どうも皆さん、こんにちは。へっちまんです。

突然ですが、バイクのタイヤで使えてない部分のラインを「アマリング」と呼称するようですね。

私がこの言葉を最初に聞いたのはおそらく8年くらい前で、行きつけの道の駅だったと思います。若い2人組が、他人のバイクのタイヤをチェックしながら、「スーパースポーツなのにアマリングが凄いな。ププ。」などといっていたよーな記憶がありますね。聞き慣れない言葉だったんで「ん??」と思いましたが、その後いろんなところで度々耳にするようになりました。

こういう走り屋の価値観って今も昔もな~んにも変わりないみたい。自分も含めレプリカ世代は、無理ヒザだろうがなんだろうが「峠で膝を擦る」ことに縛られてましたが、今のSS乗りは「アマリングを消す」ことに縛られてるのかもしれませんね。

ブログを書く前に少しネタ仕込もうとネット検索してみると、ベルトサンダーで消すとか、タイヤの空気圧を落として8の字すりゃ消えるとか、「フフッ、そこまでするの?・・可愛いわね♡」って思う記述もある。手段を選ばずとにかく消したいってのは、SS乗りにとってアマリングってのはかなりの呪いになってるんでしょう。

DSC_0496
(絶賛慣らし中のストリートトリプルのリアタイヤ。サスセッティングを詰めるために近場の湖畔道路を走ってきました。アマリングはないようですが、これだけのバンクしても無感動なのがヤバい。感覚壊死の典型です。)

私自身はどうかというと、昔はヒザスリにこだわった時期もありましたが、今はそういうこと全般に完全に興味が失せてしまってます。ヒザを擦ったって、超高速域で走ったって公道で待っているのは袋小路。自分の感覚が壊れていってリスクが積み増されるだけで

「その先に得られるモノがまったくない。」

サーキットと違ってリザルトが残るわけじゃないし、公道は何が起こるかわかんない魔界みたいなとこですから・・・。ホント乗り手の技術と関係ないところで、とんでもなく笑えるコケかたしますからね。私、一度道路を横切るヘビを踏んでフロントから豪快にコケたことがあるんですが、

「ナゼなのォオオオ!クタバッチマェェェエ!アーァァメェェェェエエーーーーーン!」

って頭の中で叫んじゃいましたからね。もう「天使のいたずら」だとしか言えないんですよね。要は「不運」ですね。公道ではこの「不運に対処できるかどうか?」が天国と地獄を分けるわけですよ。

そもそもヒザスリやアマリングを消す裏で何が行われてるかというと、違法行為のオンパレードです。だって、公道でタイヤのヘリまで使うには、それなりのスピードで、しかるべき曲率のコーナーにアプローチする必要がある。アタックしてるときは、「制限速度?なにそれ、美味しいの?」って感覚でしょう。

しかも、飛ばせば飛ばすほど遅い車にひっかかる。そんな車に前塞がれてちゃどうにもならんので、イエローラインをカットして、法定速度遵守の車を抜きまくりつつ、コーナーに飛び込んでいくことになるわけです。

だから道の駅でバンク角を自慢するなどという行為は「道中、違法行為をひたすら続けて魔入りました!」ってアピールしてるも同然。そんな奴らはみな罪人です。

バイクで大事なのは「走りを楽しむ」ことであって、タイヤの使用領域を増やすことじゃありません。タイヤの使用領域が増えれば増えるほど負荷も増え、リスクが増えるわけですが、「リスクの低いところで楽しめる」ライダーこそ、私の中では「至高の存在」なんですよ。

私の周りに、40超えてから免許とった方がいらっしゃるんですが、タイヤなんかセンターしか使ってない。でも「バイク面白いですよ!!峠って楽しいですね!右に左にバンクさせるのが楽しくてっ!!最高ですーーーっ!!」って生き生きと笑ってる。もう顔見ると楽しさ振り切れてますよ。眩しすぎるくらい輝いてる。こんなの完全無欠の勝利者でしょ。

一方の自分はどうか?どんだけタイヤ使っても、心の針が「死にかかり老人の心電図」のように無反応。過去の悪行で感覚が壊死してて、感動領域がもの凄く狭くなってしまってるんです。これはアマリングなんて問題にならないほど深刻な事態。アマリングが消えるほどバイク倒すならそれなりのトキメキが必要だと思うんですが、そんなの全然ない。もう脳みそと心をゴミ箱に捨てて、感動に満ちてた初心者の頃に戻りたい。心から。
八つ裂き・下絵
(今回の下絵。ウルトラマンってホント素晴らしいデザインなんだな・・って実感する。)

サーキットやジムカーナ競技場ならともかく、公道で「アマリング消さなきゃダメ」なんて言ってる人は、完全におかしくなってるんですよ。一度自分が「ハイスピード・コーナリング・ジャンキー」になってないか検証した方がいいと思う。

実際に排出される脳内麻薬を「楽しさと勘違いしてる」症例はままあります。それを放っておくと常にリスクを高めて脳内麻薬出してないと満足できないというスピード依存症になってしまう。一度依存症に陥ると感覚を元にもどして更生するのは非常に難しいんです。

ストリートトリプルで走ってみてわかりましたが、おそらく昔の頭ぶっ飛んでた頃の私と今の私は何も変わってない。壊死した感覚も戻ってない。ただひとつ違うことは、昔と違って今の私はそれが「罪であり、不幸なことなのだ」と強く自覚してるところでしょうか。

あと加えてもう一つ、自己研鑽は否定するものではないけど、サーキットでもないのに人と自分を比べるのは止めるべき。道の駅で自分のタイヤチェックするんならともかく、人のタイヤを見て回るほどバカバカしいことはありません。

そういう人は「自分と他人を比較して、優越感に浸りたい」っていうだけなんです。

本来、誰がどうバイクに乗ろうが、どう生きようが人の勝手です。にもかかわらず、それを確認しなきゃいられないっていうのは、「他人と自分を比べ、自分の方が優れてるって感じないと自己肯定感が得られないから」なんですよ。なんでそんなこと言えるのかって?決まってるじゃないですか!

自分がそうだったからですよ!

アマリングチェッカーやってる人って、「国産アメリカンなんかダメだな~。やっぱハーレーじゃないと~」とか「中免なんか遅いよ~。大型乗りなよ~」なんて語りかけてくる人達と基本同じ。特定の基準で他人と優劣を比べないと自己肯定できないんです。

自己肯定のために他人の存在が必要になるってのは、出発点が既におかしいんですが、これは幼少期から受験勉強などで競争を強いられてきた日本人が、優秀さと引き換えに植え付けられた呪いです。物事をはかる時に必要なモノサシを常に試験という形で第三者から与えられてきたから、自分の中にモノサシが作れない。だからまず、モノサシを探すことからはじめて、自己評価をそれに委ねる。自分にとって必要か否かを測るモノサシは常に自分基準じゃなきゃならないはずのに、それを他人から与えられたもので測ろうとするから、誰かと優劣を比べないと達成感が得られないんです。

八つ裂き4
(ウルトラマンでリングといえばアマリングではなく「八つ裂き光輪」。ヒーローとは思えない猟奇的な技名にウルトラマンの心の闇が垣間見える。ちなみに餌食となったのはメジャー怪獣のバルタン星人とレッドキング。八つ裂き光輪で成敗されるのが一流の証なのか。)

アマリングチェッカーも「公道でタイヤを使いきる」という、歪んだモノサシで他人や自分を計ろうとしてるところは同じ。私の頃は、それが「ヒザスリ」というものだった。モノサシが間違っていたから、その頃の走り屋達は皆ライダーとして歪んだ方向に進んでしまった。多くのメディアが無責任にその価値観を植え付けた結果「心や体に深刻な傷を負った」わけです。

つまるところ
「公道でフルバンクする価値観に未来などない。」ってのは、私の中では過去の経験によって既に証明が終了してる事実なんですよ。

私は完全に罪人側の人間ですんで、誰かの行いを正そうなんて大それたことは考えてない。でも、少なくとも今バイクを楽しんでる人達を誤った価値観に引き込んじゃいけないと思う。

私が言うのもなんですが、公道フルバンクなんていうのは路面の悪魔にバイクを生贄に捧げて快楽を得る禁忌外法の儀式です。完全なカルトですよ。

バイクなんて「楽しけりゃなんでもいい」し、「楽しんだもん勝ち」です。つまり基準は「乗ってる人が楽しいか楽しくないか」の一点なんです。フルバンクしなきゃ楽しめないほどのジャンキーなら、フルバンクするしかないわけですが、フルバンクしなくても楽しめるのなら、そんなことする必要は微塵もないし、そんな領域に入る必要はまったくありません。

制限速度ブッチぎってバンクしないと楽しめないような罪深きライダーが、正しい倫理感の下でバイクを楽しむ人達をあざ笑うという、悪夢のような逆転構造がアマリングというふざけた概念の正体です。私にとってそれは「遙か昔のヒザスリ時代の亡霊」のように思える。

バイクに限りませんが、この世の中には「人から押しつけられる間違ったモノサシ」が多すぎます。バイクの場合、変な価値観に洗脳されると、命に関わるときもある。それを防ぐためには、欺瞞に満ちた既存の価値観をいったん全否定し、自分が求める価値観を自分の内面から掘り出して、自分のバイク観を確立する必要がある。

というわけなんで、私にとってアマリング問題ってのはライディングの技術論じゃないんです。人が勝手に押し付けてきた誤った価値観を自信を持って否定できるか?っていう心の問題なんですね。

バイクなんて、なーんも気にせず自分なりに走る方が絶対楽しくって自由なんですから、人にどうこう言われても、「はぁん」とジト目で受け流せばいいだけ。「バイクを長く安全に楽しむ」ためには、他人がどう言おうと、まずは自分が楽しいと思っている感覚と倫理感を素直に信じ、それだけをひたすら追求してブレないことだと思うんですよ。