でーす。パワーも出て最高でーす!」っていう当たり前の論調を強く押し出していくんじゃないでしょうか。既存のステータスを守りたいと願う多くの保守派はニューモデルに対して否定的な見解を出し、自分のバイクの地位を守ろうとすると思うけど、そんなのは想定内と無視するはず。ハーレーの市場規模と業界に落とす利益は極めて大きいですから、メディアも大政翼賛会みたいになって頑張ると思う。

いずれにしても、またハーレーお得意の不毛な価値観論争がそこかしこで起きていくことは間違いありません。空冷から水冷への移行はハーレーにとっては重大かもしれないけど、バイク業界全体から見れば、ピカチュウがライチュウに進化するくらいの違いしかない。私的には水冷空冷にかかわらず、ハーレーは「低速が気持ちいい緩いバイク」を作っていってくれればそれでいいと思ってますが、ハーレーがパワー志向になったら、私も切り捨てられる側ってことになるのかなぁ・・とも考える。

私は雑食性のノンポリ・バイク乗りなんで、こんなドライな考え方してるのかもしれないですけど、バイクに長く乗ろうと思えば、いろんなことを受け入れていった方がプラスになると思う。価値観の檻の中で怒鳴っていても、あんまり得をすることなんてないんですよ。

ハーレーに関しては7月13日には従来の価値観を大きく変えるようなスポーツスター後継モデルが出るようです。パン・アメリカンと同じく、エボリューションMAXエンジンを積んでますから、空冷至上主義者は全く興味ないと思いますけど、私はどんなのが出てくるのか今から楽しみでしょうがないですね。