先日からストリートトリプルの購入報告をさせていただいてますが、私にとってストリートファイターの購入は、速さというものに対する私なりの回答でありました。

DSC_0037
(ストリートトリプルをコアファイターだとすると、ダイナはガウ攻撃空母。こと機動力では勝負になりません。)

ハーレーやゴールドウィングが「より速さを求める」という方向性に舵を切っていくなか、自分の中での「速さへのアプローチ」はクルーザーを速くすることではなく、ハナから「ストリートファイターを選択する」ってことだったわけですね。

ストリートファイターは公道でミズスマシのように走ることに特化した「戦闘機」なんで、街中での機動性は折り紙つき。ストリートトリプルは3気筒でスリムだし、190㎏弱しかないんで、この軽さがあらゆるものにプラスに働きます。

ブレーキはクソ止まり、加速もキレキレで倒し込みもペッタペタ。前傾でシートが高いんで、ハングオンもやりやすく、ケツを出せば、待ってましたと寝てくれる。これに対し、ハーレーやF6Bは荷物を満載し長距離を飛行する「巨大輸送機」のようなもん。そもそもの設計思想が全然違う。

今のところ、ストリートトリプルは慣らし運転中で8000回転以下で走ってますが、5000回転から盛り上がってくるトルクと回転上昇のキレ上がりっぷりは、流石MOTO2エンジンのデチューン版だけあってダイナやF6Bのツアラー用エンジンとは別物。エンジンの素性自体が違うことがよく理解できます。

こういうバイクが一台あると、クルーザーにことさら速さを求めるのはやっぱ違うな~と思う。基地に戦闘機を配備すれば、輸送機にミサイルを積む必要はないんです。クルーザーは快適で平和な走りを追求していくべきであり、戦闘力を上げる必要はないんじゃないの?って改めて感じる。

外国では元空軍パイロットが旅客機を操縦してるとのことですが、300㎏超の車体は「速さを一途に追求する」ってのに疲れた者たちの行き着く先でもある。私なんて人生テンカウントの一歩手前くらいまで来てますからクルーザーが丁度いい。まだスピードに対する未練が残ってるのなら、ウェルバランスの200㎏前後のリッターネイキッドやミドルスポーツを振り回してた方がいいんじゃないかと思います。

アメリカンクルーザーのクソ重いシャーシでは、安全マージンを取って8分目くらいで走ってくことになりますし、それくらいが一番気持ちいいと感じる。でも、そんな平和的なクルーザーが、最近どんどん速くなりつつあるように思う。

近年、アメリカではハイウェイの制限速度が時速130キロになって、クルーザーはその速度域で快適に巡航ができなきゃ移動体として成立しないところがあります。この流れに対応するため、ハイギアード化は必然。これに伴いパワー稼がなきゃならないのに、排ガス規制で締め付けられて八方塞がりなんで、排気量を上げざるを得なくなってる。

結果どのバイクも軒並み100cc前後くらい排気量アップしていってますが、同じエンジンブロックで耐久性を確保しながらできるだけ排気量稼ごうと思うと、この程度の排気量アップが妥当かつ無難なんでしょうね。

いくら「速さなんて必要ない」ってイキってみても、巡航速度の向上までは否定できない。日本だって新東名は一部120キロ制限になってますから。パワーアップは現代の交通事情に適合した結果であるということであって、これを悪いなんて言い出したら「タイムマシンで太古に還れ!」っていわれかねないわけですよ。

このように、環境に対応したこと自体は何ら問題ないし、速度アベレージが上がってるのも主要道路の高速化の流れの中で当然の帰結です。しかし、いろんなインプレ見たり、モデルバリエーションを見たりすると、やはりそれ以上に、「商品力としてスピードというものを求めている」ように感じちゃうんですよね。

車体を軽量化して、エンジンパワーをアップし、サスペンションもそれにあわせると走りに当然効いてきますから、モデルチェンジの成果として、そこを強調したいのはわかるんですよ。「前モデルと比べ何が良くなってるのか?」って聞かれて「走りです!」ってのは非常に訴求しやすいわけです。でも、私にいわせりゃ現在の公道事情ではリッターバイク自体が「既に速すぎる存在」なんです。

速過ぎるバイクを抑えつけるには2つの方向性しかありません。一つは制御系と曲がる止まるを徹底して磨き上げ、「優れたシャーシ性能と電子制御という拘束具でスピードを安全な範疇に押さえ込む」か、「そもそも乗り手にスピードを出させないようアドレナリン抑制剤を打つか?」です。前者は理論的に簡単なんですが、後者ってメチャメチャ難しいんですよ。なんせバイク乗りって頭のネジがブッ飛んでてアクセル開けたがる人種ですから。

一休
(今回のイラストの下絵。まずはざっくりと構図のバランスを取っていきます。)

私がクルーザーカテゴリーに求めるものは「いかに安全で平和で楽しいか?」ってことなんです。スーパースポーツやストリートファイターが速さを志向した「戦闘枠」だとすると、クルーザーやアメリカンは人と競うことをやめて、自分だけの世界に浸って走る「平和枠」であるいう認識なんですね。

で、「平和枠」に求められてる速さってなんなの?ってとこを真剣に考えないと、本来ゆったり乗るべきクルーザーがどんどん戦闘的になってちゃうような気がするわけです。

物理の法則からいえば「重いバイクは速過ぎちゃダメ」だと思うんですよね。重いバイクが乗り手に「もっとスピード出せ」と迫るようになると、リスクがどんどん高まるから。

高速での電車道に特化した直線番長ならまだいいんですが、峠でステップ擦りましょう!なんて「高機動マニューバ」の世界で頑張り出すのは「輸送機に曲芸飛行をやりなさい」っていってる感じで目指すべき方向とズレが出てるんではないか?と思うわけです。

そんな私にとってダイナは私の認識を変えてくれた「平和枠バイク」の一つの基準軸です。

私みたいなイカレポンチを平和な走りに再教育するっていうのは非常に難しい。今まで多くのバイクがそれをできなかったんです。でも、ダイナは想像以上のダメバイクで「乗り手を危険な領域」に誘わなかった。スピードが出ないということではなく、「スピードを出す気にさせない」んです。そういうバイクは多いようで実はとっても少ない。だって、ほとんどのバイクがフツーに速すぎるから。

1600ccの空冷Vツインは、排気量を生かして下は溢れるようなトルクを吐き出すのに、ノーマル設定では高回転でパワーを出すことを明確に拒絶しますし、全体的な走りの質もお世辞にも高くない。でも、他のバイクに比べて、ダイナには突出した美点がある。それは「シンプルでのどかで楽しい」ってこと。これだけは今まで乗ってきたバイクの中でもピカイチなんですね。

バカみたいな排気量のくせに、ゆっくり走らせることがこんなに楽しいバイクはない。各部の雑さも、フン詰まる高回転も、ヘロヘロシャーシも、カスみたいなバンク角も、乗り手に「危険領域へのチャレンジ」を捨てさせるために用意周到に作り込まれた必然なんじゃないか?とすら思える。誰が乗っても安全な領域からはみ出すことなく「平和に走る」ことができるという希有な性能を持ってるんです。

機械モノって大概、構造やディメンションや、エンジン特性を解析すれば、そのバイクの持つ楽しさの根源を知ることができる。メーカーは一定の設計思想に基づいて、理論構築して目指す方向を定め、真面目に作り込んでくるわけですから、すべての要素が整合性に満ちてるんです。

しかしハーレーはメチャクチャ。ホント真面目に作ってんの??っていうほど各部が雑だし、旧ダイナなんてフレームにラバーマウントされ動きまくってるエンジンにスイングアームがマウントされちゃってるんですよ(笑)。こんなんおかしいだろ?バカですか??案の定、かっちり感なんて皆無だし、高速域ではよれるよれる(笑)。ニーグリップできないのに、ひとみ婆さんみたいにヨレヨレなんて、どうにもならないですよ。ノンカウルで風当たりも爆発してますから、高速域の快適性は皆無。

フルカウルのバイク達が鼻歌で巡航する速度域で、レベル5のハリケーンの中でのハツリ工事を体感できるんですよ。とんでもないですよ。「アガガガガ」と風と振動とヨレにもみくちゃになりながら「もうあらゆるところが笑いに満ちゃってるじゃん、スピードを出すってこんなに滑稽なことだったのか・・」と認識を改める。

ホント「瀬戸内寂聴のビキニ姿を強制的に見せられてる」くらい萎え萎えです。フツーこんなの絶対許せないんですが、なんか許せちゃうとこがまたヤバい。寸止めが気持ちいいなんてもう変態ですよ。

一休4
(令和時代にまさかの一休さんネタ。ストリートトリプルのザラブ嬢は完全にツッコミ役と化してる。スピードからリタイヤしたオーナーと「ネタ枠だらけ」のバイク達の中に真面目なMOTO2エンジンを搭載してやってきてしまったのが不幸の始まり。空回りしてイジられる未来しかありません。)

こんな風に、端々は最悪なんだけど、トータルで評価すると謎風味でなぜかスッゴクいいわけです。でも、なんでいいのか理由がわかんない。いくら考えても、なにがどうなって、こういう風な味わいになってんのかが理解ができない。まさにオカルト。

でも思うんですよ、「これが歴史と文化というもの」なんだろうなと。

気の遠くなるほどの実走を積み重ねてきた末に実現してる気持ちよさだから、理論で解析することができないんじゃなかろうか。

なんでいいのかわかんないからイジろうにも迷走を繰り返しちゃう。私のダイナは全然止まらないフロントフォークと、接地が甘いリアサスを共にオーリンズに換えて、日本の道路事情にあうよう安全性をかさ上げし、暴風域を耐え抜くためにビキニカウルをつけてますが、基本大手術やったのはそれだけのような気がする。(しかもノーマルサスの駄目味を未だに忘れられないという・・)

吸排気を交換して、フルコンも入れて燃調変更してパワーも出してみたけど、結局1年いじくり倒したあげく、ノーマルセッティング(アメリカ版の方です)に戻しちゃった。絶妙のサジ加減と見えない隠し味で作られてる「歴史と文化の平和な味出し」を私レベルがどうこうするのは無理ではないか?とある時点で気づき、そこからお手上げ状態になってるんです。

やがて私もアホなりに、自分にとってのダイナの本質を理解し、「絶対に平和枠を外さない」ってとこをブレずに守るようになりました。だからこそ、このバイクは今も私にとって特別な存在であり続けているんです。

「絶対的速さ」っていう概念を基準におくなら、ダイナもF6Bも、新型のより速いバイクに取って代わられていくべきという結論になるでしょう。でもそれは違う気がする。私のイラストのキャラ立てでもわかるように、こいつらはもともと「速さを求めた戦闘機」じゃない。大事にしなきゃいけない価値観は別のところにある。

しかし、市場は買い替えを促すために「ときに価値観をすり替えるんです」。私の中でクルーザーに必要なのは「余裕」であり「安全」であり「平和」であり「ネタとして面白い」ことなんです。そういう意味では、ある種芸能に近いのかも。

このカテゴリーにおいて「速さ」というものはネタ要素の一つとして不要じゃないけど、絶対じゃない。それをしっかり再確認しとかないと、自分自身が間違った価値観に誘導されかねないわけですよ。

メーカーは売上げが全てだから、株主の声や経営力学に押されて、ときに迷走することもある。しかし、この混沌とした市場環境で、それに釣られて乗り手まで迷走してたら、普遍的な価値を持つスタンダードがどんどん消えていくような気がするんです。だって現代資本主義は信念より売上げが全てですから・・・。

結局メーカーがフラフラしてるときは、買い手がしっかりするしかないんですね。

バイクは年々進化するけど、人間は進化しない。逆に歳食って衰えていくんです。衰えた乗り手の行き着く先は、やっぱり安寧と平和なんですよ。だから、カブやSR、エストレヤ、セローの商品力は今もって衰えてないわけで、これらのバイクは時代を超えて大した進化もせず支持されている。

それってやっぱ「価値観をブレず守ってる」からだと思うんですよね。ロレックスのデイトジャストやリーバイスの501なんかもそうですが、基準ってのは変えようがないから基準なんです。

そして私の中では今のところダイナが平和枠の絶対的な基準軸というわけなんです。